くんくん日記
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2008年11月4日(火) 時代は変わる・alanの歌声
11月を迎えた日、僕は仕事場で一人呆然としていた。
この、抱え込んでしまった仕事は、果たして片付くのだろうか。
経験的に、稼働状態のプロジェクトは7つまでなら乗りこなせる自信がある。
それを超えると、とたんに効率が悪くなって、タスクスウィッチングだけで一日が終わってしまうようになる。
ちょっと抱え込んでしまったようだ。
しかも泣き言は誰も聴いてくれない。
そういう年齢になってしまったのだ。
iPodからは、alanの曲がずっとリピートされている。
「懐かしい未来〜longing future」「心・戦〜Red CLIFF」「明日への讃歌」
この3曲が、仕事場でもクルマの中でも、ずっと流れている。
alanの高音の伸びは本当にすばらしい。
彼女の高音の伸びは、新しい時代を感じさせる。
これまでは、自分たちの時代だと思っていたのに、
後からやってきて、圧倒的な勢いで抜かされていった気分だ。
それでも「もしかしたら、坂本龍一のアレンジのお陰か」などと言い訳を考えてしまう自分が、なさけないというか、なんというか。
20歳下の20歳。おそるべき存在だ。
ニッポンの演歌よりも、四川省出身のチベット民族の歌手の歌声が心に響くのは、これはもしかして、僕はチベット仏教徒だったのだろうか。
何にでもすがりたい気分だった。
そして連休明けの今日、時が動いた。
いくつものプロジェクトが、同時に僕の考え通りに回ってくれたのだ。
アクティブなプロジェクトが7つまで減ったとき、僕の中の歯車はまた正常に噛み合ってくれた。いつもどおりだ。よしよし。
どうやら、辛うじて時代に追いついて行くことが、できたようだ。
2008年9月10日(水) 二つの目覚まし時計
歯を磨きながら、ふと目をむけると、そこにあるはずのものがない。いつも何気なく見ていたものがなくなるとやはり寂しい。
月曜日に時計が二つ止まってしまった。新しい電池を入れても動かない。二つ同時にというのが何か不思議なものを感じる。
二つのうち一つは、1987年3月25日から使っていたもの。たまたま時計の下に稼働日が書かれていたのだ。僕が大学に入学する直前から20年以上も動いていたことになる。新宿のヨドバシカメラで、一番目覚まし音の大きいものを購入した。クラシカルなデザインの時計だ。
もう一つは、稼働日こそかいていないがよく覚えている。1989年7月に、シベリア鉄道でヨーロッパを目指す、初めての海外旅行に出発する直前に、やはり新宿のヨドバシカメラで購入したものだ。この目覚まし時計とは、初めての海外旅行を二ヶ月間ともにしただけでなく、その後もいくつかの旅行をともにした。シベリア鉄道のコンパートメントで常に窓側のテーブルの上に置かれていた時計だ。結婚後は家内の目覚まし時計として活躍し、息子の出産の際には、部屋にももっていった。僕の人生の転機には常にこの時計が存在していた。
裏蓋を開けてみると、二つの時計はほぼ同じムーブメントで動いていた。どちらも同じ時期のセイコーの時計だから当然といえば当然だ。
80年代から僕を支えてくれていた二つのものが、同時に止まった。
きっと僕は生まれ変わらなくてはならないのだろう。そういうことなのだ。
20年間も使っている電気製品はとてもすくない。CANONの初代EOSは押し入れに眠っているが、未だ動くだろうか。それぐらいしか思いつかないほど、僕は電気製品を使い捨てしているようだ。
2008年2月19日(火) ロンドン・成田 NH202便
8時半に起床。昨夜は突然の睡魔に襲われて24時ごろに掛け布団の上で寝てしまい、3時ごろに寒くて起きる。なってこった。そんなわけで遅めに起きる。
すぐに朝食。3回目のイングリッシュブレックファストだ。オレンジジュースが体に沁みる。今日の食事がトマトが一番おいしく感じられた。体調は悪くない。この旅行中体調がずっとよいのがなによりだ。
