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『アングリマーラという生き方』
 昔、インドのコーサラ国にアヒンサカという名前の、頑健かつ聡明で容姿端麗な青年がいました。彼は幼少時から、あるバラモンを尊敬していて、そのバラモンのもとで熱心に修行を続けていたのです。 
 ところが、ある日の事、バラモンの妻がアヒンサカを誘惑して言い寄ったのですが、彼は「 師は父親と同じです。裏切る事など、できるはずがありません」と答えて、その誘いを斥けました。
 すると、その妻は逆恨みをして、自分で衣服を破り、帰って来た夫に「アヒンサカに犯されました」と嘘をついて泣いたのです。怒ったバラモンは、報復のためにアヒンサカに、間違った教えを与えることにしました。
 「アヒンサカよ。お前の修行完成の時がきたので、最後の秘法を伝授しよう。よいか、お前が真のバラモンになる道は人を何人も殺し続けて、その指で首輪を作る事である。そうすれば、お前も殺された者共も天界に至るだろう」と言って一本の剣を与えました。
 アヒンサカは、これを聞いて驚き、苦悩しましたが、師には逆らえず、その嘘を真に受けて、サーヴァッティの町で一人の通行人を殺害してしまったのです。そのあと、彼は正気を失ってしまい、次から次へと町の人々を殺し続けました。
 人々は、アヒンサカをアングリマーラ (指で作った首輪) と呼んで恐れ、近くの村には人も住まなくなっていきました。人々は、国王に殺人鬼の恐怖を訴え出たのですが、追討の兵士の手をのがれて、アングリマーラは殺害を続けたのです。
 その頃、サーヴァッティの祇園精舎に滞在していたブッダは、このうわさを聞き、ある日托鉢を終えて一人でニガーマという殺人鬼の出没するという地域に出掛けていったのです。
 ブッダを見た人々は、口々に「 そちらに行っては危険です。アングリマーラという殺人鬼がいます」と言って止めようとしましたが、ブッダは黙って歩いて行きました。
 アングリマーラは、一人の沙門が来るのを見て驚きました。「この道は、俺を恐れて隊商の一団ですら護衛の兵士をつけて来るではないか。それらの者も皆この俺の手にかかって倒されたのだ。それなのに一人でやって来るとは、一体あれは、何者なのか」と一抹の不安が心をよぎったのですが、アングリマーラはいつものように剣を手にして、ブッダのあとを追いました。
 しかしその時、ゆっくりと歩いているかに見えるブッダに、なぜかいつまでも追いつけなかったのです。
 アングリマーラは、立ち止まって叫びました。
 「沙門よ、止まれ!!」
 ブッダは「 私は止まっている。そなたこそ止まったらどうか」と告げたのです。
 アングリマーラは、「お前は歩いているのに止まっていると言い、俺は立っているのに止まれという。一体、何を言うのか!」
 「アングリマーラよ。 私は、生きとし生ける者に害心を起こす事なく、心は常に静かに立っている。しかるに、そなたの心は命ある者に対して害心を持ち、立ち止まる事なく苦しんでいるではないか。だから、私は立っているが、そなたは立っていないと言うのだ。」
 この言葉を聞いた瞬間、アングリマーラは我に帰り「私は今まで幾多の悪行を犯してきたが、大沙門の言葉に従って、今こそこれを捨てよう」と言って、剣を捨てたのです。ブッダは、そのまま彼をサンガに連れて帰りました。
 それを見ていた村人が、この事態をパセィーナディー王に告げました。そこで、ブッダに帰依していた国王は武装した兵士を伴い、サンガにやって来たのです。
 ブッダは、「王よ、そのような姿で どうしたというのですか。戦争でも始めるつもりなのですか。」
 「いや、そうではありません。まさかとは思いますが、ここに アングリマーラがいると言う訴えがあったものですから、一応来てみただけです」
 「王よ、あなたはアングリマーラが私のもとで出家して、ここで戒めを守り、修行して悟りを開いているとしたら、彼をどうなさいますか?」
 「それならば捕らえるには及びませんが、しかし、まさかあいつに限って、そのような事は、絶対にありますまい。」
 「では、御覧下さい。そこに座っている者が、アングリマーラです」
 王は驚愕したが、ブッダに恐れる事はないと言われ、捕らえないと言った手前、驚いて帰っていったのです。
 しかし、アングリマーラは托鉢に行った町で当然のごとく人々に襲われ、棒で打たれ、石を投げられて毎日血まみれになって、サンガに帰りつくことになりました。
 ブッダは、「アングリマーラよ。忍受せよ。そなたが来世において受ける苦しみを今受けているのだから。人がもし善業によって、以前になした悪行をつぐなうなれば、その人は、この世を照らすこと、雲を離れし 月のごとくであろう」と語ったのです。
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 過去に犯した罪の深さには違いがあるかもしれませんが、私たち一人ひとりは、確実にアングリマーラなのです。仏性において、光輝く存在であっても、肉体の記憶において、罪を背負っています。その肉体の記憶を消すために、今日という日の悲しみがあります。ですから、その悲しみを悔いるのではなく、静かに立ち止まって、涙と共に消し去るだけです。(2009・9・10)