1999年8月2日(月)から2000年3月31日(金)まで,文部省在外研究員(若手教官)として,
アメリカ合衆国テキサス大学オースチン校に派遣されることになりました。
このページでは,8ヶ月にわたる滞在の記録をつづっています。
8月15日−31日 : 免許の取得
8月15日(日)
- 朝から,Fiesta とHEB の2つのスーパーをはしごして,
食料品の買いだめ。
午後,私一人でレンタカーを返しに空港まで。
途中,ガソリンを満タンにするためによったスタンドで,
ノズルのレバーをひいてもガソリンがでてこない。
あきらめて別のところにしようと車にのりこんだとき,
Pay before うんぬんと書かれた,やぶれかけのステッカーが目に入った。
前払い制だったのだ。
次のところでは無事後払いでガソリンを入れられた。
**
空港では,Rent Car Return という標識にそって走っていくと,
到着した日,この車に初めて乗ったガレージに到着した。
レンタカー会社のプレートが順に並んでいて,
それにそって返却すればよいようだ。
Alamo とかかれたプレートのところに車をいれると,
係員が手で合図してくれた。
契約書をみせると,ガソリンをチェックして,それで終わり。
あとは何のチェックもなかった。
なんだかあっけなかった。
さて,問題はこれからだった。
ダウンタウンへいくシャトルがあるはずなのだが,乗り場がみつからない。
Information できくと,$9 でのれるスーパーシャトルというのを
教えてくれたのだが,乗り場がみつからない。
この日は40度をこえる暑さの中,うろうろと歩き回って,
ようやく停車中のスーパーシャトルをみつけて,
無事,バスを乗り継ぎ,ホテルに戻ることができた。
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とうとう車がなくなってしまった。
なんだかさびしい。
早く免許をとって,車を買いたいという気持ちが強くなった。
**
夜,FOX TV でX files をやっている。
出発直前まで日本でVIDEO を借りて,一生懸命
みていたので,日本にいるかのような錯覚を覚えた。
8月16日(月)
- 朝から大学に来ている。
ネットワークを使って,いろんな情報を仕入れている。
図書館にアクセスして,いくつかの雑誌から
論文をダウンロードした。
午後は早めにホテルに戻った。
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午前中,妻は「ゆい」を自転車にのせて,
少し遠めの公園へいったそうだ。
私が帰ってから,3人で「ゆい」を自転車の後ろにのせて,
Highland Mall へ行ってみた。
意外と近いことがわかり,これなら妻と「ゆい」だけでも
行けそうだ。
ただ,食料品はそこにはない。
8月17日(火)
- 朝,自転車がパンクしていることがわかった。
昨日の帰りに,とげが刺さったようだ。
3人でバス停までいき,私は大学へ向かい,
妻と「ゆい」はCaptial Plaza で途中下車して,
パンクの修理キットを買うことにした。
ところが10分待ってもバスがこない。
Nita さんが言っていた夏休みのようだ。
大学へ行くのはあきらめて,3人で
歩いてCapital Plaza へ。
ついでに少し買い物をして,帰ってきた。
戻ってパンクの修理。
**
夕方,「ゆい」を自転車に乗せて,
近所の散策に出かけたのだが,めぼしいものは見当たらなかった。
猛暑の中,大汗をかいた。
明日もUT Shuttle は休みのようなので,大学へは行けない。
Metro というバスで,なんとかBurnet Road 沿いのHEB へ
行ってみようと妻と計画している。
8月18日(水)
- 朝一番で,バス停へいってみた。
時間になってもバスはこない。
40分ほど待って,Cameron Road まで出てみることにして,
しばらく歩いていたらバスに追い抜かれた。
Cameron Road のバス停で待っていたら,いつまでたっても
バスはこない。
結局,1時間以上待って,あまりの暑さに「ゆい」の
顔も真っ赤になってきたので,あきらめた。
ホテルへ戻る途中,待ちわびていたバスに再び追い抜かれた。
要するに時間どおりに全然走っていない。
もともと40分に一本のペースなのだが。
いずれにせよ,これでは食料品の買い物をしても,
暑さで悪くなってしまう。
バスでの買い物は断念した。
8月19日(木)
- 今日は朝から大学に来ている。
この部屋は3人部屋なのだが,スペインからHaro くんが
やってきた。
ポスドクで,1年滞在するそうだ。奥さん連れできている。
**
事務にいって尋ねたら,ついにSocial Security Card が届いていた!
