宮島----世界遺産の島------

中村 緑   

     宮島を見る3つの視点 

   a.後世に残したい島、宮島

     ア、宮島の歴史  イ、世界遺産  ウ、美しさの秘密

   b.植物の宝庫、宮島

     ア、照葉樹林  イ、高山植物  ウ、針葉樹林  エ、海辺のモミの木

   c.野生動物?の住みか、宮島

     ア、サル  イ、イノシシ  ウ、シカ

 

 

a-ア 宮島の歴史

 

宮島=厳島、宮城の松島、京都の天橋立とともに、日本三景とされる。

 周囲30キロ余り。北東ー南北に長く、北東の弥山地塊(529.8メートル)と岩船地塊(466.6メートル)とに大きく分かれ、いずれも急峻な山麓が海岸線に迫り、平坦地に乏しい。古来、神霊をいつくしむ島として畏敬され、厳島神社の神域として特別な保護下にあったため、原生林が残った。 

 厳島神社の社殿は、ご神体を拝むための拝殿とされる。厳島そのものがご神体であり、弥山はご神体の象徴ともいえる霊峰である。そもそも、海に社殿が建てられているの   も、ご神体たる厳島に柱を建てるのを憚ったため、といわれている。

     -----------日本歴史地名体系35

 

a-イ 世界遺産

 

 宮島の厳島神社は、1996年「世界遺産条約」によって世界遺産に指定された。 

 では、「世界遺産」とは、どんなものなのであろうか?  

「世界遺産条約」の目的は、普遍的な価値を有するかけがえのない人類の遺産である文化財や自然を、破壊から守り、保護し、次世代に残していくために、世界中の人たちの国際協力を推進することにあった。この「世界遺産条約」のもっとも特徴的なことは、それまで相反するものとされてきた動植物をふくむ自然と文化とを、じつは密接な関係があり、ともに保護することが大切と見なした点にある。自然と文化とは対立関係にあるのではなく、お互いに補完関係にあるという考え方を提唱している。実際、人類が創り出した歴史的建造物は、周囲の自然とよく調和し、また、各国の自然景観には、古代からの民族の痕跡が残されていることが多い。 

 

・自然遺産の登録基準  

1地球の歴史の各主要段階を表している優れたもの。例えば、生命の記録、地球形成における現在進行中の主要地質学プロセス、地形学的・自然地理学的特色を有するもの。

2陸上、淡水域、海洋の生態系や動植物の生態系の進化、発展において、現在進行中の主要な生態学的、生物学的プロセスを代表する優れたもの。

3卓越した自然現象やすばらしい自然美、美的に価値があると思われるもの。

4科学的、保護的観点から、世界的に高い価値がある絶滅の危機にさらされている種が含まれる、野生状態における生物の多様性の保全にとって、重要な自然の生息地を含む場所。 

 

・文化遺産の登録基準

1人類の創造的資質を示す傑作であること。

2時代を超越して、建築、モニュメンタルアート、あるいは都市計画および景観などの発展に重要な影響を与えたもの。

3現存する、あるいは消滅した文化的伝統または文明のユニークな証拠を示すもの。

4ある様式の建築物、あるいは人類の歴史上、重要な発展段階を示す景観の代表例になるもの。

5単一あるいは複数の文化を代表する伝統的集落、土地利用のきわだった例。

6きわめて普遍的な重要性をもつ事件あるいは現存する伝統、信仰、思想、芸術的文化的所産に直接あるいは明白に関係するもの。 

 

宮島はこの登録基準において文化遺産の、1,2,4,6,に該当している。

 ---------ユネスコ世界遺産 講談社  より  

 

a-ウ 美しさの秘密

 

 瀬戸内海の美しさを表す言葉に「白砂青松」という言葉がある。白砂は、その由来を内海沿岸に広く分布する、花崗岩に求めることができる。白亜紀から第三期初めにへい入  したとされる、地下深層部で生成したが、その後の被覆層の削剥によって、現在地表近くに広く露出している。花崗岩は、一般に風化を受けやすく、白砂は、花崗岩の風化・分解によって生産されたものである。

