「善く生きる」
みんな、「善く生きたい」、と思っている。
そして、「善く生きるとは何だろうか?」、と結構悩む。
人として満足して生きぬくための永遠のテーマだろうし、果てしの無い問いだろう。
で、この前、公園でボール投げしたあと、家に帰るまでの道すがら、上の娘と「善く生きる」ことについて議論しながら帰った。善く生きることを話すチャンスは、どこにだってあるんだ!
私たちは知らず知らずのうちに、ヒトとそれ以外の生き物を区別し、ヒトを特別扱いして考える。ヒトとヒト以外の間の差別は、業界用語で、「種差別」と呼ばれている。差別はよくない。
娘に、「その考えって、(種)差別じゃない?」と気づいてもらうために、歩きながら 次の議論を吹っかけた。
想定した議論の概要はこんな感じだ。
溺れる命が4つある。みんなもう、死にかけているように見える。しかし、あなたには彼らを助ける力がある。しかし、全員を助けることは、たとえあなたにも叶わない。あなたが助けられる命はたった1つだ。
4つの命を見ると、ヒト以外に動物(例えば犬やネコ)がいる。ヒトだけじゃなく、犬やネコも溺れているのだ。さぁ、あなたならば誰を助ける?
この状況で、ヒトではなく動物を助ける人は少ないのではないだろうか?では、どうして私たちはヒトを選んでしまうのか?動物が選ばれないのは、差別じゃないのか?
こんな議論を展開しようとして 娘に話しかけた。
私:「大勢の命を乗せた船が、沈んじゃったのよ。」
娘:「えっ?いつ?誰か死んじゃったの?」
私:「いや、現実に起こったんじゃなくて、例えばそういうことが起こったって想像して」
娘:「あー。現実じゃないのね。よかった。じゃあ、タイタニック号みたいなのを想像するのね。OK」
私:「で、あなたはそこに救助に来た。でもあなたの救助船には、もうあと一人しか乗せられない」
娘:「えっ!?わざわざ救助に来たのに、一人しか助けられないの?それじゃダメじゃない」
私:「まぁ、ダメなんだけど……ほら、お前なら、いかにもやりそうじゃん。そういうこと」
娘:「えっ。意味不明。私だったら絶対もっと大きな船で助けに行くけど!」
私:「わかったよ。だけど、諸般の事情って言うか、大人の事情って言うか、まぁ、その小さな船しか手に入らなかった、ってことにしてくれ」
娘:「……わかったよ。で?」
私:「そうそう、で、海にはおぼれかけたものが4命。
女の人 80歳
男の人 70歳
男の犬 2歳
女のネコ 生後半年
で、誰を助ける?」
娘:「おばあちゃん……と犬とネコ」
私:「だから、一人だけだって」
娘:「おばあちゃん乗せても、犬と猫くらい乗せるスペースあるでしょ!」
私:「だから……おばあちゃん、すげぇでかいんだよ。100kgもあるから。おばあちゃん乗せたら、あと無理なんだって」
娘:「じゃあ、おじいちゃん……と犬とネコ」
私:「だから、一人だけだって」
娘:「犬とネコのスペースくらいあるでしょ!」
私:「だから、おじいちゃんもすげぇでかいの。150kgあるから。おじいちゃん」
娘:「150kg乗せても大丈夫なら、100kgのおばあちゃんと犬とネコ乗せられるでしょ。50kg以上の犬やネコは、まずいないよ。」
私:「……おれは……俺は算数の勉強がしたいんじゃないんだよ!正義について議論がしたいんだよ!……全く、頭ばっかりよくなりやがって、すぐに合理的に考えやがる。ちょっと前まで、俺よりぜんぜん頭悪かったくせに」
娘:「お父さん、その言い方、気をつけたほうがいいよ。少し傷ついた。ぜんぜん正義じゃない!」
正義を教えてやるつもりが、娘から正義を教えられる羽目になるとは……
アディオス
追記。
この状況ならば、多くの場合、ヒトを救助することを選択すると思う。ヒトを差し置いて犬やネコを助けようとは思う人は少ない。でも、どうしてヒトを助けて動物を助けようと思わなかったのだろうか?同じ命なのに……それって動物を差別してるんじゃない?それとも、ヒトは他の生物からは区別される特別な存在なのか?もしそうならば、区別できるのならば、その合理的な区別の理由は何だ?そもそも、あるのか?ないなら……差別?と、こうして延々と議論がしたかったのです。そして、「お父さんすげぇ」と、父の威厳ぶりたかったのです。