「栗生武夫先生著作目録」補遺

「栗生武夫先生『婚姻法の近代化』の中訳本について」

目  次
1 はしがき 
2 中訳翻刻本内容
3 胡長清再論

法制史学者著作目録選

1 はしがき

 我が西洋法制史家の著作で戦後中国語訳されたものとしては,上山安敏先生の『神話と科学―ヨーロッパ知識社会 世紀末~20世紀』(岩波書店,昭和59年5 月28日刊)の翻訳(孫傳サ訳『神話與理性―十九世紀至二十世紀初欧州的知識界―』上海人民出版社,1991〈平成3〉年2 月第1 版〈中訳本〉)が著名であるが,戦前のものでは,栗生武夫先生の『婚姻法の近代化』(京都 弘文堂書房,昭和5年8月15日刊,菊版仮綴200頁,1円80銭)中訳本の胡長清『婚姻法之近代化』(中華民国,民国20〈1931〉年刊,以下「中訳本」ともいう。)がある。
 寡聞にして同書に言及した邦語文献は知らないが,これは,「戴炎輝博士略年譜・著作目録」の前回改訂中の平成11(1999)年3月頃に知リ得たもの(『栗生武夫先生・小早川欣吾先生・戴炎輝博士略年譜・著作目録(新版)〔附〕『小早川欣吾先生東洋法制史論集』〈平成8年6月25日刊〉補遺〈第一輯〉―ローマ法・法制史学者著作目録選(第一輯)―』〈平成15年9月1日刊〉10頁参照。)で,台湾の著名な法律家である曾華松氏(1936~,当時:中華民国司法院大法官)の「惟理是求的炎輝院長」『法学哲人―戴炎輝博士回憶集』(台北,1997年11月28日刊,本書は当時御在京中の黄源盛博士よりいただいた。)114,115頁による。そこで,曾大法官は,同氏がかつて民国49,50(1960,1961)年頃軍法学校の予備軍官(軍法官)訓練時に中訳本を読んでいたところ,戴炎輝博士の令息の戴東生氏(民国86〈1997〉年時台北市立銀行副総経理,戴東雄大法官の令兄)と同期であったことから,戴博士より御家蔵の栗生先生の原本を親しく貸与され,両書でもって比較研究したと言われている。このため、中訳本について、当時(平成11〈1999〉年3月末)、台湾の梁添盛博士にお尋ねしたところ、梁博士はわざわざ曽大法官にお聞き下さり、軍法学校の図書室で借りて読まれたものであることは確認できたが、原本は見当たらないとのことであった。加えて、梁博士は、わざわざ台北の主要図書館にも当たって下さったが、ここでも発見出来ないとの御連絡をいただいた。比較研究したと言われている。このため,中訳本について,当時(平成11〈1999〉年3月末),台湾の梁添盛博士にお尋ねしたところ,梁博士はわざわざ曽大法官にお聞き下さり,軍法学校の図書室で借りて読まれたものであることは確認できたが,原本は見当たらないとのことであった。加えて,梁博士は,わざわざ台北の主要図書館にも当たって下さったが,ここでも発見出来ないとの御連絡をいただいた。
 その後,昨平成15(2003)年秋になって,北京で『婚姻法之近代化―中国近代法学訳叢 』(〈日〉栗生武夫著・胡長清訳・沈大明勘校 出版社:中国政法大学 サイズ:32開 ページ:160 装幀:精装 出版年月:2003年5月)が刊行されたことを知った。早速国内で購入手配をしたが買い損ない,漸く先頃、北京に長期御出張中の辻田堅次郎氏(産経新聞外信部編集委員)にお願いして入手出来た。曾大法官、黄博士、梁博士及び辻田編集委員の格別の御高配に厚くお礼申し上げるものである。
 以下では,中訳本について二,三誌しておくこととする。

