件名 消耗品発注等の取扱いの注意について

2017年の春の出来事だっただろうか?

夕刻であった。研究室でいつものように業務をこなしていると、携帯電話のバイブレーターが作動した。

私の携帯電話には、保険の勧誘以外の電話がかかることがめったにないため、この時も保険の勧誘だと思ったのだが、携帯の画面には、それが自宅からかけられていることを示していた。

電話に出ると娘だった。娘はかなり焦っていた。

いつも早口な娘であるが、この時は、いつもに輪をかけて早口で、
「パパ、大変だ! 大変なことが起こった!」
と言うのである。

で、大変だという状況は分かったから、何が大変なのか教えろと命令すると、どうやら彼女は夕方のニュースを見ていたところ、昨年の台風の影響で材料のジャガイモが極度に不足しており、ポテトチップの供給が困難なことを知ることになったらしい。

で、

「パパ、大変だ!パパが毎晩楽しみにしているポテトチップスが食べられなくなる危機が迫っている!そんなところで仕事をしている場合なんかじゃなくて、一刻も早くポテトチップを求めてスーパーに走るべきだ!」

と進言してくれるのである。私の晩酌......ではなく晩ポテトチップを心配してくれるところはうれしいのだが、さすが子供。浅はかである。

私たちは今まで、何度となく、品薄を乗り越えてきた。

1993年の米不足。2007年の納豆不足。2015年のバター不足。不足した時はみな、判を押したようにうろたえるものの、品不足はいつも一時的で、あっという間に市場に商品が返ってきたのである。そこから帰納すれば、今回も一時的な品薄に決まっているのである。あせる必要は全く無い。

で、余裕で娘をあしらおうとしたのだが、娘は必死のパッチであり、あれだけ毎日、体が悪くなるくらいの勢いで食べ続けているポテトチップなのだから、たとえ一時的であろうが食べられない時期があれば、私はもだえ苦しみ、結果として、あっという間に狂い死ぬであろうこと、ニュース映像によれば東京のスーパーではもうすでに、ポテトチップ争奪戦が始まっており、明日になればそのブームは確実に広島に到達するであろうこと、そして、だからこそ、今すぐにポテトチップを入手しなければ、もう二度とポテトチップを口にすることはできず、挙句に死に至るであろうことを、三段論法みたいに主張した。まぁ、これは、三段論法でも何でもないのだけれども…….

当初、

「心配することないよ」

と全然余裕をかましていた私は、娘の必死のパッチの主張を聞きながら、みるみる青ざめて行き、膝のガクブルが止まらなくなり、「もしかして娘の言っていることが正しいのではないか?余裕をこいている場合ではないのではないか?……そうだ!頭が悪いのは娘ではなく、私だったのだ!」と秒速で改心した。

きれいに心を入れ替えた私は娘に、

「反省しました。私が間違っていました」

と白状した。娘は、

「その気持ちを態度に示すことが大切なんじゃないのかな?」

と早急に何らかのアクション、対応をとることを求めよる。私はたまらず、娘に

「私にできることは、私にできることは何なのですか?」

と、その具体のアクションとは何であるか、明示を求めたのであるが、娘は、「何で二回聞いた?」などと突っ込むことも無く、粛々淡々と

「そんなのも分からないの!今すぐパソコンの電源を切り、荷物をまとめ、研究室を施錠し、一刻も早くおうちに帰るの。そして、すぐさまスーパーでポテトチップを購入するの!」

と私が今とるべき行動を教えてくれた。

私は、「購入するの!」と言い終わるか終わらないかくらいのタイミングで携帯電話の通話を切り、パソコンの電源を切り、荷物をまとめ、研究室を施錠し、一刻も早くおうちに着くようにダッシュした。広大西口に向かって。広大西口に向かってダッシュした。

ダッシュしながらうすぼんやりと考えていた。娘は激しく正しい。

私が仕事を怠ったとしたらどうなるだろうか?そりゃ、私の信用は暴落するだろう。しかし、それで社会が止まることはない。私があけた穴は、組織の誰かが埋めてくれるのだ。仕事上の私の変わりなんて、どこにだっている。溢れかえらんばかりにいる。それが組織だ。

しかし、ポテトチップはどうだろうか?

