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知的社会研究所

Institute for Studies on the Intellect-based Society

(ISIS)

 

12. 首相の靖国参拝問題

 

12.9. 大平洋戦争への入り口で日本人に猛省をうながしていた朝河貫一(2)

 

1)米国およびアメリカ人について学ぶことの重要性は一世紀たった今も変わらない

 (1)米国を論じる日本人の姿勢によくある誤り

 (2)根拠のない対米批判

2)資本主義による国の腐敗という批判に対する朝河の反論

 (1)米国のもつバイタリティと道義的反発力

 (2)米国社会のもつ再チャレンジの土俵

 (3)ヨーロッパ文明の土台の上に築かれた米国社会

 (4)米国の教育

 (5)米国の学問・研究

3)膨張主義という対米批判に対する反論

4)個人主義という対米批判に対する反論

 (1)情緒や伝説によらず倫理と合理性にもとづく国民感情

 (2)民主国家における愛国心のかたち

 (3)米国人の一大長所であるユーモア

 (4)民主主義に対する強い信仰

(5)弱小国家に対して同情し援助を与える侠気

 

文献総一覧

 

1)米国およびアメリカ人について学ぶことの重要性は一世紀たった今も変わらない

 

12.8.でふれたように、日経の記事で朝河貫一を紹介した日本経済新聞社・編集委員の伊奈久喜は、「国際主義者であり、愛国者でもある朝河の孤独な影が映る。特に『日本人の米国に関する思想の浅薄』の指摘は今日に通じる」と書いています(「風見鶏」日経8/6/06)。このことは、朝河貫一の著書「日本の禍機」(【文献65】)の後扁「日本国運の危機」の第二章「日本と米国との関係に危険の分子少なからざることを論ず」に出てきます。伊奈久喜の指摘は決して誇張ではなく、朝河貫一の文章を現代文になおしてそのまま明日の日経に掲載しても通用するものです。

実際、わたしが本章の見出しに使った言葉は、今日の日本でよく耳にするものばかりです。特に、4)個人主義という対米批判に対する反論、の1)情緒や伝説によらず倫理と合理性にもとづく国民感情、に出てくる言葉は、06年にベストセラーとなった、藤原正彦「国家の品格」(新潮新書)のキャッチフレーズの中にあるものをわざとそのまま使いました。この著書については別に批評したいとおもいますが、誤りを指摘するのは簡単です。それよりもむしろ、このような本が現在の日本で何故ベストセラーになるのか、の方が問題としてははるかに重要です。同様の著書、中西輝政「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」(PHP新書)と一緒に別の章でとりあげます。

注意しないといけないこと、それは朝河貫一がここに書いている批判の内容は、アメリカおよびアメリカ人について既によく知っているひとには容易に納得できますが、ポイントをおさえていないひとが読んでも依然としてきちんと理解できない可能性があることです。その場合は、この「知的社会研究所」(ISIS)の「考察の基本的枠組み」が参考になると思います。とりわけ「文明の進歩を支える基本原則」(1.7.)、「人間社会のパラドックス」(1.7.)、「ヒトの社会システムの進化」(6.)─「下から上」と「上から下」(7.)が重要だと思います。いずれ「IN THEIR SHOES」の教えや、ISISの「考察の基本的枠組み」についてはあらためて説明する予定です。

 

