スペイン旅日記(その9) 〜アルコスからアルヘシラス・ヒブラルタルへ〜



3月12日 Arcos de la FronteraからArgecirasへ

マドリードでテロが起こった翌日、アルコスのパラドールを出てアフリカへの玄関口、アルヘシラスへ 向かった。マドリードでの惨状は、すべてのテレビ・チャンネルで放映されスペイン全土に伝えられたが、 地方都市ではそれほどの緊張感は感じられなかった。アルコスからいったんヘレスに行き、そこで アルヘシラス行きのバスに乗り換えたが、昼ごろにデモがあるらしくバスの出発が30分ほど遅れると いうことだった。残念ながらバスのなかで出発を待っていたため、どのようなデモがおこなわれたのは わからないが、アルダルシアの中心都市セビージャでは大規模なデモがおこなわれたようだ。

アルヘシラス行きのバスは、これまたテロの影響か、大型のバスではなくマイクロ・バスであった。しかも、 かなりの年代物。荷物を後部座席のうしろに押し込み、10人ほどの乗客が乗ればもう満席。運転手は、珍しく 女性であった。ちゃきちゃきとした細身の女性で頼りがいはあるのだが、なにしろバスがまったく頼りない。 これで本当にアルヘシラスに着くのかとちょっと心配だった。ヘレスからアルヘシラスへの道は、現在、 立派な道路を整備中であるが、完成まではまだまだ先の話だ。丘陵地帯を片側一車線の道路がくねくねと 続いていく。大型ダンプがもたもた走っているとなかなか前に出られない。われわれのバスは、うなりを あげながらなんとか走っていた。しかし、心配は的中してしまった。途中、エンジンが止まり、何度キーを 回してもまったくかからなくなってしまったのだ。乗客はいったんバスを降りて、道ばたで待機。気の毒に ちょっと太り気味のおじさんは、溝に足を取られてこけていた。アルヘシラスまではまだまだ遠い。まさか、 乗客がバスを押すのか!?、それとも代わりのバスがくるまで待つのか、などど考えているとようやくエンジンが かかった。火でも吹くのではと心配もしたが、他に方法はない。再びバスに乗り込み出発。その後は、うなり をあげながらもなんとかアルヘシラスに到着した。ターミナル近くの安宿に部屋を取り、翌日のタンジェ (モロッコ)・ツアーの予約と遅い食事に出かけた。やれやれ、疲れた。



港町アルヘシラスの町並み



アルヘシラスは観光の町というよりは、ヒブラルタル(ジブラルタル)海峡を挟んでヨーロッパ・スペインとアフ リカ・モロッコを結ぶ中継地である。町には、いたるところにアラビア語の看板やアフリカ行きのチケットを扱 う代理店、国際電話用ブースがあり、これまで見てきたアンダルシアの田舎町とはまったく雰囲気が異なる。 近代的な建物のある港へ行くと、そこには旅行代理店がひしめいている。「アフリカ行きのチケットか?」と声 をかけてきた青年に、「タンジェの1日ツアーに行きたい」というと、「今日はもう遅い。明日でいいか?」 といいながら他のカウンターに案内された。セウタやタンジェを回るツアー、1泊ツアーなど、いくつかのオ プションがあったが、タンジェの日帰りツアーにした。高速フェリーとタンジェの観光案内に昼食がつく。 日帰りであればツアーで回るのがもっとも効率的で確実だ。カウンターでは、なかなか気さくなオヤジが対応 してくれた。モロッコの通貨は必要かとたずねると、ユーロも使えるし、日帰りなら両替する必要もないだろう という。両替してくれれば俺は儲かるけどね、といって笑っていた。その他、アンダルシア地方のお勧めの町 (ミハスだった)を紹介してくれたり、とにかく予約をするだけで十分楽しませてもらった。港をあとにして、 町をぶらぶらしながら食事をするためレストランを探す。

  



港が一望できるテラスのあるレストランで、 軽い昼食を取っているとき、ガイドブックを眺めながら、ふとヒブラルタルへいってみようと思いついた。 ウエイトレスに聞いてみたが、自分はジブラルタルには行ったことがないという。それでも、親切に他の店員に 行き方を聞いてきてくれた。すぐにバスターミナルを探してヒブラルタル行きのバスに 乗り込んだ。ヒブラルタルは、現在イギリス領であり、パスポート・コントロールがある。ゲートを通ると、 ロンドン名物である赤い2階建てバスの停留所があり、町の中心部入り口まで乗客を運ぶ。町の雰囲気は スペインの町のそれとはかなり違って、やはりここはイギリスの一部なのだという感じがする。英語が話され、 ポンドが使用されるが、もちろんユーロやスペイン語も使える。

 




町は買い物客でにぎわっている。fish & chips でも食べようかと思ったが結構高い。「fish & chips なんて、おいしくないよ」という連れの一言で食べるのは中止。そのまま、町を散策して夕方にはアルヘシラス に戻り、翌日のタンジェ・ツアーの備えて早寝することにした。テレビでは、相変わらずすべてのチャンネルで テロ事件について報道していた。

つづく


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