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      認知発達理論研究会例会報告第1-3号通信
      -------初年度第3回例会を開催して------

        認知発達理論研究会世話役             
          足立自朗(埼玉大学)
adachi-j@oak.zero.ad.jp
          中垣 啓(国立教育研究所)
nakagaki@nier.go.jp
          住吉チカ(福島大学)
Chika.Sumiyoshi@ma2.seikyou.ne.jp
          斎藤 瑞恵 (お茶の水女子大学)<mizuesai@syd.odn.ne.jp> 

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 目次  

1 会代表の挨拶

2 第3回例会概要

3 報告者として参加して

4 ショートレクチャー

5 例会参加印象記

6 例会報告資料(添付書類)

 

例会の開催日とテーマ一覧へ

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1 会代表の挨拶  

足立自朗(埼玉大学)adachi-j@oak.zero.ad.jp

 第3回例会報告をお届けします。第3回例会ではD.D. Cummins & C. Allen eds.,The Evolution of Mind Oxford University Press 1998をテキストとして認知発達研究における進化心理学の可能性を検討しました。日本の心理学において、発達心理学はメジャーな研究領域ですが、進化心理学は極めてマイナーであり、研究者もとても少ないというのが現状です。しかし、考えてみれば、発達心理学はヒトという種の個体発生という観点より人間の心の成り立ちを明らかにしようとするアプローチであるのに対し、進化心理学はヒトという種の系統発生という観点から人間の心というものを理解しようとするアプローチです。つまり、進化心理学と発達心理学とは人間の心理に対する発生的アプローチの二つの側面、一枚の札の横軸と縦軸との関係に他なりません。種間の系統発生的関係を明らかにするためにそれぞれの種の(個体)発生学的知見が不可欠であると同時に、種の(個体)発生学的特徴を説明するためにその種の系統発生的知見が欠かせないことから分かるように、一方を欠いては他方が成り立たないほど両者は不可分の関係にあります。この意味で、発達心理学は進化心理学との密接な連携の下に研究することが今後ますます必要になることと思います。

 従って、進化心理学の検討会を発達心理学の研究者が中心となっている本研究会において開催したことは時機にかなった試みといえるでしょう。企画当初は進化心理学の研究者の協力をどれだけ得られるか心配しましたが、進化心理学の検討会に最も相応しい長谷川寿一先生をコメンテイターとしてお迎えする事が出来たお陰様で、大変中味の濃い充実した検討会になったのではないかと密かに自負しております。実際、報告に対するコメンテイターの要を得たコメント、ショートレクチャーにおけるとてもわかりやすい進化心理学入門講義によって、これまで進化心理学になじみのなかった発達心理学研究者にも、進化論的発想の必要性は理解出来たのではないでしょうか。コメンテイターとしてご協力いただいた長谷川寿一先生にあらためて御礼申し上げる次第です。また、報告者は進化心理学の文献に触れるのは今回が初めてという者が多く、的確な報告が出来るかどうか危惧していたのですが、いずれも単なる報告にとどまらず、内容を読みこなした上での報告であったので、そのレポートは議論のたたき台として大いに役立ちました。報告者の皆さんにも、この場を借りて、御礼申し上げます。

 ところで、認知発達理論研究会の今年度行事は第3回例会で終了しました。昨年3月に本研究会が発足して以来一年が経過し、ようやく研究会のスタイルも定着してきました。こういうスタイルの検討会はこれまでなかったので、当面は同じスタイルの検討会(例会)を中心に据えて研究会を運営して行きたいと考えています。今年3月からは、日本発達心理学会専門分科会として、つまり、公的な研究会組織として本研究会を再スタートさせる予定でいますので、今後とも関係者の皆さんの一層のご協力をお願い申し上げます。

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2 認知発達理論研究会第3回例会概要 

 斎藤 瑞恵(日本学術振興会奨励研究員・お茶の水女子大学)mizuesai@syd.odn.ne.jp

・日時:12月16日(土曜日)

・場所:国立教育研究所

・検討文献: D.D. Cummins & C. Allen eds., The Evolution of Mind

Oxford University Press USA 1998

・コメンテイター:長谷川寿一先生(東京大学)

◆当日の進行(司会:中垣先生)

・10:10〜10:12  開会の挨拶   中垣先生

          参加者自己紹介

          長谷川先生ご紹介

・10:12-11:28 第1章 G.Gigerenzer: Ecological Intelligence: An

 Adaptation for Frequencies

        報告者:加藤弘通(中央大学大学院文学研究科)

・11:28-11:40 小休憩

・11:40-13:08 第2章 D.D.Cummins: The Evolutioary Roots of Intelligent

Reasoning

        報告者:西垣順子(京都大学大学院教育学研究科)        

・13:08-13:55 お昼休み

・13:55-15:28 第3章 M.Hauser and S.Carey: Building a Cognitive Creature

from a Set of Primitives: Evolutionary and Developmental Insights

        報告者:小林哲生(東京大学大学院総合文化研究科)       