(1)米国を論じる日本人の姿勢によくある誤り

日本のインテリ、マスメディアに対する朝河の批判は正に現代に当てはまる、まことに驚きです。朝河貫一の著書「日本の禍機」(【文献65】)から引用していきます。

さらに翻(ひるがえ)りて日本国民の米国に対する知識と感情とを察するに、米人が日本に対する態度に比して、誤解曲解の量優るとも劣ることなきに似たり。・・・日本の教育ある人士の米国論を察するに、あるいは十余年前の米国にすらすでに適せざるがごときあり、あるいは極めて短日月の旅行もしくは遊学より得たるがごときあり、あるいは一方面をもってはるかにこれと異なれる全体を推すものあり、あるいは欧州における嫉妬はた浅薄の対米感情をそのままに承(う)け継ぐものあり。ことに最も著しきは、ある米人が自国につきて語るところを基として、米国の事情を推論するものにあり。皆これ米国のごとき特別の一国を解する所以(ゆえん)にあらずと信ず。而(しこう)して日本人の教養多ければ多き程、米国の短処を語るを喜ぶの風著しきは、ただに評者自ら寛厚の徳を傷つけるのみならず、とうてい公正の論を得難かるべき所以(ゆえん)なるがごとし。もしこれによりて日本自国の将来を害することなくば僥倖(ぎょうこう)なり。(p.153-4)

 

(2)根拠のない対米批判

公正を欠く日本人の対米批判の数々の例です。

余は米国の国情を論ずる見識もなく時間もなし。ただ本論に関係ある一、二の点につきて、いささか一般の思想と余の卑見とを比較せんと欲す。そもそも米国の富強は誰しも疑うこと能わざるべし。日本の識者は米国をもって拝金宗の信者となさんも、米国の富源の絶大なるを咎むるの理を有せざるべし。また米国が毎年二艘の戦闘艦を増して、数年ならずして偉大の海軍を有するに至らんとするの方針を非難する人といえども、かくのごとき海軍が米国の威信を加うることの驚くべきものあらんことは想像するに難(かた)からざるべし。余は米国が優に世界上最も富強の国となる時あるべきを信ず。

而(しこう)してこの富強が不健全なる基礎の上に立つものなれば、米国はすみやかに自国の積弊(つもりつもった弊害)のために屈せん、との論ある一部の日本識者間に行わるるに似たり。その論にいわく、

(一)「黄金主義による内国の腐敗」米国民皆黄金を得んことに全力を用うるの結果、その政治は腐敗を極め、富者は奢侈をほしいままにし権勢を弄し、労働者はこれに応じて結合したるがゆえに、社会は階級を生じ、新聞紙および民族はいたずらに卑陋(ひろう、いやしいこと・下品)にして陽気なる快楽を追い、教育は全く実利的にして道義の念なく、学問に至るまでもまたひとえに処世のためにして真理の探究に切ならずと。またいわくは、

(二)「膨張主義による対外の誤策」米国建国の政治家は、あえて外国の政治にたずさわらざるを遺策(先人の遺した計画)とせし(に)、米国はその後間もなくモンロー主義を唱え、近年は大いにこの主義応用の範囲を拡張して、南北アメリカ両大陸の覇主たらんとし、これに加うるにさらにフィリピンおよびハワイを領して、大平洋上にもまた覇位を得んとし、昨今はしきりに清国を使嗾(けしかけること)して正義の名の下に東洋の利権を獲取せんとせり。これその強大なる陸海軍を要するに至りたる所以なり。而(しこう)してこの「世界的強国」政策は、ただに建国者の遺志に背けるのみならず、また米国多数の識者の反対するところなりと。またいわく、

(三)「この腐敗と誤策より来る民情の不統一」かくのごとく米国が近年国内および国外に不健全の活動をなすに至りたるがゆえに、心ある米人は自国を厭いて頻りにその堕落を嘆ぜり、また貧富懸隔(かけ離れていること)のあまり、社会党はなはだ勢力あるに至れり、ゆえに米国民の愛国心は専一なること能わず、かくのごとくにしていかに富強の国となるも外敵に遇いて、日本のごとく上下一心燃ゆるがごとき愛国の情に満たんことは、望むべくもあらず。米国たるものもし自己の積弊に瓦解することなくば僥倖のみと。(p.154-6)

朝河貫一は、上に述べたような対米批判は公正を欠き、このような見解をもとに対米方針を立てるととんでもない誤算をまねくと警告しています。現在の日本人にも参考になります。

