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知的社会研究所

Institute for Studies on the Intellect-based Society

(ISIS)

 

7. ヒトの社会システムの進化(2)日本という国のかたち

7.6. 我々に遺された正の遺産、負の遺産

1)はじめに

2)マックス・ウェーバーの「職業としての学問」(1936)

 (1)現在、「職業としての学問」をそのまま受け入れてはいけない理由

 (2)日本人にとって「職業としての学問」が適切なアドバイスであった時代

 (3)「職業としての学問」が今日でも広く読まれていることの功罪

 

3)吉野源三郎「君たちはどう生きるか」(1982)

 (1)この作品が書かれた背景

 (2)時代を超えて今も伝わってくる若き哲学者の熱い動機

 (3)日本のすばらしい自然の描写

4)松田道雄「君たちの天分を生かそう」(1962)

 (1)40年前の日本のオピニオン・リーダーが考える「上から下」の思想

 (2)松田の思想の弱点

5)内山 節(たかし)の「哲学の冒険」(1985)

 (1)この本が書かれたいきさつ

 (2)著者がこの本で言いたいこと

 (3)ナイーブな問題提起は編集者の要望にそったものではない

 

文献一覧

【文献22】Max Weber, Die protestantische Ethik und der 》Geist《des Kapitalismus, Gesammelte Aufsatze zur Religionssozioligie, Bd.1, 1920, SS.17-206、マックス・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(大塚久雄訳)岩波書店(1989);1.10., 7.6.

【文献27】Paul Johnson, A History of the American People, HarperCollins Publishers, Inc. (1997)、ポール・ジョンソン「アメリカ人の歴史」(I、II、III)(別宮貞徳、べっく さだのり、訳)共同通信社(2001);6.3., 6.4., 6.5., 6.6., 6.7., 6.9., 7.2., 7.3., 7.6., 7.11.

【文献28】Paul Johnson, A History of Christianity, The Orion Publishing Group Ltd. (1976)、ポール・ジョンソン「キリスト教の2000年」(上、下)(別宮貞徳、べっく さだのり、訳)共同通信社(1999);6.8., 6.9., 6.10., 7.2., 7.6., 7.11.

【文献38】Max Weber, Wissenschaft als beruf、マックス・ウェーバー「職業としての学問」(尾高邦雄 訳)岩波文庫(1936);7.6.

【文献39】吉野源三郎「君たちはどう生きるか」新潮社(1937);復刊、岩波文庫(1982);7.6.

【文献40】Albert Camus,“Noces”“Le Mythe de Sisyphe”(Gallimard)「結婚・シジフォスの神話」カミュ著作集5(窪田啓作、矢内原伊柞 訳)新潮社(1957);7.6.

【文献41】松田道雄「君たちの天分を生かそう」筑摩書房(1962);7.6.

【文献42】内山 節(たかし)「哲学の冒険」毎日新聞社(1985);7.6.

 

1)はじめに

7.3. 2)や3)で強調したように、現在の日本がおかれている閉塞状況を打破するには発想の転換が必要です。それは天職意識に目覚めること、即ち、経済成長という国家的目標のために「上から下」へ全体国家的に指令される教育から、それぞれの個人に与えられている天賦の才能を尊重し、発掘し、伸ばし、それを大事にするよう勇気を与え、その人の天職へと導く「下から上」の教育への転換です。その結果として我々に与えられるのは、たしかな知的社会の実現です。市民が真の幸福を発見し世界平和へ貢献できる國、GNP(Gross National Product)ではなく、GNH(Gross National Happiness)を目指す知的社会の建設です。

教育の発想の転換を求められているのは国民全体です。後追い国家日本の現状では「上から下」へが重要性の順で、官僚、政治家、教育長、教育委員会、教師、そして親は最後です。

しかし、7.3.1)で述べたように、知的社会の建設で実際に担われる役割の重要性の順は全くこの逆です。それぞれのセクターは、日本の社会の現状に対して、自分に責任はないし自分が生きていくにはこうするしかない、というでしょう。事実その通りです。これが後追い国家のシステムに特有のこわさであり閉塞状況の生みの親です。その能力と社会における役割からいって最も期待されるのは大学ですが、これまで生かされず放置されたままでした。後追い国家のシステムでは、大学も社会の単なる一セクターにすぎず、社会を牽引する力を持ちえないのです。ヒトの社会システムの進化の頂点にあるアメリカを形だけまねて、國をあげてリーダーシップを渇望したところで官僚国家のままに終わるでしょう。各セクターが互いに他に期待し、他の責任を追求するのでは前進はありません。それぞれが後追い国家に置かれている現実を自覚し、自分にできることを精一杯やるしかありません。もちろん教育だけに限定される問題ではありませんが。

出版物には特別の重要性があります。幼いころに読んだ書物は、意識するしないにかかわらず大人になってから大きな影響を与えます。その思想は大なり小なり子供に影響します。過去に「下から上」への切り替えを訴えている書物は正の遺産であり、再評価して大いに宣伝せねばなりません。逆に負の遺産は、自身がそのことに気づくまでは日々繰り返し負を再生産し社会のネガティブを強化するので非常に危険です。ここでは例として手許にあった4册の書物を古い順に取り上げました。

 

2)マックス・ウェーバーの「職業としての学問」(1936)

この本は、マックス・ヴェーバーが当時在籍していたミュンヘン大学で、大学生の求めに応じておこなった講演の翻訳です。いってみれば、研究をめざす若者へのアドバイスとして晩年の彼が自分の人生哲学を熱く語ったものです。「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(【文献22】、1.10.参照)の著者であることが示すとおり、彼は「科学者の創造的思考」のできる卓越した偉人であり、研究を天職とするとはどういうことか、について説かれている内容は時空を超越した説得力をもっています。