荷物をパッキングする。意外なことに来た時と同じ大きさにまとまった。今日はロンドン交通博物館に行くから、どうせ荷物が増えてしまうだろう。
10時半ごろチェックアウト。荷物を宿に預けてビクトリア駅に向かう。11番のバスでコベントガーデンに向かう。今回の旅行で初めてのダブルデッカーだ。ダブルデッカーの場合は、前の入口から入り、後ろの出口から降りる昔からの方式だ。よろこんで二階の一番前に座る。このバスはウェストミンスター寺院やトラファルガーを経由するので、ちょっとした観光気分だ。やはり二階の一番前は特等席である。ロンドン名物のダブルデッカーは減っていくのだろうか。
コベントガーデンのロンドン交通局は混んでいた。入場に少し並ぶ。入場料は8ポンド。ガイドブック5ポンドも購入。エレベータで3階に上がる時にエレベータ内の数字が現代から1800年までカウントダウンされる工夫が楽しい。そしてエレベータを降りると馬車の展示が始まる。2階は蒸気機関車、電気機関車と客車の展示。そして1階には地下鉄の電車と数多くのバスとタクシーが展示されている。
ロンドンは鉄道が敷設される前から都会であり、都心部に鉄道が建設されることが嫌われたため、各都市を結ぶ鉄道駅は周辺部に多数できた。中心部の交通は馬車か徒歩であった。鉄道はあくまで地方都市を結ぶもので当初は近郊には駅がなかったが、近郊客も鉄道を使うようになってからロンドンは急速に規模を拡大し、都市部の交通にも支障がでてきたため、パディントンとリバプールストリートを結ぶ地下鉄メトロポリタンラインが、建設されたそうだ。路面電車よりも地下鉄(ただし蒸気機関車が牽引)が先なのがおもしろい。
路面電車は当初やはり嫌われて、シェファードブッシュを起点に西部に延びる路線が最初に開設されたのも興味深い。最初は嫌われ、そして次第に都市部でも大きなコストを投じて建設されていくのは、ロンドンの保守性を感じさせる。
路面電車はやがてトロリーバス、そしてバスに変わっていく。バスは静かで快適なものとして歓迎されたらしい。この辺が今の感覚とちょっと違う。
ミュージアムショップをぐるぐるして、結局1時半までロンドン交通博物館にいた。そのままオックスフォードサーカスまで歩く。ソーホーやハムレイズを冷やかしがてら、途中でお昼を食べようかというつもりだ。しかし結局チャイナタウンでベトナミーズのお店に入る。フォーボーとお茶で6ポンド。決して安くはないが、味はまあまあ。香草が体によさそうだ。
ハムレイズは平日でも混んでいた。特になにをするでもなく、レゴのコーナーで息子向けの製品を見てでてくる。オックスフォードストリートにでると、ちょうど73番のバスがやってきたので、これに乗ってビクトリア駅に向かう。このバスもまたベンディだ。
ホテルに戻ると15時半。トイレを借りて荷物を受け取る。ロンドン交通博物館で購入したガイドブックやおもちゃのバスも、どういうわけか鞄の中におさまった。今回の旅行では鞄のエクステンション機能を結局使わずに済んでしまった。
再びビクトリア駅へ。そして地下鉄ビクトリアラインでグリーンパークへ向かい、ピカデリーラインに乗り換えて一路ヒースロー空港へ。接続は調子よくいった。オイスターカードの残金が足りなくなるかと思ったが、結果として1ポンド50セントぶんだけ残った。意外とトラベルカード分をつかいきらないものだ。使い切ったのは昨日だけで、それも50ペンスぐらいがプライスキャップで得した程度だった。
ヒースローでチェックインした時からもう日本語だけの世界になった。ビジネスクラスアップグレードで税金を40ポンド支払うことに気がついた。手持ちの現金が70ポンドぐらいあったので、現金で支払う。ビジネスクラスに乗るだけでこんなに余計に税金を支払うのか、と思ったが贅沢する人からはたくさん税金をとったほうがよいとも思う。免税店でハロッズのお菓子を少し買って、ビジネスクラスラウンジのラウンジGへ行く。無線LANは無料ではない。窓側の席に座る。一時間ほどの待ち時間はあっという間だ。
18時25分搭乗。出発前の予約状況ではガラガラだったCクラスも満席だ。3人掛けの真ん中の席にも人が座っている。日本人ばかり。ビジネス路線とはそういうものなのかもしれない。日本時間に時計をあわせる。20時が午前5時に変わる。
