[戻る] |
ゆうこ: 6年8月1日(火) 14時32分48秒 私の短歌は、345で終わっているのでしょうか?それとも、消えた書き込みの中に、まだあるのでしょうか?う〜ん…、どこかに書いておけばよかった。 色々過去の書き込みを見ていて、しもらさんの「韓国の昔話」を読みふけってしまいました。 |
コイデ: 3年7月28日(月) 13時03分14秒 URL :http://gogensanpo.hp.infoseek.co.jp/ しもらさん、「韓国の昔話」の連載ごくろうさまでした。これからはどんな連載をするんですか?今後、韓国のことは僕にまかせてください! 韓国の伝説 <7> 鎧岩伝説 仁川の文鶴山に鎧(よろい)岩と呼ばれる岩がありました。その岩には大きな割れ目があり、蓋を載せた石の箱のような形をしていました。伝えられている話によれば、昔ある商人がこの岩に石の箱を彫って自分の鎧と兜(かぶと)を隠したあと、蓋の岩をかぶせておきました。その後この岩に触れた人は雷に当って死にました。いつのころか、文鶴山の安官堂の堂守りが本当に岩の中に鎧が入っているかどうか確かめようと思い、岩の下の方を槌で割りはじめたところ、雷が落ちたので、堂守りは肝をつぶしてそのまま逃げてしまいました。今も岩の下の方が欠けているのは、このためだそうです。 これは仁川市に伝わるお話です。 『韓国民族文化大百科事典18』「仁川直轄市」項を参考にしました。 |
しもら: 3年7月28日(月) 10時03分03秒 韓国の昔話 <最終回> 沈清伝(16) 沈奉事は、沈清を抱きしめました。そのとき、彼は、自分の目に、火がついたかのような感触を受けました。何事かと思い、目をぱちくりしました。 その瞬間です。沈奉事の目は開き、見えるようになったのです。本当に奇跡のようなことでした。 沈清は、お父さんを連れて王宮の中に入り、その間にあったことを話しました。そして、準備してあった服に着替えさせました。 沈鶴規は、今や盲人ではありません。その上、死んだとばかり思っていた娘は王妃で、彼は、王様の父親になったのです。 <おしまい> 韓国の昔話も、何とか最終回を迎えることができました。読んでくださったみなさん、ありがとうございました。 |
しもら: 3年7月27日(日) 8時20分20秒 韓国の昔話 <364> 沈清伝(15) 宴会の最後の日になりました。沈清の目に、見慣れた上着が見えました。 沈清は、あまりに嬉しくて、 「お父さん!」 と、走って行きました。 「おや、清の声じゃないか? 私の娘は、この世にいないはずだが……。」 沈奉事は、ぶつぶつと独り言を言って、後ずさりしました。 「お父さん! お父さんの娘の清です。清は、このように生きているんです。」 「何だって? 本当に清なのかい?」 |
しもら: 3年7月26日(土) 10時32分33秒 まだそのような人はいなくて、よかったですね(……?) 昨日、私がいつも乗り降りしている駅で、人身事故がありました。夕方、私が行ったときには、運行が再開され始めていましたが、みんな線路を覗き込んで「怖い」「ひどい」などと言って騒いでいました。まだ形跡があったのでしょう。私は、きっと見ない方がいいと思い、線路から離れていましたが、話を聞いただけで、気分が悪くなってしまいました。すぐ近くの駅でこんなことが起こって、とてもショックです。 韓国の昔話 <363> 沈清伝(14) ある日、村の人がやって来て、 「王宮で盲人のための宴会を開く、という貼り紙が出ていたよ。沈奉事も行っておいでよ。」 と知らせました。 沈奉事は、行く気はありませんでした。着ていけるような古くない服もないし、一人で行くのも簡単なことではありません。しかし、「国中の盲人は、一人残らず参加するように」という言葉に、沈奉事は、つぎはぎだらけの上着に、おんぼろの笠をかぶり、出かけることにしました。 王妃になった沈清は、毎日毎日、お父さんが来るのを、今か今かと待っていました。ところが、宴会が始まって何日たっても、お父さんの姿は見えませんでした。 |
