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知的社会研究所

Institute for Studies on the Intellect-based Society

(ISIS)

 

12. 首相の靖国参拝問題

 

12.10. 大平洋戦争への入り口で日本人に猛省をうながしていた朝河貫一(3

 

1)本章を終えるにあたって

2)日本の伝統的な武士道に体現されている美徳

 (1)「義に勇むこと」

 (2)堅固の意志

 (3)自重、公平、抑制、礼譲

 (4)沈毅、深慮、反省

3)近代文明国家に求められる国民的レベルの知と倫理

 (1)一般人の反省力(義を行う能力)が国家の危機を防ぐ

 (2)一般人の反省力(義を行う能力)を国民的反省力に発展させよ

 (3)国家が不正を働くことを批判すると非愛国者とされる日本の現状

 (4)国家は率先して正しい愛国心を国民に示すべきである

 

文献総一覧

 

1)本章を終えるにあたって

 

本章の冒頭の12.1.で述べたように、私は06年春にこの課題に取りかかりましたが、いろいろと勉強をして新しいことを学んでいるうちに半年がたち、執筆をはじめてから今日までさらに半年が経過しました。あせらずにとことん納得がいくまで考えるのに時間がかかってもお構いなし、それでも結果の価値が損なわれないのがISISの存在様式の強みです。これは知的社会研究において非常に大事なことです。

ところで首相の靖国参拝問題で世論が二分されているのは何故かという日本の現状に対する疑問ですが、12.6.で説明したようにマイケル・シャラー教授の指摘する「占領と再建の代償となったナショナリズムの断固たる再興を求めている保守層」と「アメリカによる日本の占領を肯定的に見ているリベラル派」の存在を考えれば納得できます。マッカーサーが行った戦後初期のリベラルな改革がわずか6年で中断されただけでなく、それは東西の冷戦激化によって180度転換され、アメリカの冷戦戦略の一環であった「日本の安定と再建」、つまり日本に対する「二重封じ込め」政策にとって代わられた結果生まれたのです。中曽根康弘や安倍晋三らの自民党の保守派が憲法改正や教育基本法の改正をしつこく追求してやまないことは保守層の特徴として納得できます。

そして、改正教育基本法は2006年12月15日に臨時国会を通過しました。できあがった改正案では「伝統と文化を尊重し、国と郷土を愛する態度」が愛国心として盛り込まれましたが、「国を愛する心」の具体的な内容は示されず空虚なキャッチフレーズだけで終わったのです(日経、毎日新聞12/16/06)。

さて、ここにきて新たな疑問が浮かんできました。有権者が安倍内閣に期待する優先政策課題(複数回答)の世論調査では、1位が年金・福祉などの社会保障問題(58%)、2位が教育改革(29%)、3位が景気対策(26%)と続き、憲法問題は13位(8%)にやっと顔を出すだけです(日経9/28/06)。教育改革に期待することの世論調査では、1位が教員の質の向上(50%)、2位がいじめ問題への対応強化(40%)、3位が子育て支援(34%)、4位が公共心や規律意識の向上(24%)などで、ここでも愛国心は表に出てこないのです(日経10/30/06)。

つまり、首相の靖国参拝問題では国民の賛否はつねに拮抗しているのに、中曽根元首相や現在の安倍首相の憲法改正や教育基本法の改正、あるいは外交・安全保障問題などの持論は有権者の意識から大きくずれているのです。そういう背景があるのに、教育基本法の改正では衆院の教育基本法特別委員会において与党単独採決を強行し、教育改革のタウンミーティングでは内閣府や文部科学省が謝礼金を支払って「やらせ質問」依頼するなど無理を重ねています(日経、毎日新聞11/16/06)。自民党の議員は総裁選で安倍晋三を選んでいるわけですから、現在の政治の主流派も国民の意識からずれている、有権者と安倍政権の意識の間には大きなずれがあるのは確かです。

一方では、12.8.12.9.でふれたように、日本的情緒や武士道精神の復活を主張する藤原正彦の「国家の品格」(新潮新書)がベストセラーになったり、戦後を否定し「天皇と日本のこころ」を持ち出して戦前からの連続性を主張する中西輝政(「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」(PHP新書)の著者)が安倍晋三のブレーンとなっていることが気になります。これらのことをどのように解釈したらいいのか、という疑問が重なります。この疑問を考えるという動機が、現在の日本の世情についての新しい発見につながりました。それについては別の章でくわしく説明します。

