西条キャンパス日記 (12月)


テーマ
お茶会
食事
トウカエデ
クマザサ
雲海
ジャン・リュルサ展


1998年12月3日(木)
お茶会
ちょっと前の話だけど,広島のお茶の世界ではかなり有名らしい,
いろいろな流派のお茶人が集うグループのお茶会へ行く機会を得た。
本来ならわたしのよーなお茶会初心者が行けるような茶会ではなくて,
道具も茶室もなにもかもハイレベル。
じつは,私は正座が1時間と保たないので
大丈夫なのか?と心配しつつも,先輩方の後ろから受付に進む。

本日のコース
待合〜濃茶〜薄茶〜点心

待合(まちあい)
待合に入る前に師匠発見。客を迎える側なので,なにやら忙しそうだ。
「しっかり勉強せえよ。」と言われながら,待合へ・・・。
待合とは,お客がみんなで仲良く茶室への案内を待つところ。
なごやかなムードは,周りの人から「正客(お客のリーダーになる人)へどうぞ。」
と勧められている先生の醸し出している雰囲気のようだ。
硯箱や巻物のかざってある床の間や,いい感じにふるびた
炭斗や火箸などが置いてある部屋全体は,知的な男の人の部屋っぽい。

濃茶(こいちゃ)
ほの暗い茶室で茶を飲むのは,始めての経験で,さらに今回は
一入(いちにゅう)という,江戸時代の人が作った茶碗でいただいた。
それでなくても堅くなっているのに,さらに緊張・・・。
手の中に「ほわん」という感じで収まる茶碗の感触は忘れがたくて,
この日,一番印象に残った道具が,その茶碗だった。
ここまでくると,足のしびれがピークに達して,亭主と正客の優雅な挨拶などは
もう,耳に入りません。隣の人に詫びつつ,ごそごそごそ・・・・。

薄茶
部屋を移ると,今度は床に笙のかざってある明るい華やかなムード。
おお,さっきと全然違う。ちょっとだけ,リラックス。
「姥口(うばぐち)」と呼ばれる釜を見て,
「ケーキみたい。」と一緒に行った先輩がつぶやく。
たしかに,リング状のパウンドケーキ(?)のようだ。
乳母百合(うばゆり)というユリは,花が咲くときに葉(歯)が落ちている
ところから付いた名前らしいけど,姥口も歯のない口のように見えるから
そう呼ばれているらしい。
こんもり盛り上がった釜に蓋がめり込んでいるように見える釜は
なんだか,暖かそう・・・・。
「なぜ爺口じゃないの?」とは,もっともな疑問だと思う。

点心(てんしん)
軽いお食事。
部屋に漂うだしの香りにうっとり・・・。
瀬野川にある茶懐石のお店の料理人が料理を作りに来られているそうな。

とても,おいしい!!!


今日の反省
しびれるからって正座しないと,こういうときに困る。
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1998年12月4日(金)
食事
永平寺のお坊さんの食事風景について書かれているエッセイを読んだ。
両手で器を持ち上げる仕草がシンメトリカルで美しかった,
というような内容だった。
それで,試しに,自分でも食事をする時に,茶碗や皿を両手を添えて
食べてみた。
食事をするスピードがぐっと落ちた。
そのかわり,動作がゆっくりとおだやかになった気がした。
食事っていうのは,空腹をまぎらわせるために,
傍若無人にとるもんじゃないんだなあ。
体の動きと気分は,連動して動いているものなのかもしれない・・・。
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1998年12月11日(金)
トウカエデ
いつもと違うルートを通って出勤していたら,
東体育館の前で白っぽい花殻がいっぱいぶら下がっている
不思議な木を発見!! 
地面を覆い隠すように落ちていた葉の形からすると
どうもトウカエデ(カエデ科)のようだ。
アメリカフウ(マンサク科)の大きな葉にばっかり気をとられて,
今まで気がつかんかった・・・。
近くによると,花だと思っていたものが種だと分かる。
プロペラのついている種を飛ばすと,縦にクルクル回りながら落ちていった。
子供のころ「ヘリコプター」と呼んで飛ばしていたストローの紙で作った
おもちゃ(?)の飛び方を思い出した。
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1998年12月14日(月)
クマザサ
子供の頃のあやふやな記憶を信じれば,深入山とか道後山には
クマザサ(ササ属)が多かった。
(この頃は,あまり多いという印象がないが・・・。)
「熊がでる所にクマザサが生える。」と大人に言われて
山の奥深くまで来たんだ,と素直に信じていた。
今は,そんな素直さは持ち合わせていないが,
クマザサが茂っているのを見るとやはり,「お,熊!」と思ってしまう。
図書館の裏の松(の多い雑木)林の中には,クマザサが群生しているが,
今までは木の陰になってはっきりと姿が見えなかった。
今日はクマザサの特徴である白い隈取りがくっきりと現れていていたので
密集しているクマザサの全貌(?)を知ることができた。
薄暗い場でも,白く隈取りされたササの葉は目立っていた。
自生なのか,グラウンドカバーのために植えられたのかは,不明。
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1998年12月25日(金)
雲海
いつも戸坂峠(とすさかとうげ)を通って通勤している。
(熊野から阿戸を抜けて西条に行くときに越える峠のこと)
冬になると,毎朝西条の街は,霧の下に隠れてぼんやりとしか見えなくなって,
煙突の煙だけが,霧の上へもくもく昇っている。という幻想的な風景になる。
センター入試の時は,いつもより早く出勤する。
その時間だとまだ街の姿が見えないほど霧が濃いので,特にきれいだ。
今朝もそんな風景を楽しみながら峠を下りていたところ,
右手前方に白く光る池を発見。「あれー,あそこにため池なんかあったけ?」
なんと,街のほうはほとんど霧がはれてきているのに,そこだけは
水面のように霧が波打っている!!!
池と見間違えるほどの,きれいな雲海だった。
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1998年12月28日
ヒロシマの心とジャン・リュルサの<世界の歌>
年末で慌しい人が多いなか午後から年休を出したので現代美術館に行ってみた。
夕方なのに,意外と入館者は多い。
4時30分のアナウンスを聞きながら,ギリギリセーフで
入場券を買って,会場へ向かった。
現代美術館でいいなあと思うところに,地下にも展示室があると
いうところがある。
まさに「アンダーグラウンド」
階段を降りていると,わくわくしてくるのと同時に後ろめたさを
味わえる。
「やはり,アートは,地下に降りないとねー。」
と勝手に盛り上がって上機嫌で螺旋になっている階段を降りた。
展示室には部屋の壁を天井から床まで覆い隠すくらいの巨大なタピスリ。
作品に使われている背景の黒に近い濃紺は,とても布のような
2次元のものとは思えないくらい深くて暗い場所のようだった。
初詣に行くときに夜空を見上げると,ちょうどこんな濃紺だよなあ,と思った。
奥行きがあるのかないのか分からないような夜空に星がキーンと光っている光景を
思い出した。
そういうときは,月明かりも結構強いけど,電灯とはちょっと明るさが違うので
もやもやっとしていて,「あー,すっきりしなーい!!」と感じる。
いつも思うけど,あのフラストレーションのたまっていく状態は
なんなんだろう?
それでも月明かりの中を懐中電灯をつけないで歩くのは,実はとても好きだ。
私にはどうがんばっても夜空に神話は見えないけれど,
タピスリには,古代の人には星空はこんな風に見えていたんじゃないか
と思わせる,神話のような不思議な説得力と切迫感に満ちた人類の始まりと
終焉の物語が織り込まれていた。
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