【原則、1日と15日に内容更新します】

『世界の肥満退治をしたい』
 この一か月ほどの間にアイルランド、北アイルランド、クウェートと立て続けに旅をしてきましたが、今はまたカナダを訪れています。雪と氷に蔽われる森と湖、そして星降る夜空に、なんとも言えない透明感が漂っています。ここに来たのは、バンクーバーの北方千キロに位置するプリンスジョージの北ブリティッシュ・コロンビア大学で「環境と平和」について講演するためです。
 聴衆は、理系の学者や院生が多かったようですが、私の文明論や十牛図の話も共感をもって受け止めてもらえたようです。私はどこの国に行っても、パワーポイントのスライドを見せながら話すのが常ですが、自分では「国境なき紙芝居屋」にでもなったつもりでいます。
 紙芝居の内容を考えるのは、けっこう知的な作業ですが、それを語る語り口は職人芸みたいなものですから、場を踏めば場を踏むほど、腕が上がっていきます。何しろ中年になって体当たりで覚えた英語ですから、決して流暢というわけでもないのに、自分の考えていることを自然体で話せることが、つくづく不思議でもあり、ありがたくもあります。
 講演の翌日に、急きょ、大学で坐禅会を開くことになり、三十人ほどの参加者にSOHO禅のやり方を指導しましたが、日本での風の集いと同様に、さまざまな音を聞いたり、色彩を見たりする人が続出しました。学生の中には、これから大学にSOHO禅クラブを作りたいと言い出す者もいたぐらいです。
 さて本題ですが、久し振りに北米を訪れて感じたのは、あまりにも肥満体の人が多いということです。この原稿もプリンスジョージからバンクーバーに向う小型飛行機の中で書いていますが、隣席にいる巨漢の女性に押しやられるようにして、パソコンを打っています。実は同じことを成田からバンクーバーに飛ぶ機内でも体験しました。白人だけではなく、カナダ北部には先住民が多いのですが、その大半が異常な肥満体です。
 日本にも若い人を中心に肥満が増加していますが、先進国だけでなく、途上国でも特権階級は決まって肥満体です。文字通り、貧民の血肉を食い物にしているようで、見ていて気持ちのいいものではありません。
 遺伝的に肥満体質だったり、何らかの疾患があって肥満の人もいたりするわけですから、一概に肥満を批判したり、偏見をもつ者ではありません。しかし、肥満の多くが、誤った食生活に起因するのではないでしょうか。私は東京滞在中は、銭湯を愛用しているので、よく分かるのですが、肥満の人には肌の汚い人が多いのです。腸内の宿便がやがて体毒となって、肌の状態にまで影響しているような気がします
 とくに親が無知かつ無自覚なため、幼い子供たちまでが過食の悪弊に陥り、不自然な肥満体になっているのは痛ましいことです。将来、その子たちは肥満のゆえに成人病になったり、差別を受けたりするかもしれないのに、それでも親は子供にふんだんな食べ物を与えることを愛情表現だと言い張るのでしょうか。
 ごく一般論として言えば、どこの国でも知的な人に肥満が少ないのは、栄養バランスについて、それなりの知識を持ち、食生活に注意を払っているからでしょう。ということは、教育次第で肥満は、相当程度、防止できるということです
 地球上に一日四万人の餓死者が出ているという現実があるのに、過食による肥満は罪深いことです。別に仏教を世界布教したいという意図が私にあるわけではありませんが、せめて「少欲知足」の精神ぐらいは普及させたいものです。
 私の夢は、健康断食を世界に広めることです。断食なら世界中のイスラム教徒が実行していると言われるかもしれませんが、人々が深夜まで大食をするため、イスラム圏では何とラマダン中のほうが食糧消費が増えるという事実があります。実際に中東の肥満事情も、かなり深刻です。
 中でも高位の聖職者に肥満が多いというのは、どうやら古今東西の宗教に当てはまるようであり、比較宗教学の研究対象にすらなるかもしれません。いつかインド政府主催の国際仏教者会議に出たときも、最前列に居座った高僧の大半が醜いほど肥えていたことを覚えています。
 環境問題がかまびすしく論じられる昨今ですが、技術開発による二酸化炭素削減などよりも、人類が正しい食生活を身につけることによって、どれだけ地球環境が守られるか、計り知れないものがあります。私は死ぬまでに、やりたい仕事が幾つかあるのですが、そのリストの中に肥満退治という項目も加えたいと思うようになった今回の旅でした。(2009・4・15)

「下座の人・鍵山秀三郎氏」
「折々の言葉」バックナンバー