ただいま読書中(近況一言報告)
2000年7月
2000.07.31
- 今日から『BSマンガ夜話』。『天才柳沢教授の生活』、『哭きの竜』、『野球狂の詩』。『哭きの竜』は読んでいないなあ。
- どうすればネットで本が売れるかというのは難しいのだけど、自分が買いたくなる時のことを考えてみると、何か雑談とか議論のネタにされているような本には、興味が引かれて、買ってみようかな、という気になるように思う。最近でいえば『知の欺瞞』とか『進化と人間行動』とか。ネット書店の近くに、いろんな人が気軽に本の話をしているような場所があると、購買意欲がそそられるかな、と思う。
2000.07.30
- 家で本を読んだり、本棚の整理をしたり。
- 『「社会調査」のウソ』(谷岡一郎)読了。内容はちゃんとしたことが書いてあって、面白く、ためになるのだけど、少しだけ違和感を感じた部分があった。冒頭に出てくる「サッカーくじ反対」の団体が行ったアンケートとか、社会運動グループが行っているアンケートや模擬投票というのが、きちんとした調査の方法論に乗っ取っていないゴミだ、といって批判されている。しかし、彼らがやっているのは「調査」じゃなくて「運動」じゃないのか。いってみれば、ちょっと手の込んだ署名活動のようなもの。そういう運動体が集めたアンケートにバイアスがかかっていることは、わざわざ言われなくても誰でも分かっているだろう。その上で、そういうバイアスを割り引いても、これだけの声が集まったのだということを示して、政治的な圧力になれば運動体にとってはそれで良い。この場合、数字は客観的なデータを示すものではなくて、政治的な圧力として働くように意図されているわけだ。だから、それに対して調査の方法がどうのとかいう批判しても、そもそも土俵が違っていて噛み合わないような気がする。
- 『電脳なをさん』3(唐沢なをき)、『しゃりばり』(とり・みき)購入。
- 土用の丑の日ということで、鰻を食べた。鰻、好きなんだけど、何か理由がないとなかなか食べないので。
2000.07.29
- プラスミドベクターに短いインサートを組み込む作業をしているのだけど、100クローン調べて、1つもインサートが入っていなかった (T-T)。組み込む場所はAflIIという制限酵素サイトで、この酵素のサイトは一応、突出末端なのだけど、(カタログによれば)ライゲーションの効率はブラントエンドと同程度になってしまうそうで、なかなか厳しい。blue/whiteセレクションができないというのもつらい。ともかくもう一度ライゲーションからやり直してみることにする。
- NHKの「ポップジャム」とかいう番組、いつもは観ないんだけど、杏子がバービーボーイズの曲をやるというので、観てみた。ポルノグラフィティとかいうバンドと一緒に演奏していたんだけど、やっぱり杏子の声はバービーの曲によくはまるなあと、あらためて思った。最近の杏子の曲にはいま一つ心が動かないんだけど、こうして聴いてみると、声はやっぱり良いよなあ。もっとも、ポルノとかいうバンドのボーカルは、もちろんコンタと比べるとぜんぜん歌えていなかったので(まあ自分達の曲じゃないんだからしょうがないけど)、演奏全体としては今一つだった。やはり杏子とコンタの掛け合いボーカルというのは、絶妙の組み合わせだったんだなあとしみじみ思う。山崎まさよしやスガシカオと一緒にやっている曲も、悪くはないけど、バービーボーイズの域には達してないよね。
2000.07.28
- bk1から本が届く。『カエルのきもち』(千葉県立中央博物館監修)、『遺伝子とコンピュータ』(小長谷明彦)、『百万人の天気教室 6訂版』(白木正規)の3冊。『カエルのきもち』は、こども向けの本なのかな、と思っていたのだが、そんなことはなかった。生物学だけでなく、カエルグッズとか、いろんな角度からカエルにアプローチしていて、僕が読んでも楽しいし、勉強にもなる。縄文時代のカエルグッズ(土器)なんてものも出てくる。期待以上に良い本でした。スタッフが楽しんで作っているのが分かります。
- 『不平等社会日本』(佐藤俊樹)、『「社会調査」のウソ』(谷岡一郎)購入。
2000.07.27
- 学生実習も終わって、前期もこれでほぼ終了。夏休みに入れば静かな環境で実験ができると思うと、気分が良い。
- 『EDEN』5(遠藤浩輝)、『水と銀』1(吉田基巳)、『神戸在住』2(木村紺)、『雲の上のキスケさん』1(鴨居まさね)購入。
2000.07.26
- 学生実習。
- 細胞工学別冊『顕微鏡フル活用術イラストレイテッド』購入。分子生物学のプロトコール集みたいなのはたくさんあるけど、顕微鏡の使い方についての分かりやすい本ってあまり無いので、こういう本はうれしい。分かっているつもりでも実は自己流で使っていたりするからなあ。