 

b-ア 照葉樹林

 宮島は小さい割には照葉樹林としての多様性を保っていて、縄文時代の南西日本に広がっていたであろう樹林のモデルとなる。 

 

b-イ 高山植物

 熱帯地方の島嶼部に生育する高山植物がみられる。

  EX  ハイノキ科のミミズバイ

 熱帯地方のニューギニアから生育高度を下げながら、フィリピン、台湾、沖縄諸島と北上し、日本列島に達している。宮島はほぼ北限に近く、海岸付近にのみ生育している。

 

b-ウ 針葉樹林

 暖温帯系の落葉樹のツガ、モミなど、日本固有の針葉樹も混交。

 

b-エ 海辺のモミの木

 モミの木は普通、山の山腹にある。しかし宮島では、大元公園を少し山側に入ったところにある。→理由  瀬戸内海が広がったのは、縄文海進後の、今から6000年前の  こと。海進とは別に土地の沈降はあったらしいが、ともかく宮島は6000年前に島になった。それまでは、陸続きで内陸部の山の中腹に当たるところであった。そこにモミの木は群落をなしていた。海進により瀬戸内海は広がり、多くのモミの木は、水没。宮島の群落は、寸前のところでこれを免れた。   

  -----------宮島の植物誌 さると歩く原始林より  

 

c-ア サル

 宮島には、野猿公園というものがあり、野生のサルも生息するが、これらは古来から宮島に生息していたのではないようだ。現在宮島にいるサルは、1962年に香川の小豆  島から連れてこられた47頭の末裔である。なぜわざわざサルをはなしたのか。それは、明治時代までは宮島にニホンザルが生息していたとされたためである。証拠は3つ挙げられる。まずは、村に住む老人が若い頃実際に目撃していたということ。宮島の郷土玩具に「猿鹿」という粘土細工があること。そして、宮島特有の猿瓦の存在である。これは、サルに瓦をはがされるのを防ぐためのものである。しかし、本当にサルが生息していたとされるなら、その絶滅の理由を生物学的に証明することは、難しいのだそうだ。また、芸備日報という明治時代の新聞に、岩国在住の某氏が、16頭のサルを奉納との記事もあり、それらのサルが「明治時代までいたニホンザル」の可能性もある。

 

c-イ イノシシ

 手当たり次第何でも食べるというたくましい食性と、一度の産仔数の平均が6頭という多産のおかげで生き残った。また、イノシシの赤ん坊にとって、冬の寒さは生存率を大  きく左右することにより、瀬戸内の温暖な気候も味方であった。しかし、戦後宮島に渡って来た人たちの畑を荒らすなど、困らせ、また進駐してきた米軍兵士のゲームハンティングや、食糧難にあえぐ人たちの密猟により、絶滅した。

 

c-ウ シカ 

 瀬戸内の島々に広く分布している。イノシシ、サルとちがい、単独あるいは母子を軸とする小さな家族群で暮らしている。このように、個体が広く分散されていた方が、海進  後に島となった地域で繁殖個体群として残る確率が高い。イノシシと同様の道を辿ったが、寸前のところで救われた。少なくなったシカを柵で囲い込み、増殖を試みた。奈良から何頭か、オスを連れてきたりもした。その後、新幹線が博多まで延びたこともあって、観光客が増大。宮島のシンボルとしてのシカとなった。大量の餌を与えられるようになり、やってくる観光客も重ねて餌をやるため、シカがあふれかえるようになった。1997年、観光客が集まる市街地、わずか30ヘクタールのところに、200頭のシカが集まっていて、超過密状態となっている。すでに、宮島の鹿は、野生とはいえない状態にある。シカの生活の基本である食生活への干渉を避けるべきだが、急激な投餌禁止は、森を破滅させると考えられる。さらに、シカの化学製品の摂取も問題である。宮島では、毎年多くのシカ」が命を落としているが、その原因の多くは、観光客の出すゴミに混じっている、ビニールなどの化学製品が胃袋に詰まってしまうことによる、栄養失調もしくは餓死なのである。