乗ってから飛び立つまでに時間がかかったが、フライトは安定している。夕食は和食をチョイス。ロンドンで作られた和食はどうかと思ったがおいしかった。どうせ食べ終わるまでは眠れないと思い、飛び立った直後から映画「フィクサー」見ていたら、デザートの前に見終わってしまった。そして「踊る大捜査線」を結局最後までみて眠る。が眠れない。食後のコーヒーを二杯飲んだからか。フライトは半分を過ぎたあたり。周りは大半が眠っているので少々焦る。
13時すぎに起床。2時間ほど眠った。靴下を脱いだのがいいようだ。ちょうど昼食前の飲み物を訊ねてくる時間。コーラを頼む。
昼食は、スープ仕立てのパスタというのが気になって洋食をチョイス。しかし味はいま一つであった。期待しすぎていたのかもしれない。あと一時間半ほどのフライトだ。
2008年2月18日(月) ロンドン
8時起床。昨日と同じ朝食が、今日のほうがおいしく感じられる。空腹感はなかったが全部たいらげて、ライスクリスピーも食べる。
今朝も天気がよい。しかしロンドンでは平日の朝9時半までは動かないほうがよい。地下鉄やバスがオフピークとなる9時半になるまで部屋で待つ。
昨夜もへんな寝方をしてしまった。夜中に携帯電話がなって、朝だと勘違いしてベッドサイドのライトをつけた。そのままうとうと。そしてトイレに行きたくなって起きると、まだ6時前。携帯電話がなったのは、ソフトバンクから料金明細ができたよ、という連絡だった。8時までウトウトする。どこか緊張しているようだ。
週末も明けた。ロンドン出発は明日の夜だが、気持ちの上では今日が最後のイメージだ。今日は、戦争博物館二軒と、サイエンスミュージアム再訪と、できればコベントガーデンのロンドントランスポートミュージアムにも行きたい。そして夜19時半からはオペラ座の怪人だ。がんばらなくては。
9時半にホテルを出て、ビクトリア駅からC1のバスでサウスケンジントンに向かう。昨日は地下鉄で行ったが、今日は気分を変えてバスを選んだ。途中スローンスクエアを走り多くのお店をバスの中から眺める。今日もいい天気だ。風がないぶんだけ暖かく感じる。
サウスケンジントンで下車し科学博物館のラウンチポッドに向かう。平日の午前なのに多くの人でにぎわっている。ほとんどが家族連れだ。展示内容は欧米各国の体験型展示の集大成といった感じで目新しさはない。川口の科学館の面積を少し広げたぐらいだ。ここの科学館は産業革命発祥の地ということもあり、これまで科学技術だけを扱ってきたが、ラウンチポッドによって自然科学も扱い始めたことになる。自然史博物館もジ・アースによって地学の分野を扱い始めた。地学や物理といった理科の学習に力を入れ始めたのは、世界の大きな流れだろうか。
お昼にはまだ時間があるので、バス360番でサウスバンクの帝国戦争博物館に向かう。ぐるぐる廻って30分ほどかかった。公園の中にあるこちらも立派な建物である。中に入ると戦車や戦闘機が展示されていて、さすが戦勝国という感じがする。しかし、中央では戦時中の生活の貧しさをスタッフが演じており、地下には、こどもや家族生活という視点からみた戦時中の生活の貧しさが大々的に展示されている。第一次世界大戦から第二次世界大戦までの展示の充実には、やはり戦勝国を感じる。原爆の展示はちょこっとだけだ。
その後、第二次世界大戦以降の戦争や紛争の展示が続いており、現在まで戦争や紛争が続いていること、またそれに英国軍や国連軍がどれだけ貢献しているか、ということが紹介されている。こういう平和維持の紹介の仕方だと、自分たちも平和維持のために何かしないといけないのだなぁと感じさせられる。
2階には情報戦の展示。007で一躍有名になったMI5やMI6の紹介がある。イアンフレミングと007の企画展示がこの3月から始まるらしい。このあたりがイギリスらしい。そして情報戦はもちろん今にも続くような終わり方になっている。