・15:28-15:37 小休憩

・15:37-16:35 第8章 P.Bloom: Some Issues in the Evolution of Language

 and Thought

        報告者:大藤素子(ヒューストン大学大学院 )

・16:35-16:40 小休憩

・16:40-17:20 長谷川先生のショートレクチャー

・17:20-17:45 総括的討論

・17:45-17:50 諸連絡及び閉会の挨拶(中垣先生)

◇全体の様子:

・長谷川先生のグループと中垣先生との間の活発な議論を中心に進行

◇各章の主な論点

・1章:「確率」と「頻度」の違い,区別の意義など

・2章:霊長類の知見を人間に当てはめることの意味,問題点など

・3章:looking preference methodの測定しているものと数の概念,保存の概念は同一か?など

・8章:思考と言語の関係など

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3 報告者として参加して(例会で議論されたことを中心に)

 ■第1章〈G.Gigerenzer: Ecological Intelligence: An Adaptation for Frequencies〉を報告して

 報告者:加藤弘通(中央大学大学院文学研究科)o7330001@grad.tamacc.chuo-u.ac.jp

 今回はじめて、報告者として認知発達理論研究会に参加させていただきました。しかもテキストが進化心理学という私が普段行っている研究(発達心理学/学校心理学)とは異なった、もっといえば、ほとんど目を向けることがない研究領域についての発表ということで、最初は少々気が重かったというのが率直な感想です。ただ、今回の発表を準備するなかで、進化心理学の他のテキストに目を通したり、ベイズ統計というこれまた私にとっては未知の領域を調べたりと、新たな領域に目を向ける良い機会を頂けたと思います。

 さて発表・議論の内容についてですが、発表、その後の議論を聞いて、思うことについて簡単に述べさせていただきたいと思います。私が扱ったテキストはG.Gigerenzerの「生態学的知性」という章で、主に人間の推論過程を進化論的な観点(その進化過程を進化上の環境との関係で捉える)から捉えなおすという試みでした(詳しくはレジュメ資料を参照)。発表後の議論は主に、人間の推論の説明を巡り、認知発達理論的な説明と進化心理学的な説明のどちらがより妥当であるかという議論であったといえると思います。

 しかしながら、これまでの人間諸科学の方法論争が物語っているように、人間が関わる事象は、様々な水準の説明が可能であると思います。例えば、人間の行動を遺伝子の水準で説明する方法も、意味の水準で説明する方法もともに、ある視点から同じ人間の行動を説明すること、そして、それは二者択一的な選択を迫るものではなく、併存可能な説明法だということです。こうした前提にたつなら、今回取りあげられた推論という事象も、唯一、進化心理学的視点からの説明のみが可能という事象でも、認知発達的な視点から説明できる事象でもないということです。したがって問題なのは、ある現象をどのように説明するのか?ということについて、それぞれの視点=説明原理の性格、つまり、「方法論的道具立て」がまず検討されるべき課題となると思います。

 進化心理学の方法論は、これまでの発達心理学がもつ方法論とどのように異なるものなのでしょうか。これを問うことは、進化心理学のことを問うだけでなく、同時に私たちの目が向きにくい発達心理学の方法論について問うことでもあり、発達心理学の研究者にとって、対立点を強調することからは生じにくい、生産的な議論=理論的検討の方向を探ることができると思います。このような観点から、私はこれまでの心理学が一個体の発達=生涯といったものを前提に人間の行動を捉えてきたことに対し、進化心理学は、進化=個体間=世代というタイムスパンを前提に人間の行動を説明しようと試みているという点を、そして、その説明法は、これまで生得性として説明の限界点とみなされてきた現象を説明可能にするという積極的な側面をもつことを強調しました。こうした点が、進化心理学が心理学一般に対してもつ理論的意義の一つを表していると個人的には思います。

 以上拙いまとめでしたが、私の感想に代えさせていただきたいと思います。また、私の発表資料にはWordで作成した図が挿しこまれているため、メイリングリスト上には文書の部分だけを流させていただきます。もしご興味をもって頂けた方で、資料をみて下さる方がいらっしゃいましたら、下記のメイルアドレスまでご請求下さい。Word形式ですが、添付ファイルで送らせていただきます。

Mail: o7330001@grad.tamacc.chuo-u.ac.jp(最初のoはアルファベット)

           

■第2章 〈D.D.Cummins: The Evolutioary Roots of Intelligent Reasoning〉報告して

  報告者:西垣順子(京都大学大学院教育学研究科)Junko.Nishigaki@ma1.seikyou.ne.jp

 2章では社会的規範と他者の心に関する推論能力は,人類が進化してくる過程で獲得されたものであるという主張の根拠として,dominance hierarchies(階層性)という特徴をもつ群れを作って生活する霊長類にとって,社会的規範を理解することおよび他者の心を推論する(そして他者の心を操作する,あざむく)能力が,集団の中でできるだけ優位な地位を占めるために,必要不可欠な能力であることが,霊長類の観察や,人間を対象とした実験データを交えて主張されていた。

