「アインシュタインのやつめ。あいつが全部やってしまった。何もかも…」
マツダズームズームスタジアムの向こう側にあるコストコのフードコートで、お代わり自由のマウンテンデュー(ノンアルコール、ソフトドリンク)を浴びるように飲みながら、頭を抱え、絞り出すように呪いの言葉を吐き出す私を下の娘がラ・ピッザを食べながら眺めていた。下戸の私は、ときどきソフトドリンクを飲み酔っ払うふりをする習慣がある。たしなむ程度だが……
「ちっ…… お前も……アインシュタイン……知っているのか?」
しらふの私は酔っ払いのふりをして、目の前でラ・ピッザをパクつく娘に絡み始めた。
”ピザを食わしてやるから”という理由でついて来た娘は再び何も言わず、そして、ただただ舌を出した。
アッカンベーをしたわけではない。私の質問に対する娘なりの答えだ。
舌を出したおじさん。
アインシュタインが何をしたか知らなくたって、彼の功績を知らなくたって、一般相対性理論を知らなくたって、舌を出したポップなおじさんとしてのアインシュタインを知らぬ者はいない。小4の娘だって知っている。
ノーベル賞を受賞し、科学のアイコンになったアインシュタインは、舌を出したポートレイトによりポップのアイコンという称号も手に入れた。両方ともいまだ手に入れていない私は、彼に激しく嫉妬していた。そして、私がすべき、「彼の成しえていないこと。彼のやり残したこと」をずっと探し求め、それが見つけきらない苛立ちと焦りの中で、また一杯、マウンテンデューを一気に胃袋に流し込んだ。
「将来、誰でも15分は世界的な有名人になれるだろう」
なんて、アンディはうそぶいたらしい。
自己発信型のメディアが氾濫する現在は、アンディの未来予想図に近づきつつあるものの、「誰もが世界的な有名人になる」なんて状態には程遠く、いうならば、「誰でも15分は世界的な有名人になれるチャンスが広がった」程度のもので、実際に世界的な有名人になれたものは、それを希望したほんの一握りにも満たない。
それに、15分前の世界的な有名人は、15分後には世界中から綺麗さっぱり忘れさられ、また別の有名人がどこからともなくわいてくる。彼・彼女の有名人としての寿命も15分。世界的な有名人になれた者は、刹那の15分を持ちえたに過ぎない。
それに比べて、アインシュタインの奴は永遠の15分を手に入れやがった。あのポートレイトのおかげで、彼が死んでから50年以上後に生まれた娘だって、彼のことを知ってやがる。ポップなおじさんとしてだけど。
彼がポップスターになれたのは舌を出した写真のせいだけれども、だからといってその辺のおじさんが舌を出したからといってポップスターになれるわけではない。あたりまえだ。その辺のおじさんが舌を出しただけならば、それはポップスターではなく、ただのやばいやつ。彼をポップスターにたらしめたのは科学の才能で、ノーベル賞を受賞したえらいおじさんが舌を出したからポップなのである。
そういえば、舌を出したポップな写真はあまりにも有名だけれども、あの写真が撮られた経緯はあまり知られていないようだ。あの写真はアインシュタインの部分だけが引き伸ばされたもので、実は彼の両脇には二人の男女が写っていた。
彼の誕生会がお開きとなり、車で会場を去ろうとする彼は、車の後部座席に自分が真ん中に三人で座っていたらしい。そこに報道カメラマンが現れ、「お誕生日おめでとう。写真を撮らせて!さぁ笑って!」という言葉とともにレンズを向けたようなのだが、笑うことを拒んだ彼は、代わりにおどけて舌を出したらしい。車内での一瞬の出来事をカメラマンがうまくすくい取ったというのが、舌を出した写真の顛末らしい。ただ、偶然とられたこの写真をアインシュタイン自身もたいそう気に入っていたという話だ。
さて、話をポップスターの品格に戻そう。舌を出すだけではポップになれない。ポップスターになるためには、舌を出す前になすべきことがあり、それは科学界のスーパースターになることだ。で、その点については、少なくとも私の中では磐石であり、そうなる確信があり、私の方にはいつでも科学界のスーパースターになる準備はできている。つまり、毎日しっかり勉強をし続けている。あとは社会の問題であり、社会が私を科学界のスーパースターとして受け入れるかどうかにかかっているのだが、これについては自分ではいかんともしがたい所なので、自分でできるところであるお勉強を清々粛々と進めていくことしかできないのである。
で、今、私にできること、私がすべき所といったら、科学界のスーパースターになった後に訪れるであろう、ポップアイコンになるチャンスを棒に振らない準備である。アインシュタインは舌を出した。いまさら同じじゃつまらない。さて、私はどんな顔をすればいいのだろうか。
そんなことを考えながら、コストコのフードコートでポップな自分を演出するポージング作りのトライアルを行っていた。“舌を出す”の上をいくことが求められている、難易度高めのトライアルである。
で、ウインクしながら右耳を引っ張る、両目を吊り上げる、両方の鼻に親指を突っ込んでみる等の思いつく限りのあらゆる顔を作ってみたものの、どれも満足が行くものではなかった。知性のかけらも感じられないし、かつポップでもない。
……驚いたのはラ・ピッザをぱくついた娘であり、さっきまでマウンテンデューを浴びるように飲み、酔っぱらったふりをしていた、しらふの父親が、今度は急に変顔シークエンスに突入したのである。父の状態を言葉で表すとすれば、「リアルがちやばいやつ」だ。娘はラ・ピッザを食べるのを止め、放心状態で、私の変わり果てた姿を眺めていた。
で、ポップな自分を演出するための顔に満足いかない私は、気を取り直すためにもマウンテンデューをもう一口飲もうと思ったのだけれども、残念ながら私の紙コップは空っぽになっており、もう一滴もマウンテンデューは残っていなかった。仕方なく、もう何倍目のリフィルか分からないお代わりを求めてドリンクコーナーに向かうことにした。娘に、
「マウンテンデューのお代わりもらってくるわ」
と言い残して。
根がまじめな私は、ドリンクコーナーに向かう道すがらも、ポップな自分の演出を目指し、顔づくりの努力を続けていたのだけれども、不思議なのは私の周りのお客様で、週末昼時のコストコフードコートは芋の子を洗う勢いの大混雑で、本日だってそうなのにも関わらず、私が近づくと、モーゼが海を割ったがごとく、人々が私から逃げ出すように道を開けるのである。
……まぁ、向こうから右耳を引っ張りながらウインクしつつ舌を出すおじさんが、千鳥足で近づいて来れば、それは、リアルがちやばいやつだ!誰もが関わらないように、距離を置くのは理解の範囲なのだけれど……
で、マウンテンデューを継ぎ足して戻ってきた私は、テーブルで驚愕の事実を知るのであった……
マウンテンデューを注いだはずが、ペップシネックスを注いでいたのである!
このことにより、自分の言動が一致しないほど追い詰められていたことを自覚し、これ以上アインシュタイントライアルをすることは命にかかわると判断した。そして、それ以来、アインシュタインのことを考えることを封印したのだった。
で、それからというもの、ノーベル賞の時期になると勝手に戦々恐々としておる。というのも、まだ私はノーベル賞を受賞する準備ができていないのである。よしんば私が選ばれちゃった場合、どんな顔をすればいいのかが決まっておらず、それを考えるとおっとろしくて眠れないのである。ああ、今年もまた、ノーベル賞の時期がやってくる……
今回はいつにまして、シリアスでしたね。
アディオス