新しくできたらしいホロコーストの展示室にいってみる。ここだけは携帯電話の電源をオフにして、写真撮影も禁止が徹底している。おそらく祈りの場所なのだ。ホロコーストは悪い人がやったこと、とはいえ、人類は扇動されると誤った道を進んでしまうことを考えさせるようになっている。軍事力だけでは平和は維持できないと感じさせる新しい展示だ。
14時。ハードな展示を2時間以上見て疲れたので、博物館のカフェで昼食をとる。平和とか戦争とか考えるのは、あまり得意ではないが人類に課せられた使命なのかもしれない。来館者が祈りではなく歴史を学びに来ている感じが伝わってきた。平和は戦いの歴史なのだ。
本日のスープとパンで2ポンド50ペンス。スープは小さいほうを選んだが十分な量だった。グリンピースとミントのスープはどんなもんかと思ったが、やはり思ったとおりの味であまりおいしくなかった。それでもクルトンと一緒に食べているとどんどん食べてしまうのは不思議だ。
帰りは地下鉄の駅を探すうちに結局ウォータールー駅まででてしまい、そこから地下鉄に乗ってビクトリアに向かう。16時前にいったんB&Bに戻り休憩。
18時再び外出。チャイナタウンで食事をすることにする。「麺粥」と書かれたレストランで油鶏飯を注文。おじさんが鳥を包丁でぶったたいてご飯に載せる。ねぎ生姜油が乗っていておいしい。久しぶりのお米のご飯だ。お茶も頼む。食後にオレンジがサービスされる。これがけっこううれしい。全部で6ポンド10ペンス。きもちよかったので、7ポンド置いて店をでる。19時。
ハーマジェスティシアターに急ぐ。19時開演まであと少しだ。劇場はすでにお客さんでいっぱいだ。毎日これだけ席が埋まるのはすごいことだ。なんといっても21年のロングランなのだ。僕が初めて見たのが1993年のこと。それからロンドンだけでもこれが5回目だ。他のミュージカルを1989年に観たが、やぱりオペラ座の怪人がよいと思う。それにこのミュージカルは自分の学生時代から独身時代、そして所帯を持ってからの自分と、いろいろなことを思い出させてくれる。怪人の悲哀が僕の人生と重なる。じんわりする。舞台の前半は具合が悪くなってきてしまったが、薬でなんとかごまかせた。こんな時に限ってどうして具合が悪くなるのだろう。きっとベルトをきつくしめたまま、狭いシートに座っていたからだ。
今日の舞台もすばらしかった。ストーリーも歌詞もほとんど覚えているのに、それでも楽しめる。21周年記念の写真集を買う。5ポンド。舞台が終わってもメロディは頭の中を流れ続けている。このような舞台が毎日数多くロンドンのあちこちで開演されていることに、ウェストエンドミュージカルの層の厚さを感じる。ロンドンの素晴らしさを感じさせられる。やっぱりロンドンはすごい。そのまま38番のバスをつかまえてビクトリアに戻る。のどが渇いた。B&Bの部屋でジュースとコーヒーを飲んで落ち着く。
明日はB&Bをチェックアウトしたら荷物を預けて、コベントガーデンのロンドン交通博物館に行こう。時間があればオックスフォードストリートやリバティ、ハムレイズにもよってみることにしようか。
共用のバスでバスタブに浸かる。きもちいい。今日は洗濯しないでいいので、より気楽に風呂に入る。明日は帰国だ。一日の終わりに長いフライトが待っている。
2008年2月17日(日) ロンドン
日曜日なのでゆっくり眠っていたかったが、朝食が混むのがいやなので7時半に起床。夜は何度も目が覚めてしまった。ベッドが変わると最初の夜はどうも寝不足だ。
朝食はホテルで提供されるイングリッシュブレックファスト。すぐ近くにあるウィンダミアホテルのイングリッシュブレックファストが大変おいしかったのだが、ここのはそれほどでもない。当然のことかもしれないが、イングリッシュブレックファストにもいろいろあるのだ。でも定価で泊まればどちらのB&Bも一泊100ポンドぐらいだ。同じ金額ならウィンダミアホテルを選ぶだろう。でも今回は冬季割引の65ポンドなのだ。仕方がない。