しもら: 3年7月25日(金) 10時27分37秒 韓国の昔話 <362> 沈清伝(13) 殿様は、沈清を妻として迎えました。沈清は、王妃になったのです。 沈清は、王宮にいても、いつもお父さんのことが気がかりでした。 (目は見えるようになったかしら?) そんなある日、沈清は、殿様に、心に秘めてきたお父さんの話をしました。 話を聞いた殿様は、沈清の孝行心に感動しました。そして、盲人のための宴会を開くことにしました。 一方、沈奉事は、娘への思いに、苦しんでいました。 (かけがえのない娘を失って、目が見えるようになっても、どうするんだ? 私は、殺されなければならない野郎だ。) 沈奉事は、寝ても覚めても、娘の沈清のことばかり考えていました。 |
しもら: 3年7月24日(木) 10時35分02秒 【山見】は、韓国では地名によく用いられるように思います(私が住んでいたところも大【山見】洞、隣町は阿【山見】洞でした)が、日本での用例は、見当たらないみたいですね。中国でも、特定の山(湖北省にある【山見】山)を表す文字として使われているようです。 韓国の昔話 <361> 沈清伝(12) 「おや、あれは何だ?」 外国に商売に行っていた舟が、帰る途中で、水に咲いた大きな花を見つけ、すくい上げました。 「蓮の花じゃないか。ふう、重いなあ。こんなに大きな蓮ってあるかい?」 船乗りたちは、花があまりに奇妙で美しいので、お殿様に献上することにしました。 「本当に、美しくて、大きな蓮だなあ。」 若い殿様は、蓮の花を見て、驚きました。 お殿様の言葉が終わったかと思うと、濃厚な香りを漂わせながら、花がぱっと開きました。そして、花の中から、美しい娘が出てきました。 若い殿様は、目を見開いて驚きました。 一緒にこれを見ていた臣下たちは、お殿様に天が授けてくださったお嫁さんだと言って、喜びました。 |
しもら: 3年7月23日(水) 6時36分57秒 韓国の昔話 <360> 沈清伝(11) 海が怒ると、様々な国を行き来する舟が転覆して、人は死ぬし、物もみんな海に沈んでしまうので、船乗りたちにとっては、ちょっとやそっとの損害ではありません。だから、仕方なく、娘を買って、生けにえとして捧げるのです。 沈清は、気を失ったまま、海の底深くまで沈んでいきました。 「いらっしゃいませ。」 という声で、ふと目を覚ますと、海の中の竜宮の宮女が、沈清を歓迎し、中に招いてくれました。 沈清は、宮女の案内で、竜王の前に行きました。 「お前の孝行心は、本当に立派なものだから、助けてやったのだよ。これまで、大変な苦労をしてきたんだ。ここで不自由なく、楽しく暮らしなさい。ここは、苦しみや心配のない場所なんだよ。」 沈清は、竜宮で何不自由なく暮らすことになりましたが、だんだんとお父さんが恋しくなり、我慢できなくなりました。それで、竜王に、地上に返してほしいと懇願しました。 |
しもら: 3年7月22日(火) 7時55分58秒 韓国の昔話 <359> 沈清伝(10) 沈清は、堅く心を決め、お父さんに最後のあいさつをしました。 「お父さん。いつまでも、いつまでも元気でいてくださいね。」 沈奉事は、沈清の首をつかまえて、あがきました。 「清! だめだ! お前一人では、絶対に行かせないぞ。」 お父さんは、沈清の着物の裾をつかみ、ついて行こうとしました。沈清は、父親の手を振り払い、船乗りたちのあとに続きました。 沈奉事は、よたよたと歩みを進めましたが、とうとう地面に崩れ落ち、大声で泣き叫びました。村の人々も、みな涙を流しました。 海には、青黒い波が、ごうごうと音を上げて、激しくうねっていました。沈清は、チマ(スカート)の裾で目を覆い、海に身を投げました。 船乗りたちが、このように、海に娘を捧げて祭祀を行うのは、こうすれば、海は怒らず、波を立てないで穏やかでいてくれると信じているからでした。 |