(1)現在、「職業としての学問」をそのまま受け入れてはいけない理由

しかし、科学の社会的役割、あるいは科学者が人々の「どう生きるか」の質問にどのように答えるか、について述べられていることをそのまま受け入れる姿勢を取るとすれば、それは現在では誤りでしょう。その理由は以下の通りです。

[1]この講演が行なわれたのは今から80年以上まえの1919年1月である。その間に科学は飛躍的に発展して今や諸科学は融合し境界領域に発展している。融合と発展は人文・社会科学と自然科学の間にまでひろがっている。一方、世界は第二次大戦と冷戦を経験し、今やロシア共産主義が崩壊してアメリカ民主主義の一極支配の時代を迎えている。当然、ウェーバーはこれらのことを知らないし、かれの生きた時代は歴史的に見てきわめて特異な時代である。「ヒトの社会システムの進化の系統樹」の思考の枠組みに立って考え直さねばならない。

[2]この講演は当時のドイツの学生が対象である。講演の中でくりかえし強調されていることは、当然そのことを念頭においてのことで、本来普遍的に取り扱える訳がない。この点を注意して読まないといけない。強調されている意味を正確に理解しないとおかしな誇張になってしまう。また読者にとって講演内容の意味するところ、それが妥当なものであるかどうかは、読むもののおかれている時代の状況によって変わる。これらのについてはウェーバーの与り知らぬことである。

[3]翻訳という作業のパラドックスは、内容を知ろうとして行なうことなのに、内容がわかっていないと正確で分りやすい翻訳にならないことである。当時のドイツの学生たちが何を考え何に悩んでいたのか、ウェーバーはそのことをどう考えていたのか、がわからないと翻訳はできないのである。1980年の第44刷では書店の依頼で全面的な改訳が行なわれているが、いぜんとして理解できないところは少なくない。この本の重要性を考えれば、単なる翻訳ではなく、マックス・ヴェーバーの研究者(日本人でなくてもよい)が加わって本文の何倍にもなる解説書として出版する価値があった。

(ネットで公開されている岡部拓也の翻訳では、標題の中の「学問」は「科学」のほうが良いといっていますが、私も賛成です。単なる知識の勉強ではなく、考えて研究するというニュアンスがはっきり出せるからです。)

(2)日本人にとって「職業としての学問」が適切なアドバイスであった時代

上の[2]に関連して、1936年(昭和11年)に発行された第1刷の旧訳の序で翻訳者である尾高が書いていることを引用しましょう(p.88-91)。

第三には、まさに学問の職分(大学研究者の役割)いかんが問題となる。ここではまず学問の限界が論じられ、ザインとゾルレン(哲学用語で「存在すること」と「なすべきこと」)、学問と政策の区別が強調される。ここからふたたび教師の本分あるいは義務の議論に移り、教師は指導者たるべきではないと説かれる。教師は自己の主観的な評価や個人的な世界観を学生に強いてはならない。かれはいっさいの政治的立場や価値判断から自由でなくてはならない、このことがここではくり返し戒められる。(中略)最後に合理化の進んだ現代の宿命が指摘され、研究者や教師に要求される右のような自己抑制が、結局、現代の時代的宿命のしからしめるところであることが論じられ、かくてこの宿命論は、個々の職業において平凡な日常の要求に従って与えられた仕事に専念せよ、という教訓に終わるのである。

(世界観や政治的立場を主張しないことが大学の教壇に立つ教師の義務であるという)この思想は、当時はげしい論争の対象となったものであった。「マックス・ウェーバーがなし、語り、また書き記したもののすべてのなかで、この説ほど論議され、注釈され、誤解され、また嘲笑されたものはない」と、ある人はいっている。実際、それはこんにちにおいてすら問われるべき事柄である。ただし、このことはこの思想がその内容において異端であったがためではない。内容においてはむしろ伝統的であったとすら評しえられるであろう。それが異常な反響をひきおこしたのは、むしろその形式のゆえであった。ウェーバーのこの思想はその表現において徹頭徹尾禁止的であり、その動機において時代の風潮の批判をめざしていたのである。ウェーバーがこの講演によってこの考えを主張した当時、時代の風潮は当時の社会経済体制にたいする否定に傾いていた。すなわち、一方の極からマルクス主義の革命理論が根を張り、他方の極からはニーチェ流の文明批評や預言者的詩人シュテファン・ゲオルゲ(Stefan George, 1868-1932)一派の新文化建設の運動が進軍しつつあった。この両者は、左右の両極に立つものであったが、現存社会に対する態度では等しく否定的である。

人々の心が大戦後の動揺と既存の秩序にたいする疑惑に満ちていたその当時、感受性に富む青年たちの心がこうした時代の風潮の支配下にあったことは想像にかたくない。学問の世界においてもそうであった。青年たちの心は日々の仕事を捨てて先走りした。かれらは現実のかわりに理想を、事実のかわりに世界観を、認識のかわりに体験を、専門家のかわりに全人(神のごときもの)を、教師のかわりに指導者を欲した。ウェーバーがこの講演をおこなったさい、その当の相手はこのような青年たちだったのである。ウェーバーは青年たちに向かって「日々の仕事に帰れ」と叱咤した。かれにとっては青年たちのこのような動揺は「流行」であり「時代病」であった。それは矯められるべき浮薄さであり、鍛えられるべき弱さであった。そこで、かれの表現は禁止的となり訓戒的となった。しかも、おそらくは過度にである。そして、これは合理化の進んだ現代にたいするウェーバーの責任感のゆえであった。ただし、この責任感は否定されるべき時代であるがゆえのそれではなく、かえって肯定されるべき時代であるがゆえのそれであった。ウェーバーはかれの時代を肯定する。しかも、それの欠点を知悉しつつである。かれにとって時代を肯定することは、宿命としてこれを男らしく受けとることであった。それは宿命の辛さによく堪えることを必要とする。かれはこの必要を強調した。そして、その結果この講演は、ある人が評したように、聴衆に「おびやかすような印象」を与えたのである。このようにしてウェーバーは時代の風潮に対抗した。これをもって「ブルジョワ代弁者」の大学政策とするのは偏見である。むしろ、それはかれの学者としての倫理観、ヨリ一般的にいえば、かれの職業倫理の主張とみられるべきであろう。