ここでは、日露戦争直後に「日本の禍機」(【文献65】)を書いて日本の猛省をうながし、米国と戦うことになれば必ず敗北する、と忠告していた朝河貫一が、この著書の結論として日本国民の愛国心に訴えているので引用します。

 

2)日本の伝統的な武士道に体現されている美徳

 

12.8.で説明しましたように、朝河貫一の著書「日本の禍機」(【文献65】)は四部よりなっています。その最後に登場するのが「結論 日本国民の愛国心」です。朝河貫一はここで日本国民の愛国心それ自体を客観的に論じるのではなくて、日本人に対して「なにが正しい愛国心なのか」を本書の結論として訴えようとしているのです。

朝河はまず日本人の愛国心が大きな影響をうけている武士道について考察します。武士道精神は武勇に限定されたものではなく、多くの要素を含む日本人の美徳の総体的表現であり、その諸要素の軽重やそれらがどのように発揮されるべきかは時代や状況によって変わるべきであると言っています。つまり日本人の真の愛国心がどうあるべきかを論じているわけです。

本書の大旨は以上の二扁に尽きたり。最後に世の教育家、識者、および国民一般に向いて教えを請わんとすることあり。そは日本国民の愛国心に関することなり。

愛国心が武士道に影響せられたることの深きは勿論なり。武士道につきては論者が一時これを是非したることありきと記憶す。余はひそかに思えらく、いかに欠点はありとも、武士道は日本国民が父祖より伝えたる至宝にして、他国民の得んと欲して得難く、今日に及びて新たにこれを養成すること能わざるところなり。しかもいわゆる武士道は精神は常に相同じかるべきも、これを構成する諸要素は時代に従いて軽重あるべく、またその改良すべき点もまた境遇と共に変化すべし。今余は緻密の論に入らずしてただ一、二の点につきていささか世に問わんと欲す。

まず日本の武士道が単に武勇のみにあらざることはいうまでもなく、かくてこそある回教人民の士道などと異なるを得るなれ。さて勇武以外種々の元素あるが中に、左の元素は将来のために注意すべきものなるべし。(一)義に勇むこと、(二)堅固の意志、(三)自重、公平、抑制、礼譲、同情等の諸徳、(四)静寂、思慮、反省。この分類は学究的にあらず、単に思うに従いて記したるものなり。今これらの諸点の軽重長短につきて一言せん。(p.220

 

(1)「義に勇むこと」

古来日本では忠君愛国の思想が日露戦争などの大事件に際して発揮され、世界的に素晴しい美徳として評価された。しかし、平時に発揮されるものではないので、これだけでは確かな愛国心を養成することは難しい。

 

(一)「義に勇むこと」。これが歴史は上代以後絶えざる趣味深き発達なり。今日においては「忠君愛国」の形となりて顕われたり。この徳が古来我が国の進歩を助けたること大なるに加えて、明治に至りては実に日本の前途を救いたるものというべし。今後も日本に危難ある時は常にこの徳に頼らざるべからざるがゆえに、これが維持訓練はいかなる時も怠るべからず。

日露戦役中この徳が日本軍隊の挙動にいかに遺憾なく煥発(美しく外にあらわれること)したるかは、桜井中尉の『肉弾』一冊を読みても窺い知るに足る。昨年十月米国の一老判事は某大学の学生一同に向いて、「余は今諸君に貴重なる一書を呈せん。

諸君は皆これを熟読してその精神を感得せよ」と演説し、代表者たる一学生を呼び出して厳格に『肉弾』の英訳を与えたりき。この一話たまたまもって、この忠君愛国の思想が世の人心を衝動するの大なりしを証すべし。

