愛媛県立医療技術大学「科学論」(2007年度)
(最終更新日:2007年8月20日)
科学という営みが、認知とそれを通じて得られる各種の報奨を目指す果てしない競争であるとすると、認知・報奨をめぐって不正行為(データの捏造・改竄、他人のアイデアの剽窃など)が発生する可能性が生じます。実際、近年、そのような事例がいくつも報告・紹介されています。
授業ではNHKスペシャル「論文捏造:夢の医療はなぜついえたか」の前半を視聴しました。
配付資料
「ES細胞「捏造」 失墜した「英雄教授」 韓国に衝撃と失望」(「朝日新聞」2005年12月24日)
5 科学とスポーツにおける報奨システム:ノーベル賞とオリンピック
労働を通じて獲得される貨幣は、それ自体は金属ないしは紙にすぎないのに、特別の存在となっていますが、それは、われわれが欲する財やサービスを貨幣によって手に入れることができるからです。科学という営み中で貨幣に対応する役割を果たしているのが「承認・認知(recognition)」です。承認・認知とは、ある科学者の業績(科学知識の発見)が「新しいものであり、科学的に価値がある」と、科学者集団から認定されることです。この承認・認知を通じて、科学者はさまざまの「報奨(rewards)」にありつくことができます。例えば、ノーベル賞に代表される賞(賞金をともなう場合もあります)、社会的地位の上昇、科学的および一般的名声、研究条件の改善、等などです。科学という営みを支えているのは、認知とそれを通じて得られる各種の報奨を目指す果てしない競争ということになります。
配付資料
この作品は、大学の医学部および医学界の古い体質や権威主義を批判した有名な小説に基づいたものです。映画の冒頭で、主人公の外科医財前助教授がいかにすぐれた技量の持ち主であるかが印象的に紹介されます(噴門ガンの権威)。また、貧しい生い立ちの彼が医学部に進学した顛末や今日に至る経緯が語られます。しかし、財前は、自らの技量を過信し、それが態度にも表れているため、上司である東教授からは疎まれており、次期教授の最有力候補でありながら、すんなり昇進できないという状況があります。
シーン(太字は重要なシーン)
1 魔術のようなメス--オープニング
2 食道外科の若き権威者
3 大名と足軽頭
4 大名行列
5 海坊主
6 癌の疑い
7 実弾攻撃
8 里見と佐枝子
9 カルディア・クレブス
10 日本医学界の大ボス
11 胸部レントゲンの陰影
12 決裂
13 胃噴門部癌手術
14 対抗馬・菊川教授
15 全国公募
16 術後肺炎
17 票読み
18 東教授の投票棄権
19 野坂一派の策略
20 菊川への辞退要請
21 船尾教授の陣頭指揮
22 大河内教授への買収工作
23 決戦投票〜佐々木庸平の死
24 被告・財前五郎
25 反撃態勢
26 裁判開始
27 大河内証言〜病理解剖
28 柳原の偽証
29 鑑定人・船尾教授
30 勝者と敗者
(担当者のコメント)
1 教授昇進問題
大学だけでなく、一般に組織人は、自分の所属している組織の中で、より重要な位置につきたい(ありていに言えば、出世したい)と考えるものではないでしょうか。助教授の財前が、教授昇進の機会を前にして「教授になりたい」と切望すること自体は、批判されるようなことではないと思います。受講生の皆さんも、何年か前、大学進学を控えて、「できるだけランクの高い(何を基準にしたランクなのかが問題だと思いますが)大学・学部」を目指したことでしょう。また、数年後には、就職にあたって、同じような選択を迫られることでしょう。
人一倍自信家で野心家の財前が自らの教授昇進に目の色を変えたのは当然ですが、「研究一筋」の里見も、恵まれた研究条件や「やりがい」のある仕事を可能にしてくれる浪速大学医学部で学び、そこで研究教育にあたっているわけです。そうなるために里見は厳しい競争を勝ち抜いてきたはずです。同僚の「よしみ」で口添えを頼む財前に対して、里見は「教授昇進問題などに関心はない」と断言していましたが、それほど単純なことではないと思います。映画の最後のシーンで「山陰大学医学部教授」に「左遷」された里見が、(恨めしそうに--と担当者には映りました)「白い巨塔」を眺めていましたが、あのシーンは里見が地位や身分に多少なりともこだわりをもっていることを示唆してはいないでしょうか。
