研究紹介

私たちは、昆虫〜特にチョウを研究材料に用いて、以下のような研究テーマを進めています。


1.寄主選択

チョウの多くは、幼虫時代に植物を食べて育つ植食性昆虫です。しかし、彼らが利用できる植物は特定の科の数属に限られており、母チョウは数多の植物から幼虫が利用できる植物を正確に見分けて産卵しなければなりません。幼虫が利用する植物を「寄主植物」、母チョウや幼虫が寄主植物を選ぶことを「寄主選択」とよびます。チョウは、植物の化学成分を味覚・嗅覚で受容し、その情報を基に寄主選択を行います。すなわちチョウと植物の「喰う−喰われる」の関係は、植物に含まれる化学物質に影響されるのです。この化学物質を調べることで、昆虫と植物の進化(多様化)の歴史を解明するともに、植食性昆虫の防除技術への応用を目指しています。

〇産卵行動を制御する植物化学成分

植物に降り立った母チョウは、前脚で葉の表面を叩くドラミング行動を行います。この行動で母チョウは前脚にある味覚器官を使って植物の化学成分を調べており、寄主植物に特有の化学物質(味)を感知すると産卵を始めます。この物質は産卵刺激物質と呼ばれ、ろ紙やプラスチックの葉に塗るとチョウの産卵を再現することができます。現在、シロチョウ科の産卵を制御する植物成分の探索を行っています。

関連する業績:原著論文31,27,22,16,15
〇寄主植物への定位を促す植物揮発性成分

産卵を行う母チョウは、ドラミング行動を通じて寄主選択を行いますが、多数の植物に触れて寄主植物を探していたのでは膨大なエネルギー・時間がかかってしまいます。成虫での寿命が短い彼らは寄主探索を効率的に行う必要があり、植物に降り立つ前段階〜すなわち植物に定位・接近する際に寄主植物をある程度認識していることが予想されます。植物体から放出される匂いはその手がかりの一つと考えられ、母チョウの遠隔的な定位を引き起こす寄主植物の匂い成分を調べています。


2.交尾・求愛

有性生殖を行う動物は、異性と交尾しなければ子孫を残すことはできません。そのためには広大な生息空間において、様々な同胞種の中から同種異性を見つけ出さねばなりません。また、異性に交尾を受け入れてもらわねばなりませんし、同姓のライバルとの異性を巡る争いにも勝利しなければなりません。このように、動物の繁殖は同種雌雄間でのコミュニケーションの上になりたっており、このコミュニケーションをつかさどる化学物質を「性フェロモン」といいます。チョウの繁殖における性フェロモンの関与を調べることで、昆虫の繁殖システムの多様性や種分化のメカニズムを理解する、その鍵物質を害虫の個体群管理に応用することが期待されます。

〇匂い成分に基づく種認識

昆虫の性フェロモンは、チョウ目昆虫のガでもっとも研究が進んでいます。ガの多くは、雌が種特異的な化学組成をもつ匂いを分泌します。この匂いは、同種の雄を遠隔的に雌のもとに誘引し、交尾を促す性フェロモンとして機能します。一方、チョウでは雄が匂いを放つ種が多く、一部の種で、雄の匂いは雌に交尾を促す性フェロモンとして作用することが報告されています。しかし、匂いの化学組成や機能、分泌器官が調べられたチョウは極限られているため、様々なチョウについて成虫の匂いの化学組成や匂いの性フェロモンとしての機能を調べています。

関連する業績:原著論文33,28,21,19,18
〇体表成分に基づく種認識

昆虫の表皮(クチクラ)のもっとも外側には、長鎖炭化水素や脂肪酸エステル、アルコールなどを含む脂質層があります。この体表脂質は、昆虫の種や性、発育段階に応じて特有の化学組成を示すことがあります。歩行肢に味覚器官をもつ昆虫は、他の個体を脚で触ると体表脂質を味覚受容し、その化学組成の違いを利用して、相手の種・性・発育段階を認知するのです。チョウでは雄が交尾相手の体を前脚でしきりに触ることから、相手の体表脂質を味覚受容し交尾選択を行っている可能性があります。そこで、アゲハチョウやシロチョウ科の成虫について、前脚の味覚感覚や、体表脂質の化学的特徴・交尾時の生理活性について調べています。