社会学者サムナー教授は戦争中の日本国民につきていわく、「彼等は自他相理解し、一心同体のごとく動作す。訓練に服して死をも厭わず。泰西の軍学者は、軍隊が未だ乱れず走らざるにあたりて、敵弾に斃(たお)るる兵士の平均数を算定したりしが、その統計は日本の軍隊にあてはまらず、彼等は最後の兵卒の斃るるまで乱れず走らざりき。彼等が旅順の最強の敵塁および満州の戦場にて示したる勇敢は古来比(たぐい)なし。かつ彼等は各人皆沈黙すべきを決心して、能く陸海軍事の機密を保ち得たり。かくのごとき特色は、実に幾代も変らざる風化の力をもって訓練したる結果ならざるべからず。またこれ欧州中世の教会が訓練せんと欲して止まざりしところにして、日本人は(彼教会のごとき)上流者の利欲暴虐を見ずしてこの特色を発達し得たり」と。これ実に日本人がその大いなる訓練の力を忠君愛国の道に傾けたるを示すものなり。

かくのごとき無比の国民的美質といえども、余がこれにつきていささか患うるところは、平和の時代にあたりては、そのある一部の青年を刺激する力の弱かるべきことこれなり。壮烈なる事件または訓戒に触るるにあらざれば、彼等はこの情に熱すること能わざるべし。かつまた複雑にして、外面平凡なる今日の社会においては、この情のみをもって愛国心を養成せんことは恐らく至難なるべし。(p.220-2

 

(2)堅固の意志

訓練に服し訓練の命じる範囲内で行動しようとする日本人の強い精神力は、古来第二の天性となって武士により受け継がれてきた。

 

(二)堅固の意志。詳しくいえば、訓練に服して、訓練の命ずる範囲以内においてのみ行動せんとする意志これなり。こは日本古来の歴史の然らしむるところにして、武士のごときはこれをもって第二の天性となし、自ら意識せざるまでに深くこれを体し得たるもののごとし。日本武門の女子に至るまで、いかに概して堅硬の意力を有せしかを他国に比較せば、その全体を想像するに足るべし。世人が往々日本人をもって、ただ鮮やかに花となりて咲けども、堅実なる核子を成すこと少なしというを見て、余は服すること能わざるなり。(p.222

 

(3)自重、公平、抑制、礼譲

これらは日本の武士道の重要な要素であり、「自重と公平」は強固な忠君愛国心の形をとって明治の新国家建設で発揮された。日本が理想と先見の明のある大国へ成長するには、克己心や他人に対する礼儀と謙譲も色々な形で国民性として涵養する必要がある。

 

(三)自重、公平、抑制、礼譲。これらは同一物にあらずまた同一根源より来りしにあらざるは明らかなれども、その多少相通ずる所もまたこれあるに似たり。かつその互いに相影響して、日本武士道の特色を成すに力ありたるは疑いを入れざるべし。またこの点と次の点との相連関せることもまた少なからず。余がひそかに信ずるところは他なし。第一、第二の特質が明治の境遇においてすでに堅硬なる忠君愛国心と変型し、すでに新日本を救済し発達せしめたると同じく、今後はこの二点に加うるにこの第三および第四の両点をもまた大いに成長し変型して、始めて目的あり理想あり遠見ある大国民の性格を得べしということこれなり。(p.223

 

(4)沈毅、深慮、反省

名誉を重んじ物に動じない勇気、普遍的な真実を追求する知性、義を行う能力、これらは明治の建国以来重視して養ってきた美徳に通じる。日本が今後世界で発展していくためには、これらの徳目を上の(3)と共に磨いていくことが日本のすべての国民の重要な目標となる。

 

(四)沈毅、深慮、反省。これ武士にありても希有の徳たることありきと思わるれども、その俤(おもかげ)ほどは各人の胸中に存せざるはなしというを得べし。何となれば、名を重んずる勇気(valor)と、訓練に従う義務(discipline)と、自ら欺かざる常識(catholicity)とは、日本国民が建国以来あらゆる事情の下に錬磨したる三大特色にして、ここに云う所はその第三の諸形式を指すものなればなり。但し沈毅と深慮と反省とは必ずしも相伴わず、座禅によりて沈毅は得べきも、綿密周到の思考力は必ずしも得難かるべく、近世の学問によりて後者を得べきも、前者は得難かるべく、また静寂にして深慮ある人士にして自制の力乏しき実例また少なからざるべし。されども余は今かくのごとく詳(つまびら)かに考うるの要を見ず、ただ日本人は史上のある特別なる事情によりて、この三をその胸中に混じ有せることを指示せば足れり。