 上記のような下調べを持って、教養ゼミの一環として宮島にいった。実際に現地へ行ってみて、わたしが気になった以下の3つの点について追加として調べた。

 

宮島へ行って気になったこと

  1 松がれについて

  2 シカと人との共存

  3 自然環境の保全地域であることと観光地であることのジレンマ

 

1松がれについて

 広島の松がれは、1962年頃から、沿岸部の工業化により大気汚染が瀬戸内地域全域に広がり、そのために松が弱り、そこをマツクイムシにやられたことが原因。松がれに伴い、枯損木の伐採、搬出作業が、宮島の森林に著しい影響を与えた。ブルトーザーが森林内に持ち込まれ、至る所に「ブル道」を作り、表土を削り裸地化している。また、伐採した木の枝を払わずに搬出しているため、大きなほうきで森林をなぎ倒しているも同然の状況となり、亜高木層以下が著しい損傷を受けた。

 

2シカと人との共存

 宮島のシカは、ニホンジカと呼ばれる種で、ヒグマ、ツキノワグマ、カモシカ、イノシシと共に日本の5大大型獣とされている。ニホンジカのなかにも、いくつかの亜種があ  り(エゾシカ、ケラマジカ、ヤクシカ、本州ジカ、九州ジカ)それぞれの地域で体つきが違う。これは、恒温動物では寒冷地に行くほど、大型になっていくというベルクマンの法則にあたる。また、島の動物は小型化するといういわれとも合う。

 宮島のシカは、古くから「神鹿(じんろく)」として、奈良公園周辺のシカ同様大切にされてきた。現在は、宮島内に約500頭が生息。町中には人に慣れたシカもいるが森の中にいるシカは、人が近づくのを嫌う。1979年、観光資源としてのシカの維持を目的に、給餌が開始された。それにより人とのいざこざも増えた。  

 

シカと人とのいざこざの例

        ------------あき 宮島の自然と文化第7号   宮島町博物館出版

      宮島のシカの保護と管理の問題点  林 勝治氏

 (1985年、居住者を対象としたアンケートによる)

 

・シカの糞が汚い、臭う。

   舗装してある道路に踏みつけられ、こびりついている糞は、観光地としての美観を損ない、また夏は悪臭の原因となっている。

   奈良県の、シカ市民調査会のポジティブな考え方→シカの糞は昆虫や微生物が分解したり、芝の栄養となったりして、公園の自然環境を形成している。

・ゴミを散らかしてしまう。

   この問題については、ゴミ箱の改良によりだいぶ改善された。しかし、一時的にシカと接する観光客の意識も、重要になってくるのではないだろうか。

・植木、生け垣、盆栽を食べてしまう。

・人身事故の発生

   ex  角でつつかれる、食べ物をとられる、自動車との接触事故、防止策のひとつとしては、毎年8月頃からシカの角を切っている。

 

 このように数多くのシカ害があるが、シカせんべいを売り出したり、土産物屋のの軒には様々な、シカをモチーフにした品物が並んでいたりして、明らかに観光名物化してし  まっている以上、人間の手によっていかに、人間にとっても、シカにとっても、住み良い方法を見つけていくかが問題だと思う。

 

3自然環境の保全地域であることと観光地であることのジレンマ

 2回のプレゼンテーションと、実際に宮島に出かけてみたことを通して、宮島の密度の濃い自然環境、歴史的背景のたっぷりつまった文化的環境、双方が研究者のみならず、  広く一般の人々の興味をそそるものであるということがわかった。また、そのような魅力ある宮島を、広島県も宮島町も、多くの人たちに知ってもらおうとアピールしている。(シカの餌付け、町立水族館の運営、弥山ロープウェイ、宮島花火大会の実施など)特に自然環境において、観光客を呼び集めることと、今ある自然を保全することの同時展開の難しさを感じた。

 

そのようなジレンマに対してどのような解決策がとられているか?