 

2)資本主義による国の腐敗という批判に対する朝河の反論

 

第一、「黄金主義に因る内国の腐敗」の例外。

 

(1)米国のもつバイタリティと道義的反発力

(一)米国の政治は腐敗と異名同義なりとは日本一般の見解なれども、腐敗の形を離れ、単にその量につきて論ずる時は、比較的に米国政治が日本または欧州諸国よりも多く腐敗せるを証するは存外に困難なるべし。かつこの比較はいかにもあれ、およそ一国の生命は単にその国の不徳義の分量のみにて論定し得べきものにあらず。たとえばエドワード二世時代の英国、ユーグノー時代の仏国、もしくは戦国時代の日本のごときは、上下の道徳の乱れたること実にはなはだしきものありしが、これと同時にいずれもこれに劣らざる元気を有せしがゆえに、道徳の腐敗は元気の旺盛を蝕するに足らざりき。もし暗黒の半面のみを見れば、これらの諸国は滅亡に迫れりと評せられしならん。これを例せば同じ酒量の及ぼす害の度が、病体と健康体との間に著大の差を見るべきがごとし。

かつ一人または一国に貴ぶところは、ただその元気もしくは活力のみにあらず、また実にその道徳的反発力なり。通俗の語にて云わば、その良心なり、良心の発動力なり。腐敗に反動する健全なる道義心と絶大なる元気とを有せることは米国の羨むべき美点にして、これを証する事実は近来すこぶる繁きに至れり。読者願わくは日本の将来のために、このうるわしき反動力がはたして日本の社会に豊富なるや否やを深切に思慮せられよ。

卑見によれば、米国の道義的反動力は容易ならざる歴史的訓練の結果なるがごとし。また日本は過去これに似たる訓練を充分に受けたりと信ずること能わざるがゆえに、あるいはこの国民的良心の反発力は米国に及ばざることなきを断じ難からん。(p.156-7)

 

(2)米国社会のもつ再チャレンジの土俵

(二)貧富の隔絶より来る社会の現象は米国のみの問題にあらず。日本もまたこれに悩むに至るべきはもちろんなり。もし米国においてこの懸隔がことに大なりとせば、これと同時に、貧者が富者となり得る機会の他国に比してはなはだ多きことを忘るべからず。またこの機会の多きがために、社会の競争奮発は一方には悪徳を促すと同時に、他方には剛健なる正義的奮闘を養成し義務責任の観念を訓練するは、米国社会の根本に横たわれる大事業ということを得べきがごとし。米国につきて日本が鑑(かんが)むべき短所および学ぶべき長所の少なからざるはこの点においてもまた明らかなり。(p.158)

 

(3)ヨーロッパ文明の土台の上に築かれた米国社会

(三)民衆の趣味の低きことはこれまた一面の議論なり。そもそも米国社会の趣味は新旧両層を兼ぬ。新進隆興の社会の特色は(日本においてもしかるがごとく)風俗容易に固定せずして、試験の状態にあるがゆえに、その中には旧国の人士の非難すべきことの少なからざるにあり。米国はこの種の風俗の日に月に新陳代謝しつつあることは、誰かこれを疑わんや。されどもこれと同時に、米人は古き欧州文明の継続者たることを忘るるは乱暴の観察というべし。彼等の趣味の粗野なるがごとき中にも、ギリシャおよび欧州中世の思想精神とすこぶる親密なるものあり。読者もし自ら欧州の趣味を知れる眼もて久しく社会各級の米人と交際せば、その趣味の様子の意外に堅固なること、また下層の細民(賎しい民)といえども音楽美術の訓練を受くるの力、決して侮るべからざることを見るならん。さらに緻密に観察する時は、米国の東部および南部に発したる一部の人士は、この上に英国祖先の気風を伝えて、社会および家庭の習慣の厳粛なるを好み、また驚くべき保守的傾向を有せるを知らん。