このような倫理観が、こんにちの日本社会ではどのように評価されるべきであるかは、ここには論じない。ただ、ウェーバーがこの講演のなかで当面しているものによく似た事態が現代の日本にもみいだされるということ、したがってこの書物がすくなくとも一部の人々にはなんらかの反省の機会をつくるであろうということ、このことはここに確言しうると思うのである。(1936年5月、訳者記)

まことに良く理解できます。つまり、1929年のドイツと1936年の日本には共通点があり、それは共に社会と思想の混乱期にあったことです。だからウェーバーの言は適切なアドバイスであり得たのです。

(3)「職業としての学問」が今日でも広く読まれていることの功罪

一方、1980年の改訳版のあとがきで、尾高はとくに何もつけ加えていない。自分がウェーバーからどのような影響を受けたかを述べているだけです(p.83-4)。

しかも、こうした異様に複雑な文章と、そのなかに盛られた筆者の強い感情、さらにそれを裏づけている筆者の広く、深い歴史的知識が、周囲の人々に、いな、それどころか後代の、しかも遠く離れた外国の人たちにまで、強烈な印象を与えたのであると思われる。ウェーバーの作品がいつまでも人気があるのは、ひとつにはこのためではなかったであろうか。

ただ、この翻訳を最初試みたころの若いわたくし自身にとっては、この短い講演─というよりも告白─は、大きな感銘の源泉であった。別のところにも書いたように(拙著『職業の倫理』、中央公論社、1970年、337ページ)、それ以後のわたくしが職業というものの社会学的研究を志すようになったのは、この講演を読み、また翻訳したからであったといっていい。この講演のなかでウェーバーが強調している仕事(ザッヘ、職業)への献身の必要ということ─個性も自我も没却して仕事に献身することが、その仕事の達成を通じて永遠の個性ある自我を生かす道であるということ─への興味が、わたくしにこの研究方向を選ばせたのである。(1980年7月)

尾高が引用している「個性」という言葉の意味はよくわからないのでウェーバーの本文を引用しておきます(p.26-7)。

さて学問上の霊感はだれにでも与えられるかというと、そうではない。それは潜在的な宿命のいかんによって違うばかりではなく、またとくに「天賦」の如何によっても違うのである。これは疑うべからざる事実であるが、この点と関連して─といってもこの事実を結局の根拠としているわけではないが─近ごろの若い人たちのあいだでは一種の偶像崇拝がはやっており、これはこんにちあらゆる街角、あらゆる雑誌のなかに広くみいだされる。ここでいう偶像とは、「個性(persoenlichkeit)」と「体験」のことである。このふたつのものはたがいに密接に結びつく。すなわち、個性は体験からなり体験は個性に属するとされるのである。この種の人たちは苦心して「体験」を得ようとつとめる。なぜなら、それが個性をもつ人にふさわしい行動だからからである。そして、それが得られなかったばあいには、人はすくなくともこの個性という天の賜物をあたかももっているかのように振舞わなくてはならない。かってはこの「体験」の意味で「センセーション」ということばがドイツ語に使われたものであった。また、「個性」ということばも、以前にはもっと適切な表現があったように思う。

有り体にいえば、「個性も自我も没却して仕事に献身する」というのはウェーバーの言っていることとは違う気がします。尾高は天職義務のことをどう理解していたのか知りたいものです。

それはともかく、日本は大学紛争を経験し、1968年(昭和43年)の東大の入試は中止においこまれ、それ以後社会から「大学教授は単細胞の学問馬鹿である」という侮蔑的評価が定着したというのに「周囲の人々に、いな、それどころか後代の、しかも遠く離れた外国の人たちにまで、強烈な印象を与えた」で済ましていて良い訳はないでしょう。翻訳者の尾高をはじめ多くの大学OBがウェーバーのこの本から深い感銘を受けたと熱烈に語っていることを考えると、日本の大学、特に東大のこのような教授像のよってきたるところが、文庫本で74頁のこの著書にあったと想像するのは自然なことでしょう。しかし、これは決してウェーバーの責任ではない。もっとも、この本の初版が出た1936年と1980年の日本の事情は、大学人が政策立案から除外されているという点では共通しており、官僚養成大学である東大の大学人は政治のおひざもとにいるだけに余計そのことに絶望して(あきらめて)いたのかもしれません。「政治にかかずらわることなく学問に専念せよ」と。この点で、東大文学部社会学科の尾高邦雄教授の研究室を出た野田一夫が自分のホームページに書いている「わが半世紀の大学人生」は興味深いものです。

ウェーバーのこの本は、今なお多くの大学で推薦図書にあげられていることがネット検索でわかります。70年前から今日まで日本の大学人あるいは大学で研究をめざす若者の人生の指導書であり続けたのです。

私が驚愕し同時に強く感じる疑問は、この講演が行なわれたのが80年以上まえの1919年1月のドイツであるのに、何故21世紀の日本で批判もなしにそのまま受け入れられているのか、です。この疑問は非常に価値ある動機になりました。なぜなら、「ヒトの社会システムの進化の系統樹」の思考の枠組みがこの疑問に明確に答えてくれることが分ったからです。1936年以来我が国のおかれてきた状況と、1919年1月のドイツとの共通点は、ともに「上から下」の後追い官僚国家であるということです。このことを系統樹の上でもっとも進化し「下から上」の國であるアメリカと比較して考える必要があったのです。そもそも「下から上」の國では(世界観や政治的立場を主張しないことが大学の教壇に立つ教師の義務であるという)主張は意味を失います。そもそもアメリカで市民が大学を設立した動機は実際的で、市民の人生を豊かにすることだからです。ウェーバーは少なくとも、ヨーロッパの後追い国家とアメリカの違いを認識していました(p.58)。しかし無理もないことですが、「ヒトの社会システムの進化の系統樹」の上の相互の位置づけまでは知らなかったのです。

