件名 職業訓練について(2)

360度の一件で、我々家族は、かの音楽職人の業に魅了され、かつ音楽に関する頼もしい見方を付けたわけであるが、彼女に再び仕事を依頼する機会が、こんなにも早く訪れるとは、夢にも思っていなかった。

年の瀬も迫ったころ、上の娘が冬休みを利用して、クラスのみんなとカラオケに行く、と興奮気味になっている。カラオケ好きなんだ。

で、娘は、カラオケでぜひとも披露したい曲があるのだが、一発本番で披露するのは勇気がいるので、万全の準備をしたうえで臨みたい、と言うのである。

これは本質を突いた、全く素晴らしい考えであり、学会でプレゼンをするときなども、なんとなく話の流れだけを頭に入れ、「細かい説明はまぁ、何とかなるでしょ、プロだし」位な軽い気持ちで臨んでしまうと、必ず失敗する。

この失敗は、プレゼンター本人は気づいていないという質の悪いものだが、プレゼンターは話の流れをわかっているので、たとえ、ところどころつっかえつっかえでも「まぁ、全体としては意図は十分伝わったはず。よくやった、俺。」という気持ちになっちゃうのである。

ところがその実、聴視者からすれば、予め話がどのように展開するかわからないわけだし、話がどのように進むかわからない時に、細部の説明が不十分、というか洗練されていないと、後者のほうの咀嚼に時間がかかり、その理解に心を奪われているころには、肝心の全体の話がどこに行っているのか全く見えなくなり、プレゼン終了時頃には、「いったい何の話したん、あいつ?」になっているのである。当然こうしたプレゼンをした場合、聴視者は「何だったんださっきの?はい、次、次!」となってしまい、かのプレゼンは記憶の片隅にも置かれないのである。つまり、「大体の流れを抑えるだけ」では全然、準備不足。

聴視者は、立て板に水のプレゼンを聞いたときはじめて、流れと細部を理解することになり、これを持って初めて議論が深まり、ディシジョンが作られるのである。つまり立て板に水が、プレゼンにおける最低条件なのである。

なので、娘の万全の準備には全く同感であり、ここはぜひ、「万全の準備の末、大成功を収めた」という成功体験を積ませ、彼女の成長につなげたいと願ったのである。

「よっしゃー、パパが音楽を手に入れてやるから、安心しんさい。で、なんて歌なん?」

と、どこかで聞いたことのある質問を上の娘にぶつけると、上の娘も歌の名前は存じ上げないという、やはりどこかで聞いたことのある返事。どいつもこいつもなぜにうちの子は歌の名前を覚えない?

ただ、歌のフレーズは知っていて、それは

「ざーんーこーくな、こどものように、しょーおーねーんよ、なれっ!」

であり、最後の「なれっ!」の部分が、「オレッ!」みたいな、闘牛感有り余る勇ましい感じで、確かに歌いたくなる一曲である。歌詞に目をやると、少年に残酷な子供に成長するよ仕向ける歌であるようだ。ただ、なぜそう仕向けているのはここからだけではその真意、メッセージはわからない。

この情報から、私はヤホーで検索することはもうしない。だって僕には職人がいるんだもん。

で、上の娘を引き連れ、あの職人が待つレンタルショップに足を向けた。

レンタルショップのカウンターを見ると、あの女性はいない。代わりに結構ご年配の男性が、彼女と同じ服を着て立っておる。店長だ(本当は店長かどうか知らぬが、店長と言うことにする)。

店長の実力は知らないのだが、店長となればその力は絶大であり、あの若めの女性でさえあれだけの力を持っているのだから、業務経験を彼女の何倍も積まれた店長の実力はまさに天井知らず。本気を出せば、地球を滅ぼすほどの力を持っているにちがいない。いや、持っている。

で、店長に娘が曲を探している旨を伝え、それは、

「ざーんこ、、」

と歌おうするや否や、店長は、

「お、お客様、歌われても...ちょっと...」

と、私を制止するのである。まさかの展開である。

「いや、大丈夫だって。娘が言うには、結構有名な歌だっていうし、私、結構音楽に疎いから知らんだけで、店長なら知ってるって、絶対!」

と慰めながら、「私、店長ではございま...」と、口ごもっている店長の制止を振り払い

「ざーんーこーくな、こどものように、しょーおーねーんよ、なれっ!」

と歌い切った。特に、「なれっ!」の部分が上手に歌えた。

歌い終わり、上手に歌えたな、という結構な充実感とともに、店長のほうを見ると、店長の目は泳いでいた。口にこそ出さなかったが「だから言ったじゃん、歌われてもわかんねぇーんだよ」という思いが、その表情からうかがい知れた。

しかし、これは完全に何かの間違いである。地球を滅ぼす無尽蔵な力を持った店長なのだから、本気を出すまでもなく、CDを持ってきてくれるはずなのである。調子悪いのかな?いや、単に、聞こえなかっただけなのだろう。合理的に考えれば、それしかありえない。ここはいっちょ、大きめの声で、店長のために歌ってあげましょう、と、

「ざーんーこーくな、こどものように、しょーおーねーんよ、なれっ!」

と、今度はかなり大きめな声でうとうてみた。先ほど、店長のためなどと記述したが、実を申し上げるとそうした利他的な動機は結構小さい方で、本当は、一度目の歌唱での「なれっ!」の部分がずいぶん上手だったので、もう一度歌いたい、という利己的な動機の方が大きかったのである。特に「なれっ!」を。

2曲目を歌っても、店長は全く、CDを持ってこなかった。むしろ、「おいおい。また歌っちゃったよ。もしかして、もう一回歌うんじゃぁないの?」と言う感じで、さっきより困っておる。

すると、カウンターの向こうにある、バックステージにつながる扉が「バーン」と開いたかと思うと、聞きなれたあの声が!

「お客様っ!うけたまわりましたっ!」

よく見ると、音楽職人の彼女が、スーパーサイヤ人のように金色に輝きながら扉の向こうに立っていた。正確には金色には輝いていなかったけど、私にはそう見えた。

彼女はそう言うと、店内に消えていった。そしてほどなくして、結構ボロボロになった1枚のCDを手にした彼女が戻ってきた。

「その歌は、エバンゲリオンの歌で、娘さんが言うようにとても人気の曲です。ですから、このようにCDケースがボロボロになっていますが、聞くのには問題ありません。うちのお店には、これしかないのですが、これでよろしいでしょうか?」

と、丁寧な対応を見せてくれる。よろしくなくないに、決まっておる。それにつけても、彼女の音楽に対する造詣の深さ。彼女の能力。今回も結局それを目の当たりにし、感動に打ち震え、膝のガクブルが止まらないのである。、、、そういえば、店長はどっかに行って、もういない。

娘はほしかったものが手に入り、始終ニコニコしておった。二人でお礼を申し上げると、この女性は、不愛想な感じに戻り、そそくさとバックステージに帰っていった。休憩中だったのかな?

なお、うちについてからCDを聞くと、店員の見立ては激しく正しく、娘がほしがっていた曲そのものであったのだが、残念であったのは、その歌は、

「ざーんーこーくな、てんしのてーぜ、しょーおーねーんよ、しんわに、なーれ」

が正解であった。うちの子はどいつもこいつも、記憶が適当である。

アディオス!

2017年10月17日