16世紀後期のオランダ、正確にはベルギーを含む当時のネーデルランドは、北方ルネサンスの文化を開花させたことで知られるが、それと同時に独特の水辺の都市計画技術を発展させた。そこに
ブルージュ出身のシモン・ステヴィン(Simon Stevin,
1548-1620)という数学者が現れたが、彼が残した理想都市図なるものがある。それはヨーロッパでもあまり知られていなかったことになっており、影響は少なかったとされる。しかし、それは私の目からすれば見過ごすことのできないものである。
その特徴は、
1.碁盤目の街区計画
イタリア・ルネサンスの理想都市は、まずは集中式プラン、つまり中心を持ち、放射状に街路が広がり、円環状(多角形も含む)の城塞で囲まれるというものである。ただし、機能性の観点から、街区は格子状になる場合も多い。ステヴィンはグリッドをよしとし、かつ市街地の拡張の際にはそのままグリッドを城塞の外に延長することをよしとしている。円環状に閉じる閉鎖系のシステムとはせず、開放系とする
発想法は画期的。
2.水路網
市街地中心部へ、平行に数本の水路を引き込む。16世紀ネーデルランドはスペインの支配に苦しめられ、経済の中心がブルージュからアントワープ、そしてアムステルダムへと移る。ブルージュに見られる水路網を持った市街地は、アントワープでは明快な計画性をもって港を含む街区拡張を行う。そこには3本の水路が平行に走る街区が出現した。
また、河岸のある水路軸と、家屋が面するだけの街路軸を分けて組み合わせることを知っており、都市活動の実態が理解しやすい。
3.水路を中心軸とする対称形の都市形態
アムステルダムは中世の川を挟む海辺都市が発展し、多数の水路がタマネギ状に重なる市街地を形づくる。ステヴィンはそのような現実を背景に理想都市案を作成したようである。
4.都市の中心部には自治共同体の中心をなす市庁舎+教会堂、商業中心である市場広場が並び立ち、領主宮殿は都市の隅に配するという構図。