- bk1でタカノ綾の画集『Hot banana fudge』を注文。昨日、著者名検索をした時には引っ掛からなかったのだけど、それは著者名が「高野綾」になっていたからみたい。
同時に注文したのは、『カエルのきもち』、『遺伝子とコンピュータ』、『百万人の天気教室 6訂版』など。
- 『サイアス』って、いろいろ言われているけど、「新聞の科学欄みたいな記事をまとめて読める」という感覚で読む分には、そこそこ良かったのではないかと思う。記事の内容の深さという点では、それは『日経サイエンス』とか『科学』の方が水準が高いけど、新聞や週刊誌を読む感覚で気軽に読める科学雑誌があっても良い。
前にも書いたけど、僕は『サイアス』はずっと毎号買っていた。(その他に買っている科学系雑誌は『細胞工学』と定期購読の『ナショナル・ジオグラフィック(日本版)』。)『サイアス』がなくなったら、たぶん『日経サイエンス』を買うと思うけど、上品な『日経サイエンス』よりは、ちょっと猥雑な『サイアス』の方が僕の好みには合っていたかな、と思う。もちろん不満な点もいろいろあったのだけど、まあ、今それを言っても仕方ないからね。
2000.07.25
- 学生実習。動物組織の観察。
- 中公新書『ザリガニはなぜハサミをふるうのか』(山口恒夫)、講談社現代新書『優生学と人間社会』(米本昌平+松原洋子+ぬで島次郎+市野川容孝)購入。
- bk1の書評原稿を送る。今回は『ミトコンドリアはどこからきたか』(黒岩常祥)。
2000.07.24
- 『SUPER FLAT』(村上隆)購入。タカノ綾って良いですね。
- 試験監督。250人くらいの大教室で、疲労した。
- 学生実習の準備。
2000.07.23
- ビデオをセットするのを忘れて、クウガを見逃した。
- 広島で買い物。久しぶりにCDを買いたかったので、パルコのTower Recordへ。嶺川貴子の『Maxi On』、ペティ・ブーカの『Summer Breeze』を購入。もう一枚、ワールドミュージックのコーナーを見ていたら、『Hawaiian Nisei Songs』というCDがあったので、これも購入。これはハワイ日系移民2世たちによる1950年代の音楽を集めたレコードの復刻らしい。細野晴臣がジャケットのアオリに、当時これを聴いていたのは自分と久保田麻琴くらいだったのではないか、というようなことを書いていたが、そういう珍しいものが簡単に聴けるというのは有り難いことではある。
- 『幻想文学』の最新号を購入。
- 『NICO SAYS』(小野塚カホリ)、『ラストコンチネント』(山田章博)、『誰も知らない夜』(目白花子)、『エンドレス・パズル』(吉田光彦)、『B.B.JOKER』1(にざかな)、『…すぎなレボリューション』1(小池田マヤ)購入。『誰も知らない夜』は予備知識なしの買い物だったけど、当たりだった。『B.B.JOKER』は新井理恵風の4コママンガで、それなりに笑える。小池田マヤは最近売れているようだけど読んだことないので試しに。
2000.07.22
- 『サイアス』が休刊の危機らしい。僕は創刊以来、ずっと毎号買っているけど、それは誌面に魅力があるからというよりは、買い支えないと潰れそうだから、という意識の方が強かったかも。しかし、売れていないものを、存続させるために署名を集めるというのは、どうなんだろう。定期購読者を募る、というなら話は分かるんだけど。
- 見る目(7/22)。
本の評価が人それぞれ違うのは当然だし、だからこそ、ネットで他の人の感想を読むのが楽しいのだと僕は思っています。感想が人と違っていたからといって、見る目が無いなどと気にする必要はないのではないでしょうか。
『グイン』の場合に限ると、毎巻でる度に読むのと何巻かまとめて読むのとでは印象が違うというのもあるのではないかと思うのですが、どうでしょう。僕の場合、1巻づつ読んでると、これしか話が進まないの〜、という不満を毎回のように感じて、フラストレーションが溜まってくるんですよね。だから文句の一つも言いたくなる。でもやっぱり全体としては先の話が気にかかるし、あのキャラクターの運命は? なんてことを人と(僕の場合は同居人とですが)話をするのも楽しいし。ということで、『グイン』が好きであることには変わりないです。
- butatamaさん(7/21)、コメントありがとうございます。その後、考えたことを少し。
「進化」という語には、A「長大な時間経過に伴い生物が変化していくこと」というような古い素朴な意味と、B「集団内の遺伝子頻度が変化すること」という新しく、現在多くの進化学者が受け入れている定義がある。ところで、これらは、とりあえずは別の現象として観察される。Aは化石記録などから、そしてBは現生の生物集団の観察などから明らかにされる事実である。