かくのごとき人士の年と共に減少して、卑野なる風習の年と共に加われりとの論はしばしば聞くところなれども、この論を疑う人もまた少なからざるべし。実は米国全体をすべて云う時は、習慣おおよび法制、規律に関する思想の保守的にして、その訓練に服するの著しきこと、余の常に観るところなり。かくのごとき新旧両面の並行は解し難きに似たれども、日本現今の社会を省みる時は、思い半ばに過ぐるものあらん。

日本の汽車の中または公会(公けの会合)の席上における粗野無礼と、古社寺等における美術鑑賞の高尚なるとは一見相衝突するがごとく、また議会における訓練の不秩序と、皇室および国家に対する無言絶対の服従とはいかにも調和し難きがごとく見ゆるべしといえども、今日の日本の特色は保守急進の二面を兼ぬるにあり、米国の事情またこれに似たる者あり。(p.158-9)

 

(4)米国の教育

(四)論者またいわく、米国の教育は全く実利的にして児童に倫理をすら教えず、大学のごときは学生の怠惰驚くべきものありと。この観察は余の眼より見るも浅薄を極めたり。ただ問題複雑にして、今これを細論するの遑(いとま)なきを怨む。ただ云わんと欲す、米国の教育には実利(utility)と訓練(culture)との両面ありて、後者に対する教育家の思想は該して日本よりは保守的なるがごとし。児童教育に倫理科目を設けざること多けれども、同義のやや生ける教育法これなきにあらず。大学生の勉強の度は少なきがごとくにして多し、ことに余の自ら学びかつ教えたる二大学(ダートマウスおよびエール)および余の知れる幾多の大学における学生の勉学は、同じく余の見たる今日の日本官立私立の大学生よりもはるかに多きを断言して憚(はばか)らざるなり。(p.159-60)

 

(5)米国の学問・研究

(五)米国の学問に至るまでもまたひとえに処世のためにして、真理の探究に切ならずとは日本一般の信ずるところにして、余もまたかく信じたることあり、当エールに来る日本人もまた最初かく信ぜざるもの少なし。また欧州にてもこの説未だ著しきものあり。しかれどもこれ今日の実情を誣(し)うるのはなはだしきものなり。かつ余の接したる当国を観察したる欧州の学者の説はこれと異なり、日本の学者(主としてドイツに留学したる)の当国の実情を観て、諸説を棄てたるもまたこれあり。この点につきては余は明治41年3月15日の「実業之日本」に一言したれば、今これを繰り返さざるべし。(p.160)

 

3)膨張主義という対米批判に対する反論

 

第二、「膨張主義に因(よ)る対外の誤策」。

そもそも膨張主義は米国多数の識者の反対するところなりとの説は、当たらざるにあらざれども、説き得て足らざるの説というべし。モンロー主義の無理なる拡張には今なお反対する米人少なからず。これが将来は今後の大陸史によりて定まるべきものにして、人智の予測し得るところにあらずというべし。太平洋および清国に対する問題はすこぶるこれと異なるものあり。

(一)清国につきては故ヘー氏の主として唱えたる門戸開放および清国主権の二大主義に反対する米人はこれあるを聞かず、今やこれを重んずること一般の輿論なりといいて可ならん。

(二)フィリピンおよびハワイの併有につきては、最初これに反対したる米人少なからず。今またこれを喜ばざるものなきにあらず。またこれと相伴いて大平洋上に勢力を得ざるべからずとの主義もまた、最初は大いに反対せられ、今またある人々に喜ばれず。されどもそのすでに事実となりたる今日においては、前日とは形勢はなはだ異なるを知らざるべからず。前にこの主義に反対したる人といえども、今はこれを認めて避くべからざることとなし、この上は最善の力を尽くしてこの必然の義務を全うし、もって世の進歩幸福に貢献せざるべからずと思うことが最も公平なる批評家の説なるがごとし。