それにしても、古代の農夫たちが「晩年には人生がかれらにもたらしたものの意味のすべてを知りつくしていたから」みな「『年老い生きるに飽いて』死んでいった」のに、「文明人は「『生きるを厭う』ことはできても『生きるに飽く』ことはできなくなる」、という指摘(p.34)には、さすがウェーバーだと驚嘆してしまいます。

 

3)吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」(1982)

この本は『日本少国民文庫』全16巻を完結する最後の配本として1937年(昭和12)に新潮社から出版されましたが、大平洋戦争中の社会事情のもとで刊行が中断され、戦後ふたたび刊行が可能になったといういきさつがあります。1962年の改訂版では、編集部の希望で漢字やカナ使いも変え、全体の長さも短くなっています。さらに、1967年にポプラ社から出た『ジュニア版吉野源三郎全集1 君たちはどう生きるか』では文章と文字に手が加えられています。吉野(1899ー1981)の死の翌年、初版当時の文章のままで岩波文庫から復刊されたのが本書です。巻末にはジュニア版に吉野が書いた解説があります。さらに、吉野の死後『世界』の1981年8月号に掲載された丸山真男の追悼文(『君たちはどう生きるか』をめぐる回想─吉野さんの霊にささげる─)が掲載されています。そこでは、丸山より七、八歳若い鶴見俊輔もこの書物から受けた感銘を葬儀の弔辞でのべたことがふれられています(p.309)。さらに追記として初版がそのまま復刊されたいきさつも詳しく述べられています。

(1)この作品が書かれた背景

この作品が書かれた背景について吉野自身が述べていることをみてみましょう(p.301-3)。

1935年10月に新潮社から山本有三先生の『心に太陽をもて』という本が出ました、これは山本先生が編纂された『日本少国民文庫』全16巻の第12巻で第一回の配本でした。この文庫は、ときどき間をおきながらも、だいたい毎月一巻ずつ出して、1937年の7月に完結しました。『君たちはどう生きるか』は、その最後の配本でした。

1935年といえば、1931年のいわゆる満州事変で日本の軍部がいよいよアジア大陸に進攻を開始してから四年、国内では軍国主義が日ごとにその勢力を強めていた時期です。そして1937年といえば、ちょうど『君たちはどう生きるか』が出版され『日本少国民文庫』が完結した7月に蘆溝橋事件がおこり、みるみるうちに中日事変となって、以後8年間にわたる日中の戦争がはじまった年でした。『日本少国民文庫』が刊行され『君たちはどう生きるか』が書かれたのは、そういう時代、そういう状況の中でした。ヨーロッパではムッソリーニやヒットラーが政権をとって、ファシズムが諸国民の脅威となり、第二次世界大戦の危険は暗雲のように全世界を覆っていました。

『日本少国民文庫』の刊行は、もちろん、このような時勢を考えて計画されたものでした。当時、軍国主義の勃興とともに、すでに言論や出版の自由はいちじるしく制限され、労働運動や社会主義の運動は、凶暴といっていいほどの激しい弾圧を受けていました。山本先生のような自由主義の立場におられた作家でも、1935年には、もう自由な執筆が困難となっておられました。その中で先生は、少年少女に訴える余地はまだ残っているし、せめてこの人々にこそ、まだ希望はある。だから、この人々には、偏狭な国粋主義や反動的な思想を越えた、自由で豊かな文化のあることを、なんとかしてつたえておかねばならないし、人類の進歩についての信念をいまのうちに養っておかねばならない、というのでした。荒れ狂うファシズムのもとで、先生はヒューマニズムの精神を守らねばならないと考え、その希望を次の時代にかけたのでした。当時、少年少女の読みものでも、ムッソリーニやヒットラーが英雄として賞賛され、軍国主義がときを得顔に大手をふっていたことを思うと、山本先生の識見はすぐれたものでした。

先生は、こういう考えから少国民のための双書の刊行を思いたち、その計画を私に相談なさいました。なくなった吉田甲子太郎さんも入れて、この相談は、前後、五、六十回も重ねられ、その結果16巻の少国民文庫ができましたが『君たちはどう生きるか』は、その中で倫理を扱うことになっていました。そして最初は、山本先生自身がこれを執筆される予定になっていたのですが、この計画をいよいよ実行にうつす段階になって、残念にも先生は重い目の病気にかかって、執筆はとうていのぞめないということになりました。それで、他に頼む人もないままに、私が代わってこの一巻を書くことになったのです。

ちなみにネットで検索すると、吉野は東大を卒業し、明治大学講師、『日本少国民文庫』の編集主任を勤めたのち1937年に岩波書店に入社、戦後は『世界』の初代編集長になっていることがわかります。丸山の追悼文には、自分自身が特高の尋問下におかれ憲兵隊にも召喚された経験と並べて、吉野には自分の場合とは比較を絶するような特高体験があったことが書かれています(p.323)。1935年に生まれた私には、そのような経験をした方々の仕事を、しかも70年たった今あれこれ云々する資格はないと思います。正直いうと、いま詳しく読み返してみて、もし気に入らないことに出くわしたらどうしようという気後れがありました。

(2)時代を超えて今も伝わってくる若き哲学者の熱い動機

しかし、それは無用で馬鹿げた気遣いでした。これから大人になる少年に対して人生の哲学のアドバイスをしたいという若き哲学者の熱い動機が、時間を超越して輝く真実の言葉を生んだことがわかり感動しました。本書が2003年に第51刷を数えているのはすばらしいことです。

