件名 就業時間外の過ごし方について

愛知県における知多半島、その付け根で育った私は、他のみんながそうだという理由で、普通に中日ドラゴンズのフアンであった。そして、他のみんながそうしているという理由で青い帽子をかぶり、同じ理由で「燃えよドラゴンズ」を熱唱していた。そして、「子供が中日ドラゴンズフアンになる」という現象は、なにも知多半島の付け根に限った話ではなく、世界中のいたるところで起こっており、つまり世界の全ての子供達が中日ドラゴンズフアンだと思い込んでいた(高校卒業後に東海地方から離れた際、「世界は名古屋を中心に回っているわけではない」という事実を知り、空が落ちてくるような衝撃に襲われました)。

とはいえ、まぁ、中日ドラゴンズの応援はしているんだけど、理由が「他のみんながしている」というものなので、当然のごとく気合が入っているわけでもなく、テレビで中日ドラゴンズのナイターが中継されていたとしても、裏番組のアニメの方を見ちゃうと言った程度。ナゴヤ球場にも、友達がなぜかチケットをゲットし、それが余っているという理由でお呼ばれしてもらったときにほぼ限られていた。しかし、今こうして考えてみると、これぐらいのフアンの方が断然、幸せなのである。

さて、この頃私の周りにいた大人を見渡すと、私とはずいぶん違っていた。大人は青い帽子をかぶっていない。一見すると、中日ドラゴンズフアンとして失格であるが、その実、私が夕食後のたしなみとして日々楽しんでいるアニメ番組を当然のごとく中断させ、平気でドラゴンズにチャンネルを合わせよる位のことを平気でできるレベルのフアンであった。

で、その先がさらに性質がよろしくない。ドラゴンズが点を取ろうものなら狂喜乱舞し、点を失えば烈火のごとく怒り、試合に勝てば上機嫌なのだが、試合に負ければ意気消沈なのである。これはもう、大人の爪のあかを煎じて子供に飲ませたいほどの立派すぎるフアンなのである。

子供のころから常々、こうした大人の子供じみた行動について疑問を感じておった。なぜ奴ら大人は野球ごときにこんなに夢中になれるんだ!?

自分が大人になってその理由がわかった気がする。チームこそ、ドラゴンズからカープに変わったものの(太田川デルタでは断然赤い帽子である)、かつての大人たちと同じ行動をとる自分がいる、子供のころはなんちゃって(ドラゴンズ)フアンだったのに。

で、この暑い気持ちの源泉をたどってみると、意外にも悲しい水脈にたどり着くことに気が付いた。

これだけ長く生き続けると、人生が思い通りに進まないことを経験を持って思い知らされる。そのことについては、自分としては上々に承知しておるつもりである。にもかかわらず、もう、十分理解し、分かっておるにもかかわらず、だからこそこれ以上思い通りに進まないことを例示する必要はもう、どこにもないにもかかわらず、日々日々、思い通りに進まないこと、例えば「今日も会議で面白くないことが通達された」、とか、「バスに乗り遅れた」、とか、「大切にしていたはずの張り子が壊れた」、などにぶち当たり続けるのである。いじわる。

で、「くーっ。本日も一日つまらなかった。思いどおらんかった」と思いつつ帰路につき、カープを見るのである。そして、「せめて、せめて、カープだけでも勝たせてくれ。俺の人生の中でそれくらいの思い通りを許してくれぇ」と思いながらカープを観戦するのである。悲しい水が渦を巻いて流れ下る濁流が日常だからこそ、カープに救いを求めてしまうのだ。

切なくなっちゃったね。
子供のころのフアンの方が幸せだね。
ちびっ子たちにお願いがあるんだけれど、もし大人が野球で騒いでいても、ちょっとくらいは許してあげてね。おじちゃんたちがそうする理由は、悲しい水脈なのだから。

アディオス!

2018年09月25日