昼に,大学のすぐ隣にあるUniversity Federal という銀行に,
口座開設に出かけた。
新入生が口座開設にくる時期ということで,
臨時の机を並べて,流れ作業で手続きができるようにしてある。
日本からもってきたお金をいくらか入金した。
こちらでの生活には欠かせない小切手帳Checkbook も,
当座の分をもらった。正式なものは2週間かかるそうだ。
あとは日本の口座から預金を引き出して,こちらへ
移すだけとなった。
**
これで,残る唯一の懸案事項である運転免許の受験ができる。
夜,Driver Handbook を復習していたら,
Gordon 先生から電話が入った。
数学教室のある教授が車を買ってくれる人を探しているという。
96年のトヨタ・カローラで,$2300 だという。
悪くない話なので,電話番号を聞いて,すぐに電話してみたが
留守だった。
明日,大学で直接会いに行こう。
8月20日(金)
- 朝,Gordon 先生に会いにいった。
車を売ってくれるというRadin 先生がおられて,尋ねると
マニュアル車だという。
恥ずかしながら,「ゆい」が生まれてから大急ぎでとった
免許なので,私はオートマティックしか運転できない。
ということで,この話はだめになった。
**
良い機会なので,少し数学の話をした。
お昼に誘われたので,いっしょに行くことにした。
Gordon 先生,Rob Williams, Alan Reid, Hugh Howards というメンバーで,
Gordon 先生の車に5人も乗って,州議事堂近くのメキシコ料理店まで
出かけた。
メキシコ料理店としてはAustin で一番だそうで,
昼時ということもあり,混雑していたが,幸い席は見つかった。
数学教室の別のスタッフが2人合流して,7人となった。
どんな料理か想像できないので,Gordon 先生と同じものにさせてもらった。
まず,タコスがでてきて,チリソースをつけながら料理の到着を待つ。
海老グラタンと炒めたご飯,豆をこしたものが皿にのった
いわゆるランチメニュー。
心配していたほど量も多くはなく,十分に食べられた。
チップを含めて,$8 払った。
毎日こんなに使っていてはもったいない。
でも,付き合いも大事だ。
しかし,みなさん遠慮なく会話を楽しんでいて,
到底私にはほとんどついていけない。
マルセイユでの昼食時での状況よりは,
まだ少しはわかるからましだけど,つらいことはつらい。
頭の痛いことだ。
**
1時過ぎに大学に戻った。
Gordon 先生が, 私を
運転免許試験場まで車で連れていってくださることになった。
なんだか恐縮してしまう。
**
試験場では,ずいぶん待った。
コンピュータによる試験かペーパーテストのどちらが
よいかと聞かれて,もちろんペーパーを選ぶ。
時間制限はあるのかと尋ねると,日が暮れるまでだという。
標識の問題(20問)はやさしかったが,規則に関する20問は
面倒なものもあった。
たとえば,
"21歳以上の運転者が,警察官によるアルコールテストを
拒絶した場合,運転免許停止は何日間か?"(答え:90日間)
"免許をもつ21歳未満の若者が,運転時以外に,アルコール類を購入あるいは
所持した場合の第1回目の最高罰金額は?"(答え:$500)
4択で答えるのだが,ちゃんと覚えていなければならない。
(実は,私はこういうところがくさいとにらんでいたので,
覚えていた。)
1時間ぐらいねばって,採点してもらうと
「You passed」といってもらえて,
肩の荷が下りた。
後でHandbook で確認すると,迷った問題は意外とあっていて,
ほかのところでいくつか間違いをしていたが,
まずまずだった。テキサスでは,7割が合格ライン。
来週,いつでもいいから路上試験に来てくれといわれて,
それだけ。
試験場からホテルまで歩いて帰ってきた。
8月21日(土)
- 今日は,Gordon 先生が私たちといっしょに中古車探しに出かけてくださることになっていた。
Gordon 先生が車で迎えにきてくださるまでに,
朝の新聞でめぼしい中古車店をいくつか決めておいた。
最初の場所で,1つ候補がみつかった。
Dodge Neon 96年で,色は少々派手なブルー。
試乗させてもらったら,アクセルの軽さが気になっただけで,
Austin では重要なエアコンに問題はない。
マイレージ(走行距離)も53000マイルほどで,この国ではこれはたいしたことないそうだ。
値段は$7000。それに手数料や税金などが$500ほど。