9時半にホテルを出て、ビクトリアからサウスケンジントンまで地下鉄に乗って、自然史博物館に向かう。日曜日だからか親子連れを中心に大変なにぎわいだ。恐竜の展示には長い列ができている。ジ・アースをゆっくりと眺め、そのあと建物の反対側にあるダーウィンセンターに行こうとする。しかし、なかなか行けない。途中まで矢印があるのだが、そこから先に進める道がない。インフォメーションに戻ってみると、現在は見学ツアーのみが入室可能で、事前予約が必要とのこと。なかなか良い取り組みだと思っていたので、自由に人々がアクセスできないのはちょっと残念だ。
隣の科学博物館にも行く。4階(こちらでは3階と呼ぶ)の新しい体験型の展示を見たかったのだが、長い待ち行列ができていて今日は諦める。明日また来よう。
お昼を博物館のカフェで食べてもよかったのだが、食欲がわかないので、地下鉄でエンバンクメントへ出る。テムズ川沿岸の無料無線LANを使うためだけに、テムズ川に出た。陽がまぶしいほどだが、少し風があって冷たい。外で座っていてもぎりぎりおかしくない、という程度の気候だ。道行く人の視線が少し気になる。僕のノートPCはこちらにはない小ささだし、町中でPCを開けている人はほとんどいないからかもしれない。
インターネットは5分で途切れてしまうので、何回か繰り返しアクセスするが、結局途中で諦めてしまった。何も急ぎの用件はなさそうだ。僕のほうだって別に急いで何かアクセスしなければいけないわけではないのだ。それに、携帯電話も持っているから、急ぎの電話はこちらにかかってくるはずだ。今晩勤め先に電話をしてみようと思った。
トラファルガースクエア経由でレスタースクエアを横切って中華街に向かう。クルマのクラクションがうるさい。赤い旗を掲げてぶーぶーいっている。どうやらサッカーでイギリスのチームが勝ったようだ。しかし大渋滞の中でなんとなく滑稽だ。
食欲より眠さが勝っているのだが、ワンタン麺ぐらいなら食べられそうだと思って中華街まで歩く。この「麺」の看板が出ているお店は19年前にも入ったことがある。そのときもワンタン麺を頼んだ。ぜんぜんおいしくなかった記憶があるのだが、やはり今回もおいしくなかった。ぶっかけご飯のほうがよかったかもしれない。遅めのお昼はワンタン麺(2ポンド80ペンス)のみ。ピカデリーサーカスに出て、いつものバス38番でビクトリアへ。B&Bで少し横になろう。今日は日曜日なのだ。
結局暗くなるまで部屋でダラダラしてしまった。19時前にビクトリア駅に向かう。なにをするでもなくうろうろする。いまは海峡接続列車も到着しなくなってしまったけれど、かつてはヨーロッパ大陸からの玄関口だったのだ。19年前はまだそうだった。そしてそのころから駅のにぎわいはあまり変わっていない。そんな空間に自分をただ置いてみる。駅のディスプレイによると、今日の最高気温は8度、明日朝にはマイナス1度まで下がるらしい。だいたい日本と同じだ。
ビクトリアプレイスにあるセインズバリーでパスタとカットされた果物を夕食に買って帰ってきた。ここのセインズバリーは毎日夜11時までやっている旅行者の強い味方だ。
オアシスというジュースのサマーフルーツ味とダイエットコークのチェリー味(500mlが2本で1ポンド50ペンス)も買った。ビール代りにコークを飲む。のどが渇いていたらしくとてもおいしい。そしてなによりも果物がおいしい。ザクロ、パパイヤ、キウイ、パイナップルなど。安くなっていたけれどそれでも2ポンド99ペンスする。朝の二杯のオレンジジュースだけでは、やはり足りないのだろうか。パスタはトマトとバジルので2ポンド。温かくないがサラダ感覚で食べる。部屋が狭いので、少しわびしい。
20時半。風呂に入る。共同のバストイレなので、他の人と時間をずらしたほうがゆっくり入れる。隣の人は19時前に出かけてしまったのだ。せっかくバスタブがあるのだから、とお湯を張る。しかしお湯がなかなかでてこない。どうにも温かくないのだ。仕方がないのでお湯張りを断念し、ぬるいお湯で頭を洗っていると、ようやく徐々にお湯がでてきたので、体を洗ってしまって、あわててお湯を張り始めた。
ロンドンでバスタブにお湯を張ったのは、たぶん初めてだ。今回の旅行でもブラッドフォードではバスタブがなかったので、イギリスに来てから初めてお湯に浸かった。これが実にきもちがいい。思わず声が出るほどで、部屋に戻っても体がとてもぽかぽかとしている。自分の体がいかに冷えていたかを感じる。
