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++ 10.07.01 (thu) ++ 本日の夜より上京いたします。 明日は「認知科学」誌の編集委員会に出席します。 #今回の会場は母校です。 ということで,週末の更新をお休みいたします。 次回更新は,5日(月)です。 |
++ 10.07.05 (mon) ++ 私は最長老様になりたいのです。 悟飯やクリリンの潜在能力を最大限に引き出すように, 学生の能力を出来るだけ発現させてやりたいのです。 私はクリリンになりたいのです。 彼がサイヤ人やナメック星人ではないけれど地球人最強であるように, 私も凡人の割にはなかなかやるねというレベルにはなりたいのです。 |
++ 10.07.06 (tue) ++ 当然支払われるべき経費が出ないとき, 申請しても無駄だと感じるとき, 私は学生時代から年配の先生が良くおっしゃってた 「我々の頃は手弁当だったよ」という言葉を思い出し, 「俺も粋なことをさせていただいているんだな」と思い込むようにしています。 #ものは考えよう?末期? |
++ 10.07.07 (wed) ++ 諸々まとめると,私は「便利な道具」が好きなんだと思います。 PCとか,電子小物とか,文具とか。 |
++ 10.07.08 (thu) ++ 人から与えられることを待っている人は, 自ら何かを得ようと思っている人とは違い, 人生のほとんどが「つまらない時間」になってしまっている。 #私には「つまらない時間」を選択し続ける生き方は理解できない。 |
++ 10.07.09 (fri) ++ 私は出不精です。 でも,人に会うのは嫌いではないようです。 おもしろい人に会うためであれば,出かけるのもそれほど苦ではないようです。 |
++ 10.07.10 (sat) ++ お節介だとは重々分かっていても, 学生の成長のためになると思えば, あえてお節介を焼くのが 「学校の先生」なのかもしれない。 |
++ 10.07.12 (mon) ++ アロエさん(*1)の隣にいらっしゃるプチトマト。 −−−−−−−− (*1)「10.05.13」参照 |
++ 10.07.13 (tue) ++ 自分の研究をして良い身分になったら,6,70年代の論文をきっちり読みたいと思っています。 当時,私の領域の研究はものすごい勢いで進歩しました。 しかし,今の時代にいる研究者としては,それらはすでに教科書的な知見となっています。 論文を書く上では,それらを前提に,最近の論文を引用しながら執筆することになります。 しかし,はやり「真の専門家」となるためには,自分の領域の研究の流れを全て把握しておきたいと感じます。 ということで,いつになったら自分の研究ができますかね? #自分の研究も何も,研究らしいことをする時間がほぼ皆無。 |
++ 10.07.14 (wed) ++ 昔から写真などの画面の縦横の比が気になります。 レンズは円だと考えて,円に内接する四角形の面積を最大にしようとすると正方形になりますよね。 そうすると,最も効率的にレンズを使用するのはスクェアなフォーマットとなるはずです。 それにもかかわらず,最近はハイビジョン(9:16)とかも多く見受けられます。 もちろん,人間の視野は横に広いとか,そういう話も納得できます。 でも,純粋に機械の性能を生かし切るということを考えると,スクェアなのかなと思うわけです。 |
++ 10.07.15 (thu) ++ 電気ポット(*1)に続き,布団乾燥機が壊れました。 独り暮らしをはじめて14年。 いろいろなモノが力尽きていきます。 −−−−−−−− (*1)「10.05.15」 |
++ 10.07.16 (fri) ++ 私,「日常的に認知心理学者」なので,色々なものに対して 「アフォーダンス」 とつぶやいてしまうことがあります。 それを聞いたSleepTalker氏は 「阿呆ダンス?」 と聞き返してきます。 あなたも「心理学の人」だろうに…。 |
++ 10.07.17 (sat) ++ 全力を傾けることでしか満足を得られない人間には心休まる時は訪れない。 |
++ 10.07.20 (tue) ++ SleepTalker氏はThinkArouder(?)でもあります。 いつ反応して良いのか悩みます。 あと,よく思い出し笑いもします。 何に笑っているのか分からず困ります。 |
++ 10.07.21 (wed) ++ 若者には理想を語って欲しい。 私は,若者に若い世代への期待を語りたい。 |
++ 10.07.22 (thu) ++ 苦学生を否定する気はありません。 けれども,今の時代, 学費や生活費のためのバイトが忙しくて勉強できない というのは無意味です。 なぜなら, 大学を出ただけで就職できた頃はそれで良かったが, 現在は大学で何を身につけたかを問われるようになってきている からです。 |
++ 10.07.23 (fri) ++ かつて私は自由になるために大学に進学しました。 かくして大学には自由に学ぶ権利がありました。 なので自ら進んで自由になるための勉強をした。 当時の大学教員の仕事は,学生が飛びつけるように無作為にネタを放流しておくことでした。 しかし,今の若者は学校で腫れ物に触るかのように扱われて来たため,所在がありません。 そのため,縛られたりなくて大学に入るのかもしれないとさえ思えます。 だから自分で勉強したりはしません。 現在の大学教員の仕事は,学生が何に食いつくか考えながらネタを投入することです。 それどころか, 「学生個々の発達段階や興味に応じた声かけや教材の呈示」 が必要です。 #幼児教育に詳しい人は自動的に脳内で「学生」を「幼児」に変換できるはずです(笑)。 |
