N.ボールドウィン(椿正晴訳)『エジソン:20世紀を発明した男』三田出版会,1997, pp. 669.


 「大河ドラマ」という言葉がある.多くの人物や出来事が,あたかも幾筋もの流れのように, ある人物の中に流れ込んで歴史を動かす大きな流れ=大河となる,そのような筋立てのTVド ラマをそう呼ぶのだろう.本文だけでも2段組みで560頁を越える本書を読了した読者は,まさ しく大河ドラマを見終わったような満足感と感慨を得ることができるだろう.
 実際,本書の巻頭にはエジソン家の詳細な家系図が掲げられており,エジソンにつながる多 くの人々の存在を知ることができる.著者はこれらの親類縁者の人となりを,丹念にかつ生き 生きと描いている.そのため,読者は大発明家エジソンがどのような人々の中で生まれ,育ち, 多くの発明と事業を成し遂げ,そして死んでいったかを,臨場感をもって追体験することがで きる.
 例えば,最初の妻メアリーが心身を病んで亡くなった後,エジソンの二番目の妻となったマ イナの献身ぶりには感動を禁じ得ない.一方,計6人の子供たちのうち幾人かが決して順調と はいえない生き方を余儀なくされたことを知ると,天才や偉人を夫ないしは親にもつことの 「しんどさ」を感ぜざるを得ないという具合である.
 エジソンその人は,このような家族に見守られながら,そして彼の発明家としてのカリスマ 性に魅せられた多くの協力者の助力を得ながら,電気を利用した機械や装置の開発研究に没頭 し,またその事業化に血道をあげていたわけである.そして多くの分野で成功を収め,巨万の 富を築くとともに,生前から国民的英雄として崇拝された.まことに天才は幸いなるかなであ る.
 白熱電球の実用化,蓄音機の開発,電話や映写器(映画)の改良等々,エジソンの業績や成 功はよく知られている.何よりも,研究開発それ自体をビジネスとして位置づけ,実際にそこ から多くの成果と利潤をあげたことは画期的であった.本書の副題にあるように,確かに彼に は「20世紀を発明した男」という呼び名が相応しい.エジソンの工場から身を起こし,終生彼 を師と仰いだフォードによって自動車時代が切り拓かれたことを考え併せると,その印象はま すます強まる.
 しかし,本書が詳細に明らかにしているように,エジソンが手がけた分野や発明品がすべて 成功を収めたわけではない.エジソンが発電・送電システムに関してかなりの期間,交流の意 義を解せず直流に拘泥したことはよく知られている.また,エジソンはラジオの登場後も自ら の発明品である蓄音機にこだわって社運を傾けてしまった.さらにエジソンが最も多くの資金 と情熱と時間を注いだ二つのプロジェクトはあえなく挫折した.一つは低品位の鉄鉱石を電磁 気を用いて弁別して高品位にするという事業であり,もう一つは晩年に取り組んだゴム採取事 業である.この二つのプロジェクトは,それぞれ資源の有効利用と戦略物資の国内自給を目指 したものであり,合理主義者にして愛国者であったエジソンにとって非常に重要な意味をもっ ていたのだが,ビジネスとしては完全な失敗だった.天才の失敗にむしろ「救い」を感じるの は評者のような凡人の性(さが)であろうか.
 本書には巻末に80頁を越える詳細で周到な文献註が付されており,読者は本書の記述を多く の史料や文献によって確かめることができる.したがって,本書は十分信頼できる学術的な伝 記である.同時に本書は,著者の巧みな構成と筆致によって(そして訳者の綿密で周到な訳業 を通じて),ほとんど伝記「文学」の域に近づいている.冒頭で本書を大河ドラマになぞらえ たゆえんである.
 本年1997年はエジソン生誕150年にあたる.この記念すべき年に本書のような本格的な評伝 を読むことができるのは読者冥利に尽きるといえる.タイムリーな企画に感謝したい.


『日経サイエンス』1997年8月号, 138-9頁.

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