 筆者自身は進化心理学は専門ではなく,少なくとも文献を英語で読んだのは今回が初めてであった。レジメの「私見」でも書いたが,著者のCumminsの議論自体は明快でわかりやすいのだが(但し著者が引用していたデータの中には,その後の研究で信頼性が疑問視されているものもあるということを,長谷川先生よりご指摘いただいた),人間の社会的な行動や道徳というものが,弱肉強食的な議論で本当に説明がつくのだろうかということに,疑問を感じざるを得なかった。ただその疑問は哲学的に,または科学的に主張できるほど精緻化されたものではなかったので,当日報告のなかで述べるかどうかは正直なところ迷ったが,思い切ってレジメの最後に書いてみた次第であった。

 予想に反して(?),参加者の中からも同じような意見が出された。またの長谷川先生からも,進化心理学者の中にもいろんな立場があること,Cumminsはどちらかというと極端な立場であること,またチンパンジーと人間がどこまで同じかについても(それは霊長類で観察される事象が,どこまで人間に一般化できるかという問題と重なると思うが),様々な主張があることを教えていただいた。個人的には,このコメントが最も勉強になった。どうしても自分の専門から遠い分野のことは疎くなり,そのような分野の研究者は一枚岩で同じようなことを言っているように見えてしまうのだが,私自身が持っていた進化心理学に対する偏見のようなものが,だいぶくずれたと思う。進化心理学は人間の発達を考える上で大変興味深い成果を発信しており,また人間の観察だけではなく,類人猿の生活を観察することで初めて人間について発見されることも多くあるだろう。ただし,類人猿に関して言えることがすべて人間に当てはまるわけではない部分もあると思われる。進化の研究それ自体としても学問としておもしろいものだとおもうが,もしその成果から人間(現代に生きている人間)について考える場合,やはりそれらの成果から説明できることは何で,説明できないことは何なのかということをはっきりさせていく必要があるのではないかと考えた。

 最後になりましたが,貴重な学ぶ機会を与えてくださった,中垣先生,足立先生,ご丁寧なコメントを下さった長谷川先生をはじめ参加者の皆様に,御礼申し上げます。

 

■第3章 〈M.Hauser and S.Carey: Building a Cognitive Creature from a Set of Primitives: Evolutionary and Developmental Insights〉を報告して

 報告者:小林哲生(東京大学大学院総合文化研究科)tessei@darwin.c.u-tokyo.ac.jp

 この本は,文字通り心の進化を扱った本であり,特に,最近の進化心理学の成果をまとめた章が多い.だがハウザーとケアリーの章では,進化心理学のオーソドックスなスタイルとはやや異なる視点から,議論が展開されている.

 ハウザーの専門はもともと動物行動学であり,彼は,主に動物のコミュニケーションを研究してきた.一方,ケアリーは発達心理学者であり,あの「子どもは小さな科学者か」の著者でもある.近そうで遠い,動物行動学と発達心理学.これまでは,とくに言語(コミュニケーション)のトピックスにおいて,これらの2つの専門領域が協力して研究を進めてきた.最近では,「心の理論」もそうした例のひとつである.こうした試みは,発達心理学に「進化的発想」を吹き込むことで,ある程度の成果を上げてきたと言える.そして,ハウザーとケアリーは,いま一度,こうした研究スタイルを大きな波に乗せようとしている.

 彼らの主張は,実に簡単である.認知の起源や性質をさぐる場合に,個体発生と系統発生の両視点から考えようというものである.つまり,動物とヒトの乳幼児を研究しようという主張である.その時に,できれば,同じ実験的アプローチで研究すれば,より大きな成果が得られると,彼らは断言する.なかでも,彼らの一番お気に入りの方法は,乳幼児研究でお馴染みの注視時間を指標とした研究方法(馴化・脱馴化法や期待違反法)である.

 注視時間を指標とした実験は,動物研究の分野では,これまでほとんど行われてこなかった.動物心理学者は,主に「条件づけ」によって課題を行わせてきた.この場合,どんな課題でも,動物は(チンパンジーも含めて)非常に厖大な訓練を必要とする.その結果,ある課題をできるようになったとしても,その達成が,学習の結果起こったものなのか,生まれながらに備える能力を反映しているのかを明確に区別できない.だが注視時間を指標とした方法を用いると,訓練をまったく必要としない.乳児研究と同じように,いきなりある事象を目撃させて,注視時間を測定すればよいだけである.だから,もし動物がある事象に対して明確な注視反応を示すことができれば,その能力がもともともっていたものかどうかを判定できるようになる.そのことがわかれば,認知の起源をより明確に描き出すことができる.

 ハウザーは,こうした考えをもとに,注視時間を指標とした課題を,マカクザルやワタボウシタマリンを対象に行っている.特に,「数」の研究では,ある程度の成功を収めている.こうした結果は,霊長類が数の能力をもともともっていることを示唆している.

 そういうわけで,この章では,特に新しい主張を展開しているわけではないが,非常に興味深い問題を扱っていることはたしかである.認知の起源や性質を探る場合に,言語との関連は,いつもやっかいな話になる.領域特異的なモジュールを仮定しても,それをどこまで言語と切り離して考えられるかは,なかなか難しい.だが乳児や動物で領域特異的なモジュールの存在を示すことができれば,その点が明らかになる.つまり,それらのモジュールが,言語とある程度独立したメカニズムを備えていると仮定することが可能になるのである.

