研究者への道

恒松 直美 准教授

基本情報

  • 所属又は配属:森戸国際高等教育学院
  • 職名:准教授

研究者になるまでの軌跡

私の研究者への道について考える時、多様な体験を通じて様々なことを学びながら今日に至ったように思います。現在、留学生向けの英語で行う授業や地域と協働するインターンシップ実習など、広島大学短期交換留学プログラムの運営・国際教育とその研究に従事する傍ら、大学院教育学研究科で大学院生向けの授業も担当させていただいています。多様な業務をこなす中、これまでの経験すべてが多面的に役立っていることを日々感じています。世界各国からの留学生、日本人学生、国内そして世界からの研究者の皆様との出会いの中で多くのことを日々学ばせていただいています。

 広島大学を卒業後は、民間企業に就職、その後アメリカに渡り日本語教師、そしてアリゾナ大学で大学院修士課程、オーストラリアで博士課程、教員として大学に勤務と、長い道のりを経てここまでたどり着いた感じがしています。2003年4月より広島大学に赴任してから、あっと言う間に15年が経ちました。2003年から担当した交換留学生は今年2018年度で16回目の学生になります。母校にてこれまで体験してきたすべてのことを最大限に活かしていける職を与えられたことに日々感謝しながら仕事をさせていただいています。6年ずつ暮らしたアメリカとオーストラリアは第二の故郷です。今でも学会などで訪問すると懐かしく感慨もひとしおです。

 私を温かく迎えてくださった多くの方々、すばらしい先生方、そして慕ってくれる留学生、多くの学生との出会い、地域の皆様との交流など、多くの方々との出会いとご支援に日々感謝しています。帰国前にまた日本で暮らせるか心配していた日々が懐かしいです。皆様の支えによりここまで頑張ってくることができました。留学生向けに英語で教えている「日本社会とジェンダー」という授業や「グローバル化支援インターンシップ実習」では、留学生から積極的に多くの質問が出てきて私自身も学ばされます。また教えることの面白さも教えてくれました。現在の研究の関心は、「日本留学での適応と帰国後の再適応が多国籍留学生に与える影響のホリスティックな研究」と「多国籍留学生の体験学習」です。大学・地域・グローバル社会を連携させた国際教育に興味があり、特に理論と実践を結びつける留学生の国際的体験学習として「グローカル・リーダーシッププロジェクト」を毎年発展させています。また、留学生が帰国後、日本留学をどう振り返り、どう将来日本と関わろうとしているのかについて知りたく、帰国後の留学生へのインタビューを続けています。いつも思うのは、すべての学問はつながっていて、知りたいことは際限なく広がり、たゆまぬ努力が必要であるということです。

 大学時代の学部は広島大学文学部文学科英語英文学専攻で、クラブは ESS (English Speaking Society) に所属していました。幼く若かった自分をとても懐かしく思い出します。そのころは大学の先生になるなど夢にも思っていませんでした。中学のころからとても英語が好きで、高校2年生の時から「ラジオ英会話」を聞き始めましたが、土曜日の英語インタビューはほとんど分からず、英語が分かるようになるなんて夢だと思っていました。今でも聞き始めた週の話が‘gardeningでかわいい子供の声だったのを思い出します。その頃は自分が数年後海外で暮らすことになるなど思いもしませんでした。英語が話せるようになりたいとがむしゃらに頑張っていた自分を懐かしく、そしてかわいくも思います。「オズの魔法使い」の映画をテレビで見た小学生の自分には、アメリカなど決して自分が行くこともない別世界の話だと思い込んでいました。

 大学卒業後は、地元の民間企業に就職し、そこで翻訳・通訳業務を行っていました。しかし、一念発起、日本を脱出し試してみたいと思い、アメリカの大学で日本語の授業のアシスタントをする仕事に応募し、渡米しました。安定していた職を辞め海外に行くには自分なりに大変勇気が入りました。会社を辞めて渡米する際に友人が「しなくて後悔はあっても、やってみて後悔というのはない」と言ってくれたのを覚えています。

 この第一歩が私の人生を変えることになりました。今思えば、1990年に海外に出てからは、いつも未知の世界が目の前に広がるようでした。1年の予定が12年となる長い海外生活の始まりでした。1990年夏、渡米し、カリフォルニア州の大学で、後に恩師となるDr. Kriegerのアシスタントとして2年間働くこととなります。大変人徳のあるすばらしい先生で、私の人生を変えた1990年の出会いから約30年もたったとは信じられないです。このDr. Kriegerとの出会いにより、大学での授業のおもしろさを味わい、大学院に進学して勉強したくなり先生に相談しました。そして、University of Arizona(アメリカ)のアジア研究学部の大学院修士課程に入学することとなります。それまでの日本語教師の経験を活かし、アリゾナ大学での日本語の授業を担当するティーチング・アシスタント(TA)として働き、経済的に負担なく大学院で勉強することができました。また、そこで、Dr. Bernstainというすばらしい女性の歴史学者に出会ったことにより、博士課程(Ph.D)進学を決意しました。その際の先生のいつも懇切丁寧な指導と精魂こもったアドバイスで真っ赤になって返ってきた論文を今でも忘れることができません。一生懸命に多くのReadingをこなし、毎日頑張った日々が懐かしくてなりません。2009年に学会でアリゾナ大学のあるTucsonを訪れた際には大学まで足を運び、通っていた道を大学院生だった時を思い出しながら歩いてみました。私の知っていたUniversity Streetの店はすべて新しい店に変わっていました。まさに、”Back to the Future”の気持ちでした。

 アメリカで修士号を取得後、1995年オーストラリアのMonash Universityのアジア研究学部の博士課程に進学し、博士論文を書き始めます。博士号(Ph.D) 取得後は、通訳をしたり、大学で日本語教師をしたりしていましたが、2002年末偶然見つけた広島大学留学生センター教育交流部門の教員の公募に応募したことがきっかけで、思いもかけず日本に帰国することとなりました。2ヵ月後にはオーストラリアから日本に生活の拠点を移すこととなりました。あれから15年。

 自分らしさを忘れないで、自身の信じた道を歩み人生を切り開いていく勇気を学生の皆さんに持っていただけたら嬉しいなと思うと同時に、自身にもいつもそう言い聞かせています。人生は毎日が勉強です。一歩一歩何かができますように。その時その時の自分の気持ちを大切にしてほしいと思います。今取り組んでいる研究もまだまだこれからです。この研究を通じて世界とどうつながっていけるかな、どんな新しい出会いがあるかな、そしてそれをどう学生の教育に還元できるかな、ととても楽しみです。

<男女共同参画推進室サイト>
研究者への道 | 広島大学