件名 研究室内における音楽鑑賞について(3)

今日はフィールドに出たのだけれども、移動の車中で音楽を聴いたら気分が上がると思い立ち、CDを携えて出発した。

もちろん、フィールドには学生を連れていく。

で、車内で学生に、

「これがCDだ」

と、教えてやると、普段はストリーミングで音楽を聴いている彼らも、この世にCDという媒体があることは意外にもよく知っていて、別に珍しがりもしなかった。

で、私が持って行ったCDは、私が大学生だったころに爆発的に流行した「たま」だった。

自分でもなぜかわからないんだけれども、10年おきくらいに無性にたまが聞きたくなる時期が訪れるんだけど、ちょうどそんな時期に重なっていやがったので、「たま」にしたのだ。

それに、私が大学生のころによく聞いた音楽が「たま」なんだから、「たま」が今の大学生の琴線に触れないはずがない!音楽には、30年の時間差を超える不思議な力があるのだ!

ある種の確信をもって、たまのCDをカーステに入れた。

で、「たま」が流行ってから30年以上経っちゃっているので、もしかすると「たま」を知らない人もいるかもしれないので、一応解説しておくと、たまは最高の音楽を奏でるバンドで、意味が不明ながら、悲しい響きの歌詞を、明るいんだけど寂しい、何とも言えないメロディーと“間”で歌い上げる天才で、聞いているとなんだか悲しくなる音を作り出す英才の音楽家だ。

で、天才なんだけど、天才とひとことで言うのにも違和感が残るのが「たま」で、相当の音楽のトレーニングを積まなければ、あの音と間は出せないと思う。天賦の才を持ったのが、努力した、的な感じ。

で、車で「たま」をかけると、大学生たちは一様に、

「??????」

という表情……。

……そうだった。

私もたまを初めて聞いたとき、意味が分からなかったし、「もう一回聞いてみよう」とは思わなかった。

しかし、偶然に聞いた2回目、3回目の「たま」がじわじわ来て、現在に至る、という入り方だった……

それに、「たま」って、

「「たま」のファンなんだよね」

と、胸を張って言う類のバンドではなく、

自分が「たま」のファンであることをどちらかというと隠したいというか、知られたくないというか、知られると恥ずかしいような、でも本当は好き、みたいな踏み絵のようなバンドだった。

本当に、よくこのバンドの曲がランキング1位を獲得したり、まぁまぁ大きなホールを満員にしたりしたと思う(どちらかというと、「大きめなホール満員」というよりアングラのライブハウスに、誰も誘わず、一人で聞きに行くようなバンドが、そもそもの「たま」なんじゃないかと思う)。

おそるべき90年代(あの頃、田舎に住んでいた私は、そもそも、大きめなホールにも、アングラの方にも、「たま」を見に行く機会なんて端からなかったけど)!

一方で、たまの音楽を聴くたびに、「これに魅了されない人などいるのだろうか?」 というアンビバレントな気持ちもわいてくるんだけどね。本当に、すごい音と間、歌詞。

売れるはずないんだけど、売れないはずもないって感じ。

で、学生たちは納得の「??????」という感想を示してくれたので、帰りは「たま」を聞くのをやめて、CDを葉加瀬太郎に変えて帰った。

アディオス

2020年10月07日