そこでもし、C「Aという現象と、Bという現象は、実は同じことなのだ」と言うことができれば、話はきれいにまとまる。Cの命題が真であると証明されれば、Aのような現象の研究をしている人でも、Bのような定義を受け入れることは、さほど抵抗なくできるだろう。では、Bの定義が広まっていく中で、Cのような議論はあったのだろうか。あったとすれば、それはどのような議論だったのか――というようなことを考えていました。
僕も研究の上では進化学の方向へシフトしつつあるのですが、まだまだ勉強不足です。進化学会にも行ってみたいのですが、話すネタがない(ネタは直前の動物学会で出し尽くしてしまう)ので、たぶん行かないと思います…。それはともかく、今後ともよろしくお願いします。
- 『無頼伝 涯』1(福本伸行)、『S.O.S.』1(細野不二彦)購入。
2000.07.21
2000.07.20
- 「海の日」ということで仕事は休み。あまりに暑いので、部屋に冷房をいれて読書。ここのところ休日というと買い物にいったり家の仕事をしたりというのが多かったので、のんびり休むのは久しぶりのような気がする。明るい日射しのさしこむ涼しい部屋でゆっくり本を読めるのは幸せだ。読んでいたのは、ずっと前に買って積ん読にしていた船戸与一の『虹の谷の五月』。船戸の絶頂期には及ばないけど、そこそこ楽しめる水準の作品。ところで、この作品が直木賞というのは、それ自体はまあ良いのだけど、賞の話題性で読んでみようと思った初めての読者が、これだけ読んで評価を下してしまうとしたら、それは残念だ。やはり『山猫の夏』とか『猛き箱舟』とか『砂のクロニクル』あたりも読んで欲しいと思う。
- 夕方、大腸菌を植えるために大学へ行って、ちょっと仕事をした後、自転車で帰宅。東の空がかなり曇っていて、稲妻が何度も走っていた。夕立ちが来るかなと思って急いで帰ったけど、西条近辺は降らなかったみたい。稲妻はなかなか美しく、迫力があって、遠くから見る分には良いなあと思った。
2000.07.19
- bk1から『しろいくまとくすのき』(川島誠)が届く。
- 『猿と女とサイボーグ ―自然の再発明―』(ダナ・ハラウェイ)購入。ずいぶん前から広告だけは『現代思想』に出ていたんだけど、なかなか実物が出てこなかった本。ダナ・ハラウェイは科学技術論、フェミニズム理論の研究者だが、もともとは発生学を専攻していたのだそうだ。
- 『はじめの一歩』53(森川ジョージ)購入。
- 先日(7/13〜7/15)の『進化と人間行動』へのコメントに対して、西田さんとbutatamaさんから反応をいただく。読んでいただいてありがとうございます。(こちらとこちらのそれぞれ7/18。)
- 西田さんの「進化論は解釈?」について。
どのような科学理論も絶対に正しいということはできないという意味では「仮説」である、ということは『進化と人間行動』にも書いてあるし、その通りだと思います。もちろん「仮説」といっても色々なレベルがあって、かなりよく検証されているものもあれば、解釈に留まっているように思えるものもある。どこからが解釈で、どこまでいけば解釈でなくなるのかというのは、一般的な基準があるわけではないと思います。
『進化と人間行動』の内容に即していえば、ある生物の形質が自然淘汰によって形成された適応形質であると言うためには、4つの基本条件がある、ということでした。つまりその基本条件が成立していることを示せれば、その説は一応「解釈」の域を出て、とりあえずは検証された確からしい仮説(一応は「事実」とみなして良いもの)の地位につくことができるのだろう、と僕は理解しました。ですから進化学の中にも、よく検証されている仮説から、単なる解釈までいろいろあるだろうと。butatamaさんが解説してくださった進化学の方法論についても、基本的にはそのような方向での検証を目指していて、ただ現実的には難しい部分もあるので、そこは工夫&妥協して乗り切っている、ということだと理解しました。
7/14の「事実と解釈を区別して教えるべき」という話で僕が主として問題にしたかったのは、科学一般についてというよりもむしろ「ヒトの進化心理学、行動生態学」という特殊な分野についてでした。キリンについての研究であれば、科学としては興味深い話ではあっても、人間社会に与える影響という点では、それほど大きくないと思われます。しかしヒトについての研究は、それとは比較にならないくらい社会的な影響が大きいと思われるからです。
もちろん統計的な調査等によって出た結果はひとつの「事実」でしょう。しかしそこからヒトの心理の進化的基盤について(ましてやヒトの「本質」について)何かを主張しようとする際には、十分すぎるくらい慎重であるべきだと思います。