たとえば、当初共和党政府の膨張主義に最も危懼を抱きたる民主党の領袖(かしら)故クリーヴランド氏が数カ月前に論じたる説に曰く、米国が世界的強国となることの是非はいかにもあれ、すでにこの地に達したる以上は今に及びてこれを議論するも詮なし、「永久に植民地を保つことの忌むべきを論ずるは愚かなり、今日米国民の義務はこれら植民地の富源を搾り取ることにもあらず、またこれを棄て去りてこれに対する責任を顧みざることにもあらず」、実に我が責任を遂行して、植民地における異人種の進歩幸福を謀るにありと。クリーヴランド氏すらこの言を為す、他の識者の意向推(お)して知るべし。(p.160-2)

 

4)個人主義という対米批判に対する反論

 

朝河貫一にとって、当時の日本人にアメリカの自由と個人主義を基調とする民主主義社会を説明することは、不可能ではないにしても非常に困難なことだったにちがいありません。上でもふれましたが、「知的社会研究所」(ISIS)の「考察の基本的枠組み」として、「文明の進歩を支える基本原則」(1.7.)と「人間社会のパラドックス」(1.7.)だけでは不十分だと感じた理由は、アメリカを他の国家と同列に並べて比較することが大きな間違いであることに気がついたからでした。そこでポール・ジョンソンの「アメリカ人の歴史」(【文献27】)や「キリスト教の2000年」(【文献28】)を勉強して「ヒトの社会システムの進化」(6.)を定義しました。その上で、「下から上」に出来上がった世界で唯一の国としてアメリカを明確に位置づけ、それを完全に理解するために、(7.)で日本も含めてそれ以外の「上から下」に出来上がった国と対比して考察したのです。まず最初に(ISIS)の「考察の基本的枠組み」を読んでいただけば、朝河が言わんとすることをより深く理解できると思うのはそういう訳です。

 

第三、「米国民情の不統一」。

米人の中には日本人の思議(考えはかること)し難きほど自由に自国の政治および社会を批評し、外人に向いてその弱点および短所を語るを憚らざるものあることは、世の皆知るところなり。しかれどもこれを見て、米人は自国に関し何事にても無遠慮に評論するものなりと思うは正当ならざるがごとし。余が観るところ誤まらずば、国家創立の根本思想または愛国心の根拠および性質等に関しては、識者といえども存外にこれを議論せず、また国民の大多数に至りては全くこれを評論せざるに似たり。これ熟考せば何国にても然るべき現象にして、米国がこの普遍の法則に外るることなきは怪しむに足らず。されば史上および現今の国事を自在に非難する人といえども、自国生存の根本的問題に関しては熱列の信仰を有することなるべし。これ米人の国民的感情を論ずるもののすべからく留意すべき点なりと信ず。

また評論の自由なるより推して、米国人の愛国心薄弱なりと結論するは、決して透徹の見解にあらず。余は幾度かこの点につき誤謬を重ねたる結果、米人の愛国心のきわめて深厚なるを見得たりと信ずるなり。日本人が往々この点を正当に解し得ざるは、実に米人の国民的感情が日本とは著しく異なれる境遇に生れたるによりて、日本の国情を考うると同じ着眼点より、米国の国情を観ること極めて難きに原因するならん。読者がまず明らかに記憶せざるべからざるは、米国が民としては過去欧州における経歴極めて古けれども、国としてはわずかに130年前新天地に建設せられたる新国なること、その一なり。またその国体が民主的なることその二なり。その他にも考えざるべからざる要件あるべし。余は今これらの原因より来る米国民情の特色を細論すること能わざれども、試みに一、二に著大なる影響を指示するを得ん。(p.163-4)

 