 

■第8章〈P.Bloom: Some Issues in the Evolution of Language  and Thought〉を報告して

 報告者:大藤素子(ヒューストン大学大学院 )markoto@enjoy.ne.jp

 第8章では 言語という人類のみが持つ能力を取り上げ,(1)言語はヒトという種が意思疎通の目的で自然淘汰的に適応した結果の産物であり,(2)言語と思考とは別の独立した存在である というBloomの持論を検証しようとしています。これらを裏付ける(とBloomが考える)事例については数多く挙げられ,理解しやすいのですが,その事例から結論を導くまでの過程は,少なくとも進化心理学に疎い私にとってはあまり明確ではない印象が残りました。

 (1)の自然淘汰説で,Bloomは幼児が言語の複雑な文法知識を正式に教わらなくても身につけてしまう能力や,言葉が通じないもの同士が当座しのぎの混合語を作ってしまう能力を説明し,「これほどまでに完璧で完成された言語は 自然淘汰のプロセスによってしか作られ得ない」と述べています。しかし,中垣先生もご指摘されましたように,これらの事例は「言語は神によって授かった」とする説を必ずしも否定するものではありません。ただ,私は別にカソリック教徒というわけでもありませんので,Bloomの「言語もヒトが持つ,自然に適応して発達した特徴の一つ」という仮説にも一理あるような気がします。今まで私は(何となくですが),「言語とは人間だけが持つ特殊な能力で,言葉を持つことによってヒトという種に固有の進化をもたらしてきた。現にヒトに一番近いといわれているチンパンジーに言葉を覚えさせようとしても うまくいかないではないか。」と考え,他の生物に対して優越感(?)を抱いておりました。しかしBloomは,こんな私の「思い上がり」を是正してくれたような気がします。下等生物であるはずの虫や魚などが本能的に行っている行為が 実は自然界で素晴らしい機能を果たしている事実がTVや雑誌で紹介されているのを見て,私などは何とうまく淘汰されているのだろうと自然の驚異に感嘆することがあります。幼児が母国語を誰にも教わらなくても使いこなしてしまう能力も,これと同じような自然の摂理なのかもと考える契機になりました。またこの自然淘汰に関して,言語が発したのは意思疎通だけの目的か,むしろ幼児期には情動の方が直接的な目的ではないかという意見も出ました。

 (2)の「言語と思考は独立したもの」という仮説については,私は抵抗を感じました。この仮説を裏付けるものとしてBloomが挙げている事例(言語を持たない人でも思考が可能であった例,幼児や赤ん坊の能力など)については納得できます。しかし,やはり言語が思考に与えている影響の大きさについては否定できないと思うのです。人間(特に幼児)が発する private speech(独り言)は その人が自分の思考をモニタリングする過程で発生することが知られています(Vygotsky)。また,2カ国以上の言葉を話せる人の思考方法・内容は,どちらの言葉を使うかによって微妙に違ってきます。もちろん,全く違ってくるわけではなく,もしそうならば(議論の中でも出ましたが)翻訳という作業は成り立たなくなります。しかし、例えば英語では説明しづらい日本的な考え方,又 ある国に居なければ起こり得ないような状況に遭遇した際,その国の言葉でないとどうしても出てこないような発想もあります。これらの事を考えれば,個人的には 言語が思考に与える影響力は明らかだと思っています。コメンテーターの長谷川先生も「この説はこの分野での絶対的なものというわけではありません。」とおっしゃっておられました。

 最後に,このような機会を与えてくださった世話人の方々,コメント頂いた長谷川先生,そして拙い発表について数々の知見を頂いたり議論に参加してくださった皆様全員に感謝いたします。有難うございました。

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4 コメンテイターのショートレクチャー 

──認知発達研究における進化心理学の可能性──

 長谷川寿一(東京大学総合文化研究科)thase@darwin.c.u-tokyo.ac.jp

はじめに

 進化心理学は、まだ馴染みの薄い新しい学問領域である。数年前の某学会のワークショップで、筆者らは進化心理学について「欧米では午前10時、日本では夜明け前」と評したものである。それからいくらかの年月がたち、総説や翻訳書や教科書も少しずつ出版されるようになり、研究会(人間行動進化学研究会)も発足した。今や日本の状況も、午前8時位であろうか。とはいえ、まだまだ認知度が低いことに変わりはない。本稿ではとくに認知発達研究との関連づけながら、進化心理学の紹介をしてみたい。

1.進化心理学の原点

 進化心理学の出発点は、「人間(ヒト)も動物であり、ヒトも進化の産物だ」ということである。これだけならば何も常識の域を出るものではない。ローマ法王でさえ、1996年に、進化論は既に仮説の域を越えた科学的事実であり、教義とは矛盾しないとの立場を表明している。では、続いて、「ヒトの身体は進化の産物である。脳も器官である、ならば心的器官である脳も進化の産物である」という言説はどうだろう。進化心理学では「だから、人間の心も進化によって形作られた」と考えるのだが、このような見方には、まだ強い抵抗があるようだ。たとえばローマ法王庁は、人間の精神は神によって授けられたもので、進化論とは関係ない、との見解をとり続けている。そこまで強い主張でなくても、人の心や精神は、非常に可塑性に富んだものなので、基本設計はたしかに進化の産物だとしても、心の発達に進化的な見方は関係ない、と考える人は多い。

