今日は、痛々しいまでの自慢話なので、途中ではなじらんで来たら、読み止めるとよいぞ。
では、始めよう。
今日、大学のメールボックスを見ると見慣れぬ大型封筒が突っ込まれていた。
送り主は、とある受験産業。
部屋で開けてみると、拙著、『<正義>の生物学』を使って新中学三年生向けの模試(国語)を問作して、模試実施済みだから、よろしく!
との旨が書かれていた。
同封されていた2月実施分の新中三の国語の問題(表紙を含めて8ページ)をめくるが、そこに私の文章は見当たらない。
??? どうなっとるんじゃ?
と思いながらもう一度、手紙を読み直すが、上のことがしっかり書かれている……
今度はしっかり目に模試をスキャンすると、大問4にばっちり使用されていた。私の文章。
問題化されちゃうと、私の駄文もそうとう見栄えが良くなっちゃってて、見違えすぎてしまい、一度目に眺めた時は、「こんなかっこいい文章は私じゃない」と思ってしまったのだが、よくよく読むと、私のだった。
で、さっき駄文なんて謙遜して書いたけれども、本当のことを白状すると、それはそれは素晴らしい文が並んでいた。
「これ書いた私って、天才かもしれないなぁ」
、と自分の文章に心を奪われつつ、うわの空で問題の方に目をやると、驚愕の問題が……
『筆者の考えとあっているものを、次のうちから一つ選び、記号で答えなさい』的なやつ。
学生時分、この手の問題があると、「本当に筆者はそんな風に思っておるのかね? 問題作成者が勝手に期待した偽りの本心が選択肢に書かれて、それを正解にしているだけなんじゃないの? 著者の考えなんて、結局、闇の中じゃん」なぁんて、嫌疑を抱いちゃっていたんだけど、その嫌疑に対してとうとう審判が下される時がやってきた! だって、筆者、ここにいるんだもの。
で、選択肢を読むと、確かに一つ、私が言いたかったことがばっちり書いてある(答えがこれじゃなかったらどうしよう。ちなみに正答は同封されていなかった)。
さらにこの問題のすごいところは、紛らわし気な選択肢が、正答に紛れてちりばめられる工夫がなされているところで、
「中学生、この選択肢の中から正答を見つけることなどできるのだろうか?」と思わすくらいの難問に仕上がっておった。
こうして問題を眺めると、問題作成者の高度なスキルを窺い知ることができる。そして、
「こうした高い技術を持った人たちで、この国は支えられとるんじゃろうなぁ」
、としばし感動した。
どうもありがとうございました。そして、問題作成、お疲れさまでした。
アディオス!