|
++ 10.10.01 (fri) ++ 「うたかたのつぶやき」はこのサイトのアクセス数アップに貢献しているのでしょうか?(笑) |
++ 10.10.02 (sat) ++ 教育学や保育学の方が書かれた数量データを用いた論文をお見受けすることがあります。 ただ,データを正しく扱えないならやめた方がよいと思います。 書いている方はエビデンスベーストを志向しているのかもしれません。 だったらなおさらやめた方がよいと思います。 |
++ 10.10.04 (mon) ++ 私の持論は,「人間は手にした能力は行使してみたくなる」です。 歩けるようになった赤ちゃんは,どんどん歩きたいし,自我を発見した子どもは自己主張し,反抗してみたい(=反抗期)のです。 テッテッテッと走り,それだけで笑顔の子どもや,両足ジャンプを繰り返すだけで楽しそうな子どもも,それができるようになったことを楽しんでいるのでしょう。 受験勉強も,問題が解ければ楽しくなるし,もっとやってみたくなります。 手にしたガジェットをいじり回したくなるのも道理です(笑)。 |
++ 10.10.05 (tue) ++ プレッシャーのかからない状況にばかり身を置いていても,たいした成果は望めない。 |
++ 10.10.06 (wed) ++ 私の所属する学部では卒論に最低字数が設定されています。 具体的には40字×25行×16頁で,16000字以上書かなければなりません。 心理学系の雑誌に投稿することを考えると16000字の論文はかなり長めです。 投稿時に12000字程度だったものが査読過程で伸びてしまったというパターンです。 コメントに対応したために長くなったにもかかわらず,査読者が「削りなさい」と言ってくるパターンです(笑)。 個人的には,書かれるべきことが書かれているならば,論文は短いほどよいと思っています。 なので,学生に無駄なことを書かせる気にはなりません。 ということで,論文をわかりやすくするための図を挿入させたりしていますが,それでもなかなか16ページにはなりません。 謝辞を4000字くらい書かせたろか…(笑)。 #謝辞は論文の字数にならないでしょうけどね。 |
++ 10.10.07 (thu) ++ アロエさん(*1)の隣のプチトマトだったもの。 −−−−−−−− (*1)「10.09.07」参照。 |
++ 10.10.08 (fri) ++ 週末は法事で大阪です。 ということで明日の更新をお休みします。 次回更新は12日(火)です。 |
++ 10.10.12 (tue) ++ 先日ご紹介した新コンテンツ。(*1) 主にiPod touchで撮った写真を掲載し,Twitterで紹介しています。 iPodで写真を撮り,iPodでレタッチし,iPodでUpし,iPodでツイートしています。 全てiPod touchでやることにロマンを感じています。 私は常にデジカメとPCを持ち歩いている人間です。 なので,デジカメで撮り,PCでレタッチ,Up,ツイートすることも可能です。 また,その方がよりよい仕上がりの写真をご紹介できるはずです。 しかし,全てiPod touchでやるのがロマン(?)なんです。 iPod touchは究極のトイデジカメです。 −−−−−−−− (*1)「10.09.15」参照。 |
++ 10.10.13 (wed) ++ 私が撮りたい写真は,私が心を動かされたイメージを他者に伝えられる写真です。 一方で,これまではカメラの性能や撮影技術に不満があったため,それらにこだわってしまう部分もありました。 そのため,与えられた機材の中で自分の技術を駆使することで,撮影意図が他者に伝わる写真を撮ろうとしてきました。 しかし,最近のデジカメは廉価なものであってもかなりの高機能です。 また,私の技術もそれなりのものになってきたと感じます。 そのため,どんなデジカメでもその癖をつかめば,おおよそ撮りたい写真を撮れるようになってきました。 そうしたせいか,何に心を動かされたかを伝えるためであれば,カメラの性能や撮影技術に対するこだわりは捨てても良いのではないかと思うようになりました。 その結果,最近試みているのは写真の積極的なレタッチです。 加工された写真でも,その写真を見た人の心が少しでも動けばそれでよいのではないかと考えるようになりました。 結局大事なのは,写真を見る目だと感じます。 これまでも,「撮った写真」「撮れた写真」「撮れてしまった写真」の中から「優れた写真」を選び出す目は大事だと思っていました。 しかし,どのような状態で人に見せれば撮影意図が伝わるのかを予測し判断する目も大事だと思うようになりました。 |
++ 10.10.14 (thu) ++ 指導教員の最低要求水準を満たす卒論を書くことを目標とされては悲しい。 こちらも私のためにやっていただいているような気がして心苦しくなる。 自分が満足できる卒論を書こうとする学生となって欲しい。 それならば私も喜んで力になる。 |