(1)情緒や伝説によらず倫理と合理性にもとづく国民感情

(一)新国なるがゆえに伝説未だはなはだ豊富ならず、かつその多からざる伝説は人智の推究し得べき歴史的事柄にして、未だ感情に醇化(純化)せられたる神秘冒すべからざる境遇に達せず。されば米人の国民的感情は、過去の不可思議伝説によること極めて少なくして、主として証し得べく疑いがたき自国の長所に由れり。たとえば建国者の高尚なる人格、史上の重要なる功績、絶大なる富源と自由なる政体とより来る各人競争の機会の豊富、長足の物質的進歩、世の進歩に対する貢献の年と共に増加せることのごとき皆これなりと云うを得べし。この明白の根拠より来る愛国心が、半ばは神秘の伝説を基とせる愛国心と性質を異にせることのいかに大なるかは、問わずして明らかなるべしといえども、実にその容易に相解し難き点もまた大いにこの相違に存するもののごとし。これ余がしばしば同僚および学生と討議し、また日米両国民の相互の理解の状態を観察して、常に深く感ぜざるを得ざるところなり。(p.164-5)

 

(2)民主国家における愛国心のかたち

(二)すでに新國なり。暗々裏に国民の感情を構成する伝説乏し。また民主国なり、人民自ら大統領を選みてこれに国事を委任し、かつその行為を監督批評せざるべからざる国体なり。ゆえに米国の信頼するところは実に人民の智見(見識)にあり。国民の智力反省力を統合して感情の惰性を矯(た)めつつ、始めて国の機関を運転するを得べし。これ米人が自国を批評するの、自由自在なる根本の理由なりと信ず。そもそも今日のごときは国事はなはだ複雑にして、少数人士の智力もては、とうていこれを達見し処理するを得ざるがゆえに、進歩して止まざらんと欲する国家は皆国民の教育と反省力とを養わざるべからず。立憲君主国すら然るを見れば、米国のごとき純民主国においてことに然らざるべからざるは明らかなり。

読者願わくは、この点に関する日米両国民の態度の差の小ならざるを洞見せられよ。国民の反省批評の大いなるを見て、その愛国心の少なきを断ずるは智者の業にあらざるべし。事実はかえってこれに反し、知証し得るべき明白なる自国の長所に源を発し、また自己の力にて改良し得べき真実の「我が国」なりとの感情に基を置けるところの愛国心は、動かし難き一種強大の力量を有せることを深く察せざるべからざるなり。(p.165)

 

(3)米国人の一大長所であるユーモア

(三)反省力と相伴いて注目すべき米国人民の一特色はその著しき好笑(ヒューモア)の情なり。日本人は小事に関する諧謔(ウイット)の力あるは米人に劣らざらん。また大小に関わらず一種の晴れ晴れしき気象(ドイツ人のいわゆるハイテルカイト)あることは日本が万国に独歩(他にたぐいなくすぐれていること)せるところなり。しかれども国家の重事につきても、一種生々(生き生きしているさま)たる好笑の情を用いて止まざるは、日本人の容易に理解し難き米国の特色にして、余は米国にある間、しばしばこれを誤って国事に冷淡不誠実なるの証となしたりき。米人がいかにしてこの特色を得たるかは、極めて面白き問題なるべし。

そはともかくも、これあるがために国情の容易に窮屈に陥らず、常に余裕を得るの効はなはだしきに似たり。このいわゆる談笑の間に大事を決する一種の雅量は、前にリンコルン(リンカーン)あり、今はローズヴェルト氏およびタフト氏にその好例を見る。かのブライアン氏がややもすれば「鹿爪らしき」態度をとることは米人の好みて笑うところなり。(p.166)

 