2 中訳翻刻本内容

 現在中国では民国期の法律書の翻刻が始まっており,本書もその一つという。本翻刻本は,奥付けによれば,次のとおりである。
「何勤華主編「中国近代法学訳叢」 北京 中国政法大学出版社 (日)栗生武夫著 胡長清訳 沈大明勘校『婚姻法の近代化』2003年月第1版 20元」
 このように,本書は,何勤華(1955~,上海・華東政法学院院長,全国外国法制史研究会会長,同氏について個人HPがある。)主編「中国近代法学訳叢」(北京 中国政法大学出版社)の1冊として出版されたものであるが,最初に原本冒頭頁が写真復刻された後,2002年8月1日付けの何氏の「総序」がある。それによると,民国期には,多くの法律書とともに,穂積陳重『法律進化論』(3冊,岩波書店,大正13〈1924〉~昭和2〈1927〉年)をはじめ約400余種の外国法学訳書が刊行され,「中国近代法学遺産の重要組成部分」になっているが,歳月の経過により,見ることが難しくなってきているので,それらを,「中国近代法学訳叢」として,翻刻することにしたという。その後,凡例で翻刻の仕方に言及し,基本的にはそのままであるものの,縦書きを横書きに,繁体字を簡体字に,標点を現在のものにしたこと等が書かれている。
次いで,本書について,2002年6月付けの校訂者沈大明氏の「勘校説明」がある。ちなみに,沈氏に関しては,はっきりしないが,最近のネットによれば,華東政法学院法律史博士生とか,上海交通大学,上海社会科学院の事項で出てくるので,上海で活躍している若手法制史研究者と思われる。沈氏のいうところは,大要以下のとおりである。
 胡長清(1900~1988)は,中国の著名民法研究者で,かつて北京にあった朝陽大学専門部法律科を卒業し,日本に留学,朝陽大学,燕京大学,中央大学等で教鞭をとるとともに,雑誌『法律評論』を主宰し,『中国民法総論』,『中国民法親属論』,『中国民法継承論』,『中国刑法総論』等の著書がある。本訳書『婚姻法之近代化』は,1931(民国20,昭和6)年8月南京の法律出版社より刊行され,『法律評論叢書』(第5種)に収められたものであるが,1935(民国24,昭和10)年11月に,上海の商務印書館より再版された。胡は婚姻法について優れた見識を持ち,旧中国婚姻法研究の代表的人物であり,1931年に『中国婚姻法論』,『中国民法親属論』を出しているが,中国婚姻制度とその変遷を研究するとともに,世界各国の婚姻制度をも研究し,栗生武夫の著作翻訳もその一環である,と。
 そして,その後,栗生武夫の本書の内容を紹介し,最後に,今次翻刻は,上海の商務印書館出版の1935年刊行本に拠ったものであるとして,校訂内容を記している。
沈氏の説明は以上のとおりであるが,訳者胡長清については,没年は1988年と記されているものの,何故か第二次世界大戦以前のことしか書いてなく,その後のことは,残念ながら言及されていない。
 次いで,本書は,胡の訳書を翻刻しているが,最初に同人のはしがき(中文:弁言)があり,栗生武夫は日本の新進の民法学者(編者註:栗生先生は我が国最初の西洋法制史の専攻者であるが、民法,特に親族法の専門家でもあった。)であり,婚姻法に造詣が深く,『婚姻法の近代化』は,その代表的著作の一つで,簡にして意を尽くして,ローマ法と教会法の抗争と変遷を叙述しているので,中文に訳し,婚姻法研究の参考とする旨述べているが,栗生先生個人との関係には触れていないので,おそらく比較婚姻法史研究の代表的なものとして訳出したものかと思われる。
 なお,訳者胡長清の著書としては,例えばnacsis webcatによれば,次のようなものがあることがわかる。うちGは,本「中国近代法学訳叢」と同種の復刻叢書関係(「二十世紀中華法学文叢」,中国人執筆の法学書か。)の1冊であろう。
@ 中國民法總論 / 胡長清著. : 商務印書館, 1933. -- (大學叢書)
A 中國民法總論 / 胡長清著 : 上冊 : 平裝, 下册 : 平裝. -- 商務印書館, 1934. -- (大學叢書)(@とAは同じものか。)
B 契約法論 / 胡長清著. : 商務印書館, 1934. -- (百科小叢書 / 王雲五主編)
C 中國民法債篇總論 / 胡長清著 : 上册 : 平裝, 下册 : 平裝. -- 商務印書館, 1935. -- (大學叢書)(CとFは同じものか。)
D 中國民法親屬論 / 胡長清著. : 商務印書館, 1936. -- (大學叢書)
E 中國民法繼承論 / 胡長清著. : 商務印書館, 1936. -- (大學叢書)
F 中國民法債篇總論 / 胡長清著 : 平裝 : set - 下册 : 平裝. -- 8版. -- 商務印書館, 1948. -- (大學叢書) (CとFは同じものか。)
G 中国民法総論 /胡長清著. : 中国政法大学出版社, 1997.12 -- (二十世紀中華法学文叢 ; 3)(Aの翻刻か。)

