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『人生は花火だ』
 八月十四日に、安芸の宮島恒例の海中花火大会がありました。年に一度の、この夜の華典を楽しみにしている人は多く、何十万人という人がやって来て、付近の交通はマヒします。ところが、春に夫婦二人で引っ越してきたばかりのわがマンションのバルコニーは、その花火見物には、もってこいの特等席です。
 そこで当日は、町田ゼミの学生さんたちを迎えることにしました。食事を持ち寄るポトラック・サパーというのは、アメリカでは当たり前ですが、ずぼらな我が家でも、その形式で思い思いのご馳走を持ち寄ってもらい、楽しいひと時を過ごしました。
 花火も見ごたえがありますが、その夜ばかりは、花火見物のために灯りをつけた大小の船が何百隻と狭い海峡に集まり、まるで源平合戦が再現されたような風景になります。あの花火大会は、ひょっとしたら、海の藻屑と消えた源平の兵士たちの鎮魂慰霊に役立っているのかもしれません。
 そういう花火を眺めているうちに、ふと「人の一生も、花火にそっくりだなあ」と思いました。真っ暗な闇にシュルシュルと上がって、パッーと散る。後には何も残らない。灰となって散るだけです。いやあ、その潔さは見事なものです。
 この世は、闇です。その闇の中に、生の華を咲かせる。それだけのために、私たちはあちらの世界から、シュルシュルと打ち上げられているのです。中には、シュルシュルと上がって、いつまでも反応がないものだから、不発弾かと思っていると、しばらくしてから見事に咲き散る花火もあります。あれは、大器晩成型花火です。
 誰が打ち上げているのか知りませんが、小さい花火もあれば、大きい花火もある。低く上がるやつもあれば、高く上がるやつもある。細工がしてあるやつもあれば、淡泊なやつもある。どんな花火にするかは、花火師の腕前ひとつです。
 ですから、花火玉である私たちには、何の責任もないわけです。器の大きい人間もいれば、小さな人間もいる。それも花火師の仕業であって、私たちの知ったことではありません。
 向こうの都合で花火を上げているわけですから、打ち上げられる花火玉である私たち人間は、力を抜くだけで何もしなくていいのです。みんな闇から生まれて、闇に消えていくだけです。どんな花火であったとしても、みんな消えることにおいては、絶対平等の世界です。素晴らしいでは、ありませんか。
 空海の「生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し」(『秘蔵宝鑰』)という言葉も、その不可知の闇のことだったのです。それは恐怖の闇でなく、誰もが帰っていくべき平安の闇ではないでしょうか。
 八月は、戦争のことを考える季節でもあります。一部の高慢な軍人の、救い難い幼児性思考によって、日本がとんでもない間違いを犯してしまったために、どれだけ多くの人々が無念の思いで、生を終えていったことでしょうか。兵士も一般市民も、それに運悪く巻き添えになった周辺諸国の国民も、同じ悲運を共有させられたのです。
 しかし、そういう人たちも、無念は無念のままに、それなりの花火となって、虚空の闇に消えていったのではないでしょうか。恨みを残さず、次回の花火大会では、大輪の花火となって、この世を明るく照らしてくれることを祈ります。
 戦争に限らず、いつの世にも過酷な運命を与えられている人がいます。それは、それで致し方ないことです。一回かぎりの花火の人生ですから、シュルシュルと上がって、パッーと散るだけです。恨みを残さないのが、コツです。でないと、花火大会ではなく、納涼大会向けの、幽霊になってしまいます。
 国民的アイドルだったノリピーのように、自分で自分の人生を危めてしまう人もいます。人間とは、そういうものです。彼女だけが愚かなわけではありません。そういう彼女も、ほんとうに深く悔悟して、ゼロからやり直せば、女優としては復帰できなくても、人間として、最後に美しい花火を打ち上げることができます。せっかくあんな大失敗をして、そのことに気付かないなら、この世に生を授けられた人間として、もったいない話です。
 日本中に繰り広げられる夏の花火大会で、わが人生を思い、戦没者のことを思うことにすれば、私たちも、もう少し思慮深い国民になれるかもしれません。少し酩酊しながら、五千発余りの花火を眺めているうちに、そんなことを思いつきました。(2009・8・20)