悪くないのだが,比較のため,次の場所にいくことにした。
このときのセールスマンの引止めはすごかった。
上司まででてきて,説得された。
"Car Business の世界では,またくるよといって帰ってきた客はいない"という
常識があるとまでいわれた。
Gordon 先生と私で,とにかく比較するのは当然だといって立ち去った。
**
次の場所はAustin の北部のRound Rock というところでかなり遠かった。
同じDodge Neon 96年,色は白というのがあったので
試乗したのだが,エアコンが効かない。
おまけに密封が悪く,運転席のドアからヒューヒュー音がする。
もちろん論外で,やめとくといったら,修理するとかいわれて,
ここでも上司がでてきて説得されたが,振り切った。
**
こうして,"Car Business 界の常識" を覆して,私たちは
最初の店に戻った。
Gordon 先生がいうに,すべてひっくるめて$7000 にしろというべきだということで,
交渉になったら,$7250 ならということになり,
結局それで買うことにした。
時刻はすでに1時をまわっており,Gordon 先生に申し訳ないという
気持ちがあったので,私としては早く決着をつけたかった。
もちろん,アクセルペダルの軽さはなれるだろうから,
車は十分に気に入っていた。
ここで問題が1つあった。
今月に入って,ホテル代やレンタカー代などぽんぽんと
VISA カードで払ってきたものだから,私のカードでは車の支払いはできない。
月の利用限度額を上げることもできるので,
実は昨夜,国際電話をしてなんとかしようとしていたのだが,
運悪く日本はすでに土曜日だったため,できなかった。
Master カードももってきていたが,そちらの限度額が
はっきり覚えていないし,問い合わせ先がわからない。
ただ,車が買えるほどではないことはほぼ確か。
すでにこちらで口座を開いているので,小切手を使えるのだが,
預金額が少ない。
日本の口座からATM でお金を引き出して,こちらの口座に
移せば良いのだが,ATM での1日の引出し限度額がこの国では
$400 ほどとものすごく低い。
$8000 を引き出すには,1週間はかかる。
(複数のカードをもっているが)
実際,昨日そのことをGordon 先生に相談したら,
2つ返事で貸してあげると言われていた。
私と妻はなんとかそれをさける方法を探していたのが,
この週末に買わないという方法以外は思いつかなかった。
ただ,今日のところは買わずにまた来週くるというようなことが
通用するような業界ではないようだ。
結局,申し訳ないことだが,Gordon 先生が小切手をきってくださり,
私が1週間で返却することになった。
同じ店で,保険の手続きをする間,Gordon 先生は
車で奥さんを迎えにいかれた。
保険は6ヶ月で$780。詳しいことは週明けに私が
直接その保険屋へいくことになった。
額が少ないので,こちらは私のMasterカードで払える。
Godon 先生が奥さんを連れて戻られてからも,
ずいぶん手続きに時間がかかり,
すべてが終わったら3時になっていた。
***
いっしょに昼食をすることになり,タイ料理店に出かけたのだが,
すでに閉まっていた。
別のカフェテリアにいき,ずいぶん遅い昼食。
サンドイッチをご馳走になったのだが,こちらのものは
なんでもボリュームがある。
昼食後,すぐ近くだということで,Gordon 先生の自宅に伺って
お茶をいただくことになった。
***
Gordon 先生の家はものすごかった。
高級住宅街という感じで,プールがあり,高台にあるため,
ベランダからの景色もすばらしかった。
3年前に移られたそうだ。
私がこちらでギターを買いたいと思っているということを話したことから,
Gordon 先生がギターをもってこられて,先生の伴奏で
Hotel California やYesterday を歌った。
ギターに関しては私もうるさいほうだが,
Gordon 先生の腕はなかなかなものだと思う。
「ゆい」は奥さんにおもしろい"こま" の数々をみせてもらって,
それで遊んでいた。
5時までおじゃまして,結局,奥さんがそのこまを「ゆい」に
貸してくださった。
8月22日(日)
- 朝からさっそく車にのって,北のほうにあるHEB へ出かけた。
食料品と車のワックスなどを買い,午後に車を洗った。
NEON という名のとおり,本当に蛍光色のブルーだ。
ワックスをかけたら,ますます熱帯魚のような色になった。