関連する業績:原著論文33,18


3.食物選択

食物を探し、食べることは動物の基本行動の一つであり、食物を意味する情報は動物にとって非常に重要です。しかし、同じ食物を利用していても、ある動物は食物の匂いに誘引され、別の動物は食物の色に導かれるというように、動物の種類毎に異なる情報を利用しています。採餌・摂食のメカニズムを知ることは、動物の行動原理の一つを理解し、生態系での喰う−喰われるの関係を解明することにつながります。また、その行動解発因子を明らかにすることで、動物の行動を人為的に制御し人間社会の利益につながることが期待されます。

〇訪花行動を引き起こす嗅覚・味覚情報

多くの昆虫は訪花性で、蜜や花粉を食物に利用します。植物の多くは受粉を昆虫に頼っており、花の色彩・匂いを使って昆虫を呼び寄せます。また、蜜や花粉の一部を報酬として送粉昆虫に与えています。花−昆虫の相互作用は様々な生物が関与する共生・競争関係であり、そのメカニズムを知ることは、生態系の多様性を理解するだけでなく、作物・果樹の栽培においても欠かすことができません。チョウは花の蜜を利用する訪花性昆虫であり、植物の繁殖を助ける送粉昆虫でもあります。そこで、チョウはどのような花の形質(色や匂い)を利用して食物を認知するのか調べています。

関連する業績:原著論文25,17,4-1、著書・総説10,9
〇花蜜以外の食物利用

チョウは、花の蜜以外にも様々な食物を利用します。樹液や落果はタテハチョウやジャノメチョウの一部にとって重要な食物であり、セセリチョウやシジミチョウは動物の排泄物を吸汁します。これらは花(花蜜)とは性質の異なる資源であり、花と強い結びつきをもつと考えられているチョウにおいても食性は多様化しているのです。これらの食物を利用するには、訪花行動とは異なる情報を利用していることが予想されます。そこで、タテハチョウ科を材料に、樹液や落果を利用することの生態学的意義や、彼らの採餌行動を引き起こす味覚・嗅覚情報について調べています。

関連する業績:原著論文29,25,23,14


4.他の生物との相互作用

野生生物は常に捕食の危険にさらされています。「喰う−喰われる」の関係は生態系の至る所でみられ、殆どの生物は、まず個体が生き延びることを優先します。そのために、生物はさまざまな戦術・戦略を駆使しており、化学物質の利用もその方法の一つです。毒物質をつくりだして捕食から逃れようとするもの。餌をおびき寄せる匂いを使って捕食しようとするもの。他の生物に化けて食物を獲得したり的から逃れようとしたりするもの。生物が造り出す情報化学物質は、多様な「喰う−喰われる/喰われない」の関係(生物間相互作用)を形作っています。

〇捕食者に対する防御

昆虫は体が小さく数も多いため、大型動物の食物として常に喰われる立場にあります。圧倒的な捕食圧に抵抗するために化学物質を使って身を守る昆虫がいます。昆虫は様々な化学構造の毒物質をつくりだし、その一部は医薬品としても利用されています。チョウには、体内に毒物質を保持することで捕食圧を低下させたり、不快な匂いを放出して捕食者を忌避させたりする種がいます。彼らが利用する化学防御兵器(情報化学物質)の化学構造や生理活性、生合成経路について調べています。

関連する業績:原著論文20,13-11
〇アリとの共生

アリはどう猛な捕食者で、体の大きな昆虫に対しても集団で襲いかかります。アリは体表脂質を味覚受容して巣仲間を認識しており、体表脂質の組成が異なる相手は彼らにとって排除すべき敵とみなされます。アリ社会は化学コミュニケーションによって統治されていますが、この精巧なシステムをかいくぐってアリ社会に入り込み利益を得ている昆虫がいます。その方法がわかれば、アリの行動を自由に制御することができるかもしれません。ある種のシジミチョウ幼虫は、寄主植物葉上で複数種のアリと共生関係を築いています。幼虫がアリをてなずける方法の解明〜情報化学物質の探索を行っています。

関連する業績:原著論文32,26