吉野の考えは、コペル君というあだ名の中学生の主人公の生活を中心にした物語りとして展開されていますが、これはイエスが自分の考えを民衆に伝えるのにたとえ話を使ったことを思い出させます。理屈を並べるよりもはるかに強力に全てのものに真実が伝えられ、それを聞いたものは雷で打たれたような衝撃を受けるのです。聖書のヨハネ伝の冒頭の文章はそのことを簡潔に表現しています。「はじめに言葉あり、言葉は神とともにあり、言葉は神なりき。」最後まで読んだらまた最初にもどりたくなる本です。最後の部分を引用しましょう(p.298-9)。

コペル君は、またノートに向かって書きつづけました。

僕は、すべての人がおたがいによい友だちであるような、そういう世の中が来なければいけないと思います。人類は今まで進歩して来たのですから、きっと今にそういう世の中に行きつくだろうと思います。そして僕は、それに役立つような人間になりたいと思います。

急にあたりが明るくなったので、コペル君は顔をあげました。窓にいっぱい日がさしています。太陽が靄を破って、真新しい光を地上に投げはじめたのでした。

* * *

コペル君は、こういう考えで生きてゆくようになりました。そして長い長いお話も、ひとまずこれで終わりです。そこで、最後にみなさんにおたずねしたいと思います。─

君たちは、どう生きるか。

つまり、この本の題名は少年に生き方を教えるのではなく、この本を読んだ人に問いかけ自分で考えさせる意味だったのです。吉野の考えは、当ISISの「科学者の創造的思考」や「文明の進歩を支える基本原則」といった基本的な思考の枠組みと同じものです。全体主義、国家主義の時代のことゆえ「人間社会のパラドックス」とか「ヒトの社会システムの進化の系統樹」には触れられていませんが、それは吉野の責任ではありません。ただこの本を読むときは、「上から下」の発想が皆無であり、すべて「下から上」の視点で語られていることを注意して欲しいと思います。

吉野の本は中学生に向けて書かれていますが、人生の経験を積めば積むほど読んだときの感動は深くなるでしょう。古希を迎える私は、第6章「雪の日の出来事」、第7章「石段の思い出」、第8章「凱旋」を読んだときは主人公のコペル君の気持ちを思って涙が出ました。

(3)日本のすばらしい自然の描写

この本には日本のすばらしい自然の描写があちこちにでてきますが、これらは日本に住んだ人なら何度も感動した経験があるものでしょう。これは単なる文学的な背景描写ではなく大きな意味があると思います。絶望したときには自然を見て元気を取り戻せ、という吉野のメッセージがこめられているのです。このメッセージは、吉野と同時代のフランス人作家カミュの語り口とおなじです。【文献40】から引用しましょう。(p.11-2)

わたくしは裸になり、大地の精気に薫じたまま、海にとび込み、その精気を海で洗い、更に、久しい昔から大地と海とが唇と唇と相触れて、息づいている、あの抱擁の交わりを、わが皮膚のうえに、結ばねばならない。水にはいれば戦慄だ。冷たく不透明な黐(もち)の盛り上がりだ。次いで水に潜れば、耳は鳴り、洟が出て、口は塩辛い。─それから、泳ぎ、海面に抜き出て、水に濡れる両腕は、太陽をうけて黄金(きん)にひかり、また、全筋肉を捩って、叩きおろされる。わが体のうえの水の流れ、激しい音をたてて波を蹴る脚。─そして水平線がなくなる。(中略)間もなく、わたくしがアプサントの茂みにとび込み、その匂いを体に沁み込ませるとき、ありとあらゆる偏見に抗して、わたくしは、一つの真理を、太陽のものであると共にまたわが死のものでもある、一つの真理を成就することを識るだろう。ある意味で、わたくしがここに奏でるものは、わが生命だ。海の息吹きと今鳴きはじめた蝉の声とにみちみちた、熱い石の味いの籠る一つの生だ。微風は爽やかに、空は青い。わたくしは無性にこの生を愛し、自由にこれを語りたい。この生は、わたくしに人間の条件の矜りを与える。然るに、ひとはよくわたくしに言う。誇るに足る何ものもない、と。否、誇るに足るものはたしかに在る。この太陽、この海、若さに躍りあがるこのこころ、塩味のするこの肉体、優しさと栄光とが黄と青とのなかに相逢うところの、この壮大な風景。これを征服するためにこそ、わが力と富とをささげねばならない。ここでは一切がわたくしを傷つけない。自己の何一つとしてわたくしを投げ棄てない。わたくしはいかなるマスクをも着けない。困難な生の智慧を辛抱づよく学ぶことでわたくしには十分だ。それはよくありとあらゆる処世の道に匹敵するものだ。

この本のあとがき(p.185-6)で、訳者のひとりである窪田啓作は次のように述べています。

1913年生まれのカミュにとって<結婚>は23、4のときの作である。病身と窮乏とにも拘わらず、この若年の作家の口に歌い出された、生への賛歌は今日もなおわれわれをうつことを止めない。<Noces>とは何か。生と世界の婚礼である。ここにあるものは青春が、生の可能を証した、一つの報告書と見るべきものだろう。(中略)アフリカの砂浜の、赤い砂、銀の波、砂漠と山とを越えて来る烈しい風。アルジェびとの本能的な情熱や、イタリイの空の乾いた燦き。─こうした自然の根源的な諸力との合体は、この精神のうちに、最も深いストイシズムを養うと共に、官能的な汎神論を培った。

 

4)松田道雄の「君たちの天分を生かそう」(1962)

著者(1908ー98)は京大医学部卒の医学博士で小児科医を開業した後、市民の基本的人権を尊重する立場で評論家として著作活動を行ない、市民運動の拠りどころを与えたと紹介されています。この本は中学生を対象に書かれており、1962(昭和37年)に初版が出版されてから1970年(昭和45年)には33版を数えています。全国学校図書館協議会選定の必読図書に指定されており児童福祉文化賞を受賞しています。たまたま息子の本棚にあったこの本の表題に興味を感じて取り上げました。当ISISの思考の枠組みである「文明の進歩を支える基本原則」「人間社会のパラドックス」「国家の社会成熟度」「ヒトの社会システムの進化の系統樹」からこのテーマを考えると、「天職義務」「個人の自立」「個人の幸福」がキーワードになります。