しもら: 3年7月21日(月) 9時48分39秒 私は、小学校入学と同時に、和歌山から東京に引っ越しました。恐らく、和歌山では、ダ行とザ行に関する発音教育が行われるのだと思います(和歌山の先生方には、ザ行が発音できないという認識がありますし、標準語尊重主義とでも言うべきものを持っていますし)。しかし、東京の先生方には、私がザ行音を持っていないなど、思いもよらないことで、そのために、私の誤記の理由(発音の誤り(?))に気づけなかったのでしょう。今でこそ、こんなことも言えるようになりましたが、当時は、直されるたびに不思議に思いながらも、ただひたすら覚えるしかありませんでした。 韓国の昔話 <358> 沈清伝(9) 沈奉事は、胸を叩きながら、大声で泣きました。 「清お嬢様、では行きましょうか。」 船乗りたちが、沈清を迎えに来ました。 「連れて行ってはならん。娘を殺して目が見えるようになって、一体、何になるかね? 連れて行かせはしないぞ。この野郎どもめが!」 沈奉事は、よたよたと走り寄りました。 「おじさま、おばさま方、不自由なお父さんを、どうかお助けください。あの世に行っても、ご恩はお返しいたしますから。」 沈清は、村の人々に、お願いのあいさつをしました。村人たちは、沈清の孝行心に感動し、涙を流しながら、 「お父さんのことは心配しなくていいんだよ。お前さんの孝行心には及ばないかもしれないが、私たちがしっかり面倒を見るからね。」 と言って、慰めました。 |
しもら: 3年7月20日(日) 9時24分24秒 ザ行が発音できなかった(ダ行との区別がなかった)私は、小学校1年生のとき、すでに「発音と表記は違うものだ」という意識を持っていました。例えば、「『ブザー』は『ブダー』と言うけど『ブザー』と書く」というように。これはこれで不幸です。必然的に誤記が多くなる私に、「字が間違っているよ」と教えてはくれても、「発音がおかしい」と指摘してくれる人はいませんでした。 韓国の昔話 <357> 沈清伝(8) あっという間に、船乗りたちと約束した日が近づいてきました。とうとう沈清は、父親に隠し通すことができなくなり、悲しみにむせび泣きました。 「おや、清よ、どうしたんだい?」 沈奉事は、驚いて訊きました。 沈清は、あまりに悲しくて、お父さんを抱きしめました。そして、胸に込み上げる思いから、声をあげて泣きました。 「清や、一体、どうしたっていうんだい? 今日、お前は仕事にも行かないし、何かが起こったようだね。」 お父さんも、沈清を抱いて泣きました。 沈清は、しばらくして落ち着きを取り戻すと、船乗りたちに身を売った話を、すべて打ち明けました。 「清! それは本当かい? お前がいなくなったら、私は誰を頼って生きていけばいいというのだい? 私が過ちを犯したから、お前をこんな目に遭わせることになってしまったんだ……。私もお前について死のう。」 |
しもら: 3年7月20日(日) 9時23分24秒 ザ行が発音できなかった(ダ行との区別がなかった)私は、小学校1年生のとき、すでに「発音と表記は違うものだ」という意識を持っていました。例えば、「『ブザー』は『ブダー』と言うけど『ブザー』と書く」というように。これはこれで不幸です。必然的に誤記が多くなる私に、「字が間違っているよ」と教えてはくれても、「発音がおかしい」と指摘してくれる人はいませんでした。 韓国の昔話 <357> 沈清伝(8) あっという間に、船乗りたちと約束した日が近づいてきました。とうとう沈清は、父親に隠し通すことができなくなり、悲しみにむせび泣きました。 「おや、清よ、どうしたんだい?」 沈奉事は、驚いて訊きました。 沈清は、あまりに悲しくて、お父さんを抱きしめました。そして、胸に込み上げる思いから、声をあげて泣きました。 「清や、一体、どうしたっていうんだい? 今日、お前は仕事にも行かないし、何かが起こったようだね。」 お父さんも、沈清を抱いて泣きました。 沈清は、しばらくして落ち着きを取り戻すと、船乗りたちに身を売った話を、すべて打ち明けました。 「清! それは本当かい? お前がいなくなったら、私は誰を頼って生きていけばいいというのだい? 私が過ちを犯したから、お前をこんな目に遭わせることになってしまったんだ……。私もお前について死のう。」 |
