1880年代教育史研究会の紹介
1880年代教育史研究会の発足とニュ−ズレタ−創刊にあたって
私たちは、2001年9月30日上越教育大学にて「1880年代教育史研究会」を発足させました。風変わりな名称のこの研究会は、戦後の日本教育史研究において豊富な蓄積をもつ1880年代(明治10年代)の教育史を、政策・制度・実態を貫いて捉え、その延長線上に森文政期を捉えようと試みることを目的としています。アプロ−チの方法として、したがって教育史に限定せずにより広い視野からのアプロ−チが必要と判断し、隣接諸領域である政治史・経済史等を専攻する研究者に広く呼びかけました。
研究会会員は、東京・京都・広島等々に在住している若手研究者が中心であるため、頻繁に会合をもつことは不可能なので、「ニュ−ズレタ−」を中軸にして研究交流を活性化させようと思っています。またこの「ニュ−ズレタ−」は、会員ではなくとも会員の近くの方にお読みいただき、さまざまな意見・助言を頂戴できればと考えています。
「創刊号」の本号は、本年2月に京都にて開催された第1回研究会の4報告のうち、谷本・小宮山会員の報告を掲載しました。また、上越教育大学での設立以前から本研究会設立のために尽力し、病に倒れた後にも強い指導力を発揮され、3月30日に永眠された本研究会代表中野実の追悼文を掲載しました。
(荒井明夫(文責)・小宮山道夫・田中智子・谷本宗生・冨岡勝・福井淳)
1880年代教育史研究会代表中野実の逝去によせて
1880年代教育史研究会は、今は亡き中野実さんの強い指導力の下で設立されました。
中野さんは数年前から日本教育史上における森文政期の捉え直し、再評価の試みに意欲的に取り組んできました。その成果は、教育史学会や東京大学史紀要等に発表されています。
中野さんは、森文政を捉え直す視点として、1880年代(明治10年代)の教育史を、政策・制度・実態を貫いて捉え、そのため政治史・経済史の成果を吸収し、広い視野から再検証することを力説していました。「1880年代の政策・制度展開が、帝国憲法体制に収斂していくのではないか・森文政はその過渡的位置にあったのではないか」という仮説を、病床で研究会構成員の一人である荒井明夫に語ったことがあります。こうした研究目的・方法および仮説は、中野さんの大学史・高等教育史のひとつの到達点であり、同時に帝国大学形成史に着手していた中野さん自身の研究課題であったと思います。
中野さんは、病に蝕まれた体にも関わらず様々なアイデアを発してくれました。「2月の京都での研究会は自分が不在でも必ず開催するように。三高史料室を見学するように。」「若い研究者が中心なので『まるでひとりごとを言っているような』ニュ−ズレタ−を頻繁に発行して研究交流を活性化させる」「ある程度の成果が出てきたら教育学会のラウンドテ−ブルか教育史学会のコロキウムを設けようと」等々。また病院にお見舞いに来た人にこの研究会の話しをし、「是非一緒にやりませんか」と誘ってもくれました。
病院にお見舞いに訪れた私たちは、中野さんを励ますつもりが、逆にいつもこうして励まされたのでした。
2月の京都での研究会の際、中野代表の意に応えるべく「ニュ−ズレタ−」創刊を決め、その発行日を3月30日と決めました。まさかその日が命日になるとは・・・・。
残された私たちは、痛恨の思いのままその後の日々を過ごしてきましたが、このニュ−ズレタ−発行を期に気持ちを改め、悲しみを乗り越えて中野さんの志を受け継ぎ、協力して前進していく決意です。
(荒井明夫・小宮山道夫・田中智子・谷本宗生・冨岡勝・福井淳/文責 荒井明夫)
<「ニューズレター」創刊号より転載>