認知発達理論分科会 第7回例会報告

   第7回例会世話人            
    落合正行(追手門学院大学)otiai@res.otemon.ac.jp
    足立自朗(会長:埼玉大学)adachi-j@oak.zero.ad.jp
    高平小百合(事務局:玉川大学)sayuri@lit.tamagawa.ac.jp

目 次

1 第7回例会概要

2 議事録

3 例会参加印象記

4 例会報告資料(添付書類)>

 

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1 第7回例会概要

◆日時:6月15日(土曜日)午前11時〜午後5時

◆場所:京都教育大学F棟1階F16教室

◆出席人数:31名

◆検討文献: ブルーナー著 意味の復権 ミネルヴァ書房刊

    JEROME BRUNER  ACTS OF MEANING:Four Lectures on Mind and Culture.
    Harvard University Press.

◆コメンテイター:岡本夏木先生

◆検討テキストに関する情報
ACTS OF MEANING
Four Lectures on Mind and Culture
JEROME BRUNER
November 1990 
・Cloth edition:$25.00 / £16.95 / _28.80 (one world price)
ISBN 0-674-00360-8 Not Available  Out of print
・Paper edition:$14.50 / £9.95 / _16.70 (one world price)
ISBN 0-674-00361-6
"The failure of the cognitive revolution to unravel the mysteries of the workings of the human mind as the creator of meanings is the starting point for Jerome Bruner's Acts of Meaning. He argues that psychology should return to human concerns, especially the role of culture in shaping our thoughts and the language we use to express them...[He] seems to have read and assimilated everyone else's ideas on the topics he discusses. He can--and does--allude to them in context, so that we are constantly rubbing elbows with the giants on whose shoulders he stands. Erudite and recondite, the text glistens with Bruner's bold style."
--Dava Sobel, New York Times Book Review
"Bruner again demonstrates his impressive range of interest as he proposes nothing less than to set the essential agenda for psychology today...Bruner aims his manifesto not at the behaviorists--he considers that struggle long since won--but at those members of his own cognitive party who have sold their souls to the computer...[He] describes how psychology can rededicate itself to the study of meaning and its formation. Having spent an illustrious career ascending the mountain, he now takes an elder statesman's panoramic view...Those interested in the current debates in psychology will find [this] book provocative and stimulating."
--Paul Buttenwieser, Washington Times
"Acts of Meaning, written by one of the most distinguished thinkers in human development, is an insightful summary of the past trends in the field, and is, perhaps, a prophetic glimpse into the future. Bruner's breadth of knowledge makes for thought-provoking and enjoyable reading for anyone interested in human culture."
--Harvard Educational Review

◆この例会のテキストは、ブルーナーの研究の到達点ともいえるものです。ブルーナーによると、1950年代より起こってきた「認知革命」が、心理学の研究に人間の「心」と「志向性」や「意味」をとりもどそうとする力によってひきおこされてきたのに、その後の過程ではそれが「認知科学」の一環として進行することとなり、そこでは「情報処理」と「計算可能性」ということが認知の中心的メタファーとなっていった。それは、技術的細分化とそのパラダイムに合わせての研究の特殊化をもたらすこととなったが、最初に認知革命を引きおこす起動力であったはずの本来の人間研究からははずれた方向へと進むこととなり、他の人間諸科学から隔離されさまざま点で取り残されるにいたった。その意味で心理学は人間本来の研究にたちもどるための「再革命」を必要とする時点にきている。認知革命をひきおこした当時のスピリットをとりもどすための再革命の出発として、まずなすべき作業は、認知科学が捨象してきた「意味」の問題に立ち帰ることにあるとブルーナーは主張する。そこで、認知発達理論研究会では、我が国におけるブルーナー心理学のパイオニア的研究者である岡本夏木先生をコメンテイターとしてお迎えして、認知発達研究における意味の問題をじっくり検討する機会を設けました。

◆コメンテイター岡本夏木先生のプロフィール
 京都大学文学部卒、京都教育大学名誉教授、京都女子大学名誉教授、業績は「認識能力の成長」(ブルーナー著、明治図書)、「子どもとことば」「ことばと発達」(岩波新書)、「認識とことばの発達」(ミネルヴァ書房)、「意味の復権」(ブルーナー著、ミネルヴァ書房)など多数。ブルーナーの最近著であるThe culture of education (Harvard University Press,1996)の翻訳書が近く出版予定。

2 議事録

◆例会当日の時間割および報告者

11:10-12:30
 岡本先生によるブルーナー著「意味の復権」の解題
 吉村啓子先生による「ブルーナーによる心理学者の系譜の試み」
12:30-13:50  お昼休み
13:50-  意味の復権:
       第一章 人間研究のあるべき姿
       第二章 文化装置としてのフォークサイコロジー
        紹介者:吉村啓子(兵庫大学短期大学部助教授)
       第三章 意味への参入
        紹介者:岡本夏木
       第四章 自伝と自己
        紹介者:山名裕子(神戸学院大学博士課程)
 行為の意味 矢野喜夫(京都教育大学教授)
       討論