 20世紀の人間観の主流を占めたのは、教育や社会、文化による働きかけや、自らの学習によって、人間の心はおおきく変容する(できる)という立場だったように思われる。20世紀の新しい人文科学を代表する文化人類学、社会学、教育学そして心理学の底流に共通するのは、強固な経験論であるといってもよい(心理学においては、とくに行動主義においてその傾向が顕著であったことは言うまでもない)。進化心理学の主要創設者であるトゥービーとコスミデスは、これらを標準社会科学モデル(Standard Social Science Model: SSSM)と呼び、SSSMは伝統的に生物学的研究を敬遠してきた(嫌ってきた)と指摘している。

 一方、生物学に基本をおく進化心理学では、生命現象のすべてには適応進化がかかわっているという大前提から出発する。人間の心や行動と言えども例外でなく、そこには数々の進化の足跡が残されていると考える。学習によって人間行動が変容可能であるという事実は否定しようもないが、個々の行動の学習の達成には大きな難易の違いがあり、適応によって学習が促進されることもあれば、適応とは無関係な場合にはなかなか学習しにくいということもありうる。心とは、書き込まれるのを待つまっさらな白紙(現代的比喩ならば、初期化したばかりのディスク)ではなく、あらかじめ個別に発達準備性の異なる、領域別の心の集合であるという立場をとる。したがって、進化心理学の基本的な発達観は、各心理に共通の一般過程よりも、領域特異的な心の発達に向けられる。

2.進化心理学の中心課題

 上のような出発点にたつ心理学では、大まかにいえば、次のような諸問題が研究対象になる。

 一つ目は、心の適応性である。適応という概念は、従来の心理学においても中心概念であることは言うまでもないが、適応とは何かということに関してはその輪郭がはっきりと規定されているわけではなかった(あえて言えば、不適応行動の対義語が適応か)。一方、進化生物学でいう適応は、生存や繁殖上(相対的な適応度上)の有利さと密接に結びついている。それゆえ、進化心理学者は、どのような適応課題(生存や繁殖の有利さにつながる課題)にはどのようなものがあり、それがどのように適応的な心を生み出してきたのかを検討する。

 先史人類の生活において、彼らの生存と繁殖にとって重要な問題としては、自然環境の理解、社会的文脈における意思決定、性と養育、道具の製作と利用、文化的伝達などがあったと考えられる。私たちの心は、これらの長い進化の過程における適応課題に対する心理的反応(たとえば、子に対する愛情、危険動物に対する恐怖)を生得的に備えているだろう。一方、近現代の産物に対応した心的能力(たとえば、放射線の危険性に対する鋭敏な反応)はあらかじめ組み込まれているわけではない。領域特異的な心とは何かを考えるうえで、どのような適応によってその心が生じたのかが問われるのである。生物が生き、子孫を残していく上で直面する適応課題とは何かに関しては、動物行動学(行動生態学)の理論と知見が大いに参考になる。

 二つ目の問題は、古環境に対する適応と現代環境に対するズレについてである。私たちの脳は、少なくともおよそ5万年前にはほぼ現代人と同じ段階に達していた。この時代の人類は、文化を持ち、複合的な道具を用い、芸術の萌芽をみせ、世界中に急速に広がっていった。その後の人類の脳はほとんど変化していない。つい、数十年前まで狩猟採集生活で暮らしていた人々であっても、次世代では近代社会にすんなり溶け込み、パイロットにも弁護士にもなることができるのは、脳の基本設計が人類共通であることの証拠である。遺伝学的にみても、現在地球上に暮らす人々の間の遺伝的変異はきわめて小さいことが知られている。現代人といえども私たちの心は、古環境の適応問題に対応するようにデザインされた状態から基本的に変化していない。

 しかし、現代環境(とくに農耕・牧畜から近代産業社会までの1万年間)と古環境の間にはあまりにも大きなギャップが存在し、そこにさまざまな不適応が生じる。たとえば、モルヒネなど麻薬成分の利用は、鎮痛剤のない時代には痛みを和らげるといった適応的な効用があっただろう。当時、麻薬物質は貴重なもので、中毒になるだけの量もなかった。しかし、現代では、過去の何千倍にも濃度を高めた麻薬が簡単に手に入る。脳の基本デザインは麻薬を拒否するどころか、摂取するようにバイアスがかかっているので、意志の弱い一部の人はいとも簡単に依存症に陥る。塩分や糖分の過剰摂取も、ほぼ同じ理由で説明できる。食物に限らず、古環境に適応した脳が、現代環境にうまく対処できない例は、ほかにもたくさんあげることができる。進化精神医学では、現代の多くの精神病質が、なんらかの他の適応形質とリンクしていた(している)のではないかと論じられることも多い。