それに加えて、ヒトは高度な文化をもち、それに大きく影響されていること、実験的な研究が行いにくいという制約があることなどから、研究対象としては扱いにくい材料です。可能な「解釈」の幅も大きいだろうし、それを検証するのも容易ではないでしょう。
そのような(批判的かつ懐疑的な)立場で『進化と人間行動』に紹介されたヒトに関する研究事例を読むと、ほとんどのものが、上記の基準に照らして、かなり「解釈」の度合いの強い仮説に留まっているように思えたのでした。「事実と解釈を分けて教えるべき」というのも、そのような認識に基づく意見でした。
- butatamaさんの進化学における仮説検証の方法論についての解説は、たいへん勉強になり、ありがたく思っています。いただいたコメントについて、もう少し僕の考えを述べさせていただきます。
まず進化の定義について。「進化とは、集団中の遺伝子頻度が時間とともに変化すること」という定義が進化学研究者の中では一般的であるということは了解しました。しかし(進化学においては必ずしも主流ではないのかもしれませんが)たとえば古生物学、比較形態学、Evo/Devo、などの分野における(たとえば「化石から見る形態進化」とか「個体発生メカニズムの進化」とかいう場合の)「進化」という言葉には、「集団中の遺伝子頻度の変化」といった意味合いはほとんど込められていないように僕には思えます。そのような分野でも「進化とは、集団中の遺伝子頻度が時間とともに変化すること」という定義を採用するべきなのでしょうか。
もう一つ。上の定義に従えば、たとえば原始真核細胞にミトコンドリアの祖先が共生した、というような進化上の出来事も、その本質は「集団中の遺伝子頻度の変化」であると考えるのでしょうか。
- 次に「遺伝子の存続が進化の本質」なのか、について。
彦坂>>遺伝子は細胞というシステムがあって初めて機能しうる
butatamaさん>けど、細胞を構成するタンパク質の情報をもっているのが遺伝子ですから、、。
しかし、その遺伝子の「情報」は、細胞がなければ「情報」として機能することはできませんよね。
細胞は一つのシステムとして、各要素が他の要素に相互に依存しあいながら機能しているわけですから、その中から一つの要素だけを取り出して、それがシステムの「本質」であると言うのは、論理的におかしいと僕には思えるのですが…。
2000.07.18
- 『広告』7+8号「ヘンタイ感覚」購入。伊藤剛とか斉藤環とか永山薫とか、その辺り。
2000.07.17
2000.07.16
- 引越し以来、段ボールに詰めたままになっていた本を整理する。ついでに部屋の模様替え。
- このまえ見逃した『プロジェクトX』の黒部ダムの回が再放送されていたので、観る。ほんと、よくもあんなものを作ったなあという感じ。工事での死者の数を聞いて、さもありなんと思う。最後に番組のプロデューサーが出てきてちょっと話をしていたのだけど、『プロジェクトX』は視聴者からこんなテーマでやってほしいという要望が結構きていて、そういうリクエストもテーマを選ぶ参考にしているらしい。
- グインの新刊、3日くらい前に読了したのだが、書くの忘れていた。現在のパロの情勢はナリス-ヴァレリウス側の視点からだけ描かれている。だから、レムス側についた人々が何を考えているのか、特にあのトカゲ兵士たちがパロの国民に刃を向けるような状況を見てどう思っているのか、ものすごく気になるのだけど、その辺は全然見えてこない。みんなヤンダル・ゾックにマインドコントロールされちゃっているということなのか? それも何だかなあ…。ナリスとレムスが対決するというのは、物語の大筋としてもうだいぶ前から決まっていたわけだけど、僕としてはレムスがもっと主体性をもって、自分の政治的な意志でナリスと対決してくれることを期待していたので、レムスがヤンダルの傀儡に成り果ててしまって、ナリスがまるで正義の味方、という今の状況には不満を感じる。せめてレムス側の貴族や武将たちには、どういう行動をとるにしろ、主体性をもった決断と行動を見せて欲しかったのだけど、もしみんな操り人形になってしまったということなら、それも期待できないのかなあ。そういえばベックはどうしているのか。いまや期待できるのは彼くらいか?
ところで「地上最大の魔道師」って、やっぱりアグリッパなの?
- 月蝕。幸いに晴れて、時々うす雲がかかる程度。月に落ちた地球の影を見ながら、あの影の縁は地球のどの辺だろうと考えたり、いま月面に行って太陽と地球を観測したらどんな風に見えるのだろうと想像したり。月から見た地球は太陽よりもずっと大きく見えるはずだから、すっぽりと太陽を被ってしまうような日蝕が見られるはず。地球は夜の側に面しているので基本的には暗いはずだけど、地球の大気を通ってきた光(赤い光?)によって、縁がいくらか明るく見える、というような感じかな?