 

・利用者の多様性を考慮した森林レクリエーション計画手法の開発

        ---------農林水産省林野庁森林総合研究所北海道支所 八巻一成氏

 

弥山のような山では、瀬戸内海を臨む景観を楽しみたい、ピクニック気分で自然を満喫したい、その特殊な自然を調査、研究したい、と登山の目的は様々であろう。このように、利用者のニーズが異なれば、それに応じて利用者が求めるレクリエーション空間の状況も異なる。利便性や快適性を追求したレクリエーション空間と、原生的な状況を色濃くしたレクリエーション空間の両方を、バランスよく配置していくことが重要である。レクリエーション空間とは、物的環境、社会的環境、管理水準、この3者のバランスによって決定される。

 宮島はこのようなレクリエーション空間が整っているところであるとわたしは思う。例えば、弥山登山道とロープウェイが併用されていたり、無料送迎バスがあり、またこれ は有料ではあるが、自転車の貸し出しを行っていたりする。宿泊施設に関しては、島の中心部には旅館があり一方で、島の裏側にはキャンプ施設がある。

 

・ミティゲイションによる思いやり設計

     ------------生態系と地球環境のしくみ 大石正道著  (*ミティゲイション(mitigation)=緩和、軽減)

橋や道路、護岸の建築など人間による、人間のための開発が、野生生物や生態系に悪影響を与えるのでは、という指摘があるが、こうした影響を具体的な工夫で抑える手法を  いう。環境アセスメントでは、「こういった工事をすると生態系にこんな影響がでる」というように、警告する意味が強かったが、ミティゲイションでは、「生態系になるべく影響が出ないように、こんな工法を用いよう」とか「この工事を行う代わりに、こうして影響を抑えよう」などと、一歩踏み込んで総合的な環境の保全や復元を行う点に特徴があ る。

 

     「ふるさと広島の景観の保全と創造に関する条約」

-------------広島県

 観指定地域として、大野区全域(宮島の対岸)及び宮島町全域を指定している。これによる具体的な基本方針として、

山地ゾーン=松がれ対策等充実し、緑の景観の維持を測る。弥山山頂に関しては、静寂な雰囲気を持つ景観の維持に努めると共に、スケール感ある瀬戸内の眺望を大切にしていく。  

木竹に関して=木竹は、自然景観と歴史的景観が調和した、当地域の景観を構成する重要な要素であり、極力保全する。

木竹の伐採及び事後の緑化に関する事項=

   ア 緑化に当たっては、宮島の在来種の使用を心がける。

   イ 敷地内に概存の樹木がある場合、修正に生かすようにできる限り配慮し、伐採を避ける。

   ウ 大規模な現状変更を行う場合、植栽による修景を行う。

 

 

まとめ

 

 ここまで「21世紀に残したい広島の自然環境」というテーマのもとみてきたのだが、宮島の自然環境を知れば知るほど、それは、人間の営みである社会環境と密接なつなが  りを持っていた。「世界遺産条約」では、自然と文化とを補完関係としてとらえているが、この考え方は、アジア的、日本的といえそうだ。古来、欧米では、自然と文化すなわち人間活動の所産と自然は、切り離れているものという考え方があった。それは、欧米では、今まであった原生林を焼き、自然を克服して農業を始めた点に由来する。一方アジアでは日本の「名勝」という言葉に表れる概念に見られるように、文化と自然とは連続して把握するもの、不可分なものとされてきた。

 このように、遺産保護の立場からすれば、古来からそのような思想の発達が見られるアジア、日本がリーダーシップをとる必要があるように思う。 

 

 

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