バストイレが共同というのは、僕はあまり気にならない。日本の旅館がわりとそうだからかもしれない。今回は部屋の隣が共同のバストイレだからかもしれない。特に風呂は一日に一回しか使わないのだから、きれいであれば共同でもいい。シャワー付きの部屋よりも贅沢した気分だ。
手持ちの現金はあと120ポンドぐらい。ケチケチ生活が続いているが、特に贅沢したいとも思わない。一人でだと贅沢してもなんだか空しいのだ。しかし家族で贅沢すると支出がすごく大きくなるのだが。
2008年2月16日(土) ブラッドフォードからロンドンへ
朝7時半に起床。今日は晴れているが寒い。部屋の暖房を強めにしておいてよかった。そういえばこのホテルも新しいのにクーラーは付いていない。そういう土地なのだ。
いつもの朝食。シリアル、パン、果物、ヨーグルト、チーズ、オレンジジュース。トイレが近くなると困るのでコーヒーは一杯だけにした。今日は土曜日のためかまだ食事をしている人は少ない。チェックアウトにも並ばずに済むだろう。
パッキングをしたらカバンがパンパンになった。鉄道博物館で買った絵本と、いろいろ集めた資料が大きいのだ。8時半にチェックアウトをして、8時45分発の747番のバスに乗るためブラッドフォードインターチェインジに向かう。
念のためにトイレに行ってバスに乗る。バスは平日とは違って小型のものだった。土日は終日オフピークなのでやはり1ポンド80ペンス。バスはすぐに旧市街を抜ける。車の窓が凍っている。やはり寒いのだ。
来た時には気がつかなかったが、空港までの道の両側には石造りの古い建物がたくさんある。それに混じってレンガで造られた家やさらに新しい家も見える。時折緑も広がって羊の姿も見えた。気持のよい風景だ。きっと数百年変わらない景色なのだろう。ただ交通機関だけが大きく変わったのだ。
9時半前に空港に到着。チェックインは意外にもセルフの機械でもできた。といってもスタッフにやってもらったんだが、感心した。続いて手荷物検査。靴も脱がされる。ヒースローより厳しい。金属製品は全てカバンに入れたはずなのに、探知機に引っかかる。ジャケットも脱がされて再度機械でチェックされる。PCも念入りに調べられて、再度チェックされる。なかなか大変だ。
そしてエグゼクティブラウンジへ。9時50分。インターネット接続を期待していたが、T-mobileのサービスしかない。出発案内を見ていると、国内のブリストルやサザンプトン、マン島のほか、アムステルダム、パリ、バルセロナ。ジュネーブ、プラハなど国際線も並んでいる。地方空港なのに一時間に平均3本のフライトが続く。航空会社もjet2が3割、そのほかにbmi,flybe,KLM,Ryanairなどたくさんある。なかなか大したものだ。
島国だからかもしれないが、地方空港からヨーロッパ各都市へのフライトは充実している。
搭乗まであと10分少々だ。
ロンドンのエクレストンスクエアにあるエリザベスホテルというB&Bに滞在している。23号室。5階(日本でいう6階)の一番奥のいわば屋根裏部屋だ。エレベータは4階まであがって、狭い廊下を歩いてさらに階段で5階に昇った奥に部屋はある。朝食がイングリッシュブレックファストだし、一泊65ポンドならば部屋が狭くても、バストイレが共同でも仕方がない。ロンドンはそういうものだと思う。
ヒースロー空港には定刻の12時ぐらいに到着した。エンブラエル145という飛行機で3Aという僕の席は、通路側を指定したのに窓側なのかと思っていたら、通路側でもあった。1−2の3アブレストなのだった。窓側は久しぶりだ。iPodを聴きながら窓から差し込む日差しを受けてうとうとして気持ちがよかった。