2000.07.15
- 生協に注文していた『ひらがな日本美術史』1(橋本治)が届いたので購入。
- 実験をしつつ合間に『化学と生物』の原稿書き。簡単に終わると思ったけど、けっこう苦労している。
- 昨日の「進化論は解釈か?」という話は、分かりにくかったかもしれないのでもう少し書くと、たとえばキリンの首が長いのは(首長ウイルスに感染したためとか中立変異とかではなくて)自然淘汰が働いた結果としての適応的形質だということを、経験と論理によって示すためには、以下のことが示されれば良いということだろう:
(1)キリンの祖先となった生物集団には、生き残るよりも多くの子が生まれていた。
(2)キリンの祖先の各個体には、首の長さに関して変異が見られた。
(3)首の長さの変異は、生存や繁殖に影響を及ぼしていた。
(4)首の長さの変異は、親から子へと遺伝していた。
(1)と(2)はほとんど自明だと思うが、(3)と(4)を示すのは難しそうだ。少なくとも祖先集団について調べることはできないから、現生の種で調べるしかないだろう。キリンでそのような仕事があるのかどうか、僕は寡聞にして知らないけれど、たとえばガラパゴスのフィンチに働いている自然淘汰を20年にわたって調べたグラント夫妻らの素晴らしい研究(ジョナサン・ワイナー『フィンチの嘴』に詳しい)はよく知られている。我々はよく「キリンの首が長いのは、首の長い個体は高いところにある葉を食べられるという利点によって適応度が高くなったため」というような説明を耳にする。しかしこれは、上記のようなことを調べることによって経験的に実証されない限りは、単なる解釈、物語でしかない、ということだろう。
- というようなことを考えたのだが、もう少し考えてみると、確かに上記の方法はキリンの首が長いのが自然淘汰が働いた結果としての適応的形質だということを示す方法の一つではあるが、その他にも自然淘汰の働きを証明できる方法はあるのかもしれない。僕はそのような方法論に関してはよく知らないのだけれど、どうなんでしょうね。
- 『進化と人間行動』で検索していて見つけたこちら(6/22)。科学書、SF等の書評あり。そこから辿って、こちらへ。宇佐の臨海実験所(高知大)で生態学を研究している方。日記が面白い。
2000.07.14
- ちくま文庫『私とハルマゲドン』(竹熊健太郎)、『クレープを二度食えば』(とり・みき)購入。
- 『ムーミン・コミックス』1「黄金のしっぽ」(トーベ・ヤンソン&ラルス・ヤンソン)購入。
- 『進化と人間行動』について、昨日の続き。
「進化論はしょせん解釈にすぎない」という意見に対して、著者は「進化はただの解釈ではない」(p.43)という。と同時に、「進化の話が「解釈」でとどまっている場合もあります」(p.44)ともいう。それでは、本書の後半で紹介されている、ヒトの行動、心理についての様々な説は「解釈」にとどまっているのか、あるいは十分な検証を受けた信頼できるものなのか。僕には、少なくともここで紹介されているヒトに関する諸説については、そのほとんどが「解釈」にとどまっているとしか思えない。
著者は自然淘汰は演繹的なロジックだという。つまり、
(1)生物には、生き残るよりも多くの子が生まれる。
(2)生物の個体には、同じ種に属していても、さまざまな変異が見られる。
(3)変異の中には、生存や繁殖に影響を及ぼすものがある。
(4)そのような変異の中には、親から子へと遺伝するものがある。
という4つの条件が満たされれば、論理的必然として自然淘汰が起こるという(p.29)。
これに従えば、ある形質が自然淘汰が働いた結果としての適応形質であると論理的に結論付けるためには、その着目している形質について、(2)集団の中で変異があること、(3)変異が実際に生存や繁殖に影響をおよぼしていること、(4)変異が遺伝すること、が示されなければならないだろう。しかし、ヒトの心理、行動に関する形質については、これらのことはほとんど示されていないように思える。この学問がこのレベルにとどまる限り、それは「解釈」と言われても仕方がないのではないかと、僕は思う。
とりわけヒトの行動生態学、進化心理学といった、ある種の危険性をはらんだ分野の研究者は、解釈にとどまっている段階の研究については、これは現在のところ一つの解釈に過ぎない、ということをきちんと強調するべきだと思う。(本書でも何ケ所か、これについてはまだ分からない、というような保留がついていた。そのような姿勢には好感がもてる。)教育の現場でも、事実として分かっていることと、解釈にとどまっていることを、きちんと分けて考えるように、常に教えるべきだと思う。
他にも細かい疑問はいろいろあるけれど、いちいち挙げていくときりがないので、この辺で。
- 今日はこれから飲み会だ。
- 『極東学園天国』3(日本橋ヨヲコ)、『生存〜LifE〜』1(かわぐちかいじ/福本伸行)、『殺し屋1』7(山本英夫)、『The World Is Mine』11(新井英樹)購入。
2000.07.13
- 学生実習最終日。今日は早く終わった。専門の実習は終わったが、まだ夏休み前に1、2年生の実習が残っている。
- 『遺伝子問題とはなにか』(青野由利)が届く。早い。ブックカバーもちゃんともらえた。
- 『進化と人間行動』(長谷川寿一、長谷川真理子)読了。するすると読めた。人間行動・心理の進化学に関する大学1、2年生くらいを対象にしたテキストで、前半では、現代の進化理論の基礎、遺伝子と行動の関係、ヒトの進化史などの基礎的知識を解説し、後半は血縁淘汰、互恵的利他行動、性淘汰などの理論を紹介しつつ、それに基づいてヒトの行動や心理を考察するという構成になっている。進化について学んだことのない学生、誤解している学生が学ぶための教科書としては適当な本だと思う。しかし、僕個人としては引っ掛かりを覚えるところが多数あったので、いくつか書き留めておきたい。
まず進化の定義について。「進化とは、集団中の遺伝子頻度が時間とともに変化すること」(p.22)だと著者は書く。しかしこれは集団遺伝学、進化遺伝学の立場からの「進化」の定義であって、一般性をもつ定義とは言えないのではないか。いくつかの辞典の「進化」の項目から引用してみると、
『岩波・生物学辞典第4版』
生物個体あるいは生物集団の伝達的性質の累積的変化.どのレベルで生じる累積的変化を進化とみなすかについては意見が分かれる.種あるいはそれより高次レベルの変化だけを進化とみなす意見があるが,一般的には集団内の変化や集団・種以上の主に遺伝的な性質の変化を進化とよぶ.進化遺伝学では,集団内の遺伝子頻度の変化を進化とよぶことがある.