++ 10.10.15 (fri) ++ 先日,同僚の先生から 「自分には関係ない」感が漂っていた と言われたが,たぶんそれは違っていて,正しくは 「その気になれば何でもできる」感 「やれと言われれば何でもやる」感 だと思います。 この年齢になってくると,色々なところから色々な話が来ます。 そのため,それなりの経験も積んできました。 その結果分かったのは,適切な準備期間さえ与えてもらえれば,結構なんでもできるということです。 また,どんな仕事もやり始めてみれば結構楽しめたりします。 ある意味達観してしまったのかもしれません(笑)。 |
++ 10.10.16 (sat) ++ 私は少しだけ自信過剰気味ぐらいでいるのが心の健康のためには良いと思っています。 また,そう振る舞うように心がけています。 しかし,一方で研究者としてたいした才能がないことも自覚しています。 なので,才能がない人間が研究環境を手に入れるためにどうすべきかよく考え,行動しています。 |
++ 10.10.18 (mon) ++ 基礎的な心理学とは「分かるため」の心理学。 応用的な心理学とは「使うため」の心理学。 |
++ 10.10.19 (tue) ++ 私は大学院時代,「学習心理学研究室」に所属していました。 最近,この「学習心理学」という名前は,聞く人のキャリアによってとらえ方が変わるということを改めて感じています。 基礎的な心理学を主たる関心領域とする研究者は,学習心理学と聞くとまず行動主義的なもの(*1)を思い浮かべるのではないでしょうか。 実際,学部時代に受講した学習心理学の授業もネズミやハトばかりが登場するものでした。 一方で,応用的な心理学を主たる関心領域とする研究者は,学習心理学は教授学習過程に関わる部分も含むと考えるのではないでしょうか。 私も最近では,こちらの方の比重が高くなってきています。 そう考えると,とても良い名前の研究室に所属していたなと感じます。 つまり,認知心理学ほど浮世離れはしておらず,臨床心理学や教育心理学ほどには時流に迎合しなくても良い,ということです。 #もちろん,認知心理学の全てが浮世離れしているわけではないですし,臨床心理学や教育心理学の全てが時流に迎合していなければならないわけではないんですけど。 基礎的な研究をしたいときには認知心理学者のふりをし,実践的な研究をしたいときには教育心理学者のふりをするという学習心理学研究室の人になると良いのだろうなと思います。 −−−−−−−− (*1)一般の方むけにごくごく大ざっぱな説明をしておくと,要するに「パブロフの犬」的なことを研究することです。 |
++ 10.10.20 (wed) ++ 院生の時は研究をしつつ,研究者としての作法を身につけ, 助手の時は業績を増やしつつ,大学の仕組みを覚え, 就職できたら校務をまじめにやりつつ,研究のことも忘れないでおく, と,良いことがあると思います。 |
++ 10.10.21 (thu) ++ 明日は午前中の非常勤の後,旅に出ます。 SleepTalker氏のお供で名古屋に行きます。 ということで,週末の更新をお休みします。 次回更新は25日(月)です。 |
++ 10.10.25 (mon) ++ うちの学生の多くは,幼児期の頃の記憶がありません。 ひどい場合,児童期の記憶もありません。 授業のネタ振りのために, 「子どもの頃,何して遊んでた?」 「何がおもしろかった?」 などと尋ねても,答えてくれません。 ある保育系の教科書で,幼児期の楽しい思い出は反芻(はんすう)することで定着する,と書いてありました。 逆に,叱られてばかりの日々や,極端な場合は虐待など,反芻したくない思い出ばかりの子どもは記憶が定着しない,とも書いてありました。 うちの学生達が叱られてばかりだったとか,虐待を受けていたとか,そういうことは分かりません。 ただ,自分で楽しみを見つけ,思いっきり子ども時代を楽しんでいたとも思えません。 そういう子ども時代を過ごした大人が,幼児教育や保育をするのかと思うと,悲しくなります。 また,なぜそういった学生が幼児教育や保育を志すのか,疑問です。 |
++ 10.10.26 (tue) ++ Twitterをやっているからか,最近このページのネタのストックが急激に減っています。 このページの記事は,割と練って書いています。 #もちろん,忙しい時間のなかで許される範囲内でですけど。 一方で,Twitterではそのとき思いついたことをすぐに書き込みます。 そのため,「カタリエヌモノ」としてストックするレベルの内容になる前に出力してしまっている気がします。 |
++ 10.10.27 (wed) ++ 卒論(その1)が書き上がりました。 「幼児自身が栽培した野菜はおいしく食べられる理由」 食育実践として野菜の栽培をし,食べるといったことが多くなされている。また,そうすることで,幼児が当該の野菜を好きになるといわれる。しかし,そのメカニズムはからなずしも明らかにされていない。そこで,栽培の楽しさが野菜への嗜好のポジティブさへと誤帰属されるという仮説を立て,検証した。ミニトマト栽培の開始時と終了時に幼児の嗜好調査を実施し,また,栽培の過程で栽培に対する気分調査を行った。その結果,栽培の過程で栽培を楽しいと感じるように変化した幼児は,ミニトマトを好む方向へと嗜好を変化させた。 |
++ 10.10.28 (thu) ++ 今日の夕方より上京いたします。 また,11月1日は学祭の後片付けのため,講義がありません。 ということで,次回更新は11月2日(火)です。 |