ネオンテトラ号と呼ぶことにしよう。
今日,Highway を走ってみたら,ハンドルの振動が気になることもあったが,
まあ,大丈夫だろう。
ラジエーター液の量が少なくなってきている。
**
夜,日本の住友カードにコレクトコールをかけた。
VISA カードの月の利用限度額を引き上げてもらうためだ。
とりあえず,3ヶ月間,倍額にしてもらえた。
これで一安心だ。
8月23日(月)
- 9時に保険会社に出向いた。
車の写真をとられて,書類にサインをしたら,
30日間の一時的な保険証書をもらえた。
これなしで運転すると違反になる。
正式なものは1ヶ月後に郵送されるそうだ。
**
その足で,運転免許試験場に向かった。
ペーパー試験はパスし,路上試験を受けたいというと,
午後2時か2時半を選べといわれたので,
2時だというと,番号のついた整理券のような
路上試験記録をくれた。
仕方なく,ホテルに戻った。
**
午後2時,試験。
試験官は,サングラスをかけた怖そうな白人の女性。
ライトやホーンの点検があった後,路上へ。
ほんの5分ほどの簡単な周回の後,あっさり落とされた。
左折のとき,交差点の中心に寄りすぎているとか,
一旦停止の位置が遅すぎるとか。
確かに,左ハンドル右車線ということもあり,まだまだ
慣れていないこともいなめない。
すっかり気落ちしたが,
夕方,妻と「ゆい」をのせて,路上テストのコースを
復習した。
その夜はふて寝。
8月24日(火)
- 朝7時45分に試験場にいったら,すでに30人以上の列ができている。
何とか8時からの試験を受けさせてもらえた。
車の中で待つこと1時間以上。
警察官のおっちゃんが試験官。
昨日よりも短い別のコースだった。
今回もあっさり落とされた。
右折のときの"左側"への目視のタイミングが遅いという。
この国では,日本よりももっともっと派手に
目視しなければならないようだ。
すっかり気落ちして,ホテルに戻る。
**
夕方,車で大学へ。
4時以降なら駐車制限がなくなるためだ。
銀行にいって,3種類の国際ATM カードを使って,
日本の口座から預金を引き出し,こちらの口座にうつす。
これをここ1週間続ければ,Gordon 先生に借金を返せる。
**
路上試験コースの復習をその夕方もした。
今夜もふて寝。
8月25日(水)
- 夜はほとんど眠れず,1時間おきに起きては横になりを繰り返す。
3回目の路上試験におちたら,またペーパー試験からやり直しになる。
当然,受験料の$24 を再び支払わなければならない。
**
午前7時,ホテルを出発。
路上試験のコースはだいたい把握できたので,ぐるぐる走って練習。
7時30分,事務所の前に並ぶ。
事務所が開く8時には,今日も30人ほどの人が列をなしていた。
私の順番は6番目ぐらい。
それでも試験官が1人のため,8時半ごろまで待たされた。
メキシコ系の女性が試験官。
慎重に慎重にコースを走り,日本だったら絶対しないような
派手な目視をして,終了。
結果は,まだ目視が足りないそうだが,合格させてもらえた。
事務所の中で写真をとって,サインを登録し,
両親指の指紋をとられた。
暫定の免許証をもらった。本物は後に郵送されるそうだ。
死にそうなくらいの面持ちで写真に映っていると思う。
ホテルに帰り,妻に報告。
3週間目にして,ようやく大きな問題は全て片付いた。
**
3日ぶりに大学へ。
午後,プリンターを買った。
Xerox のカラー・インクジェットだが,$89 だった。
元値は$230 ぐらいだそうだから,安い買い物だった。
電圧が100-220V だから,日本に持って帰りたい。
8月26日(木)
- 朝から大学で勉強。
外務省のホームページから在留届のPDF ファイルが入手できた。
テキサスでは,ヒューストンに総領事館があるので,
そちらに郵送しなければならない。
しかし,問題はこちらでA4 用紙が入手できないということ。
どこを探してもLetter Size 用紙しかない。
A4 に比べて,横が少しだけ長く,縦が少し短い。
仕方ないので,事情をかいた手紙をいれて,
問題があれば連絡してくださいと書いておいた。
Gordon 先生から論文を送ってもらったりしたときも,
そういえばいつもLetter Size だったなぁ。
8月27日(金)
- ようやくGordon 先生に借金を返せるだけの
預金がたまった。
初めて小切手を使うのはなんだか緊張する。
**
昼から銀行に行き,日本の口座から預金を引き出そうとしたら
通信状況が悪いのか,いずれのカードもできなかった。