 三つ目は、心の通文化的普遍性である。上述のように20世紀の人間科学では、心は社会や文化によって作られることを強調してきた。今日の文化心理学の隆盛もその流れをくんでいる。相対主義や脱構築主義は、一部では、いまも強力に主張され続け、過激な主張の中には、かつての行動主義者以上に、心はいかようにも変容可能だと唱える立場もある。けれども心ははたしてどこまで任意に発達可能なのであろうか。進化心理学では、遺伝学的にも解剖学的にも人種差はきわめて小さいことと、人類の脳は数百万年の年月をかけてゆっくりと形成されてきたことを考え合わせ、心の初期設定には人種や文化を越えた共通性がある、という立場をとる。人類であれば、どこでも見られる人間の心とはどのようなものか、すなわち人間の本性についての理解が進化心理学の中心的テーマにある(この分野の代表的な学術雑誌は、Human Natureというタイトルである。余談ですが、編集委員の一人として個人・図書館での購読をお願いします)。

 人間の本性を考察することは、生物界においてヒトがいかなる点でユニークな動物であるのかという問題でもある。生物界におけるヒトのユニークな特徴としては、学習能力の高さ、新皮質の発達、文法構造を持つ言語を持つこと、複雑な社会性(とくに非血縁者による互恵社会の形成)、倫理感情をはじめ感情の豊かさ、長期的な男女の絆、子に対する長い養育、家族・親族の形成等々、実に多くの特徴があげられる。これらの特徴について、進化心理学者は他の動物種との比較、文化間比較、そして発達に強い関心を寄せている。

 四つ目は、個別の心のトレードオフについてである。先に述べたように、心の適応は領域特異的な文脈で形作られる。たとえば、子どもの養育に関連した心(例:子どもを慈しむ心)と配偶者獲得に関連した心(例:異性に恋い焦がれる心)と協力行動に関連した心(例:自分によくしてくれた相手を好きになる心)は別の淘汰を受けて進化してきた。一方、生物にとって認知資源は有限であり、資源を何に振り分けるかに関する問題が生じる。あることに対して適応的な心は、別の文脈では足かせになるかもしれない(例:力の示威は配偶者獲得に有利かもしれないが、生存率をさげるかもしれない)。進化生物学者は、このような適応課題間の妥協やトレードオフについて多くの研究を積み上げてきたが、心理学においてもその視点を導入することは有効だろう。

3.進化心理学の隣接領域

 進化心理学はさまざまな分野の出会いによって誕生し、いまも他分野との交流を続けるきわめて学際性の高い学問である。

 心や行動を扱う以上、「心理学」がベースあるいは核になることは当然である。また、進化を問題にする上では、「進化生物学」の理論的枠組みと実証的な証拠が欠かせない。とりわけ人類の進化に関しては、「進化人類学」や「先史学」、「考古学」との接点が多い。しかし、先史時代の生活復元には限界があるので、現代の狩猟採集民を研究対象とする「生態人類学」とも関係する。また文化間比較では「文化人類学」の情報も重要である。

 さらに進化のスケールを広げてみると、霊長類としてのヒト、動物としてのヒトという視点が必要であるので、「霊長類学」や動物学(とくに「動物行動学・行動生態学」)とのかかわりも非常に深い。当該の行動にどこまで遺伝規定性があるかについては「行動遺伝学」に負うことになる。

 前述のように進化心理学では、他種と比較して、人がどのような点でユニークであるかを考えるわけだが、個々の人間固有の特質(言語、倫理観、審美観、家族など)を理解するためには、伝統的な人文社会科学の豊富な知見を無視することができない。

 こうしてみると、進化心理学には人間(及び動物)に関する非常に多くの学問領域がかかわっていることがわかるだろう。実際、米国の人間行動進化学会の出席者の顔触れは、心理学者や進化生物者、動物行動学者のみならず、言語学者、人類学者、精神医学者、社会学者、医学者、文学者など実に多彩である。進化心理学は、人間に関する各領域と個々に関連するだけでなく、各領域を橋渡しする役割も果たしている。

発達心理学と進化心理学

 進化心理学が発達研究に寄与、貢献できる点、逆に進化心理学が発達的視点をとりこまねばならない点としては、次のようなことが考えられるだろう(以下は個人的に関心のある点を強調しているので、他にも面白い相互作用が期待される領域はあるはずだ)。

 まず第一は、適応的な心の発達プロセスの問題である。前述のように、進化心理学は適応的な心が領域特異的であることを強調するが、それがどのように発達するかはまだ研究途上である。海外の研究者の中では、SpelkeやKeil、Gelmanなどが、領域固有的な心の発達を詳細に追っており、国内でも波多野誼余夫氏や内田伸子氏の研究グループで同様の試みがなされている。しかし、一般的に見て「適応的な心」や「人の本性」の発達研究はまだまだ端緒についたばかりである。近年、急速に広まった「心の理論」に関する研究は霊長類の認知研究から始まったが、自閉症との関連で「心の理論」研究をもり立て進化心理学立場をとるBaron-Cohenは、そのモジュール性を強力に主張している。乳幼児における社会的推論がどのように発達するのかは、脳内の神経系の発達過程と併せて、非常に興味深い問題である。