また、財前が教授昇進に目の色を変えたことと、彼が患者の症状を的確に判断できなかったこと(誤診)は、たまたま時間的に並行していたため、因果関係があったことになっていますが、本来、関係のないことではないかと思います。
少々、ひねくれた感想を述べました。一般に、小説(映画)では、「悪人(財前)」は描きやすく、「善人(里見)」は描きにくいと言われますが、この作品についても当てはまるのではないでしょうか。
2 「誤診」問題、より一般的に言えば「データとその解釈」について
財前はわずか2枚のレントゲン写真から患者の食道噴門部のガンを見抜き、見事なメスさばきでその治療に成功しました。里見も含めて他の医師たちには不可能なことでした。レントゲン写真からガンを診断するには、長年にわたる経験と鋭い洞察力が必要なわけです。すなわち、あるデータが与えられれば、一義的な(一つの)解釈が(自動的に)引き出されるというわけではなく、複数の解釈の可能性がある、さまざまな解釈の余地がある、ということになります。換言すれば、医師(一般に科学者)によって診断(解釈)は異なりうるわけです。そして、複数の解釈のうち、どの解釈が正しかったかということは、結局のところ、事後的にしか判定できません。ただ、人間の生命と健康に関わる診断治療に際しては、データの種類と数を増やすことによって、複数の解釈の中から、一つの解釈に絞り込んでいく作業が必要な場合が多いでしょう。実際、病院に行くと、たくさんの検査を受けます。
「白い巨塔」について言えば、里見はさらなる検査を提案し、財前はその必要はない、と判断したのでした。事後的に言えば、里見が正しく、財前は間違っていたことになります。しかも、財前の判断力が、教授昇進問題のために雲っていたこと、さらには患者の生命を軽んじていたのではないかと原作者および映画製作者は弾劾しているわけです。現実にもそのような医療ミスが数多く報道されています。患者の立場としては十分気をつけなければなりません。
しかし、一般的にいえば、たとえデータの種類と数を増やしたとしても、そのデータから何を読みとるかという最終的な判断(解釈)を下すのは、医師(科学者)であり、原理的に複数の解釈の可能性があることは排除できないと思います。
配付資料
DVD「白い巨塔」説明書
2 科学者論(2):市民のための科学技術(者)
体制化された科学技術のあり方に疑問を感じ、「もう一つの科学=市民のための科学」を模索し、実践した高木仁三郎氏(1938-2000年)の考え方と生き方をドキュメント「未来潮流 科学を人間の手に」(1999年2月放映)の視聴を通じて考えます。
高木さんは、大学卒業後、原子力発電を推進するための国策会社に就職しますが、そこでの研究成果について上司の圧力を受け、アカデミズム(大学)に戻ります。
氏は生前数多くの著作を執筆しましたが、市民科学論としては『市民科学者として生きる』(岩波新書、1999年)、『市民の科学をめざして』(朝日選書、1999年)があります。この2冊の書物は、ガンと闘いながら、若い世代に対するいわば「遺言」として執筆されたものです。
高木さんは、大学で基礎的な研究に没頭し、大きな成果を挙げますが、そのような研究にも矛盾を感じるようになり、1960年代末の大学紛争における議論や国際空港建設反対運動での経験がきっかけとなって、大学(アカデミズム)からも離れて、「もう一つの(オールタナティヴ)科学技術」を求めて市民運動(NGO)を立ち上げることになったとのことでした。
「巨大化し、体制化し、軍事化した科学技術」に大いに貢献したテラーと「市民のための科学技術」を模索した高木さんは、現代に生きる科学技術者の両極端(二つの「理念型」)と言えるでしょう。
