SyaPuのたわごと
3月31日(金)
仕事中の会話。「某教授が最近ちょくちょく電話をかけてくるが,その時の口調がきつい。話を聞いていたら「キレそう」になる。」それをうけて,「僕はその教授はそういう人間なんだ!!と心得ているので,こっちも「タメ口」で返事をするんだ。」すると「まあ,貴方は独特の考え方をしてるから・・・。」独特の考え方とはどういう考え方なのか・・・。人は僕をそういう風に見ている「ことも」あるのだなあ・・と思った。別に教官が全てそうでは決してないけど,時たま「誤解」している人がいて,そういう人に対しては「一線」を引いてしまう。うーん。もう一度「接遇」の勉強をしなければいけないかな・・・・。おお,平成11年度,もう終わりじゃん。
3月30日(木)
今,どこの大学も同じように「研修出張」がさかんで,この時期ご多分に漏れず僕も京都に行ったが,今日,大阪の某研究所に出張にでかけた職員が帰ってきて開口一番「うちくらいの規模の研究所が丁度いいですね。大きいところは組織がぐちゃぐちゃ。情報伝達が全然行き届いてないっす。」と感想をもらしていた。確かにいろんな係が増えてくると事務分担も詳細に別れてくる。で,縦割りだの横並びだのと「ひずみ」が生まれる。そこの構成員はそれに気が付かないが,外部の人間にはすぐわかってしまうものだ。「広大に行ったら何も伝わってなかった!」そう言われないように,気を付けなければ。彼のお土産を食べながらそう思った。
3月29日(水)
今日は職場の歓送迎会。大学ではどこの部署もだいたい4月1日付けの異動がある時は3月中に歓送迎会をするけど,職場が違うと4月に行うのが主流のところもあるのだそうだ。ばたばたする年度末を避けて落ち着く4月に行うのもいいかもしれない。異動というと,初めて僕が異動になったとき,内示を受けて引継をしながら,「これが夢であったらいいのに・・・。」と何度も思った。ショックも大きかったので当分食欲も無くなったのを思い出した。引継の後,歓送迎会が開かれたのだが,何も喉を通らなかった。多少の差はあれ,今も異動の時期になると「痩せる」気のする,小心ものの僕。
3月28日(火)
久しぶりの大雨になって,午前中は「雷」も鳴った。これが「春雷」というものかな。以前は雷が鳴り始めるといそいで「パソコン」や「ワープロ」の電源を切ったものだが,最近はそう心配することはないらしい。
かつて,ある人が情報処理センターの端末でデータを入力していたとき「ぴかっ。」と外が光って,「あっ」
と思ったら電源が一瞬にして切れたそうな。まる1日かかった入力の仕事がコンマ5秒で「ぱあ」になった。そういえば僕も以前,雷ではないが某係長の苦心のデータの上に,指1本で別のデータを上書きしてしまい,消失させたことがある。その時は自然界のではなく人間界の雷が僕の上に落ちた。やはり,雷は落ちると恐い。
3月27日(月)
この頃,5時が近くなると無性に体がだるくなる。具合が悪いのか?風邪がぶり返したのかなと,考えてみるに,思い当たる節はただ一つ。「空腹」。西条にいた時は残業があたりまえだったので,5時過ぎると食堂へ走ったものだ。西条の生協食堂のおばちゃんたちと顔なじみになって,「おまけ」してもらったことも少なくなかった。わざわざ売り切れのメニューを僕のために残して置いてくれたこともあったっけ。懐かしいな!霞構内にも生協食堂があって,医学部のときは5時になると走っていったものだ。そこでもやっぱり食堂のおばちゃんに「便宜」をはかってもらった。今度,久しぶりに行ってみるか。
3月24日(金)
今日は大学の学位記授与式。西条の運動公園体育館になって何度目の卒業式だろう。今年は僕はお手伝いには行かなかったけど,入学式に比べると,なかなか学生が会場に入ってくれないんだよね。まあ,卒論終わって,就職予定先の研修会にすでに参加してたりして,学友に会うのが半年ぶりっていうのも「ざら」だろうから,無理もないけど,今年もやっぱり開始が遅れたそうな。奇抜な格好をして式に出席した学生もいたとかで,まあ,「むちゃ」をできるのも今日が最後。明日からは「大学生」という「庇護」はなくなる。とりあえず,卒業,修了おめでとさん・・・。今頃謝恩会の続きしてるんだろうな。
3月23日(木)
久しぶりに懐かしい友人からメールが来た。メールが届いたのは午後4時頃だったが,会議や電話の受け答えなどで開封を後回しにしていたのだが,気が付いて開封したのは7時になってからだ。今日大学の(正式には大学院生だから・・・)卒業式だったそうだ。4月からは関東へ就職するらしい。彼とはひょんなことから友達関係になったが去年の夏頃から音信不通になっていたのだ。もう少し早く気が付いて返事を出せば良かったと一瞬思ったが,今週いっぱいは大学に来るそうなので,明日最後のメールでも出してみよう。新しい人生のスタートを切るのだね。おめでとう。
3月22日(水)
春が本格的に近くなると「陽」もだいぶ長くなってきて,夕方になっても外がまだ明るい。まだ4時頃かなと時計を見たら,もう5時を回っていたりして「えっ!?」と驚いたりすることもしばしば。5時に勤務の終わる事務補佐員の人たちがばたばたと,まだ陽の差す中庭を帰っていくのを見るとなんだか羨ましい。高校生の頃クラブ活動で遅くなり実家の側の「一本杉」で友達と長話をしてて,時計を見るともう「20時」近かったのにぼんやりと明るかったのを,ふと思い出した。話の内容はとうに忘れたがあの日の終わりかけの夕焼けはいつまでも頭に残っている。そういえば最近,夕焼けをいつ見ただろうか?