 二番目は、発達研究の中心課題であり、古くて新しい問題である遺伝と環境のかかわりについてである。「遺伝対環境」の二分法ではなく、「遺伝も環境もともに重要」ということは繰り返し言われてきたことだが、伝統的に発達心理学者は、どちらかというと環境要因に大きな関心を向けてきた。発達心理学という学問が、教育学という大きな枠の中で行われてきたということもあり、養育、教育的働きかけに重点が向けられやすかったのかもしれない。

 古くからのこの問題に対して、近年、行動遺伝学が急速に影響力を強めつつあるように思われる。双生児研究と最新の他変量解析を組み合わせた新しい方法論により、遺伝、共有環境、非共有環境の寄与の程度が量的に理解できるようになってきた。さらにここに進化心理学的視点を加えると、心の生得性について新しい検証が可能になると思われる。進化的に非常に強い淘汰を受けてきた領域固有的な心理機構は、遺伝的変異が小さくなっているために、遺伝率が低いことが予想される。誤解されやすい疑問として、生得的な形質であれば、逆に遺伝率が高くなるのではないかと思われる方がいるかもしれないが、遺伝多型が存在する場合の遺伝率は個人差を説明する指標であり、多型がない(ほぼ万人に共有されている)形質(たとえば指が5本である)に関しては、遺伝率は低くなる。慶應義塾双生児研究プロジェクトの最近の調査結果では、進化心理学で有名な認知課題(裏切り者検知課題、心の理論課題績)の成績の遺伝率が非常に低いことがわかってきた。なお、発達研究と行動遺伝学を組み合わせたプロジェクトが、わが国でも菅原ますみ氏を中心に始まっており、進化心理学的にみても今後の展開が大いに期待できる。

 三つ目のテーマとして、上の二つと比べると限局的なテーマであるが、認知能力の性差の発達の問題があげられる。性差は生物学的変数として最重要なものの一つだが、性差研究が基礎研究として取り上げられることは、日本の発達心理学ではあまりなかったように思える。むしろフェミニズム的な立場からは、認知的性差は社会化の産物であり、是正されるべきものという強いメッセージが発せられてきた。もちろん、現存する認知的、心理的性差は社会的役割やその期待などによって作られる部分があることは否定しようもないが、それがすべてではないことも事実だろう。進化心理学は性差研究の基本的な枠組みを提供できる分野の一つである。

 性差に関する進化生物学的な理論としては、性淘汰の理論があり、この理論からは男女間の生活史戦略や繁殖戦略に大きな違いが生じ、それにリンクした心理的性差が生まれると予測される。生理過程だけをみても、男女間の内分泌状態、脳の発達、免疫などに無視できない差があることが分かっており、それらは進化的適応と結びついている。初期値、あるいは準備性のレベルにおいて男女間にどのような差異が存在し、どのような発達をたどるのかを調べることは、よりよい男女共同社会を築くための基礎づくりとして欠かせない作業だと思われる。

 「である」から「べし」は導けない、という自然主義の誤謬について、多くの方がまだ誤解したままであり、「である」とわかれば、自ずとそうなる「べし」だと考えがちだ。しかし、生物学的研究によって引きだされた結論を、そのまま社会規範として受け入れる理由はまったくない。認知的性差が生物学的に明らかになったとしても、それはさまざまな方法で社会的に調整できることである。

おわりに

 世間一般では、生物学的決定論(生物学的にわかった事実は受け入れるしかない)が広まっており、「だとしたら、生物学的事実はしらない方がまし」という風潮がみられる。言うまでもなく、心理形質に関する生物学的研究には優生主義という暗い過去があり(今もないとはいえない)、生物学的知見の扱いには慎重さが要求される。しかし、ゲノムの時代と言われる21世紀に生じる諸問題に対して、生物学的に無理解のまま対処していくのはむしろ無謀なことだろう。人間心理についても進化的、生物学的に理解する必要性はますます増していくに違いない。

 進化心理学的アプローチは、発達研究のみならず、社会心理学、認知心理学、臨床心理学等々、およそほとんどの心理学と直接、間接にかかわっている。進化心理学は特定の対象を扱う心理学ではなく、心をどのように捉えるかについての見方を提供するメタレベルの心理学である。「ヒトは生物であり、進化的存在である」というメッセージは、心理学以外の他の人文社会科学ではなかなか出てこない(むしろ受け入れ難い)発想だろう。であれば、進化心理学の眼をもった心理学者は、旧来の人間観を大きく変えていく可能性があるだろう。

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5 例会参加印象記(認知発達理論研究会第3回例会に参加して) 

 渡辺恒夫(東邦大学理学部心理学研究室)psychotw@c.sci.toho-u.ac.jp

 中垣先生から参加印象記を書くように言われたが、テキストであるThe Evolution of Mind (Ed.by D.D.Cummings &C.Allen, Oxford,1998)を事前に読んでおくことができなかったこともあり、テキスト内容にあまり触れることができず、文字通り印象というか感慨記になってしまったことをお許しいただきたい。