『小学館・スーパーニッポニカ』
長大な時間経過に伴い生物が変化していくことをいう。生物の形質(形態・生理・行動など)が生息する環境に、より適合したものになる、既存の種から新しい種が形成される、単純な原始生命から複雑多様なものへ変化する、などがその変化の内容である。
『広辞苑第五版』
〔生〕生物が世代を経るにつれて次第に変化し、元の種との差異を増大して多様な種を生じてゆくこと。その過程では体制は概して複雑化し、適応が高度化し、また種類が増す。ダーウィンによれば「変化を伴う由来」。原義は展開。
などとある。
生物学辞典に「進化遺伝学では,集団内の遺伝子頻度の変化を進化とよぶことがある.」とあることをみても、これは決して一般的な進化の定義ではないだろうと思われる。もちろん、集団遺伝学者が自らの研究に都合が良いように進化を定義することは正当なことであるが、他の分野にまで「これが進化の定義だ」とその定義を押し付けるとすれば、問題だろう。この本がそういう態度を取っているかどうかの判断は微妙なところだが、せめて「集団遺伝学の立場では」というような留保をつけて定義して欲しいと思った。
さて「進化」を「集団内の遺伝子頻度の変化」と定義してしまえば、進化が日々起こっていることはほとんど自明である(個体が生まれて死ぬたびに、遺伝子頻度は多少なりとも変化するだろう)。それに反対する人はまずいないだろう。しかし問題は、そのような集団遺伝学的「進化」と、より一般的な意味の「進化」(たとえば『スーパーニッポニカ』によれば「長大な時間経過に伴い生物が変化していくこと」)がどう関係するのか、「遺伝子頻度の変化」で一般的な意味の「進化」が説明され尽くせるのか? ということだ。「遺伝子頻度の変化」(小進化といっても良い)だけで高次分類群の進化まですべて説明される、という立場はあっても良いが、それは今のところ証明されていないドグマである。当然、それに反対する立場もあるし、議論に決着はついていない。
本書では「自然淘汰によってクロクマからシロクマが生じるなんて信じられない」と言ったキリスト教の司祭の話が紹介されている(p.38)。ドーキンスはこれを「個人的な想像力の欠如による議論」と呼んだという。僕自身は自然淘汰によってクロクマからシロクマが生じることは信じることができるが、しかし、原始的な多細胞動物から脊椎動物や棘皮動物や節足動物や……といった生物がどのように進化してきたのかといった問題については、全く「想像力が欠如」してしまう。ドーキンスなら想像力たくましく、その過程を思い描くことができるのだろうか?
大進化の問題は生物学の中でも最も興味深い問題の一つだと僕は思っている。証明なしに「遺伝子頻度の変化で説明できる」というドグマを述べられても、簡単に納得できるものではない。
次に、おなじみの遺伝子中心の生命観、進化観について。本書には、
現代の遺伝子淘汰の考えでは、個体は遺伝子の入れ物であり、遺伝子が自分を複製させるために利用している乗り物にすぎません(p.83)
究極的には遺伝子の存続が進化の本質ですが、それを具現する手段として、個体は特別の存在理由をもっているのです(p.85)
などの記述がある。
いうまでもなく、遺伝子は細胞というシステムがあって初めて機能しうるのであり、あくまでもシステムの一部品(重要な部品ではあるが)である。再帰的に複製されるのは細胞システム全体であって、遺伝子はその一部として複製される。従って「個体は遺伝子の入れ物」という考え方も、「遺伝子の存続が進化の本質」という考え方も、承認できない。遺伝子を含む生物システムというものを前提として、その世代を超えた存続の中で、ある状況下では、性能の良い部品は増えるし、悪い部品は減るという変化が起こると考える方が自然だ。このように考えれば、世代を超えて受け継がれる性質の担体を、いわゆる「遺伝子=DNA」のみと考える必然性は必ずしもない。細胞が遺伝子によらない何らかの「システムの状態」を再帰的に作り出すことで、ある性質を子孫に受け渡していくという可能性も十分に考えられるからである。
ネオダーウィニズムはシステムという観点に乏しい、という印象を受ける理由の一つが、こういうところにある。
続く(かも)。
2000.07.12
- グインの新刊は、最近では僕よりも先に同居人が読んでしまうのだけど、彼女に聞いてみたところ、やはり「意外な人物」は全然意外じゃない人物だったらしい。ぐったり。タイトルの「地上最大の魔道師」って、アグリッパのことじゃないのか。
- 『ゴルゴ13』117(さいとう・たかを)購入。
2000.07.11
- ブックカバーが欲しい、ということで、bk1でお買い物。『遺伝子問題とはなにか』、『空色勾玉』、『しろいくまとくすのき』の3冊を注文。