高木さんは、細分化された科学研究の現状に若い世代の科学者が不満・不安を抱いている状況を憂慮していました。オウム真理教事件で科学技術者たちが大きな役割を演じたことに衝撃を受けたからです。この事件に見られるように「科学と宗教」の問題は決して決着済みの問題ではありません。
1 科学者論(1):国家のための科学技術(者)
NHK海外ドキュメンタリー「消えたスターウォーズ計画:戦略防衛構想の10年」(1993年7月放映)(イギリスBBC製作) というTV番組の冒頭の部分を視聴します。
scientist(科学者)という言葉は1830年代に造語された比較的新しい言葉です。それまでnatural philosopher(自然哲学者)と呼ばれていた人たちは、独自の知的分野としての(自然)科学を探究する専門家として自分たちをアピールする必要を感じたのです。
19世紀後半と20世紀を通じて科学は技術と結びつき、社会に大きな影響力を持つようになりました。同時に科学者(および科学技術者)も社会の中で重要な存在となりました。
講義では三つのタイプ(理念型)の科学者(科学技術者)を考えます。
19世紀に誕生した科学者をアカデミズム科学者と呼ぶとすれば、20世紀の後半、科学の巨大化・体制化・軍事化を推進した科学者は体制的科学者、そのような科学のあり方を批判し、市民のための科学を模索する科学者を市民的科学者と呼ぶことができるでしょう。
体制的科学者の典型としてのE.テラーについて考えるために、彼のアイデアから始まったSDI(戦略防衛構想)に関する番組を視聴します。
科学的・技術的にはとうてい不可能だと思われたプロジェクト、スターウォーズ計画=SDI(Strategic Defense Initiative)に優秀な科学者たちが、否応なく、あるいは積極的に巻き込まれていくプロセスがリアルに描かれています。結果的に、SDIは多くの科学者・技術者にとって、企業や研究所にとってと同様、研究費獲得の絶好のチャンスとなりました。
推進されたプロジェクトには、
1. レールガン 2. 化学レーザー 3. X線レーザー 4. 中性粒子ビーム 5. 自由電子レーザー
などがありましたが、軍事研究ということもあって、十分な成果が挙がっていないことが隠されたり、まやかしの公開実験などが行われました。巨大化し軍事化し体制化した科学技術が、陥る退廃・病理現象の典型的な事例といえるでしょう。
SDIというアイデアは科学者E.テラー(1908〜2003)からレーガン大統領に伝えられたものでした。この意味でテラーは科学技術の軍事化・巨大化・体制化を象徴する人物といえるでしょう。
第二次大戦中のマンハッタン計画(原爆製造計画)、米ソ冷戦下の原水爆開発競争、1960年代〜70年代にかけての宇宙開発(アポロ計画)などを通じてアメリカは莫大な資金と多数の人材を投入することによって困難な科学技術的上の課題を克服するという方式に絶大な自信をもっていました。その延長上にSDIが構想され、実施されたといえるでしょう。
配布した資料に拠りながら科学技術の軍事化・巨大化・体制化を象徴する人物テラーの人物像と行動について考えます。
SDIは過去のものではなく、ミサイル防衛システム(MD)の構築はアメリカの重要な戦略になっています。また、我が国もこの構想に協力しています。
配付資料
高木仁三郎氏とエドワード・テラーの紹介文
「米のMD新たな火種 イラン・北朝鮮驚異強調 反対押し切り推進」(「朝日新聞」2007年7月12日)
シラバス
授業目標:科学を人間的・社会的営みとして考える視点を教授する。
授業概要:科学及び科学者をめぐる歴史的・現代的事例に即して、科学とは何かを考える。
授業内容:
1 科学者論(1):国家のための科学技術
2 科学者論(2):市民のための科学技術
3 科学と文学(1):映画「白い巨塔」を観る
4 科学と文学(2):映画「白い巨塔」を観る
5 科学とスポーツにおける褒賞システム:ノーベル賞とオリンピック
6 科学における不正:論文捏造事件