 この会は、大学院生が近刊洋書を分担して発表するという形式であって、若手が過半数を占める、若い研究会である。さて、若人が発達心理学に向かうのは、自分が現にあるところの成り立ちを理解したいという、自己探求心からであると筆者には思われる。個人的なことを言えば、筆者は他者の非存在を「証明」せんとの野望を抱いて(30数年前に)哲学科に入学したのであったが、種々挫折を経験したあげく、他者の存在を疑ったことのない多数派と、他者の非存在を疑ったことのないワタシとを同時に説明できるような発生的認識論ができれば事態がはっきりするのではないかと、心理学に転進したのであった。けれども、当時さかんだったピアジェ、ワロンの枠組を以ってしては歯が立たず、発達研究を離れて迷走を続ける他なかった。それが、最近、舞い戻って来たというのは、心の理論など認知発達論の発展に可能性を見出したからであり、また、勤務先の理科系の学生の間から「独我論的体験」の自発的報告が頻繁に寄せられるようになり、「やはりヤラネバ」と思ったからである……

 いきなり私事に渉って恐縮であるが、どのような問題意識をもって会に臨んでいたかをはっきりさせたのである。当日は遅刻の為、Chap.1(Ecological Intelligence)の発表の大部分を聞き逃してしまったのであるが、担当の加藤弘通氏(中央大文学研究科)作成の要を得たレジメと優れた「考察」のお陰で、即座に論点を理解することができた。このことはChap.2(Social norms and other minds)担当の西垣順子氏(京大教育学研究科)の場合でもそうであって、特に「規範や心に関する推論が苦手なサルは制裁を受けるが人間社会にはそのような“弱者”を保護するモラルのようなものも存在するのはどうしてか」と疑問を書かれていたのが印象に残った。午後の部は食堂探しに手間取り少し遅れて戻ったところ、参加者が50名近くに膨れ上がっており、後の席しか取れず。ために、Chapter3(Building aCognitive Creature from a Set of Primitives)担当の小林哲生氏(東大総合文化研究科)のせっかくのパソコン画面投射による発表が、近視の筆者には十分見えなかったのが、興味あるテーマだけに残念だった。視覚的プレゼンテーションは授業等では効果を上げるが、後で記憶を新たにしようにも資料がないなどの問題もある。最後の大藤素子氏(ヒューストン大大学院)担当のChap.8(Some issues in the evolution of language and thought)は、様々な言語起源論を自然淘汰説から見直すという困難なテーマに挑んだもので、レジメも詳細で要を得ており分かりやすかった。コメンテイターの長谷川寿一先生のショートレクチャーは、会報に載るということなので内容紹介は省くが、プレゼンテーションも分かりやすく、特に進化心理学を特定領域のないメタレベルの心理学としているところが印象に残った。

 最後にこの会を通じていよいよ強まった進化心理学への疑問というか期待を述べたい。西脇氏の「疑問」の処で筆者も質問したことにも関連するが、進化心理学的説明を人間社会に当てはめようとすると、高次の文化やモラル「以前」の慣習を生得的行動傾向として「追認」してしまい勝ちで、その結果、長谷川先生の言う玉石混交中の石なのかもしれないが、一夫多妻制を賞揚するようなことになり勝ちである。人間性とはむしろ、己の内なる生得的傾向を反省的意識でもって超克するところにある以上、そのような自己超克的反省意識の進化的意味をも射程に収める意欲を示して欲しいものである。さすれば進化心理学は後ろ向きの社会理論との謗りを脱することができるだろう。

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6 認知発達理論研究会第3回例会資料

 報告者の方に第1章レジュメ(加藤弘通さん執筆),第2章レジュメ(西垣順子さん執筆)、第3章レジュメ(小林哲生さん執筆)、第8章レジュメ(大藤素子さん執筆)をそれぞれ提出していただき、それを添付書類(text file)としました。テキストおよび本報告を読む際の参考にして下さい。

 

必要に応じてダウンロードしてください。ダウンロードの方法

第1章 Word
第2章 Word
第3章 Word
第8章 Word

 

【編集後記】例会報告の第3号通信をお届けします。当初の発信予定より1ヶ月も発信が遅れて申し訳ありませんでした。本報告書作成に当たってご協力いただいたコメンテイター、報告者、例会参加者の皆様に改めてお礼申し上げます。また、この報告書および例会を今後ともより良きものにしていくために、会員および例会参加者の皆様のご意見、ご提案をお気軽に世話役までお寄せ下さい。

 なお、会長挨拶にもありますように、本研究会は今年3月から日本発達心理学会専門分科会として発足する予定です。つきましては、分科会発足会を下記の要領で予定しておりますので、お知らせします。

 会場:鳴門教育大学学校教育実践センター1階 センター多目的教室

 日時:3月27日(火)17:00〜18:30

次年度の行事計画や例会での検討文献を決める重要な会ですから、出来るだけ多くの会員の方のご参加を期待しております。

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