私が自らポテトチップを買わない限りは、誰かが私のためにポテトチップを買ってくれることはない。ポテトチップの方が、100万倍重大な案件だ!!!
この世界はポテトチップを中心に回っている!!!
世界の中心はポテトチップだ!!!
ポテトチップ様!バンザーイ!!!

私は無意識に、薄笑いを浮かべながら万歳を行っていた。広大西口バス停前で。

……完全なる失考。これがあの誉れ高いマインドコントロールと呼ばれるものなのだろうか。

で、うちに着き、時計を見ると7時30分。私は荷物をうちに置くや否や、車のキーをもって、うちを飛び出した。向かう先はいつものマックスバリューではない。マツダズームズームスタジアムの向こうのコストコだ!

ポテトチップを買い込むならば、断然コストコになのだ。そんなことはとうの昔から決まっている。なぜならば、私はコストコで、スーパー・クレイジー・ジャイガンティックパックなる500gも入ったポテトチップを売っていることを知っているからだ(ヤホーで検索したところ、スーパービッグたる呼称でした。謹んで訂正しておきます)。

コストコは8時に閉店する。しかし、10分あれば、余裕でコストコに到着できる。果たして、閉店前にコストコに着いたのではあるが、かなり様子がおかしいのである。お客様、お客様が、あの巨大なカートにスーパー・クレイジー・ジャイガンティックパックを積んでいるのである。そしてみな一様に、奇怪なうすらっ笑いを浮かべているのだ。それは、あたかも、「私は勝者。世界の中心を手に入れた21世紀のルイ16世」といわんばかりに。あの人も、ほらあの人だって。

「やばい。買いそびれる!」私は激しくうろたえた。この状況では、ともすると私はポテトチップを買いそびれる敗者になりかねない。ポテトチップよ売れ残っていてくれ!

祈りながらダッシュで店内に入ると、閉店まで15分もあるというのに、もう既に景気よく別れのワルツがかかっていた。

私は三拍子に乗りながら、時よりターンを決めつつ、ポテトチップ売り場に急いだ。私は結構ワルツは好きなほうだ。そういえば、NHKのウィーン・フィル ニューイヤーコンサートを見るのがお正月のルーティーンだ!

ポテトチップコーナーには、まだまだけっこうたくさんのスーパー・クレイジー・ジャイガンティックパックが並んでいた。

胸をなでおろしながら私は、うすしお味とコンソメパンチ味を一袋ずつ購入することに成功した。

巨大カートにうすしお味とコンソメパンチ味のスーパー・クレイジー・ジャイガンティックパックを詰め終えると、私の中には満ち足りた、いかんとも表現しがたい気持ちが湧き上がってきた。

「私はとうとう、世界の中心にたどり着いたのだ!世界の中心を手に入れたのだ!私もなったのだ! 21世紀のルイ16世に(打ち首られちゃう運命かも知れないが)!!

カートを押しながら、レジに向かう道すがら、私は笑った。大いに笑った。けたたましく笑った。私の笑い声は、店内に響き渡り、別れのワルツをかき消すほどだった。

店員たちは、みな同様に怯えていた。私には、店員がおびえながら繰り出す「いらっしゃいませ」が「新しい王の誕生だ!王よ永遠なれ!」に聞こえていた。そして、また笑った。さらにけたたましく。

「オホホホホーッ!」

で、こうした経緯で入手した、世界の中心たるスーパー・クレイジー・ジャイガンティックパックであるが、一年以上経った今、賞味期限を当に越えた状態で、未開封のまままだ私の寝室に置いてある。だって、スーパー・クレイジー・ジャイガンティックパックって一人で食べるには大きすぎて、開けるのに勇気がいたんだもん。

アディオス!

2018年06月22日