しもら: 3年7月19日(土) 8時25分35秒 韓国の昔話 <356> 沈清伝(7) その日の夜、沈清は、お父さんのそばで、声を出さずに泣きました。 “お父さん 私のお父さん 母親のような 私のお父さん 幼い私を 背負って回り 乳をもらって飲ませては 育ててくれた 私のお父さん お父さんの目が開くなら 命を絶つも どうして惜しいものでしょう” ところが、沈清には、また別の心配もありました。 (私が半日、家にいないだけでも、水一杯、飲ませてくれる人はいないのに、私が死んだら、誰がお父さんの面倒をみてくれるというのでしょう?) 沈清は、このように考え、胸が引き裂けそうでした。 |
しもら: 3年7月18日(金) 9時42分38秒 昨日は、広島から韓国人の先生夫妻がいらして、祇園祭を見に行きました。私も初めてでした。せっかく京都に住んでいるので、一度は見ておけて良かったです。要求の多い先生と、全く不案内な私に、一日中、付き合い、お世話してくれたKさん、本当に助かりました。ありがとう! 韓国の昔話 <355> 沈清伝(6) 「私を買ってください。」 沈清は、船乗りに言いました。 「何だって?」 船乗りたちは、沈清のことばに、ひどく驚きました。命を捧げることに、自ら名乗り出るなんて、驚かないはずはないでしょう。 「それで、米300俵を、何に使おうと?」 船乗りたちは、不思議に思って、訊きました。 「寺に寄付しようと思います。」 「お布施だって?」 船乗りたちは、さらに驚きました。自分を売って寺に寄付するなどと言われ、驚かない人がどこにいるでしょう? 船乗りたちが尋ねると、沈清は、事情を話しました。 船乗りたちは、沈清の孝行心に感動し、涙を流しました。そして、沈清を買うことにしました。 |
しもら: 3年7月17日(木) 7時48分48秒 韓国の昔話 <354> 沈清伝(5) 沈清は、供養米が300俵あれば、お父さんの目が見えるようになるという話に、どこから米300俵を手に入れるか、寝ても覚めても、そればかり考えました。 そんなある日、沈清が井戸で水を汲んでいると、村の外から、鉦の音がけたたましく聞こえてきました。何人もの人たちが、鉦を打ちながら、村にやって来るのでした。 (何の人たちかしら?) 沈清は、一人静かに、眺めていました。近くに来た人々をよく見てみると、船乗りたちでした。 「海に身を投げる娘を探しています。娘がいれば、米を300俵、差し上げます。」 船乗りたちは、鉦をならしながら、こう叫びました。 「何? 300俵ですって?」 沈清は、米300俵ということばに、耳を疑いました。それで、聞き間違ったのではないだろうかと、尋ねてみましたが、間違いなく、米300俵で娘を買うと言いました。沈清は、その場ですぐに、心を決めました。 |
しもら: 3年7月16日(水) 7時41分02秒 韓国の昔話 <353> 沈清伝(4) 家に帰った沈奉事の心配は、泰山のように大きなものでした。 「私はどうしてこんなにいい加減な人間なんだ。米1升すらないのに、300俵だなど……どうしたらいいっていうんだ?」 沈奉事は、沈清が持ち帰った餅も食べないで、心配ばかりしていました。そして、結局、病気になり、寝込んでしまいました。 「お父さん、何があったのですか? 私が何か誤ったことでもしたでしょうか?」 沈清は、涙を流しながら、父親に訊きました。 お父さんは、どうしようもなくなり、沈清に悩みの種を話しました。 (ああ! そんなにたくさんの米を?) 父親の話を聞いた沈清は、大変、驚きましたが、お父さんが心配するかもしれないと思い、そのような素振りは見せませんでした。 (張さんのお母さんに、貸してくれるよう、頼もうかしら? ……いいえ、そんなにたくさん、貸してくれなど……!) |
