タイトル | 著者 |
『人間教育の探究』の創刊にあたって | 荘司雅子 |
ドイツ民主共和国におけるペスタロッチー・フレーベル研究 | K=H.ギュンター G,ガイスラー |
フレーベルの教育思想を支えるもの ―その弁証法的性格について― |
倉岡正雄 |
オスウィーゴー運動と幼稚園教育に関する史的一考察 ―とくにフレーベル主義教育の導入に関連して― |
阿波根直誠 |
『母の歌と愛撫の歌』における フレーベル教育思想の今日的意義 |
西垣光代 |
若きヘルバルトのペスタロッチー理解 | 浜田栄夫 |
フレーベルにおける信頼と不信の構図 ―信仰と子ども観をめぐって― |
畠山祥正 |
"コメニウスの幼児教育論 ―『大教授学』『母親学校指針』『汎教育』を中心として―" |
秋葉美也子 |
ペスタロッチーの幼児教育思想における 家庭保育と施設保育との関連 |
鈴木由美子 |
タイトル | 著者 |
西ドイツにおけるフレーベル研究 |
ヘルムート・ ハイラント |
アメリカの幼稚園運動におけるドイツ人指導者の役割 | 丸尾譲 |
フレーベル著『母の歌と愛撫の歌』の哲学的基礎 ―その著を貫いている教育的精神について― |
岸信行 |
ペスタロッチーの国民教育思想の研究 ―『純真者』を中心にして― |
寺岡聖豪 |
イヴェルドンにおけるペスタロッチーとフレーベル ―両者の対立を中心として― |
渡辺満 |
フレーベル恩物とモンテッソーリ教具の比較研究 ―色彩感覚をめぐって― |
荘司泰弘 |
シュタイガー家の子どもたちに捧げる青年ヘルバルトの 祈りについて ―<反省>的思考と<感情>の陶冶― |
杉山精一 |
モンテッソーリ法とアガッツィ法の「日常生活の訓練」 ―その原理についての比較研究― |
上野慶子 |
タイトル | 著者 |
ペスタロッチーにおける道徳の政治的意味 | アーダルベルト・ラング |
ペスタロッチーにおける個人と社会 ―18世紀スイスにおける共同体再編成の課題― |
鈴木由美子 |
スイス時代(1831-36)のフレーベルの活動 ―書簡の再編成によるその生活と思想― |
小笠原道雄 |
政治教育者(Politischer Paedagoge)としての フリードリッヒ・フレーベル |
勝山吉章 |
ディースターヴェークにおける公共心と宗教性 | 大西勝也 |
幼児の存在様式の変容について | 古庄高 |
私の童具論 ―フレーベルに学ぶ― |
和久洋三 |
論文 | 著者 |
青年ヘルバルトのペスタロッチー研究 ―自我と意志をめぐる<問い>― |
杉山精一 |
F.フレーベルの運動遊戯にみられる教育思想 | 山口文子 |
F.W.A.フレーベル『母の歌と愛撫の歌』における 子どもの「他者との人格的関係」の発展 ―今日の保育内容編成の観点からの一考察― |
児玉衣子 |
フレーベル恩物とモンテッソーリ教具の比較研究 ―宗教観をめぐって― |
荘司泰弘 |
明治初期におけるフレーベル主義教育の受容とその特質 ―幼稚園理解をめぐって― |
湯川嘉津美 |
イタリアにおけるフレーベル法受容についての一考察 | 上野慶子 |
書評 | 評者 |
虎竹正之著『ペスタロッチー研究』 ―職業教育と人間教育― |
吉本均 |
H.ハインライト著(小笠原道雄、藤川信夫訳) 『フレーベル入門』 |
倉岡正雄 |
論文 | 著者 |
ペスタロッチの言語の問題 ―用語の視点から― |
高橋春幸 |
F.フレーベルとBurschenschaft | 甲斐規雄 |
フリードリヒ・フレーベルの教育遊具の研究(その1) ―フリードリヒ・フレーベルの遺稿を中心として― |
荘司泰弘 |
生命と予感 ―フレーベルの論文「1836年は生命の革新を要求する」を中心として― |
浜田栄夫 |
明治後期の幼稚園に関する一考察 ―甲賀ふじの保育日誌にみる進歩主義の受容とフレーベル主義の展開― |
田中まさ子 |
書評 | 評者 |
長尾十三二・福田弘共著『ペスタロッチ』(1991年 清水書院刊) |
江藤恭二 |
H.ケーニヒ編著 監修・訳者代表 岩崎次男『フレーベル賛歌』 ―子どもと人間の友あての女性たちの書簡―(1991年フレーベル館刊) |
酒井玲子 |
Helmut Heiland:Bibliographie Friedrich Froebel,Primaer-und Sekundaerliteratur. 1820-1990 |
小笠原道雄 |