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カタリエヌモノ

** 2016.11の カタリエヌモノ **

 ++ 16.11.01 (tue) ++ 



これからの私は
仕事としては学習科学者
個人としては言語心理学徒
という立場で働くことになるのだろう。

 ++ 16.11.02 (wed) ++ 



教育心理学をやるためには
一般化のために認知,発達,社会の各心理学理論に精通しつつ,
(学校)教育場面固有の特徴に応じた研究をすべきなのだろう。

 ++ 16.11.07 (mon) ++ 



研究者としての自分を説明するのは難しい。

目指してる研究者像を説明するために具体的な人を挙げることがあります。
そうすると,その人のようになりたいと言ってるように伝わってる気がします。
ただ,人としてとか,研究者としてではなく,大学教員として同じような立場と責任で仕事がしたいといった程度で例に出してることもあります。

研究者というのは多面的に仕事があるので,アナロジー(類推)を使って説明すると上手くいかないのかもしれません。

 ++ 16.11.08 (tue) ++ 



良定義問題に取り組むことしか知らないのは,
誰かが決めたルールの中でしか生きられないということ。

お利口さんは幼い。

 ++ 16.11.09 (wed) ++ 



教え込まれた社会的スキルを使って生きている人を見ると,奇妙な感じがする。
Ζガンダムの中に出てきた強化人間みたいに見える。

強化人間の行動は条件づけによって作られてる。
だから,どことなく人間味がない。

でも,本人に罪はない。
また,本人に自覚はない。

 ++ 16.11.10 (thu) ++ 



名もなき研究者の小さな成果が塵のように積もって科学が進展するのかな。

塵は吹き飛んで積もりもしないかな。

 ++ 16.11.14 (mon) ++ 



社会的要請があるのは大学教員としての私。
ただし,これは替えが効く。

替えが効かないのは研究者としての私。
ただし,これに社会的要請は無い。

 ++ 16.11.15 (tue) ++ 



ここ数年,アイデンティティクライシスではないけれど,
他者にもアイデンティティを認められてる人への羨望は高まってる。

 ++ 16.11.16 (wed) ++ 



国は研究者が研究者らしく生きる道を奪うことばかりする。

 ++ 16.11.17 (thu) ++ 



プレゼンには
 感情や思いを伝えるものと
 思考を伝えるものと
がある。

TEDの大半は前者。
研究発表の大半は後者。

 ++ 16.11.21 (mon) ++ 



自分を持て余す感じは
私の中ではかなり上位の
苦痛。

ただ,それを避けるための選択は,
茨の道へと繋がっている。

 ++ 16.11.22 (tue) ++ 



社会に対して課された自己の責務を分かろうとしない人間とは相容れない。

 ++ 16.11.24 (thu) ++ 



若い頃,大学を,研究を主とする所と教育を主とする所とに分けるべきだという考えがあることを聞いて,教育と研究はどちらも大学の両輪で,それを分けて考えるような考え方はおかしいと思ったが,いろいろな大学の現状を知るようになり,学生が研究するレベルにまで至らない大学は教育に力点を置くべきかもしれないと思うこともあったけど,それはやっぱり誤りで,全ての人間がそれぞれの場所でそれぞれの課題を発見し,創造的に課題解決していかなければならない時代なので,学生が研究能力を得られるように教育していかなければならないし,そのために全ての大学教員が高度な研究能力を備えていなければならないのだと思う。

 ++ 16.11.28 (mon) ++ 



最近,別荘が欲しいと思っています。

静かな山の中で一人でゆっくりと本を読んだりしたいです。

本宅も持ってませんけど。

 ++ 16.11.29 (tue) ++ 



大学の講義は本で言うところの目次や索引でしかない,と思います(*1)。
大学で紹介された概念や用語を手がかりに,自分で専門書等に当たるのが本当の学びなんだと思います。

講義者としては,なるべく「1つのお話」として完結するようには話します。
ただ,学生としては,講義を聴いただけで満足してはいけないし,講義に対して不満を持ってもいけない。
入口なんだという正しい認識をしなければならない。

−−−−−−−−
(*1)たぶん同じようなことは何度も書いていますが。

 ++ 16.11.30 (wed) ++ 



国から絶え間ない変革を求められる中で大学人は落ち着いて仕事が出来るのだろうか。
それが国益にかなうのだろうか。

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