(1)40年前の日本のオピニオン・リーダーが考える「上から下」の思想

40年前の日本のオピニオン・リーダーがどう考えていたのか。本文から考えてみましょう。

1章「えらい人とはどんな人か」

ところで、野口英世だの、リンカーンだの宮沢賢治だのは、職業はいろいろちがうけれども、何か共通したことをやっていないだろうか。それは、やっている。みんな世の中のためになる仕事をしている。(p.8)

だけど、もし、鉄道員になりたいと書いた人が、自分は天才じゃないからダメだというので鉄道員でしんぼうしておこうと思って、そう書いたんだったら、ぼくはちょっと悲しいな。それは、人間ひとりひとりがちがった能力をもっているし、あることで能力をくらべれば生まれつきよくできる人とできない人とあるさ。歌をじょうずにうたうのには、けいこもしなくちゃならないけれど、いい声というのは生まれつきだ。だけれど、人間の能力というものは、ひとりの人間のなかに無尽蔵にはいっているんだ。宝石の山みたいなものさ。それは掘り出してみないとわからないんだ。掘り出しただけでいいこともあるけれど、みがいてはじめて宝石だってわかることもあるんだ。君たちは宝石のかくれた山だ。先生や両親は、この山のあっちこっちを掘って宝石を拾い出しているのだ。君たちに勉強しなさいっていうのは、この掘り出した石をみがきなさいって言っていることなんだ。学校の教育だけが、この山を掘り出しているんじゃない。世の中へ出ていろんなことに出会うと、その力で山がくずれて、今まで先生や両親が堀りあてられなかった宝石の鉱脈が見えてくることも少なくない。学校の勉強だけしていては光ってこなかった宝石が、世の中で人といっしょに働くようになってみがかれることだってある。それだから、君たちはみな天才なんだ。それをうまく掘り出せなかったら、これは先生や両親にも責任がある。そして、せっかく掘り出してもらったのを、みがこうとしなかったら君たちがよくないんだ。(p.13-4)

8章「自信がもてない」

君、毎日の学校、おもしろいかい?なんだって?休み時間だの体操の時間は面白いけど、学科の時間はおもしろくないって?なぜだい。学科の勉強していると、だんだん自信がなくなって、将来一人まえになって生活できるかどうか心細くなるって?なあんだ。そんなことで、おもしろくないのか。そんな心配ならたいていの中学生はもっているよ。学校時代って、そういう自信のなさにさいなまれながら生きていく時代さ。コンプレックスって先生がよく言うだろう。劣等感さ。わかい時ってこのコンプレックスとのたたかいの連続みたいなものさ。ある時は自分にとても天分があるみたいに思える。それが急に日がかげったように、自分には一カケの天分もないみたいに思えてくるんだ。(p.93)

ぼくが中学のとき、よくできる友だちにとりかこまれたコンプレックスから、どうしてのがれたか言おうか。ぼくはテニス部にはいったんだ。勉強ばっかりしている連中とはちがうんだという気持ちがもちたかったのだ。(中略)「テニス少年」というのは、コンプレックスをなおすのにはよかった。(p.94-5)

15章「昔と今はちがうんだ」

日本は明治維新で、封建社会から資本主義になった。けれども、昔からのさむらいの習慣がのこっていて、国民はおたがいに平等になるというわけにはいかなかった。それだから、もののねうちをお金ではっきりさせるにのは、町人みたいで、いやしいことだとされていた。それが、新しい憲法で国民は平等ということになった。そのために、新しい憲法のなかで育った子どもたちは、なんでももののねうちをお金ではっきりさせようとする。それは、ふるい習慣になれているおとなには、へんに感じられるが、ぼくは、それでも、昔よりはいいと思うことにしている。けれども、なんでもお金にかんじょうして、自分の得にならないことは絶対にしないというのは、資本主義というルールのなかでは当然だということにすぎない。もらう月給以上には働かないというのは、おなじねうちのものをとりかえっこするという資本主義のルールでは正しいことだが、社会主義ではちがう。社会主義は、もうけるものはいくらもうけるのも自由だという社会ではない。個人がもうけるのでなしに、めいめいが自分の能力に応じて社会につくすというのが社会主義だ。そして、社会がゆたかになれば、めいめいが必要なだけもらうというのが理想だ。そういう理想社会になるまでは、できるだけ社会にサービスする人も、それに応じて、ほしいものが全部はもらえない。お金にかんじょうすると損をしていることもある。だが、ソビエトや中国などの社会主義の世界では、損をしてもかまわないから社会をよくしようと思って働いている人がたくさんいる。それでも彼らは、いまに必要なだけもらえる社会ができるというのをたのしみにして働いている。社会のルールがちがうんだ。なんでもお金に勘定して、とりかえっこに損をしないようにしようというのは、資本主義のルールをまもるということだ。それがいちばんいいというのではない。

ぼくは資本主義がいちばんいい社会だとは思わない。いくらお金をもうけてもいいというので大金持ちをつくり、一方に貧乏人や失業者がたえない資本主義より、みんなが能力に応じて働き、必要に応じてうけとる社会主義社会ができたら、そのほうがいいと思う。なんでもお金にかんじょうして自分の損になることは絶対にしないという人ばかりだったら、社会主義にはならない。自分のもらうお金の勘定をするだけでなく、社会全体として、どちらのルールのほうが得かというかんじょうもできるようになってほしい。(p.186-8)

