娘のことなのだが、親が親なら子も子である、と言う話をしようと思う。
娘はどうやら、踊りが好きなようである。私と同様に。
私から娘へ踊り好きが伝わったように、親から子へ形質が引き継がれる現象を「遺伝」と言うが、ダーウィンの時代からその仕組みは謎であって、メンデルにより一部が説明されたものの、その全容はいまだ霧の中。ぼんやりとさえ見えていない。
で、今日は遺伝に関する話をするわけではない。踊りについての話だ。
私の場合、踊りは誰かに見せつけるための舞、と言うわけではなく、自己の内面から沸き上がる衝動、情動を体の動きで表現しているだけであるため、観客などは本質ではない。いてもいなくても関係ない、ということである。
が、やはり娘にとっては踊りは、自己表現と言う意味合いが強いらしく、観客に見せつけることが前提の踊りらしい。
ただ、観衆に見せつけると言ってもぶっつけ本番ではいただけない。というか、本人にも多少の不安が残っているのだろう。
そういうことを深いところで理解している娘はダンスの稽古に抜かりがないのであるが、一方で自分がダンスの稽古をしていることが露見されるのも小恥ずかしいのも事実。
結果、家族に隠れてダンスの稽古をしておったらしい。当然の帰結として、父である私自身、娘が踊りのけいこをしているなど知る由もなかったのだが、昨夜、それが私にばれることになった。
土曜日の夜更け、私はベットの上で小説を読んでくつろいでいた時のことである。
チェンジングルームから、ガッシャーン と言うガラスの割れる音がする。
誰じゃ? 何が起こったんじゃ? と思い。ベットの上から「誰じゃ?」と聞くと、下の娘が、「自分だ」だという。
「ケガはないか?」と聞くと、ないと言う。
で、ケガがないとすると、次に気になるのが、何が割れたか問題であるが、チェンジングルームには三面鏡とバスルームへのドアーになっている部分くらいしかガラスはない。どちらが割れたとしても、経済的な損失は大きい。
で、「何割った?」と聞くと、予想外の答えが返ってきた。
どうやら割れたのは、チャンジングルームにかけてあった、ドイツのケルンで買った思い出の時計、そのフェイスケースらしい。
安っぽい時計だからてっきり、フェイスケースはプラッチックだと思っていたのに、あいつ、ガラスケースだったんだ。
で、チェンジングルームに行くと、下の娘が、割れて粉々になった時計を見ながら、呆然と立っていた。
かなりの惨状に、もう一度ケガが無いかを問い、ケガがないことを再確認してから、「何をやっていた?」と問い詰めると、素直に「踊りの稽古」と、ポツリと言った。
三面鏡の前に立った時、鏡に映るおのれの姿を発見し、衝動的に踊りを踊りたくなったのだろう。
さて、娘の返事だが、これはたいそう見上げた回答である。
というのも、誰にも気づかれないようにしていた踊りの稽古が白日のものにさらされるのは小恥ずかしいものだから、普通、
「めまいを覚えてよろけたら、時計にぶつかってしまった」
等の適当な虚言を吐いて隠そうとすると思うんだけど、下の娘は、本当のことを、最初の質問で、躊躇せず答えよった。
「素直に育ったなぁ。いい子だなぁ」
と感心しながら、私は時計の後片付けを始めた。
片付けの途中でけがをしたら大変なので、ガラスの処理は私がすることにした。注意深く処理していたのにも関わらず、私は左指の人差し指をカラスで派手に切った。
切って痛い上に、血はじゃんじゃん出るし、妻からは馬鹿にされるしで、気持ちがやさぐれてしまって、出血後はひどい態度で残りのガラスの処理をした。
娘は、踊りがばれただけでもバツが悪いのに、自分には遠因しかない父の大出血にいわれのない責任を覚え、あまつさえ父親に悪態を付けられ、相当に嫌な気持ちになったことが簡単に予想できる。
悪いことをした。
処理が一通り終わった後、まだやさぐれていた私は、面白くなさそうに、「解散」と号令をかけたのだが、下の娘は解散後、子供部屋に戻り、布団をかぶってしまった。
どうやら泣いているようだった。泣いちゃう気持ちは嫌なほどわかった。いろいろな気持ちが入り乱れて、支配できなくなったんだろう。
次の日、朝起きてきた下の娘に、踊りは悪いことじゃないので、これからはリビングで踊るように指示をした。リビングには、妻のヨガ用の超巨大な姿見がセットしてあるから。
とは言え、ダンスの稽古を見られるのは恥ずかしいから、リビングじゃあやりにくいかもしれないね。
アディオス