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カタリエヌモノ

** 2011.12の カタリエヌモノ **

 ++ 11.12.01 (thu) ++ 



私は少し濃い色合いの写真が好きです。

おそらく,若い頃CONTAXのカメラのカタログを眺めていたからだと思います。

 ++ 11.12.02 (fri) ++ 



現在,「認知科学」誌で特集「批判的思考」を準備中です。

言い出しっぺは私です。
ただ,批判的思考については私は「学ぶ側」の人間だと思っています。
「批判的思考についての特集号を組むとどんな研究者がどんな論文を送ってくるのか知りたい」
という純粋な知的好奇心に突き動かされ,勢いで特集を提案してしまった感じです。
なので,私の力不足を補っていただくため,「研究する側」である沖林先生(山口大学)と楠見先生(京都大学)にゲストエディタとしてご一緒くださるようにお願いしました。

近年,批判的思考に関する論文や書籍の公刊が増えています。
そういう意味では,とてもニーズのあるテーマなんだと思います。
今回の特集号を通じて,現在の日本の批判的思考研究の姿の一端が見えるのではないかと期待しています。

編集作業では,色々と苦労や不安もあります。
入稿まで1ヶ月を切りましたが,担当編集として最善を尽くそうと思います。

 ++ 11.12.05 (mon) ++ 



「死にたい」と言っている人には会ったことがある。
でも,「生きたい」と言っている人には会ったことがない。

「生きたい」って,当たり前すぎるから言わないのかな。
「生きたい」と思う瞬間って,「死にたい」と思う瞬間よりも希(まれ)なのかな。

 ++ 11.12.06 (tue) ++ 



不採録になった論文(*1)を修正して再投稿しました。

−−−−−−−−
(*1)「11.11.07」参照。

 ++ 11.12.07 (wed) ++ 



若い頃は多忙に耐えられる強靱な身体がほしいと思っていました。
今は多忙で身体が壊れても仕事し続けられる強靱な精神力がほしいです。

 ++ 11.12.08 (thu) ++ 



私は,ありがちな,どこかで聞いたことがあるような言葉が大嫌いです。

そんな言葉を発するくらいだったらロボットか何かと代われば良いと思います。

 ++ 11.12.09 (fri) ++ 



最近は論文を学会誌に投稿する際,Webを介して電子媒体で送ることが多くなりました。
ただ,紙媒体のものを郵便で送った方が達成感の自覚が確かなものになる気もします。
#カードで買い物するのと,現金で買い物するのとの関係に似てる?

 ++ 11.12.12 (mon) ++ 



このサイトも8年以上続いています。

最初は院生でした。
その後,助手・助教,私大の講師を経て,現在に至っています。

その間に,色々と考え方も変わってきていると思います。
時間のある時に過去の記事を読み返し,自分自身に反論してみようかと思っています。

 ++ 11.12.13 (tue) ++ 



もしかしたら芸大はうらやましい環境なのかもと思いました。
なぜなら,教員も学生も多くが「芸術家」という線の上にいるからです。

これは充実した博士課程を持つ大学の教員と院生との関係に似ています。
つまり,教員も院生も「研究者」という線の上にいるということです。

通常の大学だとこうはいきません。
どうしても教員と学生とが交わらない感覚があります。
この理由は,教員と学生の関係がどこまで行っても「研究者」と「学習者」だからだと思います。

だから,いくら
「学問の上では教員と学生とは対等だ」
と言っても,学生には理解しがたい部分があるのだと思います。

 ++ 11.12.14 (wed) ++ 



贈り物としてペンを頂くことがあります。
文房具(というより,道具)好きとしてはすごくうれしい贈り物です。

ただ,最近、手で書く文字は赤いものばかりです。
高級な筆記用具のインクは黒なので,使う機会が少なく,悲しい思いをしています。

 ++ 11.12.15 (thu) ++ 



究極に近づいたことがない人間,
触れようとしたことがない人間は,
完全なものが存在すると勘違いしがち。

 ++ 11.12.16 (fri) ++ 



私はおそらく驕(おご)っている。

ただ,世の中には驕った視点で言うべきことを言う人間も必要だと感じるから,反省はするが,直さない。

 ++ 11.12.19 (mon) ++ 



研究者の世界のことなんかわかりもせずに,
軽々しく研究者のことをいう学生には
究極に「頭が良い」ということがどういうことかわからせてやりたいが,
あいにく私はあまり頭が良くない。

 ++ 11.12.20 (tue) ++ 



言葉は綺麗だが,本質が分かっていない人間の特徴。

「具体的な話が出来ない。」

 ++ 11.12.21 (wed) ++ 



実力が伴わないという事態は情けない。

 ++ 11.12.22 (thu) ++ 



Twitterの方で使っている期間限定アイコン。

 ++ 11.12.26 (mon) ++ 



年を追う毎に,学生が大学に期待をするようになってきている気がします。
もっと良い教育を提供せよと要求するようになってきている気がします。

この期待や要求は,立場によってとらえ方が違う気がします。
つまり,学生は「意欲」と解釈し,大学人は「甘え」と解釈します。

もちろん,大学はより良い教育を提供するため,改善に努めています。
実際,かなり効率的に教育が提供(?)されるようになってきていると思います。

けれど,大学がどんなに変わろうと,授業で提供できるのは学問のほんの「触り」だけです。
そのため,大学は学生に対し,学ぶための施設や環境と議論の相手としての教員(*1)とを提供しているのだと思います。
大学で学びたければ自分で積極的に動かなければならないのは,未来永劫変わることはないでしょう。

私は,かつての学生が積極的に学んでいたなどとは思っていません。
しかし,大学が全てを与えてくれるなどとは思っていなかったと思います。
そのことで,大学は何も提供してくれないと勘違いした浅慮な人もいたと思いますが,一方で,学びたければ自分で学ぶべきなんだ(自分はしないけど)と思っていた人も多かったと思います。

けれども,大学が大衆化し,大学は何も与えてくれないと勘違いする人々が多数派になってしまったからか,大学に「十分な教育」を求める風潮になってきました。
この風潮には「黙って座っていれば『十分な教育』が提供される」という期待が込められていると思います。
そのため,まじめに授業を受けることが意欲的に学ぶことだと勘違いする学生が増えたのではないでしょうか。

大学人としては,まじめに授業を受けてくれるのは大変ありがたいのですが,それだけでは不十分なんだよとわざわざ教えなければならないのが悲しくもあります。

−−−−−−−−
(*1)「11.01.18」参照。

 ++ 11.12.27 (tue) ++ 



能力をひけらかす必要はない。

でも,時として能力を証明しなければならないことはある。

 ++ 11.12.28 (wed) ++ 



能力を証明しなければならないことがあるのは分かってる。

でも,目立つのは好きじゃない。

 ++ 11.12.29 (wed) ++ 



落書き。

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本更新を持ちまして,本年の更新を終了いたします。

実は,ちょうどネタも写真もつきました(笑)。
年末年始の間にネタをためられればいいのですが,もしかしたら始動が遅れるかもしれません。

いずれにしろ,今年も1年,ありがとうございました。
皆様,どうぞよいお年をお迎えください。

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