16章「日本人であること」

君は日本をいい國と思うか、悪い國と思うか。君は学校で日本の國のおいたちを習っているだろう。いままでにどんな時代をとおって、今日の日本になったかということを君たちは習ったろう。そこには、日本がいい國と書いてあったか、悪い國と書いてあったか。いいとも、悪いとも書いてなかったじゃないか。ただ、こういうことがあったということがならべてあっただけじゃないか。大平洋戦争のことだって、戦争中に食べ物がなくてつらかったというようなことは書いてある。だがこの戦争がいいとかわるいとかということははっきり書いてない。いいと書いてあるのは、新しい憲法ができて民主主義になったということだけだろう。君たちは、ちょっとへんに思わないか。フランスの国民は、悪い王様を追い出す革命をやって、勝った。そして勝利のよろこびのなかで憲法をつくった。アメリカは独立戦争に勝って、イギリスから独立したよろこびのなかで憲法を作った。ロシアは、働くものが大金持ちや皇帝を追い出して、世界で最初に社会主義の國をたてたという誇りのなかで憲法をつくった。それだのに日本は戦争に負けたところで占領軍の忠告をうけながら憲法をつくった。民主主義がいいと書いてあっても、なんだか他人からもらったような感じだ。日本の国民が自分の國にある、古くさい昔の習慣や、大いばりをしていた軍人を、自分の力で追い出して、民主主義をつくったのではなかった。民主主義はいいにきまっている。どんないいものでも、人間はひとのちからで得たものは、これを自慢する気になれない。もし憲法だけが日本の誇りだったら、アメリカだの、ソビエトだのの前では、いつも小さくなっていなければならない。彼らは自分の力で憲法をたたかってつくったからだ。そうすると日本の國のいいところはどこにあるか。ちょっとわからないというんだね。ぼくはそれがシャクにさわるんだ。君たちはなんのために日本のおいたちを習ったのだ。年号をおぼえるためだけか。歴史の教科書がいけない。どれもこれも新聞記事の切り抜きを集めたみたいだ。何を君たちに訴えようとしているのかわからない。ぼくは日本はいい國だと思う。大平洋戦争にまけたけれども、そのくらいのことで日本のいいところはきえない。日本のいいところは、日本の国民が能力があるということだ。世界にたくさんの国民がいるが、そのなかで日本の国民は優等生の部にはいると、ぼくは思っている。(p.192-4)

だが当分は、ぼくたちは、やはりかぎられた国境のなかの國という単位で生きていかねばならない。戦争になることはないだろうが、はげしい競争はなくならないだろう。よほどがんばらないと、まわりの國が金持ちになって、日本は貧乏になってしまうだろう。たとえば、となりの中国なんか、ずいぶんいっしょうけんめいになって社会主義社会をつくろうとしている。中学生も小学生も、熱心に勉強し、よくからだをきたえている。このまま20年か30年たてば、中国はうんとゆたかになるだろう。そのときに日本が貧乏ではこまる。君たちも、まけないように勉強し、からだを鍛えてほしい。(p.205)

40年前に書かれた松田の考えは今日でも日本人の大多数の考えと一致するのではないでしょうか。もしそうなら当ISISの試みは大成功です。というのは、我々はその誤りを指摘し、「上から下」の後追い国家の弱点をはっきりと認識するよう皆さんにうながし、新しいスペースに足を踏み出すことを主張しているからです。

(2)松田の思想の弱点

私が上の主張で問題と思う点を指摘しますので皆さんもお考えください。

[1]松田のいう「天分」は「天職」と似ているようで実は全く違う。後者は神の意志の体現であり、「天職意識」や「天職義務」という言葉と自然につながるものである。天分を生かす目的が「世の中の役に立つ」というのは「上から下」の國のスローガンで個人の幸福から離れてしまっている。「天職意識」にくらべて薄弱な動機にしかならない。神の意志である以上、天職に生きることは自分に幸せをもたらすものであると同時に、結果として世界を進歩させる。これが「文明の進歩を支える基本原則」を支えている。自信をなくしたときの松田のアドバイスは確かに大切であるが、個人を完全に自立させることはできない。自分が生きることが神の意志の体現であるという信仰がないと孤独にたえられない。この信仰は必ずしも宗教しか与えられない倫理ではない。

[2]1.9.でのべた通り、社会主義への傾斜は松田だけでなく日本の知識人の最大の弱点であった。ロシア共産主義の問題点を見抜くべきだった。「人間社会のパラドックス」を軽視している。それに資本主義社会に対する松田の認識はナイーブというしかない。なぜアメリカが「ヒトの社会システムの進化の系統樹」でもっとも進化した國であると位置づけられるのか(6.参照)を考えることが重要である。これでは後追い官僚国家の弱点を見抜くことはできない。 1.10.で「アメリカ精神」と「近代資本主義の精神」を考えてもらいたい。

[3]最後の16章にいたっては「後追い国家」の典型的な「上から下」の考えで昔の富国強兵思想と何らかわらない。その結果、個人の幸福を犠牲にして國は経済大国になった。1.2.1.3.1.4.の各章から学んでもらいたいのです。相変わらずのナショナリズムは願い下げです。日本の国民の能力が高いことはフランシスコ・ザビエルをはじめイエズス会士の宣教師らの一致した意見です(【文献28】p.233)。しかし、それは民族云々のことではなく地政学上恵まれていたから(【文献27】(I)p.60)と理解すべきことでしょう。

「後追い国家」日本の最大の弱点は人生の哲学が軽視されていることです。聖書がアメリカが進化する上でおおきな役割りを果たしたことを考えてください。聖書と書いたのは、実質的に大切だったのはキリスト教という宗教ではなくイエスの教えであったことを指摘したいためです。

6.8.6.9.6.10.の各章でのべた理神論のことをよく考えていただきたいのです。ある意味では、17世紀の日本の指導者たちが宗教と政治の関係を熟知しており、キリシタンの禁教を柱のひとつとする鎖国政策によって200年以上にわたって日本の平和を維持できたのは大きな功績でした。しかし、鎖国は所詮は独裁国家の象徴的な政策であり、自由を犠牲にした平和にすぎないのです。キリスト教の経験が人間社会にもたらした1000年にわたる苦難の歴史は、「ヒトの社会システムの進化」の過程でアメリカを建国させるための生みの苦しみであったと考えることもできるでしょう。そうすると、いまや日本をはじめとする後追い国家は、その進化の過程から学ぶ時にきていると自覚することが重要になります。