 幹事の落合先生による司会のもと,会長の足立先生の挨拶で始まり,上記の順に発表が行われました。吉村先生の発表の後で,フォークサイコロジーの訳語(素朴,民衆,民族等)が問題になるとともに,フォークサイコロジーとは研究対象か研究そのものかという問いが中垣先生から投げかけられ,それに対して,吉村先生から,研究者自身も含んだ意味でフォークサイコロジー,2つは明確に区別されていないと思う,という回答がありました。
 また,第二章と第三章の間で,高田明さんから,最近のアメリカの人類学の学会でのブルーナーを讃えるセッションの紹介と第一章と第二章に対するコメントがありました。
 ブルーナーの貢献として,議論を活発にする知的環境をつくる,認知科学の潮流をつくる,そして,認知科学から袂を分かつ,という3点が指摘されていたという話や,ワーチが彼の仕事のごた混ぜ性を評価していたという話とともに,ブルーナーが多くの研究者に慕われている様子が紹介されました。
 そして,第一章と第二章に対するコメントとして,
1 文化をどうとらえるか,文化そのものを分析するきっかけとしてブルーナーの研究は意味がある。
2 行為と意味が不可分につながっている。場面での行為の意味と意味の意味をどのようにつなげるかが今後の課題
3 素朴ということは信じるということと結びついている
の3点が述べられました。(記録者:杉村)

最後の討論の様子は下記のとおりです(敬称略,記録者:坂田,編集者:杉村)。

足立 「分散」とは・・・”配分されている”と同義。ある文化に埋め込まれた人は,その文化の配分や再配分を受けているということを指すのではないか。
吉村 分配・分散・配分のどれか迷った。
足立 PDP並列分散処理から来ているのでは?
岡本 どう訳すか迷った。しかし哲学の方では分散と訳されているようで,分散を採用した。配分・分配・配置などは,どこにはいるか入り先が決まっている感じがするが,この場合は行き先が決まっていないようなので。

足立 訳語のほかに,読みとりは?
吉村 配分に近い。拡がりを含むと分散の方がいい。
足立 situationをあまり狭く考えないで,広く考えるべき。その上で自己を考えるべきではないか。
中垣 配分された自己。分散された自己。後者の方がしっくりくる。
岡本 配分は一定のものを分ける。分散は不定のものを外延的に分ける。文脈によって分けてもいのかも。lifeも文脈によって分けている。学際的に訳した方がいいと思った。

落合 「意味の復権」の「意味」とは? 矢野 actsとはどういう意味か?もともと作用・働き
岡本 意味の作用。意味すること。意味という行為。行為としての意味。意味と行為。
足立 最初見たときmeaning of actsかと思った。
岡本 行為そのものに意味が含有されている。指向性・意図など・・・
足立 acts→演劇語では「幕」。つまり,意味が人生の中で現れる。
岡本 行為としての意味と近い。ブルーナー自身曖昧に語を使う。
吉村 意味への回帰と考えたが,ちょっと・・・ofを=と取った。演劇語としては考えなかった。

中垣 p.97「意味そのものは前もって存在している・・・」そうすると,象徴機能を持っていない動物は意味を持っていないのか? それを考えると,意味はもっと大きなこと,意義のようなことを指す(人生の意義とか・・)
岡本 ブルーナーの意味は文化的意味,シンボルシステムにおいて形成される意味をさす。
足立 記号の役割について。ヴィゴツキーは記号に大きなウエイトを与え拡大解釈し,記号が文化の中心としてとらえた。
岡本 ブルーナーは,あまり記号という語を用いない。むしろ動作的表象を,動作を記号として表すか,絵でかいて図式で表すか,シンボルとして表すか。ブルーナーはシンボルと言葉をほとんど同義として使用している。表象をどういう表し方をするかは,文化で規定されている。

渡辺 記号論的意味を存在論的意味にいかにして移行させるか?違うものなのか?
岡本 行為的意味が必要。ブルーナーは,意味化過程としては,意味するものと意味されるものよりも,どう意味づけるかを主張している。
矢野 記号が意味づけるというより,人間が主体であり,外界を意味づける。
岡本 ブルーナーはあまり区別していない。シンボルは意味づける方をづけられる方で相互に意味づけ合う関係にある。物語も相互作用。

高田 「解釈」とは→ナラティブの参加者としての解釈と学問の研究対象としての解釈との区別は?
岡本 あまり区別していないのでは?基本的には日常心理でいいのではないか。フォークサイコロジー→日常心理 文化心理学→研究対象