しもら: 3年7月15日(火) 23時52分01秒 楽しみにしてくれる人がいると、とても嬉しいです。何とか今日中に書き込めて、よかったです。 韓国の昔話 <352> 沈清伝(3) 小川に落ちた沈奉事は、あっぷあっぷしながら、助けを求めて叫びました。そのとき、ちょうど道を通り過ぎようとしたお坊さんが、急いで水に入り、沈奉事を救い上げてくれました。 「どなた様か、ありがとうございます。私は、目の見えない盲人です。このご恩に、どうやって報いればよいのでしょうか……。」 沈奉事は、手を合わせてお礼を言いました。 「私は、僧侶です。」 「ああ、そうでしたか。命を救っていただき、本当にありがとうございました。」 「米を300俵、お釈迦様にお供えすれば、目が見えるようになりますでしょうが……。」 お坊さんは、悔しそうに言いました。そのことばを聞いた沈奉事は、耳を疑いました。 「それは本当ですか?」 沈奉事は、目が見えるようになるという話に、お布施をしますと、つい堅く約束してしまいました。 |
しもら: 3年7月14日(月) 9時46分06秒 韓国の昔話 <351> 沈清伝(2) となり村の張さんの家の奥さんは、食べ物をくれたり、着るものをくれたりと、沈清をとてもかわいがりました。 沈清は、奥さんに感謝の気持ちでいっぱいで、その家の仕事を手伝いました。縫い物や洗濯、炊事や、その他の細々した仕事も、全てやりました。 ある日、餅つきをすることになりました。 いつもなら、早く家に帰るのですが、その日は、日が暮れてから帰ることになりました。 (お父さん、お腹を空かしているでしょうに……。) 沈清は、このように思い、すたすたと家に向かいました。 沈奉事は、娘が帰ってこないので、迎えに出ました。 「沈清や、沈清ー。」 前が見えない沈奉事は、娘の名前を呼びながら、手探りで道を進んでいたところ、小川に落ちてしまいました。 「誰か! 誰か助けてください!」 |
しもら: 3年7月13日(日) 9時51分15秒 韓国の昔話 <350> 沈清伝(シmチョngヂョn)(1) むかしむかし、あるところに、目の不自由な人がいました。姓は沈、名を「鶴圭(ハッキュ)」といいましたが、人々は彼を「沈奉事(シmボngサ)」と呼んでいました。目の不自由な人を「奉事」というからです。 沈奉事の奥さんは、娘を産んですぐに、この世を去ってしまいました。沈奉事は、生まれたばかりの赤ん坊を負ぶって、あちこちの家を回り、母乳を飲ませてもらいました。 その赤ちゃんの名前は「清(チョng)」、つまり「沈清」です。沈清は、他人の乳を飲ませてもらいながらも、すくすくと元気に育ちました。 そうこうして、沈清は、15歳になりました。何と美しい娘になったことでしょう。沈清は、男手一つで育ててくれたお父さんに、心から感謝していました。それで、お父さんが不自由ないように、心を込めてお世話をしました。 韓国の昔話も、(とりあえず)最後のお話になりました。沈清は、パンソリや演劇、映画、絵本や小説などにもよく取り上げられる、韓国人なら知らない人はいない、有名な古典小説です。 |
しもら: 3年7月12日(土) 8時55分58秒 韓国の昔話 <349> 翁固執伝(19) こう言い終えた大師は、翁固執が呼び止める前に、いなくなってしまいました。家の中に戻った翁固執は、召し使いらに、 「米を30俵、チュイアム寺に寄付してきなさい。」 と言いました。そして、満足げな笑みを浮かべながら、家の中をうろうろしました。この姿を見た奥さんが、 「何か良いことでもあったのですか? 今日に限って、いやに嬉しそうな顔をして。」 と訊くと、翁固執は、 「良いことだって? もちろんだとも。」 と、けらけらと声を上げて笑いましたとさ。<おしまい> ダイヤより、ハートがいいかな……。今は、そう思います。 |