「議論」という日本語の英訳には、いろいろな単語があります。
通常、物理学の研究室で、議論と呼ばれるものは、適切な英単語は、
discussion(ディスカッション)であり、
その意味は、
「ある問題をあらゆる角度から論じ,
満足のいく結論に達するためにあらゆる異なった意見を理性的・
建設的に討議すること」です。
一方、日本語にすると同じ「議論」であっても、debate(ディベート)は、 「公の問題を賛成・反対に分かれて公開の席上で公式に討論する」という意味 ですから、内容が全く異なります。しばしば、知ってか知らずか、 「自分の意図を正しく相手に伝えられないのは、国際社会では困る」などという 理由から、「それではディベートを初等教育に取り入れよう」というアイディアを 耳にしますが、ディベートは、「真理の探究」が目的ではなく、 単に相手を打ち負かすのが目的のゲームかスポーツみたいなものですから、 そんなものを初等教育に取り入れるのだけは、 止めてもらいたいと思います。 ディベートは、科学的な精神とは、まったく正反対に位置するものです。 discussion では、賛成派が自分の間違いに気が付いて、突然、反対派に 移ることも許されますし、賛成派と反対派の中間に真実があることもあります。 discussion の過程で、その問題自体が、そもそも存在していないことに気が付き 他の有益なものを探す話し合いに移行することもあります。要するに、 真理の探究や、有益な事実の探索が目的なのが、discussion というものです。 また、argue(「自分の考えを主張し,相手の説を反駁(はんばく)するために理 由や証拠をあげて議論する.論証する」) と discussion もやや異なりますが、 discussion の過程で、argument も行われます。 論文等で何かを論証しようとして「議論」を示すときには、 argument がしっくりきそうです。 ちなみに、研究以外でこの言葉が使われるときには、 argument は、感情的な議論にも用いられることもあります。 人間のすることですから、cool な discussion のつもりが、silly quarrel に なることもあるでしょう。 私の知る限り、物理学者もかなり人間的で、いつでも論理を追求して、 合理的な discussion に徹している人はそれほど多くはないと思われます。 物理学の問題はまだ単純ですから、それほど紛れることもありませんが、 社会や人間が関係するシステムや現象など、 何かの利益や、主観的なことが関係したり、 簡単には証明できない複雑な話になれば、 そのようなファクターが利いてくる傾向が強いでしょう。 そもそも、個人的な感情を排して、合理的に議論するということは、 人間という動物にとっては、難しいことなのかもしれません。 しかし、学部4年生や、大学院の修士ぐらいの学生で、 物理学の問題について議論をしていて、emotional になり、discussion が、 quarrel に発展するぐらい、熱心になるのであれば、少々問題はありますが、 その熱心さについては、感心すべきことではあります。 残念ながら、そんなふうに情熱のある学生は今のところ 見たことないですが。 |