3 胡長清再論

 このように,今次中訳翻刻書でも,訳者胡長清のこと,更には,胡と栗生先生との関係についてはなお不明であるので,本年2月,梁添盛博士に,台湾でわかることについて再度お問い合わせしたところ,以下のようなお返事をいただけた。博士より引用をお許しいただいたので,以下に再録しておく。

 「親赴國家圖書館?詢『名人?』等相關資料,無法得知胡長清先生是否曾經來過台灣。其中較為重要的發現如下:
1)胡長清(1902〈ママ〉---?),四川萬縣人,字次威。日本明治大學法學士。曾任中央大學,國民黨中央政治學校(即現今之國立政治大學)教授,法律系主任,法律評論社編輯主任等職。著有中國民法總論,中國民法債編總論,民法總則,民法債總論;譯有婚姻法之近代化,中國婚姻法論,各國民法條文之比較等。(參照周家珍編,20世紀中華人物名字號辭典,北京:法律出版社,1999年8月,647頁;陳玉堂編,中國近代人物名號大辭典,浙江古籍出版社,1993年3月,267頁)
2)胡教授之著作類由商務印書館出版。該館遷臺後,以臺灣商務印書館之名義繼續出版,惟均註明『臺?版』。」

 これよりすると,胡長清の著作は,戦後,台湾商務印書館より継続刊行されているが,胡と国府遷台後の台湾との関係はなお不明である。しかし,御教示により,胡が明治大学に留学していたことが判明し,これは貴重である。胡長清その人,更には胡と栗生先生との接点について今後検討していく必要がある。(吉原丈司)

(補説1) 
 上記については、既に以下の書籍の322、414頁で同中訳本が出ていることが判明していたことを、先頃知人より御教示いただいた。不明を恥じるとともに、補訂しておきたい。なお、あるいは實藤惠秀氏がそれより以前に御指摘されているかもわからないが、これについては今後調査したい。(平成16年5月13日)

中國譯日本書綜合目録 / 譚汝謙主編 ; 小川博編輯<zhong guo yi ri ben shu zong he mu lu>. -- (BN00813398) 香港 : 中文大學出版社, 1980 124, 973p, 図版[14]p ; 26cm. -- (香港中文大学中国文化研究所書目引得叢刊 ; 1) -- : (H);: (P) 注記: 監修: 實藤惠秀ISBN: 9622011950(: (H)) ; 9622011977(: (P)) 別タイトル: 中国訳日本書綜合目録 著者標目: 譚, 汝謙<tan, ru qian> ; 小川, 博(1929-)<オガワ, ヒロシ> ; 実藤, 恵秀(1896-1985)<サネトウ, ケイシュウ> 分類: NDC8 : 027.34

(補説2)
 その後、平成19(2007)年12月21日に、前々から気になっていた『中訳日文書目録』(国際文化振興会、昭和20年2月20日刊)を初めて見る機会を得た。これは、実藤恵秀氏執筆に係るもので、同書56頁に、「(著者)栗生武夫 (書名)婚姻法之近代化 (訳者) 胡長清 (発行所)商務(印書館)、(刊年)民国24(年刊)、定価0.80」の記載がある。これよりすれば、中訳本の刊行は夙に判明していたことであり、無知をただただ恥じる次第である。なお、実藤恵秀『中国人 日本留学史』(くろしお出版、昭和35年3月15日刊。増訂版: 昭和45年10月20日刊)参照。(平成19年12月21日追記)。

法制史学者著作目録