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カタリエヌモノ

** 2015.12の カタリエヌモノ **

 ++ 15.12.01 (tue) ++ 



私には残された時間が少なすぎる。
研究者として事をなすには時間を無駄にしすぎた。

 ++ 15.12.02 (wed) ++ 



「どこに行けば言語心理学者は必要とされるのだろう?」と思う。

ただ,「私は人に必要とされたがっているのだろうか?」とも思う。
期待されることで失う自由もあるだろうから。
(生まれてこの方,期待というものをされたことがないからわかりませんが。)

 ++ 15.12.03 (thu) ++ 



何かに夢中になったことが無い人間って,
生きてて楽しいのだろうか?

 ++ 15.12.04 (fri) ++ 



今の大学教員は明治維新の頃の武士と一緒なのかもしれない。

 ++ 15.12.08 (tue) ++ 



今の若手研究者からすると,日本語の論文なんて何本あってもほぼノーカウントなんだと思います。
そう考えると,私はマスターの頃に書いた単著1本(*1)の業績しか無いオッサンです。

自分は未だに院生レベルなんだと自覚して,努力をはじめてみようと思います。

−−−−−−−−
(*1)しかも和文誌で,発表賞論文。

 ++ 15.12.09 (wed) ++ 



我々が読む論文はせいぜい50年前くらいのものまでです。

そうすると,研究者として事をなすとしてもせいぜい50年程度のスパンの成果なんでしょう。

刹那。

 ++ 15.12.10 (thu) ++ 



Lenovo YOGA Tablet 2 (59435795)を購入しました。
開封未使用品で1万円ちょっとでした。

快適な電子化書類閲覧環境の決定打となってくれればと思います。

 ++ 15.12.11 (fri) ++ 



世の中に差別がはびこるというのは,教育の敗北だろう。
差別をする人,差別を見過ごす人がいるのは,そういう人を世に出した教育の敗北だろう。

学校は「差別はいけない」と教えるところではない。
差別とは何か,なぜ差別はいけないのか考えられる知性を育むところのはずだ。

しかし,教える側にそういった知性が備わっているのだろうか。

教育学部は責任を果たせているのだろうか。

 ++ 15.12.15 (tue) ++ 



「いかにして引用されない論文を査読をくぐり抜けて掲載してもらうか」選手権(*1)を戦い,上位に位置していると思うことにしています。

−−−−−−−−
(*1)「被引用文献一覧」参照。

 ++ 15.12.16 (wed) ++ 



投稿していた論文(*1)の査読結果が返ってきました。
不採録でした。

この雑誌は毎回,ある特徴的な評価の仕方をしてきます。
なので,これがこの雑誌の編集方針なのでしょう。

頂いたコメントの中にはいくつか有益なものもありました。
それを活かした修正をし,別の雑誌に投稿しようと思います。

−−−−−−−−
(*1)「15.10.23」参照。

 ++ 15.12.17 (thu) ++ 



どうして人は課題に感情で対処しようとするんだろう?
理性で対処しようとしないのは認知コストが高いから。

 ++ 15.12.18 (fri) ++ 



何を担うのか。
何を担えるのか。

若者の可能性を思うと,ワクワクする。

一方,私は何を担えてるのか。

 ++ 15.12.22 (tue) ++ 



投稿していた論文(*1)の査読結果が返ってきました。
修正採択でした。

本来ならばきっちり修正して採択して頂くべき所だったと思います。
ただ,いくつか不十分な修正が残ってしまっていました。
また多くのミスも指摘されました。

年のせいかなかなか仕事の精度が上がりませんが,がんばって修正しようと思います。

−−−−−−−−
(*1)「15.11.26」参照。

 ++ 15.12.25 (fri) ++ 



少し早いですが,今日で今年最後の更新といたします。
本年もありがとうございました。
どうぞよいお年をお迎えください。

(次回更新は,たぶん5日くらいだと思います。)

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