お昼は生協で食べることが多いの。いわゆる学食。
で、時々のタイミングで味噌汁か豚汁かを選べる日が出現するのであるが、本日がまさにそれであった。
生協には、様々なバリアーやストレスをフリーにする画期的な工夫が施されている。生協におけるバリアー・ストレスといえば、例えば漢字が読めない人にとっては注文自体がそれにあたり、つまり、「棒棒鳥豆腐」の写真を見て、「ぶちうまそうじゃのう。わしゃぁこれを食べたいのお」と所望したとしても、漢字が読めないとなかなか頼みつらいものであり、よしんば、「ボーボーどりまめぐさり」と注文しようものなら、カウンターのうら美しいお嬢さんに「はい、バンバンジーとうふですね」と、さり気に訂正されて、ばつが悪くなってしまうのである。
で、生協にはそうならない素敵なしくみがあり、つまり、メニューには写真と共に漢字名およびルビが振られており、ルビのほうを朗読することで、注文者がこの難局を乗り越えられるようになっているのである。例えば、「店長本気か?の激辛プリン」(分かりやすく例示するため、メニューを捏造しました。このメニューはイメージで実在しません)には、「てんちょうまじか?のげきからぷりん」とルビが打ってあるといった具合だ。
さて、豚汁に話を戻そう。豚汁を注文するとき、私は一瞬であるがそれを躊躇した。つまり、21世紀においてさえも未解決のまま放置された、ブタ汁かトン汁か問題に直面してしまったのである。メニューにはでかでかと「豚汁」と書いてある。しかし、ここでの問題は漢字表記ではない。問題の所存は豚を音読むか、それとも訓読むかだ。そんな時はほら、よく目を凝らしてごらん。きっとルビがふってあるよ。正解がそこに書いてあるよ。…そこで、メニューをよく見ると、やはりそこにはしっかりとルビが振られ、はっきりと「ぶたじる」と書かれておった。なるほど、生協での正解は「ブタ汁」だ!!
このルビを確認し、勝利を確信した私は、明るく朗らかに、「ブタ汁ください」と注文した。すると、どうでしょう?こともあろうにカウンターの向かい側から「はい、トン汁ですね」とのご返信である。私はこの返答を聞き愕然としたのではあるが、同時に彼は私の“ブタ汁”を訂正したわけではないことも承知していた。彼の行動は、私がブタ汁=トン汁という認識を持っていることを前提に、あなたにとってのブタ汁は、わたしにとってはトン汁であり、あなたが注文したブタ汁たるトン汁は、しっかと私の耳に捕捉され、いまから私にとってのトン汁をよそりよるよ。よろしおすな?という、味噌汁じゃないほうの確認作業に過ぎない。
それは分かるんだけど、全くの誤解をすると、「おにいはん、また豚汁のことをブタ汁って呼んではりまんの?私なんか、小学生の頃からトン汁でしたよ」とディスられているようにも聞こえてしまい、さすれば、これに対し「俺は別に俺のブタ汁に誇りを持っているとか、どうしてもブタ汁じゃないといやだとか言う輩ではなく、どちらかと言うとぜんぜんブタ汁でもトン汁でもよかったんだけど、生協が正解がブタ汁ってルビってるから、生協に合わせてやったのに、その挙句が、その挙句がトンくぅわぁ!!!」と、気持ちがすさんでいくのが道理というものでしょう。…曲解なんだけどね。
事の顛末をすぐ後ろで見届けていた大学院生は、「トン汁ください」と涼しい顔で注文し、なんなくブタ汁をゲットしていた。私は心の中で「トン汁ちゃうやろ、お前も、『ブタ汁』って言うところやろ」と思っていた。大学院生は、私がご乱心なことを察知し、「いいじゃないですか、味噌汁が出てきたわけじゃなくて、トン汁が出てきたんだから」と慰めてくれたのだが、これに対してさえ私は、「そこもトン汁ちゃうだろー!ブタ汁だろー!」と言いそうになるくらい追い詰められていた。ただし、乱暴な物言いは学びの舎には適さないので、慎むことにしたのではあるが...。
席に着き、豚汁を食べてみると、いつもより具がぜんぜん多くて、それはもう筑前煮に迫る勢いで、とってもおいしかった。幸せな気分の中、「まぁ、ブタでもトンでもどっちでもいいよな。なんなら、筑前煮でも全然OK」と思っていた。
今回はいつになく社会派でしたね。
アディオス