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カタリエヌモノ

** 2013.11の カタリエヌモノ **

 ++ 13.11.05 (tue) ++ 



「自在に操れる車」と「操るのにコツがいる車」

運転してて楽しいのは前者だと思ってたけど,飽きないのは後者だった。

 ++ 13.11.06 (wed) ++ 



学問がしたい。
学生と学問がしたい。
職業訓練なんて矮小なものではなく。

学問が出来るなんて,自由と平和の証でしょ?
役に立つことなんてやらなくたって良いの。
若者が自由で平和なんだって自覚できればそれて良いじゃん?

大学って,そのためだけの場所でも良いと思ってる。

ただ学問ができるというだけで十分尊い。

 ++ 13.11.07 (thu) ++ 



研究には総合的な力が必要。

だから,研究指導を受けることで,どの仕事に就くにも役に立つ能力を鍛えることができる。

 ++ 13.11.11 (mon) ++ 



文章を書くというのはすごく認知的負荷が高い活動で,書く人の個性が良く出る(個性を隠しきれない)と思う。

 ++ 13.11.12 (tue) ++ 



私は二十代後半でようやく「(認知)心理学者」というアイデンティティを確立できました。
けれども,それで一生やっていけるわけではないようです。

変化の激しい世の中だと,自分のアイデンティティの位置づけをするのが難しくなります。
一旦位置づけても時代に合わせて調整し続けなければならなくなります。

今後,この傾向には拍車がかかっていくのだと思います。

 ++ 13.11.13 (wed) ++ 



後ろ盾の必要などない実力の人ほど後ろ盾がある。

 ++ 13.11.14 (thu) ++ 



学生に私の論文を極力引用させないことがいつの間にか指導上のポリシーの1つになってきている。

せめて自分の指導学生くらいには私の研究を知っていてほしいとは思う。
けれどもそれではお互いの世界が広がっていかない。

 ++ 13.11.18 (mon) ++ 



「何とかなっている」の正体の多くは
「ごまかしている」のであって
実際は何とかなってない。

 ++ 13.11.19 (tue) ++ 



善意と能力を兼ね備えた者。
善意のみを持ち,能力を持たない者。
善意も能力も持たない者。

割合としては,1対7対2って所か。

教師という職にふさわしいのは1割。

 ++ 13.11.20 (wed) ++ 



世の中,
 善意を適切に表現できる人
 偽善を善意並みに昇華できる人
はごく少数で
 独りよがりな善意の押し売りばかりする人
 そもそも善意すらない人
が大多数だとは分かっていても,
学校という場所は善意であふれていて欲しいと願ってしまう。

 ++ 13.11.21 (thu) ++ 



優しさというのは人の性格ではないと思っている。

配慮という人の能力の結果でしかないと思っている。

 ++ 13.11.25 (mon) ++ 



学校教育には
 選択肢を広げ,将来の可能性を最大化する場合と
 選択肢を狭め,将来の可能性を最大化する場合と
があり,大学は後者であるべきことが多い。

選択肢を広げるのは気楽。
選択肢を狭めるのは責任を伴う。

 ++ 13.11.26 (tue) ++ 



真に課題解決を目指した議論なら,全ての人間のあらゆる意見を検討の対象とする。
もしそういう姿勢に欠ける議論ならば,その課題解決の結果として利益を得るはずの対象に誠意がないと思うべき。
(前例踏襲,予定調和,権威主義等を好む集団に誠意なんか無い。)

 ++ 13.11.27 (wed) ++ 



本当の遊び(粋な遊び)はクリエイティブな人間にしか出来ない。

 ++ 13.11.28 (thu) ++ 



心理学を専攻するなら
心理学の知見を学ぶだけでなく
心理学的な考え方も学ぶべきだし
心理学を専門とするのでなければ特に
心理学の活かし方も学ぶべき。

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