この点に立ちて余が読者の批評を請わんと欲するは、実にこの性格を「前の第三の性格と共に)今後力を極めて発育することの、日本前途のために最も切要なるべきことこれなり。消極に大いに反省し、積極に大いに遠見ある偉大国民の器度(才気と度量)は、今後上流の為政家のみならず、代議士、実業家、学生、および庶民の日夜長養すべきところというべし。(p.223-4

 

3)近代文明国家に求められる国民的レベルの知と倫理

 

朝河が言わんとしていることの真意は、外交(国と国との付き合い)も個人と個人の付き合いと同じで、お互いを理解する知力と相手の立場に立って考える倫理が基本だということです。自身がキリスト者として生きた朝河としては当然のことでしょう。ただ、個人レベルの反省力(義を行う能力)を国民レベルに引き上げる手段を考える時、朝河の頭の中にあるモデルは、キリスト教倫理を基礎に「下から上」にできた米国であるように思えます。「上から下」にできた国の日本人には、必要な指導者を育てる力が無かったとしても不思議ではありません(6.7.参照)。キリスト教倫理を基礎に「下から上」にできた国では自然にできることが、「上から下」にできた国では「鶏が先か卵が先か」の議論に果てしなく落ち込んで前進するのに時間がかかります。これは、実に現在の首相の靖国参拝問題にも通じることです。

 

(1)愛国心は義心、意力、公平な態度、沈重な省慮(省察と熟慮)を兼備すべし

従来日本では第一と第二の変形したものだけが重視されてきた。しかしこれからは第三と第四を重んじないと国家は危機に陥る。国民が義をおこなう能力や高い知的考察力を持たない限り形だけの議会制度は不完全であり国家の危機を防ぐことはできない。

 

余が将来の愛国心として見んことを切望するは、実に義心と、意力と、公平なる態度と沈重の省慮とを具備せるものこれなり。さらに加うべきことは多からんも、これより減じて可なるもの一もこれあるを見ず。ことに従来世論のこれに傾かざりしを思うがゆえに、余は第三と第四との両点に関して国民の深く考量せられんことを希望す。従来日本にて愛国心と称したるところのものは、主として第一と第二との変形なりき。今日まではこれにて事足りたれども、今後もまたこれにて充分なるべしと思わんははなはだしき誤見なるべし。外面平凡なるがごとく、一の壮烈なる事なきがごとくして、実は極めて堅硬なる道念と極めて精微なる省察力とに頼るにあらざれば忽然危機に陥るべき霊妙複雑の機会日にますます多からんとするは、今後の社会の本色なるべし。

身命を顧みずして敵と戦うは易からざれども、ただこの心のみをもって日常難解の公共問題を処理するは難し。挙国心を同じゅうして勤倹の徳を行うは常に必要なれども、これのみをもって目前は差違少なくして将来は国家の運命を分つべき微妙の疑問に応ずることは能わざるべし。これ余が前章に説きしがごとく、近世の文明国は国民自ら反省し、自ら吟味するにあらざれば、一刻も誤謬に陥るを避くること能わざる所以なり。かの議会のごときは、国家の粗大なる問題につきて国民の反省を便ならしめんとするがために設けたる、極めて不完全なる法制的機関のみ。この機関ありといえども、これを運転する国民と議士とが反省の力幼くば、ただこれあるのみにて、国家の危難を悉く防ぎ得べきものにあらず。況んや議会の力の、もとより及びがたき広大無辺の諸方面においてをや。このゆえに文明の国家は、日にますます国民の反省力(義を行う能力)に頼らざるを得ざるなり。(p.224-5

 

(2)一般人の反省力(義を行う能力)を国民的反省力に発展させよ

近世の外交は実に複雑で、高度の知的能力と道義的信念を持たないと正しい政策をおこなうことはできない。古来日本人にとって義を行う能力を養う機会は多く、この点で欧米人にひけをとることはない。現在必要なことは、これを国民レベルに発展させることである。

 

