『倭の風 小説「卑弥呼」後伝』嘉藤徹(PHP研究所、一九九六年)
本書は、副題にあるように、古代日本、卑弥呼没後の倭(やまと)を舞台にした歴史
小説である。読者は本書を読み始めた瞬間、時空をはるかに越えて、主人公トヨ(カバー
にトヨをイメージした美しい女性が描かれている)や張雄の世界にトリップする。そして
読者は、主人公たちとともに、紀元3世紀の中国や朝鮮半島を経て倭に至る波瀾万丈の旅
を満喫することになろう。あるいは、張雄や彼を助けるサルメやサルヒコらとともに、囚
われの身となったトヨを救出する大作戦を遂行することになろう。かくて、四百頁に近い
本書を一気呵成に読み終えた読者は、面白い映画かTVドラマを見終わった時に経験する
心地よい陶酔感にしばしひたることになるのである。
この見事な作品が、広島大学で中国文学・中国演劇を専攻している若き同僚の手になる
ものであることは、我々にとって大いなる喜びであり誇りである。(本書については、
著者のホームページを見て下さい。)
『加藤周一講演集1 同時代とは何か』(かもがわ出版、一九九六年)
『加藤周一講演集2 伝統と現代』(かもがわ出版、一九九六年)
昔、「アーウー首相」と呼ばれた宰相がいた。国会答弁や記者会見などで、「ア
ー」とか「ウー」とかの合いの手を連発するので、そのように揶揄されたのである。しか
し、その発言を書き言葉にしてみると結構理路整然としている。さすが一国の首相を務め
るだけの人物だと誉める向きもあった。一方、雄弁会の出身で「演説上手」なのだが、何
を言っているのかさっぱり分からない、と批判された首相もいた。
さて、加藤周一氏の語り口は、講演会であれ、座談会であれ、まさしく「立て板に水」
である。全く淀むところがない。「アー」も「ウー」も入り込む隙間がない。しかも、明
晰で理路整然としている。氏は書き言葉(文章)の達人であると同時に話し言葉(講演・
座談)の達人でもある。「天は二物を与えず」というが、氏は例外らしい。その氏の講演
が二巻本にまとめられた。広島での講演も収められている。どの頁を開いても、氏の冷静
でありながら熱情に溢れた語り口が聞こえてくる。若い頃から氏の著作を通じて、多くの
ことを学ぶとともに、日本語の美しさも学んだものには実にうれしい企画・出版であった。