3月21日(火)
以前,帰宅途中のこと。広島駅の新幹線口側を徒歩で家に向かっていた。ここらあたりは最近宗教の勧誘やビラ配りが多いところだ。その日僕に向かって一人の青年が「あの,すみません・・・。」と声をかけてきた。僕はその手の「勧誘」と思い「無視」しようとして進みかけると,「郵便局は何処・・・・。」という小声が続いて聞こえた。その時,僕は恥ずかしさがこみ上げてきて「耳」まで赤くなるのがわかった。彼は旅行者かなにかで道を尋ねたかったのだ。ここのところ,人と関わり合いを持つのが苦痛になっていたので,避けて通るのが無意識の行為となっていた。その彼には表口の郵便局までの道順を教えて別れたが,家に着くまで僕の頭のなかで「イヤな自分」がぐるぐる回っていた。
3月17日(金)
花の金曜日である。明日からは3連休。が,僕は熱をだしてダウンした。久しぶりに風邪をひどくしてしまった。明日からの予定も今日になって「パー」。病院へ行って(今週これで2回目の病院)点滴を打ってもらって,抗生物質を投与されて・・・。
年々体力が低下の一途をたどっているのが自分でもわかる。この季節になると体調がおかしくなるのは突き詰めれば日頃の運動不足が原因か?
しかし,今日受診した内科の待合室に老人は沢山いたが,風邪を引いていたのは僕だけだった。やはり老人パワーはすごい。僕は長生きはできそうもない。
3月16日(木)
今朝いつものように完全武装して出勤していたら(さすがに銃は持ってないけど),久しぶりに「汗」をかいてしまった。季節が夏の時は朝から全身「汗」まみれになるので,僕はいつも「下着」持参で出勤する。昔から「大汗」かきの「喉乾き」な僕なので,夏は苦手だ。今朝は小雨も降っていたし寒いと思っていたのに汗をかいてしまい,「風邪」がひどくならなければいいが・・・と心配したが,なんとか持ちこたえている。今日は会議もあるし,年度末だし,このまま早く風邪が抜けてくれればいいのに。もう,これで今年は風邪を「二桁」くらい引いてしまった。まだまだマスクが外せない。
3月15日(水)
午後休暇を2時間とって近所の耳鼻科に行った。月曜日から「のど」「はな」の具合が悪く,いつもの花粉かと思いほおっておいたのだが,一向に鼻炎の薬が効かないので受診したのだ。初めて花粉症関連のアレルギーテストを受けた。結果は(−)。「杉」にも「かび」にも「ほこり」にも反応しない。唯一「ダニ」にマッチの先くらいの反応がでたくらいだ。結局「点鼻薬」と「アレルギー除去薬」をもらって帰った。しかし相変わらず「のど」が痛い。ただの「風邪」だったのかな?