++ 10.07.24 (sat) ++ 保育や幼児教育と大学教育は似ています。 例えば,保育者が子どもたちにシャボン玉遊びをさせる場合, ・シャボン玉を上手くふけるという身体のコントロールの発達 ・シャボン玉がきれいだということを表情や身体を使って表現できること ・シャボン玉遊びの楽しさを仲間同士で共有できること などの狙いを持っています。 つまり,小,中,高の教科教育とは異なり,1つの事柄が複数の目的を持っており,保育者は常にそれを意識しながら保育を計画しているということです。 同様に,私がゼミを通して卒業研究をさせるときには ・テーマ選択を通して自分の中の興味やこだわり,信念といったものを意識化する ・論文を読むことで論理的な文章の読解力を身につける ・わかりやすい発表の練習をすることで情報伝達のスキルを身につける ・他者の発表に対し,質問を考えながら聞くことで,深い理解をするコツや,既存のアイディアから新しいアイディアを導くコツを身につける ・質疑応答の際,きちんと議論を切り分けて話し合えるようになることで,生産的な討論の仕方を身につける ・実際に現場に出てデータを収集することで,学生以外の大人とのコミュニケーションスキルを身につける ・データの分析を通して,客観的な指標からそこに含まれる意味を読み取る能力を身につける ・卒論を執筆することで,論理的な思考力や,論理的な文章の作成力を身につける といったことを目指しています。 |
++ 10.07.26 (mon) ++ 大学教育についてあれこれ言われるようになって久しいのですが,私の根源的な疑問は, 「大学教員は何をそんなに恐れているのか?」 ということです。 私の知る限り,大学教育によって育成することが求められている能力は,大学の既存の教育システムで育成できるものです。 つまり,昔からやってきたことの意味を今一度意識化し,きちんと学生の実になるようにしてやれば良いだけだ,ということです。 それが分からないのは,大学とは何かを理解していない人間だけだと思います。 |
++ 10.07.27 (tue) ++ BUFFALO Portable Wi-fiを配備しました。 これはFOMA回線を用いたモバイル無線ルーターです。 これまでモバイル環境では,Willcom WS014IN(*1)を使用していました。 これはジャストPCカードサイズで,ThinkPad X40に挿しっぱなしで使えました。 接続のたびに抜いたり挿したりという手間がイヤだという理由だけで,遅い回線に耐えてきました。 私にとって余分な動作を省くというのは絶対正義なのです。 ところが,現在の多くのPCはPCカードスロットをもたなくなってしまいました。 なので,次にPCを買い換えるときはWiMAX内蔵PCかなと思っていました。 そこへモバイルルーターという選択肢が現れました。 モバイルルーターを持ち歩かなければならないという不便さはあります。 しかし,抜き差しという手間はありません。 さらに,これさえあれば複数のモバイル機器を同時にそれなりに太い回線につなぐことができます。 つまり,WiFiさえ備えていれば,どんな端末もネットにつなぐことができるということです。 これがPalmを使っている頃にあったらどんなに幸せだったか…。 そう考えると,かつて果たせなかった夢を叶えるため,使いやすいPDAが欲しくなってきます。 −−−−−−−− (*1)「08.05.13」 |
++ 10.07.28 (wed) ++ 学生が求めれば,彼らの先達として,私の提供できるものなら何でも差し出します。 私も,いろいろなモノを受け取ってきましたし。 ただ,根本的な問題は, ・学生が自分に何が必要か理解していない ・学生が私の能力を理解していない ことです。 |
++ 10.07.29 (thu) ++ 研究は物事の見方を変えることで世界を変える。 教育は人を変えることで世界を変える。 大学教員は研究者であり教育者である。 故に,目に見えない形のない「理論」のことも,目に見える形のある「学生」のことも,知っていなければならない。 「理論」についても「学生」についても適切に考えられるなら,その大学教員は巨大な力を手にしていると言える。 また,大学教員は,潜在的な影響力の大きさに自覚的であるべきである。 |
++ 10.07.30 (fri) ++ NAS(Network Attached Storage)を配備しました。 BUFFALO LS-WX1.0TL/R1です。 RAID1で使用しています。 これまでも2重にバックアップをとる等してきましたが,これでさらにデータの損失の危険性が低くなりました。 私にとってデータを損失することは仕事が出来なくなることを意味するので,妥当な投資だと考えています。 |
++ 10.07.31 (sat) ++ 私は教育者という仕事ににあこがれがあるわけではありません。 そういう人間にとって,教育というものはまじめにやればやるほど見返りがなくなっていく営みだと感じられます。 ただ一方で,1人の大人として,社会は厳しいということを学生達に示していかなければならないとは思っています。 なので,彼らにどう思われようと,ダメはものはダメだと言い続けようと思います。(*1) とはいえ,厳しい言葉を他人に口にするのは耐え難い苦痛です。 そこで最近,自分を納得させるために思いついた言葉は, 「どうせ卒業すれば教員のことなんか忘れる」 というモノです。 学生は私が何を考えて小言を言っていたかなんてあとから考えたりはしないでしょう。 小うるさい人間として振る舞っていた私の姿など忘れてくれるはずです。 そして,私の行った言葉が無意識のどこかに残ってくれれば,せめてもの救いです。 (とにかく,私のことなど忘れて欲しい!) −−−−−−−− (*1)社会では「ダメ」とすら言ってくれず,切り捨てられるだけなんですけどね。 |