余が深く読者の熟考を希(ねが)う点は、実に右に述べたる近世文明国家の一大特徴にあり。すなわち国事の年と共に複雑にして、その各人に触るる方面が、外観は平凡にして実は次第に精緻の知察と堅固の道念とに頼るにあらざれば、これに処し難きに至ることこれなり。目前の差異の微細にして一の奇なきがごとくにして、その結果の末の分るるところは、全国もしくは天下の大事に関することのようやく多きことこれなり。これ皆近世社会進化の然(しか)らしむるところにして、封建時代はもちろん、第十九世紀の中頃もしくは後半においても、想像し得ざりし著大普通の傾向なり。この新傾向に処するには新性格を要す。余がいわゆる国民反省力はその一なり。

日本国民の最も祝すべきは、その古来反省力を長ずる機会のはなはだ豊富なりしがゆえに、いやしくも日本人にして、この力の幾分を胸中に蔵せざるはなきことこれなり。余は欧米人と日本人とを多年比較観察したる結果、小児も成人も反省力において我が彼に秀ずること少なからざるを証し得たりと信ず。今や日本国民が要するところは、これを人民の性格としてのみならず、また国民的性格として増進せんことにあり。もしこの力を長養し、他国に対して公平の態度をとり、自国に対してはしばしばこれを客観するの習性を得、一時の国利と百年の国害とを比較する所以を知り、かつ国家と人類全体との関係につきて高明なるを得るに至らば、日本はすでに国民的義心と勇気とにおいて世界に秀抜なるのみならず、また併せて国家を長久ならしむるの術において天下の模範となるべし。(p.225-6

 

(3)国家が不正を働くことを批判すると非愛国者とされる日本の現状

現在、日本の外交は目先の利益に目の眩んだ少数のものに握られている。これを批判する言論の自由は封じられ民主主義にもとづく健全な世論の形成もままならない。このままでは日本は世界で孤立し世界を敵にまわすことになる。

 

しかれどもこれ吾人の新理想のみ。今日のごとく日本人民の反省力(義を行う能力)を国民的に長ずることを怠り、わずかに少数者の知察と道念とをもって、一国の行路を導くに任する時は、日本の前途は極めて不安心のものといわざるべからず。読者よ、日本国民はその必要の武器たるべき、健全なる国民的反省力を未だ研摩せざるなり。これを例せば、国のためならば正義に反しても可なり、正しき個人の名誉を傷つくるも可なり、というがごとき思想は未だ日本を脱せず。この思想一転せば、一時の国利を重んずるのあまり、永久の国害を論ずる人をすら非愛国者となすの傾きあるがゆえに、識者は世の憎悪を恐れて国の大事に関しても公言するを得ざるに至るべく、あるいは識者自ら習気に化せられて、独立の思考をなす能わざるに至るべし。試みに日本が清国に対し、また満韓において私曲の行為を重ぬるがごとき不幸、万一にもこれありとせよ、しかるにこれを世に公言せば日本の名を傷つくるがゆえに云わず、またこれを妨ぐれば日本当座の利を減ずるがゆえに評せず、もしくは人皆一時の国利に酔えるがゆえに識者といえどもまた卓然独り自ら思慮するの余裕なしとせば、その結果はいかん。知らぬ間に日本は天下に孤立し、世界を敵とするに至るべし。これに加えて、第一に日本国民の愛国心なるものが気餒(う)えて形のみ存するものとなる大危険あるべし。豈(あに)恐れざるべけんや。その時に至らば、日本の光輝何処にかある。(p.226-7

 

(4)国家は率先して正しい愛国心を国民に示すべきである

朝河貫一が頭の中に描いている理想像は、アメリカの建国の父祖たちのことである(6.9.参照)。

 

愛国心を堅固ならしむるの道は、国の立場を堅固ならしむるの外なし。悪き国にて、熱心なる国民の一致を得んことは能わざるべし。而(しこう)して国の立場を固くするには、国民をして反省思慮せしめざるべからず。否、この善良なる習慣を養成せんことに努力せざるべからず。こはただに教育にて養い得べきことにあらず、国家が公平の地位に立ち、天下の正路を歩み、困難と戦いて伎倆と性格とを錬磨しつつ、堂々として進歩せば、世の進歩を刺激し幸福を増進して止まざるべく、是のごとくにてこそ国民に無量の実物的教育を与うるを得るなれ。また、是のごとくにてこそ教育家の目的確立し、その労力は効果あるべし。日本の国家は実にかくのごとくならざるべからざるなり。(p.227-8)

 

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