荷物がなかなかでてこなかったが、寝ぼけていた僕にはベンチで休憩するよい時間だった。そしてピカデリーラインに乗るべく地下鉄の駅へ向かう。スタッフにどこまでいくかと訊かれ、ビクトリアだというと、チケットを買って上にあがり特別列車でパディントンに向かえ、という。後で知ったが、この土日はピカデリーラインがハマースミスとどこかの間で工事のために運行していなかったのだ。パディントン経由だと面倒だと思ったので、同じ4ポンドで行けるのならとコーチステーションに向かう。ビクトリアコーチステーションまではやはり4ポンド。しかし次のバスが13時25分とのこと。ずいぶん待つなぁと思ったが、ここでサンドイッチでも食べながら待つことにした。サンドイッチとコーヒーで4ポンド弱。
バスはナショナルエクスプレスのD32番。どこかからきてヒースローでたくさんの人を降ろして、ビクトリアに向かうバスだ。これで50分でB&Bの近くまで行けると思ったのだが、チェルシーで渋滞に巻き込まれて結局B&Bに着いたのが15時近くだった。
B&Bのレセプションの対応は良かったが、部屋はあまりよくなかった。最初にあてがわれた部屋は03号室。地下の部屋だが天井が高く、窓からはちょっとだけ空が見える。確か前回ロンドンに滞在した時も地下の部屋に泊まったことを思い出した。うすぐらくてあまり好きになれないが、今晩はここで我慢しようと思った。
そして4時頃に外出。ビクトリアプレイスのトイレを確かめたら有料になっていた。ビクトリアのロンドントランスポートのインフォメーションでオイスターカードを買う。3ポンドに17ポンドを入金してもらって、ちょうど20ポンド。今回の滞在でちょうど使い切るぐらいだろうか。さっそく38番のバスでピカデリーに向かう。38番という番号こそ以前と同じだが、このルートはベンディという連接バスになってしまった。景色があまりよく見えないのが不満だが、これはダブルデッカーと較べるからだろう。乗り降りは3か所の扉のどこからでもできる。チケットは事前に購入しなければならない。乗降時間の短縮にはなっていると思う。
ピカデリーについて、まずオペラ座の怪人のチケットを買いにハーマジェスティーズシアターに向かう。ここは道を一筋間違えることが多いのだが、今回もまた間違えてしまった。今夜は和田さんとの約束があるので、月曜日の夜を頼んだらなかなかよい席があった。25ポンド。珍しくキャッシュカードで支払う。並んでいる人たちはカップルやグループばかりだったので、隣り合わせの席がなくて困っていたようだが、その点一人だと気楽である。
その後、三越でトイレに行く。ここに無料のトイレがあるのは昔から変わっていない。なにげなく見たバーバリーのコーナーで割引になっていたシャツを妻へのお土産に購入。これもクレジットカード。免税でいったいいくら戻ってくれるのだろうか。
約束の時間にはまだ余裕あるので、旧正月早々の中華街に行ってみることにする。日が落ちると寒さがさらに強まる。ロンドンもとても寒い。数日前のヒースローの暖かさが嘘のようである。
中華街は旧正月の飾り付けがなされていて、土曜日ということもあってたくさんの人で混雑していた。いいにおいがつぎつぎと鼻を刺激する。寒い上に空腹なのだ。レスタースクエアのチケットショップをひやかして時間を潰す。寒さがつらくなってきたころ、和田兄から電話が入る。今日はモロッコ料理だ。
和田兄の奥さんとは初めてだった。モロッコ料理はもしかしたら初めてかもしれない。ニューヨークで食べたのはモロッコか、と思ったがチリとかペルーだったかもしれない。赤ワインを飲みつつたくさん食べた。クスクスがなかなかおなかが膨れる食べ物だということを知った。おいしい。モロッコに行きたい。和田兄とは5年振りに会ったのに、いつもあっているかのように世間話ばかりをした。和田妻とは初対面だったけれど、とてもよく話をしてくれた。
20時過ぎにベリーダンスが振舞われて、我々は大喜び。モロッコは観光したら絶対楽しいと思う。
