件名 牛角

私が広島大学に赴任したのは2007年。
その年のことだったか、もしかすると次の年だったかもしれない。
それくらい昔に起こったことを、今日、回収しようと思う。
つまり、今回のお話は、10年以上の時を翔ける、本ブログ史上最も壮大な物語なのである!

その当時から教養教育科目を担当していた私は、全学1年生対象に開講する生物学の1講義を開講していた。

この講義の開講場所は東広島市にある東広島キャンパスだったんだけど、当時はまだ、広島市にある霞キャンパスの学生たちも東広島キャンパスに教養課程の講義を受けに通っていた。今はと言うと、霞キャンパスの学生は普通、広島市内の東千田キャンパスで教養課程の講義を受けることになっている。

広大関係者以外には、何言っているかわからないだろうけど、まぁ、がんばって理解しなくてもよいです。生きる上でどーでもいい情報だから。

話を戻そう。

ある週末。

私が言い出したのだろうか? いや、たぶん妻が言い出したのかもしれない。いずれにせよ、「焼き肉を食べよう!」、と言うことになり、家族焼肉大会が開催されることになった。で、焼き肉店として有名な「牛角」と言うのがあるから、そこへ行こうというとになって、夕方に外出した。

そのころ宇品に住んでいた私たち家族は、東雲だか霞のあたりに牛角があったはずだといううる覚えの記憶だよりで、「行けば着くでしょ」、くらいの軽いノリで、宇品から2号線を東雲方面に向かった。

その当時は私はスマホなど持っていなかったので、出発してしまうと情報を新たに得ることなどできない。外出後は本当に記憶だよりだった。

で、広島大学病院を超えたぐらいから、

「おかしいなぁ。私の記憶が正しければ、確かこの辺りだったはずなのになぁ。牛角あらへんがな」

となぜか関西方面の言葉を使う鹿賀丈史の方法で不安になり始め、記憶以外の情報を何とかして仕入れないととても牛角にたどり着けないんじゃないかと弱気になり、たまらず、大学病院近くのセブンに入り、店員さんに牛角のことを教えてもらうことにしたのだった。

店員は、何も買わずにいきなり牛角のことを聞き始める私を無礼と思っただろうけれども、そう言うそぶりを全く出さない、よくできた人だった

さらに、ニコニコしながら、知っている限りの牛角の情報を私に与えてくれた。店員によると、牛角はもう数百メートル進んだ右手にあるという。

私はほっとしながら、「ありがとう、ありがとう」と感謝した。で、何も買わずにセブンから立ち去ろうとすると店員がおもむろに、

「生物学の先生ですよね」

と言い出すのである。どうやら、この店員は霞キャンパスの学生で、私の生物学の講義を東広島キャンパスで受講してくれている様だ。

「ええ、まぁ、そんな感じっす」

と、照れながら、自分が教えていることを白状すると、店員は「ちょっと待っていろ」と指示を出し、わざわざバックステージに自分のお財布を取りに行って、その中から紙切れを取り出し、それを私に渡しながら、

「牛角に行くならば使ってください」

と言いよった。紙切れを見ると、それは牛角の500円割引券だった。私は、

「こういうのは学生からはもらえない」

何て言いながら受け取りを断ったわけではなく、へらへら笑いながら、

「悪いねぇ。気を使わせちゃって。それでは私は焼き肉を楽しんできますので、君の方はしっかり働き給え。アデュー」

と言って、セブンを発ち、牛角に向かった。 

この牛角の一件は、大学の先生をやって10年くらいになっていた頃に起こった(広大に来る前に別の大学で8年くらい大学の先生をやっていた)のだったけど、その10年間、学生バイトに街で遭遇し、さらに彼もしくは彼女から割引券をもらったことなどなかったので、広大赴任1年目で割引券を学生からもらったことを根拠に、「広大すげぇなぁ。これからもちょいちょい割引券もらえちゃうのかなぁ」と卑しい結論を導き出していた。

が、残念ながら、この卑しい予想と言うのは大外れで、その後、広大生活を13年も続けているけれども、学生から割引券をもらったのは、この時一回限りだった。

で、

「今回の記事も、学生から人生で一度切り牛角の割引券をもらった、という地味な展開だなぁ」

と思われているかもしれないが、ここで話は13年後、現在に飛ぶ。

この前、広大のURAが秘密のお仕事で、私の研究室にやってきた。

で、初対面なので、自己紹介をしたのであるが、なんとそのURAは広大出身で、

「覚えていらっしゃらないと思うけれども、私は教養課程で先生の生物学を受けました」

と言う。まぁ、全学対象の教養課程だし、広大出身ならばそういうこともあるよなぁ、と納得しながらも、へらへら笑いながら、

「そりゃあ、その節はお世話になったねぇ」

みたいなことを言っていた。心の中では、教養課程で私の講義を受けた学生が、URAになった事実から、時の流れの速さに驚いていた。

すると、URAは話を続け、

「私は広大霞キャンパスのセブンでバイトしていたんですけど」

と言う。なんかピーンと来て、

「もしかして」

と話を遮って、

「牛角の?」

と暗号みたいな合いの手を入れたら、

「そうです!」

と元気よく答えてくれた。あの学生が、ここにいる!

奇跡的な再開に打ち震えながら、URAが帰った後で、財布を見ると、その時もらった牛角の割引券がまだ入っていた。

「・・・・・・ということは、あの時、あの後に牛角に行かなかったのかなぁ?」

謎。

牛角についての記憶の方は、ほとんど無い。申し訳ございません、牛角様。(たぶん、おいしかったと思いますよ)。

アディオス

2022年01月08日