私は年齢より若く見られることが多く、ありがたいと思っています。なぜそうなのかと、つらつら考えるに、白髪が二本しかないということもあるでしょうけど、それ以上に、私に子供っぽいところがあるからです。還暦前の男性にしては、考え方が「青い」のです。 それはそれで私の短所でもあり長所でもあると、大目に見てやっているのですが、許せないのは、最近の日本に蔓延する幼児性思考です。子供っぽいことと、幼児性思考は、似て非なるものです。。 八十歳の老人でも夢のある生き方をしている人は、どことなく子供っぽく、魅力的です。幼児性思考のほうは思索の力が浅く、物事の本質を見極めることができないために、人間を軽薄にしてしまいます。総理大臣から一般市民まで、幼稚な思考力しか持ち合わせていない人間が多すぎるように思います。あまりにも浅薄なテレビ番組が、そういう国民性をますます煽っているのかもしれません。 高級官僚にも大学教授にも、社会的肩書きに関わらず、幼児性思考の持ち主は、ざらにいます。高学歴が、必ずしも思考を深めるわけではないのです。恐らく戦後の社会的試練の少ない状況で、そういう人間が大量生産されることになったのでしょうが、このまま行けば、日本は相当、危ないことになるかもしれません。 なぜなら世界には、したたかな国がいっぱいあるからです。彼らにとって、日本という子供みたいな国を手玉にとって、好きなように躍らせることぐらい朝飯前でしょう。昨今の金融危機でも、北朝鮮の挑発的行為でも、その裏の裏があることを日本の政治家が理解しているとは思えません。 国民生活にとって重大な臓器移植法改正案をろくに議論せずに、通過させてしまったことだけでも、幼児性思考による政治の劣化を象徴しています。自分が大臣になれるかどうかぐらいしか、今の政治家には関心事がないのです。 そもそも、太平洋戦争に突入したのも、やたらとエリート意識ばかり強くて、典型的な幼児性思考の持ち主だった軍幹部が、徹底的にまちがった判断をしたためです。そのことによって、失われた人命と歴史遺産には計り知れないものがあります。同じような歴史の過ちを繰り返さないためには、成熟した主体的思考力をもった国民が一人でも増えることが必要です。 話は変わりますが、風の集いに来て下さるような方とは、長く淡い御縁を続けたいというのが、私の真摯な願いです。ところが、中には大学や自宅に「町田先生、テレビで見ました!」と興奮して電話をかけてくる人がいます。そんな人にかぎって、私の本を一冊も読んだこともないのです。まるで私が特別な人間のように思い込み、風の集いに足を運んで来た人で、長続きした人は一人もおられません。 私はテレビに出る前も、出た後も、タダのアホです。自分を見失って、誰かの「追っかけ」をしたいなら、私よりも遙かにハンサムで、遙かに才能がある人物を追いかけてください。ついでに、そういう方は、ぜひ拙著『生きてるだけでいいんだよ 臨済録・自由訳』(集英社)をお読みください。ただし、ハチャメチャな臨済禅師は、幽霊みたいな生き方をしている依存型人間のことを、「このクソカキベラめ!」などと、口汚く罵るに決まっていますから、ご用心。 ただ、アホな私にも、それなりの信念と思想があります。その信念と思想に共鳴して下さる方が、風の集いに来てくださることこそ、私の大きな喜びなのです。風の集いは、名古屋も加わって、ついに六か所になりました。新しい東京会場では、闇の中から眩しく浮かび上がる丈六の阿弥陀仏の前で感謝念仏を唱えるのが、楽しみです。 平々凡々と地味に、「地の塩」のよう生きておられる皆様と細く長く、道を求めて、愉快で清々しい集いにしていきたいと思っていますので、これからもどうぞ、よろしくお願いいたします。(2009・7・15) | |||
![]() 「下座の人・鍵山秀三郎氏」 | |||
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