*** 行為の意味論 矢野先生 資料参照 ***

足立 ピアジェの感覚運動期以後のはなし→「意味の論理」に記述あり。
?? 一章でブルーナーは認知革命を否定しているが,心理学では一致した見解なのか
吉村 心理学では,ふつうの見解ではないか。
?? 心理学と認知科学はアメリカではちがうのか?
足立 認知科学はコンピュータメタファーや計算機論で解釈しようとしている
?? (4章のレジュメより)ブルーナーの言う解釈とはなんですか?
岡本 認知とは領域によって少しずつちがうので,ブルーナーの知見は他分野からは反論もある。

谷 (P.130)ジャンルとは?
岡本 わかりにくいが,文芸学から引いてくるときジャンルという。おそらく物語り(元々文学論にあるから)を引くとき,いろいろなジャンルがあるということはないか。
谷 96年の論文の中で,「変化はジャンルの中で起きる」という言い方をしているが,ナラティブとストーリーとジャンルとの関係は?
岡本 物語はストーリーからなっている。ジャンルはよくわからない。

?? 物語という言葉を使わなくても,説明という言葉ではだめなのか?
岡本 説明というと,論理的,因果的に説明する。法則が必要。
足立 理解・説明・解釈 → 理解するときに,説明できるよう解釈する。結果を原因から説明する。解釈は別のはなし。
岡本 understandも理解して説明するという意味が強いのでは。 解釈とは,そのときの目的に応じて一致しているかを前提とする。

渡辺 素朴とは?
岡本 逆に教えていただきたい。フォークサイコロジーとの関係は→ 知識的なもの+価値や感情。科学・学校教育を受けなくても自然に身につける。進んだ文化の中では,科学は入り込んでいて切り離せない。
渡辺 素朴生理学,素朴物理学は突き詰めると生理学,物理学となる。素朴心理学は突き詰めると心理学にはならないので。「素朴」が違う。

高田 フォークとは→「信じる」ということではないか。疑うことは文化心理学。
矢野 フォークサイコロジーはヴントに近い。フォークは人類学でよく使われる(自然科学的分類ではない)。哲学でフォークサイコロジーをよく使う。心理学者はあまり言わない。岡本先生のおっしゃったように,フォーク心理と訳した方がいいかも(フォーク心理学ではなく)・・・。

3 例会参加印象記

布施光代(名古屋大学大学院教育発達科学研究科)fuse@lilac.ocn.ne.jp

 今回は,J・ブルーナー著 岡本夏木・仲渡一美・吉村啓子訳(1999)「意味の復権 フォークサイコロジーに向けて」が取り上げられた。訳者の方による報告だったこともあり,ブルーナーの生い立ち,主要研究テーマの流れや代表的な著作から「意味の復権」の背後に含まれるブルーナーの膨大な知識と教養の深さを詳しく解説していただき,また,翻訳の苦労話も聞くことができ,大変参考になった。
 例会はブルーナーに関する解説,「意味の復権」の各章の紹介,全体的議論という形で進められた。最後の議論のトピックとして,主に“意味の問題”,“記号について”,“誰にとってのfolk psychologyか?”の3点が挙がっていた。どれもそれぞれ興味深い議論であったが,個人的には特に“folk psychology”に関する議論に興味をひかれた。フォークサイコロジー,素朴心理学,素朴理論といったことばはすでに聞きなれたものであるが,「研究対象としてのfolk psychologyか」,それとも「方法論としてのfolk psychologyか」という問題は,これまで突き詰めて考えられてこなかったのではないだろうか?これまで,ブルーナーによって述べられているフォークサイコロジーと,素朴物理学や素朴生物学などの認知発達における素朴理論研究とは,異なる別の流れであり,交わるところがないのではないかと捉えていた。しかし,両者の関連性を考える鍵が,上述の「誰にとってのfolk psychologyか」という視点にあるのではないかと思われた。まだそれ以上の考えは持っていないが,今後の課題として心に留めておきたい。また,当日の議論の中で,素朴心理学を精密化していくと心理学ではなくなり心理になる,素朴物理学・素朴生物学を精密化していくと科学的になる,という意見があった。このような捉え方も,大変興味深いものであった。研究では科学的であることが重視されがちであるが,研究者自身がもっている価値観や信念も含めて,もっと人間の心のプリミティブな問題に立ち戻ることも必要なのかもしれないと感じた。

4 例会報告資料(添付書類)

必要に応じてダウンロードしてください。ダウンロードの方法

岡本先生 画像1 画像2 画像3-1 画像3-2 画像3-3

  岡本先生のレジメは手書きでしたので,画像ファイル(JPEG形式)で提供します。
見るだけの人はリンクをクリックしてください。

吉村先生 ワード

山名先生 ワード