21時頃にピカデリーサーカスで和田夫妻と別れる。夕食は和田兄に御馳走してもらってしまった。38番のバスでビクトリアに向かい、B&Bに戻る。さっそくシャワーを浴びようとするが、いつまでたってもお湯が出ない。いったん脱いだ服を着なおして、レセプションに苦情をいいにいく。今日はどうにもしようがないから、と最初は言われたが、共同シャワートイレの部屋は?と聞くと一つあるとのことで、そちらに移動。今度の部屋は天井が低いが窓から外が十分に眺められるから気持ちがよい。さっそくシャワーを浴びる。温かいお湯がでるのは当然のことだがありがたい。今度の部屋はスチーム暖房が利いていないみたいだが、室内はさほど寒くないので諦めることにする。今日はいろいろ動いた。ブラッドフォードの部屋が実に快適だったのを思い出したが、ここはロンドンなのだ。ほぼ同じ値段でロンドンに泊まるのだ、と思えば諦めもつく。それにベッドはここもダブルベッドで、こころなしかこちらのほうが寝心地がよく感じる。明日はサウスケンジントンにいって、科学博物館と自然史博物館を見よう。
日付が変わったころに、妻から電話が入る。こちらからかけてばかりだったので、なんだかうれしい。
2008年2月15日(金) ブラッドフォード
昨夜は24時近くまで起きていたためか、今日は寝起きが悪かった。8時半ごろにようやく起床し、すぐに朝食に向かう。変わらぬメニューだが、よく食べた。
10時にホテルを出て、郵便局でハガキを出したあと、ブラッドフォード大学に向かう。ゆるやかな坂を登ること10分ほどで大学に到着。通りに面してガラスでできたアトリウムの入口があり、そこから入ると何かありそうなので、入ってみる。入ってまずトイレに。きれいな建物だ。中に入ると大きな吹き抜けの空間があり、学生が椅子に座って談笑している。カフェとプリントアウトのサービスが左手に、右は総合受付がある。右の奥にはThe Hubという学生向けの総合窓口が銀行のようにならんでいる。入学案内も、その後の支援も全てそこでおこなわれる。素晴らしいサービスだと思う。
いくつかの建物に入ってみる。大学はどこも変わらぬ雰囲気で、なんだか落ち着く。そして外国人が多く感じた。学内には劇場、ライブハウス、ギャラリーもあり、また野外劇場になるような場所もある。キャンパスはそれほど大きくないが、ゆったりとした時間が流れている。学食らしきものはサンドイッチスタンドぐらいしか見当たらない。資料をもらったり、学内の写真を撮ったりして、お昼過ぎにもう一度メディア博物館へ向かう。途中にインドや中華のお店もあったが、まだ空腹ではなかったので入らず。
それにしても今日は寒い。風も少し吹いていて、ポケットに手をいれて歩いている。
メディア博物館では、もしかしたらブラッドフォードの映像制作の歴史が紹介されていないかと探してみたが見当たらず。コダックシアターで写真の歴史を学んでしまった。
ここで昼食をとろうかとも思ったが、結局市内を歩き、二日前に1/2パウンドのハンバーガーを買ったスタンドで、ジャケットポテト=ジャガイモ&ボロネーズソース(2ポンド50ペンス)を買って、道端で食べる。ほくほくして美味しかった。
その後、まだ行っていなかったオースターセンターというショッピングセンターに行ってみる。ここは大きな屋根の下に多くの屋台が入った形式で、なんとなくアジアを感じる。ケバブ&チップスとかが売られていて、おいしそうだが、食べている人々がアラブやインド系の人が多く、自分がここにいるのが場違いな感じがした。というか僕にはアラブとインドの区別がいまひとつ曖昧である。
キルクゲートショッピングセンターに戻るとなんだか安心した。こちらにはカフェ以外の飲食店は見当たらず。しかし、これらのショッピングセンターが17時半ぐらいに閉店してしまうのを知って驚く。夜もやっていたらケバブを食べに行ったのに。
1ポンドショップを少し冷やかしたのち、ゆっくりとホテルに戻る。部屋でゆっくりとコーヒーでも飲むことにしよう。
19時、夕食のため再び外出。風がとても冷たい。温かいものでもと思っていたが結局サブウェイでイタリアンBLT(2ポンド86ペンス)を買ってきてホテルの部屋で食べる。それにしても外は寒い。氷点下なのではないだろうか。
今日は金曜日だ。心なしか街には人が多く感じる。イギリスでは土日はお店が早く閉店したり、もともと開かなかったりする。ブラッドフォードでも日曜日はバスの便が極端に少なくなる。明日は和田兄と夕食だ。久しぶりに誰かと一緒の食事だ。