書評


「不死鳥第三十六号」読書アンケート

『倭の風 小説「卑弥呼」後伝』嘉藤徹(PHP研究所、一九九六年)

 本書は、副題にあるように、古代日本、卑弥呼没後の倭(やまと)を舞台にした歴史 小説である。読者は本書を読み始めた瞬間、時空をはるかに越えて、主人公トヨ(カバー にトヨをイメージした美しい女性が描かれている)や張雄の世界にトリップする。そして 読者は、主人公たちとともに、紀元3世紀の中国や朝鮮半島を経て倭に至る波瀾万丈の旅 を満喫することになろう。あるいは、張雄や彼を助けるサルメやサルヒコらとともに、囚 われの身となったトヨを救出する大作戦を遂行することになろう。かくて、四百頁に近い 本書を一気呵成に読み終えた読者は、面白い映画かTVドラマを見終わった時に経験する 心地よい陶酔感にしばしひたることになるのである。
 この見事な作品が、広島大学で中国文学・中国演劇を専攻している若き同僚の手になる ものであることは、我々にとって大いなる喜びであり誇りである。(本書については、 著者のホームページを見て下さい。)

『加藤周一講演集1 同時代とは何か』(かもがわ出版、一九九六年)
『加藤周一講演集2 伝統と現代』(かもがわ出版、一九九六年)

 昔、「アーウー首相」と呼ばれた宰相がいた。国会答弁や記者会見などで、「ア ー」とか「ウー」とかの合いの手を連発するので、そのように揶揄されたのである。しか し、その発言を書き言葉にしてみると結構理路整然としている。さすが一国の首相を務め るだけの人物だと誉める向きもあった。一方、雄弁会の出身で「演説上手」なのだが、何 を言っているのかさっぱり分からない、と批判された首相もいた。
 さて、加藤周一氏の語り口は、講演会であれ、座談会であれ、まさしく「立て板に水」 である。全く淀むところがない。「アー」も「ウー」も入り込む隙間がない。しかも、明 晰で理路整然としている。氏は書き言葉(文章)の達人であると同時に話し言葉(講演・ 座談)の達人でもある。「天は二物を与えず」というが、氏は例外らしい。その氏の講演 が二巻本にまとめられた。広島での講演も収められている。どの頁を開いても、氏の冷静 でありながら熱情に溢れた語り口が聞こえてくる。若い頃から氏の著作を通じて、多くの ことを学ぶとともに、日本語の美しさも学んだものには実にうれしい企画・出版であった。

科学史・科学論のホームページに戻る