娘を神社的なところに連れて行ったことがある。もう、2年以上も前のことだと思う。
で、その神社的なところでは、絵馬のアクティビティーがあったので、娘にもそれに参加させた。
絵馬を購入し、娘にそれを渡しながら、
「神様へのお願いを書きたまえ」
と通達した。
娘は絵馬を受け取ったものの、なかなか書こうとしない。願望を。
私は、ややじれったく思い、なぜ書かないか問いただしてみると、驚愕の事実が判明した。書かないのではなく、書けないらしい。つまり、願望の類が思い浮かばない。
頭が煩悩で埋め尽くされた私からすると、願い事が思い浮かばないのは想定外ではある。とはいえ、もしそれが事実であるとすれば、願いを書かせるためにはそれなりの具体的なインストラクションが必要なのであろう。そこで、私が持つ願望を例示することにより、理想的な願望がなんたるかを教示してやることとした。
「そういうのは、あまり難しく考えてはいけないよ。普段から何気なく思っている望みを書けばいいんだよ。例えばパパだったら、
・社会的な地位を手に入れたい
・社会から認められたい
・社会的な名声を手に入れたい
・社会から賞賛されたい
・社会からちやほやされたい
といった感じだよ」
と、具体例を引き合いに出しながら教えたやったのだが、社会的な地位に関するバイアスの大きい、社会肯定欲にまみれた父の願望は、小学4年生対象の願望の例にはなりにくいらしく、結構複雑な顔をするだけで、やはり書き始めようとはしなかった。
娘はかなりの熟考、長考の後、制限時間いっぱいで何かを書きなぐり、それを持っていきなり勢い良く走り出し、絵馬展示スペースに絵馬をかけにいった。どうやら、私には願望を見せてくれないらしい。意地悪。
で、私はというと当然、急いで娘の後についていき、娘の願望がなんであるかを確認したのである!!展示スペースを音速で移動する親子……
で、絵馬を掛けつつある娘を確保し、その記述されたる内容を確認すると、驚愕の事実が判明した。こんな願望を持っていたとは、、、
絵馬には、
イエイ イエイ と思えるじんせい(人生)になりますように
と書かれていた(ひらがなが多い……)。
「あきらめなければ思いは実る」
という神様からのありがたいご助言も、このお願いの前ではシュール。
さて、このお願い、正直、最強! だって、私も、「イエイ イエイ」 、と思いながら人生を送りたいし!
さすが私の娘!賢いぞ!! いや、私の数十倍から賢いぞ!!
イエイ イエイ