8月30日(月)
- 今日からトポロジーセミナーが始まった。
講演者は,Hugh Howards。
参加者は,Gordon 先生,John Luecke,Alan Reid,学生が10人ばかり。
終わりまじかになって,Rob Williams が来た。
1時間の講演。knot のcrossing change に関する話で,
n-trivial 性を強めたstrongly n-trivial 性についてだった。
knot のdiagram において,複数の交差点で同時にcrossing change をして,
unknot にできるときの話なのだが,それら問題の交差点に
linking number 0 でunknot をひっかけて,crossing change を
surgery で表現できるわけだが,もともとのknot とそれら
unknots をあわせたlink がnon-split であることをいうのに
ずいぶん面倒なことをしているなぁと思った。
元のknot にはったSeifert surface で,上記のunknots に交わらない
ようなもののうちで最小種数のものをとれば,それが
実はknot に対して最小種数Seifert surface を与えているという
ことを示すのに,Gabai のThurston norm minimizing surface が
Dehn filling で生き残るという結果を利用することにも,
大変だなぁと感じた。
本質的な質問は出なかった。
Gordon 先生とAlan はノートをのっていたけれど,John はとっていない。
学生たちは,女性も多かったが,私の近くにいた女子学生は,途中から
前の机の上に足を投げ出していた。
日本ではとうてい考えられないことだ。
うちの学部のK先生がおられたらなんといわれることだろう。
**
さて,夜に大事件がおこった。
「ゆい」が私のめがねを割ってしまった。
風呂に「ゆい」をいれているとき,この日に限って,
すぐ横のトイレの上にめがねを置いていた。
「ゆい」を風呂から先にあげて,妻を呼ぶのだが,
妻が来るまでの間に,「ゆい」自身がバスタオルを取ろうとして,
めがねを落としてしまったのだ。
ガラスのレンズで,左側だけが割れていた。
運転用の強いめがねもあるのだが,それでは日常は
疲れるので,幾分,度の弱いめがねをいつもかけている。
運転するときだけめがねを変えているのだ。
とにかく困ったことになった。
8月31日(火)
- 今日は大学にいくのをあきらめて,朝からHighland Mall 内の
めがね店へ出かけた。
すると,目の処方箋がいるという。
日本なら,めがね店で検査してくれることなのに。
うまくできていて,すぐ隣がそういう店。
本職の眼科医が店を出している。
処方箋がほしいのだがというと,まずは保険があるかといわれた。
大学で買った保険の控えを持ってきていなかったので,
ホテルに取りに戻った。
さて,保険をみせると,これが目の検査をカバーするかどうか
わからないという。
調べてくれたのだが,適用できないとのこと。
ということでcash で$54 払うことになった。
検査はとてつもなく念入りなものだった。
日本のめがね店で経験する検査もあったが,色盲検査,
血圧測定,その他,初めての検査ばかり。
30分ほどでできあがった私の目の処方箋をもって
隣のめがね店へ。
ここで問題が生じた。
この処方箋に対応したものしか作れないという。
つまり,完全に私の目にあったものということだ。
それでは意味がない!
ほぼあっているものなら,運転用としてすでに持っている。
私がほしいのは,幾分,度を弱めた日常用なのだ。
結論をいうと,アメリカではそれはできないということだった。
ちなみに,ガラスのレンズは危険ということで
その店では扱っていなかったことと,
ガラスレンズの場合,厚みの上限があるそうだ。
私のような度の強いレンズの場合は,作るとしても
plastic か,ポリカーボナイトという樹脂だそうで,
いずれにしてもガラスよりもはるかに厚くなるそうだ。
結局,私の手元に残ったのは$54 もした
紙切れ一枚だけだった。
**
夜,広島のめがね店に国際電話をした。
2年前に作ったときの記録を元に,片側のレンズだけ
交換してもらえないかとお願いすると,問題ないということだった。
さすが"めがねのミキ"だ!
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