昨夜知ったのですが,犬は日中は眠っているものなんですって。
帰りに大学近くのホームセンターに,果実酒瓶を見に行きました。 時期が早すぎたのかこんなものなのか,あまり選択肢がなくてガッカリしました。 このお店は消えた。 手ぶらで帰るのも何なので,洗車用のシャンプーを買って帰りました。 週末,他のお店を見に行こう。
昨日 『許されようとは思いません』 を読んでから村八分について考えているのですが,要するにこれはいじめですよね。 こういう考え方が根っこにあったら,そりゃ子どもたちのいじめもなくならないよなー,と思いました。 もちろん,いじめる子どもを正当化するつもりはありません。 「自分がされて嫌なことは,他人にもしない」 という考え方が根づけば良いのに,と思います。 「自分がそんなことをされたらどんな気持ちになるかを,まず考えようよ」 と。 これはいじめではありませんが(でも近いものがあると思う),高校の時の部活(硬式テニス部,私はマネージャー)に,代々1年生のラケットやウエアは2年生が決めるという決まりがあって,代々ダサいものを選ばれるという悪循環に陥っていました。 恐らく先輩からダサいものを選ばれた人たちが,その腹いせに次の代に同じようなことをして,それが代々受け継がれていったのだと思うのですが,私たちが1年の時にダサいラケットとウエアを決めた2年生が,本当に意地悪な顔をしていたことを今も覚えています。 カタログを見てニヤニヤしながら,どれが一番ダサいかを考えているのだから,醜いったらありゃしない。 でも,私たちが2年になった時,同級生が話し合って 「もうこういうことはやめよう」 と決めて,1年生には自分たちが好きなものを選ばせることにしたんです。 私はマネージャーだったので,その話し合いは横で聞いているだけだったのですが,そう決めた同級生たちを本当に誇らしく思いました。 嫌な思いをしていない後輩たちは,きっと良いことだけを受け継いでくれただろうし,その悪循環を断ち切れたことが何よりうれしい。 「やられたら(次の代に)やり返す」 のって,本当にみっともないですよ。 …なんか話がそれたかな。 言いたかったのは,「自分がされて嫌なことを,他人にするのは最低なことですよ」 ってことです。 …自分はそうしないよう気をつけているつもりですが,嫌なことをしていたらごめんなさい。
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