知られざるエジソン

N.ボールドウィン


有名な発明に加えて、エディソンの豊かな想像力は、「おしゃべり人形」 から「流し込みコンクリート住宅」に至る、多くの知られざる技術を世界に 提供した。


 今年2月、アメリカの最も著名な発明家エジソン(Thomas Alva Edison,1847ー1931) の生誕百五十年を祝うにあたって、私たちは当然のことながら彼の「3大発明」 (電球、蓄音機、映画用カメラ)を思い浮かべる。しかし、彼の創造的エネルギ ーははるかに多産だった。エジソンは、60年以上にわたって、約千件もの特許 を取得した。
 初年級の段階で学校から落ちこぼれたエジソンは教育を受けたとは言えないが、 自分の知識の足りないところを補うために優れた科学者や技術者を雇うというと ころに彼の才能を発揮した。彼のあくなき探求心の結果、経験豊かな協同研究者 たちが探究すべきアイデアを何百冊という実験ノートに書きつけられた。
 ここに紹介するエジソンの知られざる試みを通じて、一本の太い線がみてとれ る。すなわち、多数の米国人に喜ばれることをしたいというホイットマン的願い であり、産業革命を通じて現代という時代を迎えようとしている母国アメリカの 技術を強化したいという願いであった。
 一方には、謄写印刷の先駆である電気ペンというコミュニケーションの手段が あった。他方には、エジソンが作った数少ない人形の一つである「おしゃべり人 形」があったーー彼は真剣に子供たちを喜ばそうとしたのだが、人形の微妙な仕 掛けが輸送の際に壊れてしまってうまくいかなかった。エジソンは1890年代を通 じて、映画の研究開発に高々4万ドルの資金を投じたにすぎないが、鉄鉱山事業 には途方もない資金をそそぎ込んだ。
 トマス・エジソンは、発明という基礎的な「過程」ーー彼は芸術とか神経労働 と呼んだーーに絶え間なくかかわっていたということで記憶さるべきであろう。 彼は失敗を認めなかった。彼は多くの試みが結局のところ役に立つかどうかとは 関係なく、前進するという必要性に迫られて生きた。
(図版省略)


原論文
"The Lesser Known Edison", Scientific American, Feburuary 1997.
『日経サイエンス』1997年4月号, 86-91頁.

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