「あ行・え行問題」なんて呼ばれている悩ましい問題があるとは全然思ってはいないが、あ行とえ行にまつわる、かねてからの疑問を暴露しちゃおうかと思う。
関西の方じゃぁさぁ、尊敬語表現に、「○○してはる」というのがあると思うんよ。絶対に。
「ブナの花が咲いてはる」
的な。まぁ、ブナを尊敬する必要はないんだけど…… 劣悪な例示だと思っておさめてくれい。
で、私なんかはこの表現にはどこかしか丁寧さを感じ、先術の通り“尊敬語表現”と認識しているんだけど、それはやっぱりどことなくお上品な感じがする川崎さんが多用していたことが原因で、私の中で醸成された情動なのであろう一方、やっぱりどことなくお上品ではなさそうな大前さんが、かような言い回しをつこうてはった記憶はないことからも明らか。
あと、米田先生は常に上品な感じがするんだけど、やっぱり米田先生もよく使こうてはった気がする、「○○してはる」と言う表現。
で、やっぱ、「○○してはる」には、一定程度の丁寧さを感じて止まないのではあるが、ここで登場するのが、「あ行・え行問題」である。
注意深くしていないと聞き逃してしまうのだが、「○○してはる」にまざって必ず、「○○したはる」と言うてはる人がおるんちゃいますか?
で、「○○してはる」と「○○したはる」の間の質的な違いに関する考察が「あ行・え行問題」なのである!
どう? どうでもよいでしょ? 「あ行・え行問題」
私なんかからすると、「○○したはる」には、京都を感じるのではあるのだが、もしそれが正しければ、あ行とえ行はそれは地域的な変異にすぎないのであろうか? その辺り、誰かレクしてくれい。
個人的な感想だが、「○○してはる」は、なんとなく頑張れば表現しきれる範疇にはあるのだが、「○○したはる」は、なかなかどうしてさらりと口から出ない気がするね。
ほな、さいなら