2度目の訪問

2001年8月8日から8月23日,再びオースチンを訪問した。

8月8日,車で広島空港へ。
羽田まで飛び,リムジンバスで成田へ移動。
昼食を空港内でとって,午後オースチンへむけて出発した。
***
ダラスで乗り継いで,テキサス時間で8日15時過ぎ,オースチンに到着した。
レンタカーの手続きをする間,妻とゆいには荷物をピックアップしてもらうことにした。
レンタカーの手続きがほぼ終わりかけていたとき,妻とゆいがやってきて,
荷物が出てこないという。
これまで何度も海外には旅行しているけれど,初めてのことだ。
Baggage Claim 横のアメリカン航空のカウンターにいったら,
きっとダラスでの税関に手間取ったのだろうということで,夜には届くという。
(実際,その夜,ホテルに配達されてきた。)
***
いきなり,トラブルにであったけれど,走りなれた道をとおってホテルへ直行。
少し休んでから,さっそくいきつけのスーパーへ買出しに出かけた。
やっぱり,アメリカでは車がなければ話にならないとつくづく思う。
夜は時差ぼけのため,さすがに早くに寝てしまった。
週があけてから,テキサス大学をたずねた。
新しい立体駐車場が数学教室のあるビルのすぐ近くに新設されたことを,
松田君から教えてもらっていた。
Gordon先生は留守。John Lueckeは部屋にいた。
Johnの部屋でしばらく話していると,Gordon先生がやってこられた。
おととい,ヨーロッパから戻られたそうだ。
お忙しいようで,今回の滞在でGordon先生とあったのは後にも先にもその一回きりだった。
しばらくJohnと数学の話もして,昼前にホテルに戻った。

今回はまったく数学をするつもりではなかったので,
毎日毎日,ホテルのプールで泳いで,ショッピングに出かけたり,
オースチン市内を散策していた。
2年前にすんでいたアパートの横を通ると,壁が塗り替えられて,
アパートの名称が変わっていた。
ほかにもそういうアパートが目に付いたから,そういうものなのだろう。
時差ぼけがほぼ治ってきたころ,ヒューストンに一泊旅行に出かけた。
今回の旅行の最大の目的を果たすためだ。
それは,ヒューストンから車で1時間南下したところにある,
ガルベストン島で泳ぐことだった。
オースチンから2時間半ほど走ると,ヒューストン。
1日目はホテルのプールで泳いだ。
2日目朝,ガルベストンに向けて出発。
平日なので,海岸はすいていた。
メキシコ湾に面した遠浅の海岸は,波が強く,
ゆいは大喜びだ。
20ドルも出して,レンタルのビーチパラソルとチェアを借りた。
妻は今は妊娠中で泳げないので,そこでのんびりくつろいでいた。
海風も強くて,日陰にいたらそれほど暑くはない。
私とゆいは,たっぷり3時間波に揺られていた。
海水はとても暖かかったが,砂が巻き上げられて,
海中の視界はゼロという状態。
海岸は目の細かい砂が堆積していて,子供が遊ぶにはもってこいだ。
午後3時ごろ,オースチンへの帰途についた。
案の定,ヒューストン市内ではすでに渋滞。
ゆいは途中で疲れて寝てしまった。
おかげで妻を助手席にのせて,FMを聞きながら快適なドライブを楽しめたけれど。
ヒューストンから離れるにつれて,しだいに車は少なくなり,
夕方,オースチンに帰り着くころ,ゆいも目を覚ました。
オースチンをたつ2日前,Johnの家に招待された。
奥さんのJane,2人の子供たちにも再会を果たした。
子供たちは少し大きくなっている。
Alan Reidが奥さんといっしょにやってきた。
ちょうど同時期にテキサス大学に研究にやってきている韓国のOh君も参加した。
ゆいは,久しぶりに子供同士で遊ぶことができて,
おまけにたくさんおみやげまでもらって,満足していた。

ダラスからの帰りの飛行機は,がらがらだった。
おかげで,12時間半とはいえ,少しは楽に帰ってこられた。
ちょうど,台風11号が関東地方に上陸するということで,成田へ向かう機内では,
もしかすると成田に降りられず,千歳空港か名古屋空港に避難することが予想されるというアナウンスがあった。
成田は23時まで開いているので,ほかの空港に避難した場合,いったんそこで待機して,
台風が通過するのをまって,成田へ飛ぶということもあると教えてもらった。
結果は,幸運にも成田へ着陸でき,みなほっとした。
着陸時も思ったほどゆれることはなかったが,視界ゼロで着陸するのだから,パイロットは大したものだ。
その日は成田で一泊して,翌日,広島にもどった。
再び,アメリカに住んでいるような気分を少し味わえた。
来年3月に二人目が生まれるので,そうなるとしばらくは家族で 海外にいくことは難しくなる。
もっとも今は,しばらく飛行機に乗りたくない気分だが。