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カタリエヌモノ

** 2013.10の カタリエヌモノ **

 ++ 13.10.01 (tue) ++ 



自分という研究者をどう評価して良いのか分からない。

みんなそうなんだろうか?

 ++ 13.10.02 (wed) ++ 



いつか誰かに「藤木のような研究者になりたい」と思ってもらえたら,研究者冥利に尽きる。

 ++ 13.10.03 (thu) ++ 



応用の仕方までは教えられない。
自分で工夫することを応用と呼ぶのだから。(*1)

−−−−−−−−
(*1)だから,「それをどう役立てたら良いんですか」的な発言を繰り返すのは「自分はどうしようもないバカです」と言っているのに等しい。

 ++ 13.10.04 (fri) ++ 



卒業後3年から5年の姿を見据えた教育をするのか。
10年後,20年後,一生涯の姿を見据えた教育をするのか。

利益追求を求められる大学では卒業直後のみが重視されることが多い。

そしてこれは教育する側だけでなく,される側(個々の学生)にも当てはまる。

 ++ 13.10.08 (tue) ++ 



スミマセン。

昨日は教育実習の訪問連絡指導で豊橋に行っていました。
(という事後報告。)

前回(9月26日)は更新できたので,今回も更新できるかと思ったのですが,大学に戻ったのが夕方だったのでやめました。
(という言い訳。)

 ++ 13.10.09 (wed) ++ 



物語にはハッピーエンドがある。
幸せな状態で物語が終わるから。

人生にはハッピーエンドはない。

あるのは終わりだけ。

 ++ 13.10.10 (thu) ++ 



今日の午後から広島にお邪魔します。
酒まつり@西条に参戦するためです。

ということで,明日の更新はお休みいたします。
次回更新は15日(火)です。

 ++ 13.10.15 (tue) ++ 



まだ生きてる。

−−−−−−−−
明日は教育実習の訪問連絡指導で豊橋です。

明日の更新はお休みします。

 ++ 13.10.17 (thu) ++ 



最近は学会に行くたびに
「こんなに『その他大勢』みたいな研究者って必要なんだろうか」
「『その他大勢』はエリート研究者の優越感のために存在するのではなかろうか」
って感じる。

自分に存在意義はあるのだろうかって感じる。

 ++ 13.10.18 (fri) ++ 



インパクトのない研究しかできない研究者の存在意義ってあるのだろうか。

 ++ 13.10.21 (mon) ++ 



自分がキラリと光る研究が出来てるかどうかは誰にどのようにして評価してもらえばいいのだろう?

 ++ 13.10.22 (tue) ++ 



私は読者がニヤリと笑うだろうなと思う論文を書くのが好きです。
ニヤリとすると思えるかどうかが書くか書かないかの判断ラインな場合が多いです。

 ++ 13.10.23 (wed) ++ 



自信満々な人に,何を根拠に自信を持ってるのか教えてほしい。
それが分かれば私ももう少し自分に自信が持てるかもしれないから。

 ++ 13.10.24 (thu) ++ 



理念なき教育は子どもへの暴力。

 ++ 13.10.25 (fri) ++ 



知性を伴わない権力は暴力だ。
知性を伴わない教師は暴君だ。

 ++ 13.10.28 (mon) ++ 



研究をする上で
「方法を変えてみました」
「要因を増やしてみました」
みたいなどうでも良いことはしない方が良いと思う。

けど,科学的に意味のある研究をしようとしすぎるのも閉塞を産むのかもしれない。

何がエセなのかを知っていることが大事なのだと思う。
#科学全体の話で,個人的にはエセ研究をする気はありません。

 ++ 13.10.29 (tue) ++ 



私は重箱の隅をつつく研究が嫌いなわけじゃないんだ。
重箱の隅をつつくような研究の多くが研究のための研究に過ぎないから嫌いなんだ。

 ++ 13.10.30 (wed) ++ 



研究者なので,無責任な批判のしっぱなしはしない。
厳しい言葉に食らいついてくる学生は全力で引き上げる。
研究者の批判の言葉には必ず改善への目論見が伴っている。
それなしに批判の言葉は表出しない。

 ++ 13.10.31 (thu) ++ 



私を通して学ぶことが出来ることに関する情報提供はする。

それを利用するかは学生次第。

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