- bk1の書評原稿を送る。『科学技術と現代政治』(佐々木力)。興味はあるのだけど、専門外ということで、ちょっと苦労した。たとえば著者の、米本昌平に対する批判や、金子勝に対する批判が妥当なのかどうかが判断できない。その辺は書評には書かなかったけど、気にはなる。
- グイン・サーガ73『地上最大の魔道師』(栗本薫)購入。まだ読んでいないけど、ヴァレリウスの前に現れた「意外な人物」ってもしかして全然意外じゃない人物なのでは? と表紙を見て思ってしまった。
- 『VOW12』購入。
2000.07.10
- 『女王の百年密室』(森博嗣)がようやく生協に入荷していたので購入。
- 買いのがしたので注文していた『進化と人間行動』(長谷川寿一、長谷川真理子)が届いたので購入。
2000.07.09
- 同居人が津山に用があるというので、同行する。津山の街で同居人と2時間ほど別行動。新しくできたショッピングモールに入ってみたら、4階に市立図書館があるというので覗いてみる。
- その図書館をぶらぶら回っていて見つけたのが、ネット上の一部で話題の川島誠『電話がなっている』。どれどれと早速読みはじめた。
この本は児童書で、5編の短編が収められている。『幸福とは撃ち終わったばかりのまだ熱い銃』。お誕生日会とかプレゼントなんていう「子供らしい」アイテムに油断していたら足を掬われる。ストーリーはあって無いようなものだが、主人公の少年が感情を吐露する文章に感情が揺さぶられる。目眩のような感覚を引き起こす文体。これは次の『田舎生活』や『ぼく歯医者になんかならないよ』にも共通している。そして表題作『電話がなっている』。これはSF。アイディアとしては、まあそれほど目新しいとは言えないかもしれない。しかし、これもやはり文章の力なのか、もう完全にやられてしまった。最後の文を読んだ時は、背中が震えた。愛情と保身の間で少年の感情が引き裂かれる話、と言ってしまえば簡単なのだけど、それをこれだけ強烈なやり方でやられてしまうと、参りましたとしか言い様がない。この本の中ではこれがベスト。
同じく川島誠の『しろいくまとくすのき』もあったのだけど、『電話がなっている』が強烈すぎて余韻が後をひき、そちらへは手を出せず。
- 津山の街をふらふらと散歩して、津山の地ビールを買ったりして時間を潰す。その後、同居人と合流して昼食。津山に行った目的の一つは川魚を食べることだったのだけど、その手の店は日曜は休みの所が多く、結局、同居人の知り合いの方が紹介してくれたレストランで、店長が趣味で釣ったというイワナを御馳走になった。から揚げと、煮付けと、ムニエルの岩魚づくし。天然ものということで、身がしまっていて、臭みもなく、とても美味しかった。
- 『NG』1(山田玲司)購入。
- 岡山へ戻り、万歩書店に寄って買い物。『野望の王国』7〜16(雁屋哲&由起賢二)、『晴れた晩には魔界が見える』(峰岸ひろみ)、『大根入りカレーライスの唐辛子あえ』(守村大)、『MIDNIGHT ZONE』(岡崎つぐお)など購入。
2000.07.08
- 岡山の金属バット殴打事件の少年が秋田で捕まったというニュースを聴いて、いろいろと考える。自分でもよく分からない感情の動きなのだが、このニュースのことを考えると、犯人の少年が可哀想だなあという感情にとらわれてしまう。去年の修学旅行で行った、楽しい思い出のある北海道を目指して、岡山から秋田まで十数日、ひたすら自転車をこぐ少年。かれはどんな気持ちで自転車をこぎ続けたのだろうか――なんて具合に、ついつい少年の心を推し量ったりしてしまいそうになる。困ったものだ。なんというか、そういうドラマ的なイメージが喚起される事件なんだよね。もちろん現実はドラマではないし、実際の少年の感情の動きなんて本人にしか(あるいは本人にも)分からないわけで、そんな感情移入には何の意味もないと、頭ではそう思う。「カバンにポケモンカード」なんていう話も、普通なら呆れるところだろう(と頭では考える)けど、なぜか可哀想感が増幅されてしまって、どうにもいけない。ほんと、困ったものだ。
- 夕方、同居人の車で岡山の友達の家へ。晩飯をごちそうになって、5ヶ月になる赤ちゃんと遊ぶ。
2000.07.07
- 『クラゲガイドブック』(並川洋、楚山勇)購入。写真がきれい。クラゲだけでなく、クシクラゲやサルパも載っている。
- 学生実習。ノザンハイブリダイゼーションの泳動からブロッティングまで。あとのハイブリ、洗い、検出は時間が無いので省略し、来週、結果だけ見せる予定。
- 臨海実習の説明会。今年は8月の17から19日のお盆あけ。参加者は10人くらいか。教育効果からいうと適正な人数といえる。
- おかざき真里『バスルーム寓話』。この人のマンガは初めて読んだのだけど、ちょっと湿っぽくて、心にしみる少女マンガだった。絵は上手いけど、ちょっと引っ掛かりが少ない感じかな?