 

5)内山 節(たかし)の「哲学の冒険」(1985)

(1)この本が書かれたいきさつ

著者略歴には1950年生まれの哲学者と書かれています。この本と私の接点ですが、当時中学生だった私の息子のためにとっていた『毎日中学生新聞』でこの標題の連載が目にとまったことです。しかしきちんと読んでいなかったので、毎日新聞社から出版された本書を購入していたのです。ただし、当時私や息子たちがこの本を読んだ形跡はないようです。

「あとがき」によれば、連載にたいする新聞社側の2つの注文は、「中学生の読みうる哲学にすること、中学生に教えるためのものではなく、受験勉強だけをしているようにみえながら、心のなかでは現代社会に絶望し時には死に急ぐ現代の中学生たちにいまの私の考えていることを提出し議論するようなものにすること」で、1983年8月から1984年3月までつづいています。これは期待を持たせるのに十分のすばらしい動機です。本書は、連載されたものに加筆訂正したのではなく、全文が新しく書き直されたということです。ただ、本書の構成ですが、本文全体の214ページのうち7割超の153ページは歴史に名をのこした19名の人たちの思想の紹介と著者の感想で、父と中学生の対話の形で語られる著者の思想は61ページだけです。

(2)著者がこの本で言いたいこと

著者の考えていることは最後に出てくるつぎの文章につきるでしょう(p.222-4)。

僕はこう思う。哲学はその時代の人間を解放して、より美しく生きられる人間たちの未来を築こうとする。だから哲学はつねに民衆の「学問」でなければならない。とともに時代の変化に対応して、哲学はつねに新しい哲学へと生まれかわらねばいけない。哲学は一方の手で創造され、発展されつづけながら、もう一方の手で解体されつづけなければいけないというのはそういう意味だ。しかし哲学は一時代のものにとどまりつづけることもできないのだと思う。なぜならいまの人間たちを解放して、新しい未来を築こうとすることは、歴史をつくるための行動になっていくからだ。

ひとつの時代の生き物である人間が、永遠の歴史のなかの動物へと自分たちを高めていく、必要なのはこのことだ。そうしてそのとき創造される「学問」が哲学だ。だとすればいま僕たちが考えなければいけないことは次の一点だ。それは人間たちが歴史の創造に参加していけるような生き方はどうしたらできるかということだ。そのためには仲間同志のささいな競争にあけくれている精神の変革も必要だろうし、それ以上に人間同志を競争させる社会の改革が必要にもなるだろう。しかしそれ以上に考えなければいけないことは、人間の労働を解放することだと思う。本来労働とは何らかの作品をつくり出す行為だった。人間は労働によってのみ作品を生み出し、それを次の世代に手渡した。そうやって歴史を築いてきた。作品のなかにはいろいろなものがある。物である場合もあるだろう。家族や過程という場合もあるだろう。人間と人間の新しい関係も作品であるし、人間たちが共同でつくる最高の作品は社会だ。人間はときに一人で、ときに共同で作品をつくり、それを歴史のなかに残していく、労働とはもともとはそういう場であったような気がする。

だから僕は労働が他人に命令されたつまらない作業であったり、社会の運営が少数の人たちによって握られている状態を認めることができないのだ。人間の意識や人間と人間の関係のなかにまで、利益とか管理とかいうものが入ってきて、人間の自由な生き方を押し殺してしまうことを許すことができないのだ。美しく生きるというエピクロスの言葉をいま僕はこんなふうに理解した。それは人間たちが自由に自分のそして自分たちの作品をつくりながら、それを歴史のなかに残していくことだと。それができるとき、僕はすべての人間の一生がひとつひとつの作品になっていく気がするんだ。僕の哲学の冒険はこのことを発見するためであった。

著者は、現在NPO法人「森づくりフォーラム」代表理事であることがネット検索でわかります、そういうかたちで筋を通した生き方を選択しておられることは尊重しなければなりません。他の人が安易に批判することは厳に控えねばならないでしょう。ひとりの人間の人生は厳粛に受け止めるべきものだからです。

(3)ナイーブな問題提起は編集者の要望にそったものではない

私自身このホームページで個人攻撃をする積もりは毛頭ありません。それぞれが神から与えられた存在理由をもっていると思います。ただ意見を述べることは自由だと思います。とくに、出版物として公表されている場合、それが少年を対象にするものである場合はだまって通り過ぎることは許されません。

「労働が他人に命令されたつまらない作業であったり、社会の運営が少数の人たちによって握られている状態を認めることができないのだ。人間の意識や人間と人間の関係のなかにまで、利益とか管理とかいうものが入ってきて、人間の自由な生き方を押し殺してしまうことを許すことができないのだ。」という著者の苦悩は理解できますが、それは問題の入り口にすぎません。その問題にどう対応していくかですが、著者はそれを語っていません。本書に対する編集者からのメッセージが表紙の帯に印刷されています。

<少年少女・父母・教師のみなさんへ>

60年代後半に世界的規模で発生した“学生反乱”が投げかけた意味を、私たちはいま、ハッキリと知ることができる。彼らは“知の転換”を求めていたのだと。遅ればせながら、私たちに何ができるかを、これから模索しつづけてみようと思う。

著者が模索していることはわかりますが、何ができるかは何も示されていません。率直に言えば、わたしには理解できない文章が決して少なくありません。たとえば、ルター(p.97)やウェーバー(p. 110)について述べられていることは誤りでしょう。前者については6.8.「アメリカ建国へ歴史を展開させたキリスト教のユニークな役割」を、後者については1.10.『日本、イギリス、アメリカのシステムの比較から学ぶこと─

「アメリカ精神」と「近代資本主義の精神」』を参照していただければわかります。だから、これ以上立ち入って云々する気力はなくなりました。

 

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