(4)民主主義に対する強い信仰

(四)米人の愛国心につきて、最も読者の熟慮をわずらわすべき一大特色あり。何ぞや、該して民主国の人民は対外的自信すこぶる強くして、なかんずく民主政体の最大国をもって任ずる米国の人民の自信の最も旺盛なることこれなり。これ読者がしばらく君主政体の立場を離れ、民主政体の脚地に立ちて想像するにあらざれば、ほとんど解し難きところならんか。けだし欧州には民主政体の失敗を論ずるもの多きにあたりて、米人はおもえらく、他国にてはいざしらず、米国の新天地において最も個人進歩の機会を豊富にし全国民発達を迅速確実ならしむるものは、自由なる民主政体に如くはなし、たといこの政体に弊害相伴うこと少なからずとも、他の政体に伴う害悪と比するに足らず、また民主政体より来る利益はもとよりその弊害を償いてはるかにあまりありと。

これ米国民の信仰箇条なり。彼等は外に対しては、民主国たる米国が国民的活動において天下いずれの国にも劣らざらんことを期し、また信ず。もとより万国皆自信なきはなし、ただ民主国としての米国民の自信は理性を基とし、富強を恃(たの)み、弾力を有し、好笑の情と伴い、いかなることにも束縛せられ、または局促(きょくそく、かがまっているさま)するを好まざる、洋々たる自信なり。これを譬(たと)うれば、仏国の自信は疾風のごとく、ドイツの自信は大河のごとく、英国の自信は大洋のごとく、日本の自信は満月のごとく、米国の自信は正午の太陽のごとしといわんか。読者願わくは余が言の形を棄てて意を汲まれよ。(p.166-7)

 

(5)弱小国家に対して同情し援助を与える侠気

(五)以上米人の国民的感情の特色の一、二を啓示したり。この上なお云わんとする点は、もっぱら東洋に対してこの感情の応用せらるることあらば、その特色のいかなるべきかということこれなり。これ豈(あに)本論に関係の浅からざる問題ならずや。もとよりこの場合には、以上述べたる諸点のことごとく発揮すべきは期して待つべく、余は心中にその表現の大体を想像するを禁ずる能わざるものあり。しかれどもこの外にも、この場合に著しかるべき米国民真理の特色あることを語らんと欲す。

その一は、米人が自由進歩を希(ねが)える弱者に対する同情これなり。こは実に自国の強大と自由とを信ずるの深厚なるによりて、他の圧政を脱せんとする後進者を庇護するを好む無意識の傾向によること多かるべし。これが実例は枚挙に遑(いとま)あらざる程にはなはだしき米国史最初よりの根本的事実なれども、最も我が国に適切なる例を見んとせば、米国が東洋の未開国に対する態度の始終この一種の侠気(強きをくじき弱きを助ける心だて)と離るることなかりしを察すれば明白ならん。

読者試みに日本に対したる米国の行為を追想せられよ。日本が幕末、気は逸れども力足らずして欧州諸強国の爪牙にかからんとするの恐れありしに当りて、まず誠意をもって我を開導(開明指導)して、彼等の強慾を逞(たくま)しくするの機なからしめんことを方針としたるは、豈(あに)米国にあらずや。また開国以来、あるいは下関償金を還附し、あるいは条約改正に賛同し、あるいは教育上ほとんど寛大に過ぐるまでの便宜を我が学生に与えて、絶えず日本を扶掖(ふえき、助けること)したるは豈(あに)米国にあらずや。また日露戦役にあたりて、米国民のあたかも申し合わせたるがごとく、あまねく日本に同情したる所以は何ぞや。

もとより知見および感情より来る複雑の原因ありしは疑うべからざるところなれども、その一大原因は実に小なる日本が大なる露国に圧せられて、生存を賭して自国将来の自由および東洋の進歩幸福のために戦える衷情(まこと・誠心)に同情禁ずる能わざるものありしによるなり。而(しこう)してこの小国が緻密なる思想、勇敢なる行為によりて毎戦大国を破るを見、この同情ますます上進せしなり。また識者は日本の主張が世界の要求と一致せしを見て、この知見が彼感情に加わりて一般の同情に堅固なる基礎を与うるに至りしなり。余は読者が右の諸点を容易に忘却せられざらんことを望む。(p.167-9)

 

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