冬休みが始まってしまった。
とはいえ……とはいえである。
このままぐずぐず過ごしていては、あっと言う間に冬休みが終わってしまうことだろう。一方、私はというと、素敵な冬休みを、有意義に過ごしたいと切に願っている。そこで、冬休み一日目の特別企画として、映画を見に行くことにした。映画……「素敵な冬休み」のキックスタートに最適なガジェットだ!
で、鑑賞した映画の情報を提供する前に、伝えておくべきことがあると思うので、迂遠にはなるものの、そこから始めさせていただこうかと思う。
もうかなり前のことになる。5年とか6年前。その頃は、配属先の研究室選びをしている学部3年生を集めて、教員が研究内容をプレゼンするという「研究室紹介」と呼ばれる儀式があった。で、なぜか私はその儀式で熱く、好きな音楽家について語ってしまったのであった。講義内容はもちろん、レッドツェッペリンとクィーンだ!
レッドツェッペリンとクィーン……実は両方ともリアルタイムでは経験したわけではない。いや、クィーンの方は、ぎりぎり活躍を直で拝見できたんだけど、生で見れたのは、レディオガガとかブレークフリーくらいで、当時、中学二年生の私は、「なぜ、このひげ面のおじさんはすぐに裸になるのだろう?」という感想くらいしか持っていなかった。
さて、ここまで読んだ皆様はきっと、「中学生の頃にクィーンを見たからと言って、それを理由にフアンを語るのはいかがなものか? これは、フアンフアン詐欺に該当する卑劣な行為なのではないだろうか?」と遺憾の意を表されたことかと思うのであるが、それについては残念ながら、至極当然な反応、まっとうな指摘であると、私自身認識しているところである。「先生、ご意見ありがとうございます。ご指摘、ごもっともでございます」と言ったところだ。
実は、私とクィーンの間には、「中学生の頃に聞いた」以上の関係があるのだ!聞いてほしい。
そう、確かに中学時代に、クィーンに傾倒した記憶はない。バンドの一つという認識でしかなかった。実はそんな気持ちは、大学4年生まで続いていた。
大学4年生だった頃、フレディーが死んだ。フレディーの死はそれなりにショックだったけど、クィーンのフアンでも何でもなかった私にとっては、「それなりにショック」程度の出来事でしかなかった。
で、フレディーが死んでほどなくして、同級生がクィーンのCDを研究室に持ち込んできた。で、
「山田君、クィーン聴こうや」
と言うのである。私は少しうろたえた。というか、嫌だった。その当時の私は、特にさしたる理由はないものの、「クィーンはダサい」と思い込んでいたのである。
「クィーンってレディオガガの人でしょ。今更クィーンって……ダサいからやめようや」
と、丁寧にそのオファーを峻拒した。すると、その友人は、
「俺らにとってクィーンはレディオガガだけど、クィーンがすごかったのは、それよりずっと前だったらしいぜ。クィーンが一番すごかったころのCDだから、聴く価値あるって」
と、無理からCDを流し始めた。ボヘミアンラプソティだった。
流れ始めたボヘミアンラプソティは、どこかで聴いたことがある曲だった。しかし、ちゃんと聴いたのは、この時が初めてだった。
……衝撃だった。そして、正直、今聞いたものが何だったのかわからなかったのだ。「ガリレオ ガリレオ」って言ってたし……「マンマミア マンマミア」とも言ってたし……
これは、(確か中学校の時)友達に初めてエッチな本を見せてもらった衝撃に匹敵するものだった。初めてエッチな本を見たあと、私が友達に発した一言は、
「もう一回見ようや」
だった。そして、ボヘミアンラプソティを聴いた後、私は同じことを言っていた。
「もう一回聴こうや」
で、その後、ボヘミアンラプソティを6回立て続けに聴いた。7回目に友達が、
「もうそろそろよそうや」
と言ったので、それ以上聴くのをやめたのだけれども、6回聴いても、それがなんであるかはわからなかった。
振り返って、今言えることが二つだけある。まず一点目は、それが“ボヘミアンラプソティ”だということ。そして残りの点は、エッチな本は6回も読み返さなかったことだ。私とボヘミアンラプソティのファーストコンタクトは、私とエッチな本のファーストコンタクトを凌駕していたということだ!
それからというもの、私はクィーンのフアンを語るようになったのである!
で、映画を見終わった今、熱い決意を抱いている!
来年は、口ひげを蓄え、白いタンクトップを着て、棒みたいなのがついたマイクを持って講義をしようかと思う!
アディオス!