しかし,「杉の花粉」に反応しなかったのは驚きだ。僕は花粉症では無かったのかも知れない。でも,検査料1,800円はちょっと高いよなあ・・・。試薬けちったのかな・・・。
3月14日(火)
なんだか陽気も良くなってきて,キャンパスの中にある「梅」か「桃」かはわからないけど,きれいに咲いている。もうじき比治山や平和公園,黄金山の桜も咲き誇るのだろう。ここの建物のまえの公園に去年桜の木が2,3本植樹されたが,今日見てみたけれどまだまだ蕾も固そうだった。
桜の花を見ると思い出すのは昔,職場の人たちと出かけた「錦帯橋」の花見。就職した年の4月に誘われて出かけた。地元だったので珍しくはないが,それでも楽しかった。最近は土曜日も休みになってしまったので,午後から出かけるという楽しみも無くなった。週休二日の制度は大歓迎だったけれど,こういった楽しみが無くなったのは,ちょっと寂しい。
3月13日(月)
今日は大学の後期日程試験の日だった。霞キャンパスにも大勢の受験生が来ていた。僕のところには
今年の4月から採用予定の女性が健康診断を受けるためにやってきた。彼女を連れて医学部を抜け,保健管理センターへ。途中「大きいキャンパスですね。」と彼女はしきりに感心している。「西条キャンパスなんかもっと大きいよ。」そう僕は答える。
初めて霞に来たとき,僕もその大きさと広さに驚いた。国立大学の大学病院!!田宮次郎主演の「白い巨塔」をテレビで放送していた頃だ。(^^;)しかし,今ではもうキャンパスの広さも実感しなくなって,日々の生活と毎日の仕事のルーチンに追われている・・・。彼女もやがてキャンパスの広さなど気にしなくなるのだろうか・・・。
3月10日(金)
今日で今週も終わり。今週は月,火と出張だったので,いつにもまして疲労してしまった!さて,出張先での名物はいろいろあるが,ここ,広島の名物といったら,「もみじ饅頭」だろう。出張にも手土産として持って行こうと思ったが,今回は遠慮して,別の物にした。もうひとつ,広島の名物「お好み焼き」。僕も2週間に1度は食べている。(だから太るのか?)観光客で賑わう「お好み村」や「八昌」「みっちゃん」といろんなご贔屓があるのだろう。僕のお昼は近所の「なな」。(まあ,知る人は知る?程度かな)今日も食べてしまった。お休みの日だったら,「徳川」に行ってしまう。ここは「広島風」ではないらしいが。
けっこう野菜も入ってて,栄養もあって,僕のような偏食家にはいいかもしれない。
3月9日(木)
先週の土曜日。世間では「プレステ2」の発売で大騒ぎだったが,僕は今「ドリーム・キャスト」にはまっていて,ついつい夜更かしをしてしまう。それも,1度クリアしたゲームをもう3回遊んでいる。初めてゲームを買ったのは,任天堂のファミコン。今のゲームと比べると「蒸気機関車」と「新幹線」くらいの差があるかな?それでも当時は「攻略本」を買って毎晩深夜まで遊んだものだ。何度コントローラーを投げつけたものか!
コントローラーと言えば,最近の物は「音声認識」も可能で,去年ブームの「シーマン」は最高に面白かった。知っている人は知っているが,画面に向かって喋ると返事をしてくる。だんだん画面の中で成長していく「バーチャル生物」にホントはまってしまった。
が・・・,冷静になって考えると,悦に入って一人で画面に向かう自分は,ちょっと背筋が寒くなるかも。
3月8日(水)
昨日まで出張で京都へ行っていた。花の季節には早すぎたが,平日とはいえ観光客も多い。
仕事とはいえ,なかなか来る機会もないので,寺社仏閣を2,3歩いた。(詳細はそのうち別のページで
UPします。)おかげで,普段の運動不足がたたってか,足腰に来てしまった!もともと知らない町を歩く
ことは嫌いではないので,気が付くと4,5キロは歩いていたらしい。熱い風呂にでも入れば翌日にはなんとかなるだろうと思ったが,もう若くはないこの体!明日になってもまだ新たな箇所で筋肉痛が発生するのだろうなあ・・。
今夜も足の裏に「サロンパス」貼って寝ましょう。
3月3日(金)
雛祭り。鳥取県用瀬(もちがせ)町ではこの時期変わった風習がある。「流し雛」。
岡山にいた頃,主催事業で何度か僕も作ったことがある。「藁」を丸く編んだなかに折り紙で出来た着物を着た白粘土で造った「顔」がちょこんと乗る雛。用瀬では実際に川に流すのだそうだ。
完成品は壁掛けに丁度よく,子供達にも人気があった。
ところで,「雛人形」はあまり遅くまで飾っていてはいけないというジンクスがあるらしい。結婚が遅れるとまことしやかにささやかれている。ホントかな?じゃあ,川に毎年流していると・・・・。うう,想像するのが恐い。
3月2日(木)
ここ2,3日の寒さがちょっと和らいだのか,今日はとても陽気が良かった。
で,そうなると問題は「杉花粉」。花粉情報はこれからチェックが欠かせない。花粉症というのは,病院で
そう診断されないといけないものらしい。以前,耳鼻咽頭科に別件で受診したときの初診問診票に「花粉アレルギー」の有無というのがあったので,「有」に○をつけたら,「病院で診断されたのか?」と質問された。「いいえ。でも,この季節になると調子が悪いんで・・・。」と答えると「勝手に診断しないでください。」
と叱責を受けた。
この季節になって花粉が飛び始めると,相変わらず調子が悪いが,「花粉アレルギーです。」とは大声では言えなくなった。
3月1日(水)
ふと,カレンダーがまだ2月だったので,いつものように脚立に上って1枚やぶると,当然だが,3月がでてくる。で,気になったのは23日の木曜日。「彼岸明け」と書いてある。おお,確かに「彼岸の入り」があるのだから「彼岸明け」もあるのだなあ・・・と,まぬけな事に今日初めて知った。だから,その中間の20日が「彼岸の中日」となるわけだ。去年の春,秋の彼岸には先祖の墓参りに行けなかったのを思い出した。やがて僕もお世話になるのに,今年こそは行かなければ!!と思う朝のひととき・・・。今日は仕事に出てきて良かった。