2000.07.06
- 学生実習。RNA抽出の結果を吸光度とゲル電気泳動で見る。抽出過程では沈殿が見えにくくて取れているかどうか心配だったが、半分以上は成功していたようなので、まあまあの出来と言えそう。毎年のことだが、学生さんたちの実験の手付きをみていると、こんなのでちゃんと取れるのかな?と(とくにRNAは壊れやすい分子だし)心配になるのだけど、案外とれるものだ。明日はこのRNAを使ってノザンハイブリダイゼーションを行う。
- 久しぶりに自転車に油を注したので、快適。やっぱりちゃんと整備しないといけないね。
2000.07.05
- 『ミトコンドリアはどこからきたか』(黒岩常祥)購入。
- 『HEAVEN?』1(佐々木倫子)、『犬・犬・犬』1(花村萬月&さそうあきら)購入。
2000.07.04
- 魚コードのストラップを通販で買って携帯電話につけていたんだけど、どこかで落としてしまってとても悲しい。魚コードの口のところについているネジで、ストラップのヒモに止めるようになっていたんだけど、そのネジがゆるんでいたみたい。同時に買った同居人の魚コード(カスタム)ストラップを見て心を慰める。
- 『HUNTER×HUNTER』9(富樫義博)購入。
- 『ニアアンダーセブン』は特に期待もせずに読みはじめたのだけど、かなり笑いのツボにはまった。面白い。絵も好きなタイプだし。アニメもやっているらしいけど、そちらもこんなノリなのかな?
- 『漫画嫌い』(枡野浩一)を読む。紹介されているマンガ、読んでいないのも結構あって、おかざき真里『シャッター・ラブ』、小野塚カホリ『NICO SAYS』、鴨居まさね『雲の上のキスケさん』、やまだないと『ヤング・アンド・ティアーズ』、業田良家『ゴーダ哲学堂 空気人形』、山田芳裕『大正野郎』といったあたりは是非読んでみたいと思った。八二一の写真・装丁も良い。(「八二一(はにはじめ)」って「ハニー」なのかと思ってた…。)
2000.07.03
- 『昂』1(曽田正人)購入。
- 『イーグル』8(かわぐちかいじ)購入。
- 『野望としての教養』を読みはじめる。最初の方、けっこう面白く読めるのだけど、浅羽氏の力によるものか、取り上げている題材(橋本治)の力によるものかはまだ分からない。(橋本治が偉いということは、いまさらだけど、よく分かる。)
2000.07.02
- 『仮面ライダークウガ』。先週、見逃してしまったので、話が今一つ分からない。
- 午後から広島市内へ本を買いに行く。『バスルーム寓話』(おかざき真里)、『ケロロ軍曹』2(吉崎観音)、『続となりの芝生は』(青木光恵)、『ニアアンダーセブン』1(安部吉俊)、『成恵の世界』1(丸川トモヒロ)、『未来の恋人たち』(犬上すくね)、『ますむら版宮沢賢治童話集』(ますむらひろし)、『並木通りアオバ自転車店』1(宮尾岳)、『漫画嫌い』(枡野浩一)、『たとえば恋愛コミックはこう読む』(井の頭作文室)、『MGH』(三雲岳斗)購入。
- 『コミックファン』9号購入。この雑誌、売っているところが少ない。
- NHKの「ようこそ先輩」という番組。お茶大の土屋賢二が岡山の玉野小学校で哲学の授業をする回。我々はいろいろな問題に頭を悩ませるけれども、それらの中には、問題自体がナンセンスであるものがけっこうあるのだ、ということをわりと分かりやすく話していた。
- 『フェルマーの最終定理』読了。『天才数学者たちが挑んだ最大の難問』と同じテーマを扱っているが、『フェルマーの最終定理』の方が分かりやすく、かつ面白い。とくに「志村-谷山予想」と「フェルマーの最終定理」がどのように結び付けられたのかということがかなり詳しく噛み砕いて解説されていたのが良かった。これによって、「フェルマーの最終定理」の証明が、ただ「難しい問題を解いた」ということに留まるのではなく、数論の世界に非常に重要な成果をもたらしたのだということがよく分かった。
2000.07.01
- もう7月。
- 新しく始める実験の構想を練る。
- 『フェルマーの最終定理』(サイモン・シン)を読んでいる。
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